2-11 ティラミス(カナ視点)

「ごめーん! 長引いちゃった。何か分かった~?」


 仁藤さんの電話は結局二十分ほどかかり、少し駆け足になってテーブルに戻って来た。


 話し合いの結果、仁藤さんにはLINEアカウントの名前の話だけを伝え、「じゃあ、あの電話やメモは何だったんだ」と訊かれた場合には、「それは分からなかった」としらばっくれるという作戦に決まった。不測の事態が起これば、この中で一番仁藤さんのことをよく知っている赤月さんが主体となって、臨機応変に作戦を変更することになっている。


「あー、愛理先輩。そのことなんすけど」

 ソファ席に滑り込むように腰を落ち着ける仁藤さんに、赤月さんがさっそく切り出す。自然な口調だ。

「ん? どした?」

「誠司さんが浮気してるっての、多分勘違いだと思うんすよね」


 そうして、私の予想をかいつまんでさらさらと話していく。立て板に水とはこういうことを言うのだろう。

 仁藤さんは途中までふんふんとうなずきながら素直に聞いていたが、案の定

「いや、待って。じゃあ、あの電話は何だったの。確かに、あん時ちょっと酔ってたけど、ちゃんと聞いたんだけど。あのメモだって、何か分かんなくない?」


 やはり訊かれてしまった。ただ、少々言葉の勢いは強かったけれど、説明に納得がいかなくて腹を立てている、というよりは、純粋に不思議がる口調だった。私はほっと胸をなでおろす。これなら、「分からなかった」と言いやすい。


「いやー、いろいろ三人で話し合ったんですけど、分かんなかったんですよね~。でも、愛理先輩が遊びじゃない可能性は高いんじゃないかなーと。あくまで可能性ですけど。だから、まあ、一旦は様子見、って感じでもいいんじゃないっすか?」

「え、そお……?」

「そーですよ! だから、とりあえず八日が来るの待ってみません? そんで、八日に誠司さんにそれとなく探り入れてみましょ。それで怪しかったら、もう一回考える、って感じに」

 赤月さんの口からは、次から次へと言葉があふれてくる。仁藤さんが帰って来るまでにした話し合いでは、ここまで決めていなかったのに。赤月さんのとっさの会話能力の高さに改めて驚く。


 これでもう安心……と思ったのだけれど。

「ね、愛理先輩。そうしましょーよ」

「……り」

 ぼそりと呟く仁藤さん。


「え?」

「……やっぱ無理‼」

「え⁉」

「これ以上宙ぶらりんの状態、我慢できない‼」

「や、愛理先輩、一回落ち着きましょ?」

 赤月さんのさっきまでの淀みない口調に曇りが見え始める。仁藤さんは早口で一気にまくし立てた。


「そりゃ赤月の言うことにも一理あると思うし、最初はそれでいいかなって思ったけど、でも、やましいことないのに何で隠し立てすんの。やましいことがあるからでしょ? ウチ、八日まで我慢できない。はっきりさせる、今ここで!」

 そして、テーブルの端に置かれていたスマホを持ち上げると、どこかに電話を掛け始めた。……おそらく相手は誠司さんだろう。まずい、仁藤さんはどうも興奮して、周りが見えなくなっている。その証拠に、さっきはわざわざ外に出て電話を掛けていたのに、三回のコール音の後、店内で会話を始めてしまった。険しい表情で、


「あ、誠司? 今どこにいる?」

 かろうじて怒りを抑えた口調。けれど、低く響く声は、余程鈍感な人でなければ、怒っていると一聴して分かるものだった。


「……なら、今すぐ来てほしいところあるんだけど。春木野の駅中のファミレス。……そう。じゃ、またあとで」

 仁藤さんは、ふしゅっと息を吐くと、通話を終えたばかりのスマホをテーブルに再度据えた。あまりの急展開に、この場にいる誰も止めに入れなかった。


 ……とんでもないことになった。おそらく仁藤さんは誠司さんをこの場に呼んで、真実を問いただす気だ。思った以上に大事おおごとになってしまった。向かいに座る赤月さんに目を遣ると、「やってしまった」と、青ざめた顔。隣の優衣ちゃんを横目で窺うと、普段のつんと澄ました顔に一匙ほどの硬直が見えた。


