10 - 悪魔は笑わない

 ベラルーシ共和国。

 第三次世界大戦に前後して、ベラルーシは事実上、新ロシア連邦に吸収され、経済的にも政治的にも主権を失った。

 しかしこれは連合国家条約に反発した末、ユーラシア連合を基盤とした新連邦政府によって併呑されるという、ベラルーシにとっては最悪の結果と呼べるものだった。


 これに反発した勢力は、共和国内においても少なくない。

 彼らは『ベラルーシ再独立派』と一纏めに呼ばれるが、その内実は、主張や思想、方法論によって大きく枝分かれしている。


 そのうちのひとつである『カルサヴィナ派』は、国内最右翼――と言われているが、実質はマフィアのような組織である。

 暴力行為を厭わず革命を画策し、場合によっては暗殺もする。政府によってテロリストとして指定されている組織だ。


 その組織の拠点である屋敷が今――一夜にして壊滅しようとしていた。


 銃声が鳴った。

 硝煙と血の臭いが揺蕩うように鼻孔を満たし、薬莢が床に転がる音と、誰かが崩れ落ちる音が連続する。


「ま、待ってくれ!」


 それを目の前で見ていた男――『カルサヴィナ派』のリーダー、ヴィクトル・カルサヴィナは、上擦った声で叫んだ。


「待ってくれ、俺は、従う、国からも出ていく! だから――」


 さらに言い募ろうとした男の耳に、かつり、と床を歩く音が聞こえた。

 目の前にあるのは暗闇だ。そこに誰がいるのか、わからない。

 だが居るのは分かっていた。――一夜にして、この拠点を壊滅させた、死神が。


 喉が干上がって、嫌な音を出した。


 出来の悪いホラーを見ている気分だった。

 気がつけばすべてが終わっていた。無線は繋がらず、銃声は止み、護衛は闇の中で撃たれて死んだ。

 今すぐ殺されるかもしれないのに――それよりも、その暗闇から這い出てくる『何か』が恐ろしかった。


 カツリ、カツリと、音がして。

 そして立ち止まる。


 月光が、暗い雲の向こうから顔を出して――『死神』の姿を映し出した。

 それは……


「こ、ども……?」


 首元にチョーカーを付けた、美しい灰色の髪の子供だった。まだ十歳かそこらだろう。「なんでこんなところに子供が」という疑問がヴィクトルの脳裏をよぎった。

 しかしそんなものは明白だった。

 少年の手には銃とナイフが握られている。そのナイフは、赤い血で汚れていた。


 あまりの現実感のなさに――彼は魅入られていた。

 銃口が、自分に突きつけられるまで。


 戻ってきた現実感が、恐怖となって背筋を焼いた。


「ま、まて! まってくれ! 俺は、金なら渡す、なんでもする! だから――」


 パン。

 あまりに軽い銃声だった。

 だがそれは、ヴィクトルの頭蓋を撃ち抜き、命を奪うには十分すぎるものだった。



 ……すべてが終わり、夜の静寂が戻ったあと。


 カルサヴィナ派の屋敷を後にした少年は、一台の車の前に立ち止まった。

 モダン・メイフェアと呼ばれる、百年以上も前の車を復刻した型だ。そのドアを開けて、少年は後部座席に腰を下ろした。


「お見事でした」


 静かに発進した車の中で、運転席から男の声がした。


「……噂に違わぬとはこのことですね。政府も大変満足しているかと」


 少年は返事を返さない。

 運転手の男は――口の上では冷静を保っていたが、冷や汗が流れるのを止められない。


 例の『組織』に暗殺者を調達するように頼んだ結果、送られてきたのが少年だと知ったとき、彼は唖然とした。

 一緒についてきていた傭兵風の男――今も横の座席に座っている――と間違えているのではないかと、何度も確認したほどだ。


 だが結果はどうだ。

 あれほど政府を苦しめた『カルサヴィナ派』は、一夜にして壊滅した。

 たった一つの拳銃を片手に。当たり前のように屋敷に入り、当たり前のように皆殺しにして、そして出てきた。

 結局もう一人の男は、屋敷のブレーカーを落とす以上のことはしなかった。


 冷や汗が流れるのを止められない。

 当たり前のように人を殺す少年は、当たり前のように自分の口を封じるのではないかと――


「では」


 不意に、少年が声を発した。

 びくりと跳ねる肩を止められなかった自分に、期限を損ねてしまったのではという恐怖を抱えながら、バックミラーで少年を見る。


 美少年、と言っていい少年だった。

 だがそれ以上に得体が知れない。

 彼の眼は、何も映してはいなかった。外も見ていない。ただ俯いているだけだ。


「空港にお願いします」


 少年の要求は、ただそれだけだった。

 このまま終わってくれと願いながら、彼は言われるままに、モギリョフ空港へと車を飛ばした。

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