はい。喜んで

 西の密林には魔物が出る。


 隣国との国境に近いボラケシュに駐屯していた俺たち特務中隊が入り浸っていた酒場のオヤジが何かのついでに言った。その開いた口の中の歯は黄色く何本か欠けている。そのため、音が漏れて聞き取りにくかったが、ガハハと笑う顔の中の目にわずかな怯えを俺は見て取った。


 ビール瓶をラッパ飲みしていたハラス曹長が丸太のような腕をモリモリとさせて、オヤジに言い返す。

「俺たちゃ無敵の第3中隊だぜ。悪魔だろうが何だろうが俺達には敵わねえ」

「あんた達はまだ日が浅いから知らねえんだ。そう言っていた連中の何人かが死んでいるんだ」


「へっ。その辺のスプラウト野郎と一緒にされちゃいい迷惑だぜ。まあ、見てなって。その悪魔とかいうのをぶっ殺して持って帰ってやるさ。この店の玄関の敷物にでもすりゃいい。サム。お替りをくれ」

 ハラスは新しいビール瓶を受け取ると店の女の子の方に去って行く。俺が生きているハラス軍曹を見たのはそれが最後になった。


 ***


 俺が所属する外人部隊の第3中隊の兵士はある意味では皆優秀だった。人を傷つけ殺すという1点において。今の世の中に適合できない野獣たちは戦闘になると無類の強さを誇った。掃きだめでの傭兵にはここにしか居場所がない。実際、いくつかの国では手配書が回っている男もいた。殺人・強盗・強姦etc。


 隣国との緩衝地帯に住み着いた難民の排除が今回の任務だった。難民の中にゲリラが潜んでいる、それを叩くのが目的だ、と俺達に指示を出した正規軍の奴が言っていた。言ってる方も聞いてる方も、それが事実かどうかなんか歯牙にもかけていない。邪魔だから消したいという意向と、他者を傷つけたいという願望の醜い結婚の産物だ。


 まあ、その中の一人である俺も評論家よろしく他人のことを言えた義理じゃない。元々、某国で正規の軍事訓練を受けていた経歴と、数か国語を自由に操れるという技能を買われて便利使いをされているとはいえ、所詮両手は数多くの人間の血に染まっている。


 幸か不幸か俺は短刀を使えば右に出るものがいない。隊内ではしょっちゅう揉め事が起こるがそれを解決するのはむき出しの力だ。力が全てとはいえ、喧嘩に火器を使用するのはダサい。拳か、割れたビール瓶、短刀まで使うのがせいぜいだ。そして、俺は短刀を使えば誰よりも強い。死ぬのを恐れていないというのも効いている。


 いや、正確には俺より強いのが一人だけいた。俺がまだ生真面目な軍人だった頃のパートナーだったローザには勝てたことが無い。訓練で向かい合ったときは、気が付いた時にはぴたりと頸動脈に刃の冷たさを感じて戦慄するのがいつものことだった。


 心と体でつながっていると感じていたローザが俺の目の前から突然消えたのはもう5年近く前になる。極秘作戦に単身赴き帰ってこなかった。その経緯にキナ臭いものを感じた俺はあちこちを嗅ぎまわり、はめられて除隊処分となる。そして、流れ着いたのが今の部隊だ。


 ***


 さすがに無抵抗の難民をなぎ倒し、切り刻む姿を好き好んで見たいと思うほどには落ちぶれちゃいなかった俺は出撃の前の晩に、しこたまボラケシュ川の水を飲んだ。ミネラルより雑菌の多い濁った川の水を飲めば効果はてきめん。さすがにケツから臭いをまき散らしてぶっ倒れている俺を駆り出すやつはいなかった。


 ごっそりと抗生物質を処方されて3日ほど安静にしていた俺はぶらぶらと時間を潰す。密林を超えた先に懐かしの祖国があったが別に感傷は沸かない。ローザの居ない場所に用はなかった。それに俺が祖国を捨てたんじゃない。捨てたのは向こうの方だ。


 作戦終了期日に帰投しない部隊の回収を命じられて俺たちは数台のボートに分乗して川を越えて難民キャンプに向かう。まあ、今頃は元難民キャンプになっているだろう。川面に移る俺の目には虚無しかなかった。上陸してすぐに巨大なワニと出くわす。食事の邪魔をしたらしい。数丁の自動小銃が火を噴いた。