「ええっとおー……愛理先輩?」

 赤月さんが上目遣いで仁藤さんを見やる。すると、仁藤さんはそこでやっと私たちの存在に気づいたかのようにはっとした顔をした。やはり周りが見えなくなっていたらしい。ばつが悪そうに、

「あ、ごめ、ん……。見苦しい所見せちゃった上に、三人のこと放置して話進めちゃった。ごめん。せっかく三人に助けてもらったんだから、これ以上迷惑はかけられないし、ウチは場所変えて、誠司と話を……あ、でも、誠司にファミレスここに来てって言っちゃった」


 そして、自己嫌悪を多分に含んだ深いため息を吐いた。

「あーあ、こんな風になるつもりはなかったのになあ。もっと心が広くて、可愛げのある女の子に生まれれば良かったのに」

 優衣ちゃんがその様子を見ながら、コーヒーを一口飲み、珍しく眉間にしわを寄せる。


「でもさ、やっと出会えた運命の人だって思ったのに、今までの人みたいに、裏切ってくるなんて思いたくないんだもん」

 仁藤さんの声は湿っていた。


 ……どうすればいいのだろう。私の予想を話した方がこの場は丸く収まるだろう。けれど、私の予想が間違えていた時、仁藤さんと佐々木さんの関係に私は責任を持てるのだろうか? もし合っていたとしても、本人が隠してきたことを部外者が勝手に話すというのも気が進まない。赤月さんの「言わない方がいい」という言葉もある。どうする……。


 その時、私のワンピースの袖が軽く引かれた。見ると、優衣ちゃんが袖をちょい、とつまんでいる。私がそれに気づいたのを見ると、今度はポケットに入れていた私のスマホを指さす。テーブルの下で取り出してみると、優衣ちゃんからメッセージが入っていた。


〈祐也から伝言。そのままコピペする。〉

〈とりあえず後は俺に任せてほしい〉

〈簡単な方向性だけ言っとくと、このままむりやり誠司さんと愛理先輩の話し合いに同席する。こうなった以上二人の話し合いは避けられないと思う。なら、第三者が同席して、上手く話を誘導した方がいい。一応、電話の件を話に出したら、言い逃れしにくいから、手帳の5月8日の方に話を誘導するつもり。こっちの話なら、佐々木さんも適当に言い逃れができる〉

〈何かあったらフォロー頼んでもいい?

 あと、これそのまま高倉さんにも送ってほしい〉


 表立って相談はできないから、テーブルの下から送信していたようだ。素早い対応に驚く。でも、どうやって話し合いに同席するのだろう。さっきの仁藤さんの言い方だと、私たちに気を使って、ここ以外の場所で話し合いをするつもりだ。まだ場所変更の電話はかけていないようだけれど、それも時間の問題だろう。仁藤さんは佐々木さんに電話を掛けなおし、そろそろファミレスを去ってしまうはず。と思ったら、


「愛理先輩、一回深呼吸しましょ。あっ、俺、何か飲み物入れてきます。何がいいですか?」

「赤月……でも」

「ほらほら、早く」

「えと、じゃあ、カフェオレ」

「じゃあ、行ってきます! その間、デザートとか見ててくださいよ。俺、奢るんで」

「え?」

「俺のおすすめはティラミスです。じゃあ、カフェオレ入れてくる間に決めといてくださいねー!」

「あ、ちょっと!」

 そのまますたこら行ってしまう赤月さん。


 なるほど。赤月さんはうやむやにしてしまうつもりだ。佐々木さんが来るまで時間を稼ぎ、無理やり同席する。デザートの話もそうだ。奢るという約束がある手前、仁藤さんは勝手にここを去れないし、反対に赤月さんの同伴者である私たちに退席を頼むこともできない。


 泣きそうになっていた仁藤さんを慰めるかのように見せかける鮮やかな作戦だ。いや、慰めたいというのは本心なのかもしれない。赤月さんは一年生の頃、仁藤さんに庇ってもらったことがあると言っていた。そのことに感謝していなければ、自分のことを脇に置いて相談を受けたり、そもそも仁藤さんの電話を夜中まで聞いたりしないだろう。


 カフェオレを持って帰って来た赤月さんはなおも仁藤さんに慰めの言葉をかけ続け――そして、佐々木さんがやって来た。

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