 ワニの食い残しの腕を見ていた誰かが言った。

「これはジョニーじゃねえのか」

 確かに肘の上に残っていたハートの入れ墨には見覚えがあった。俺は視線を手首の方に動かして硬直する。


「どうしたんだ。確かにジョニーの野郎は残念だが、死んじまったもんはしょうがねえ。ひょっとして惚れてたのか?」

 俺はつまらないジョークには取り合わず、無駄と知りつつ周囲に気を付けるように言った。

「どうやら本当に魔物がいるらしい」


 混成小隊の連中は途端にげらげら笑いだす。

「まったく、冗談きついぜ。さてと仕事仕事。うまくすればまだ生きてるのがいてお楽しみできるかもしれねえ」

 隊員たちは散開しつつジャングルの奥へと分け入っていった。


 俺は逡巡する。以前の俺ならばためらいなく先に進んだろう。そして死んだはずだ。今ここで引き返せば命を全うすることができる。まだ体調が完全に戻っていないくて置いて行かれたとでもいえばいい。だが、よく考えれば迷う必要などなかった。どうせ実質死んだ身だ。この世に未練はない。


 俺は全神経を張り詰めてそろそろと先に進んだ。途中で先に進んだ隊員が倒れているのを発見する。仰向けになった首筋にぱっくりと口を開ける傷があり、早くも虫が群がっていた。手にした武器の発射音は聞いていない。その暇もなく倒されたということだ。俺は確信をする。


 さらに一人、また一人と無造作に転がる死体を越えていく。昼でも薄暗い木々の下をゆっくりと蟻のように進んだ。ぞわっと全身の毛穴が総毛立ちし、俺は反射的に地面に転がる。ごろごろと転がって身を起こすと腰のベルトから2本の短刀を抜いて構えた。


 その攻撃を防げたのは奇跡に近い。忽然と現れた迷彩服を着て顔にペイントを施した相手の手に握られた短刀を俺は両手を使って凌ぐ。光を反射しないように焼きを入れた短刀が火花を散らした。連続攻撃をなんとか受けきると謎の襲撃者はすっと姿を消す。


 今回の手筋は読めていたから何とかなった。しかし、次はもう無理だろう。俺は短刀を握った手をだらりと垂らして無防備な姿勢を取った。これで素敵な死神が俺のくそったれな人生に引導を渡してくれるだろう。背筋がゾクリとした瞬間に喉に冷たい刃を感じた。しかし、次に訪れるだろう熱と痛みはやってこなかった。


「殺せ」

 俺はしゃがれた声を出す。ため息が聞こえると、チンという音とともに首から下げていた認識票が地面に落ち喉から刃が離れる。

「馬鹿ね」


 俺はほっとし、まだこの人生に未練を残していることに腹を立てた。

「なぜ、殺さない」

 殺気と怒りを放射させる。本当は別の問いを発したかった。

「さすがに相手が分かって手にかけるのは寝覚めが悪いから」


 陽気な声が耳を打つ。

「あの初手をしのがれなかったら、どうなってたかは分からなかったけどね。ジョン。それでノコノコやってきて、昔の女の手にかかって自殺しようってわけ? 意味わかんない」

 俺はついに怒りを爆発させる。

「黙って俺の前から消えてどんな気持ちだったか分かるか?」


「死にたくなった?」

 悪びれることなく笑いを含んだローザの声。

「バッカみたい。大人しく待っててくれれば良かったのに。騒ぎを起こして軍を辞めちゃうんだもの」


 俺が再び怒鳴ろうとする機先をローザが制した。

「まあ、いいわ。こんなところで話してたら日が暮れちゃう。ついてきて」

 そう言ってさっさと歩きだす。

「は?」


 ローザはくるりと振り返る。

「ねえ。昔の約束もう忘れたの? 私がお願いした時のあなたの答えは2つのはずよ」

 そうだった。確かにコイツはそういう女だった。5年経っても変わっちゃいない。


「ああ。そうそう。私に迷惑がかかるかもとか考えてるなら心配ご無用。誰も悪魔に文句は言わないから」

 黒く塗りたくったペイントの中に白い歯がキラリと光った。そうだ。自分勝手でいつも俺を振り回すのにいつの間にか従わされている。


 俺は懐かしいセリフを口にした。

はい。喜んでYes. With my pleasure.

 それを聞いて満足そうにローザは質問する。

「そういえば、ここにいるのが私だって良く分かったわね。あ、私の後を正確にトレースしないとブービートラップにかかるわよ」


 俺はひっかけそうになったピアノ線を回避する。冷や汗を流しながら返事をした。

「あの頸動脈を一撃する手筋を忘れるものか。教科書通りの死体の傷。あれを見間違えるわけはない。あんなことができるのは君だけだろ」



 


 


 

 

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