2-2 こんにちは①(カナ視点)

 優衣ちゃんに「2ハナ‼」を渡してから、2時間ほどが経った。


 さして興味なさそうに、しかしきちんと「2ハナ‼」を読んでくれた優衣ちゃんは、そのままローテーブルでレポートを作成し始めたけれど、私は相も変わらずツイッターの画面を見続けていた。


 依然として広哉先生のツイッターに呟きは増えない。

 やはり何かあったのだろうか。体調不良? 身内に不幸? それとも事故……いやいや、そんなことはない、はず。いや、でもでもでも……。


「あー、もう、鬱陶しい‼」

 唐突に鼓膜を震わせた声に、体がびくりと強張る。

 振り返ると、優衣ちゃんがローテーブルに手を付いて、こちらをじとりとねめつけていた。


「えっとー……私何かした?」

「『何かした?』、じゃないんだけど。さっきからずっとぶつぶつぶつぶつ」

「うそっ、声に出てた?」

 慌てて口を手で塞ぐと、大きなため息が返ってくる。


「無自覚か……」

「あまりにも心配で……。ごめんなさい、今すぐ黙ります!」

 さらにきつく手を口に押さえつけると、優衣ちゃんは一度考え込むように黙った。それから、

「そんなに広哉先生のとかいう人のこと、気になる?」

「それはもう。めちゃくちゃ気になります!」

「じゃあ、今から電話かけるから、ちょっと静かにしといて」

 じゃあ? じゃあ、とは。話の流れが全く見えない。

 優衣ちゃんはもうこちらには目もくれず、スマホを少し操作して、すぐに耳に当てる。数秒経ったのち、話し始めた。


「あー、もしもし。今どこにいる? ……え? そんなのどうでもいいから早く答えて、今どこ? ……え? 本当に? じゃあ、LINEに住所送るから、その住所のとこに今すぐ来て」

 ぶつっと切られる電話。


「……ねえ、優衣ちゃん。今、相手の人の返事を全く聞かずに切らなかった?」

「大丈夫、来る」

「すごい自信……。というか、電話の相手誰? 誰がここに来るの?」

「広哉あきら」

「へー……え?」

 一旦思考が停止する。


「優衣ちゃん。冗談、だよね?」

「あたしがカナに冗談言って、何の得になるって言うの。本人に訊くのが手っ取り早いでしょ」

「え? じゃあ、冗談じゃないってこと⁉ え、ど、ええ⁉ ど、どどどどいうことっ⁉」

「落ち着け」

「落ち着けないよ‼ 何で、ど、え、どういうこと? 優衣ちゃんと広哉先生は知り合いなの? でも、さっきまで広哉先生のこと、知らなかったよね? どういうこと? え、どういうこと⁉」


 口にすればするほど、疑問だけが深まってゆく。しかし、優衣ちゃんはひどく面倒そうに言った。

「あと十分ぐらいしたら、広哉あきらが来るから、その時に二人まとめて説明する」



 *****



 それから約五分後。インターホンが鳴った。あと十分くらいと言っていたから、もっとかかると思っていたのに。


 優衣ちゃんはレポートが忙しそうだったので、広哉先生(まだ本物と確定したわけじゃないので、広哉先生(仮)とでもした方が正しいかもしれない)は私が迎え入れることになった。玄関に向かい、サンダルに足をつっかける。……緊張してきた。

 ドアの前で、おーきく深呼吸をしてみる。一回、二回、三回。よし。私は勢い込んでドアを開けた。


 外に立っていたのは、私たちと同じ年の頃の青年だった。赤茶色の髪は軽く遊ばせてあって、イケメンだがチャラチャラしたタイプに見える。が、そんな容姿に見合わぬほど、みっともなくぜえぜえと息を切らしていた。


 広哉先生(仮)は私の姿を見ると、なぜか大きく目を見開く。

「何で高倉さんが、ここに……?」

「え?」

 私の知り合いにこんなイケメンはいなかったはずだ。何がどうなっているのだろう。


「っていうか、あの、優衣は」

「あ、えと、えっと、優衣ちゃんなら奥に、いますけど……」

 おずおずと告げると、広哉先生(仮)はせりあがってきた唾を飲み下しながら、家の奥に向かって呼びかけた。


「おーい、優衣! これ、どういう状況なんだよー!」

「優衣ちゃーん!」

 私も状況が分からないので、一緒になって叫んでみる。優衣ちゃーん! 状況の説明をお願いしまーす!

 すると、やはり面倒そうな顔をした優衣ちゃんがひょこっと奥から姿を現し、「近所迷惑だから、とりあえず中に入れ」と凄まれた。



 *****



 とりあえず、広哉先生(仮)には、リビングのローテーブルの前に座ってもらった。さっきから広哉先生(仮)はやけに挙動不審だ。きょろきょろしたり、かと思えば、固く目を閉じてみたり。お茶を入れるために、現在私はキッチンにいるのだけれど、ここからでも分かるほど挙動不審だった。


 対する優衣ちゃんは、広哉先生(仮)の向かいに座って、平然とレポートの作成を続けている。優衣ちゃんは、本当に肝が据わっている。

 ローテーブルにティーカップを三つ運んだ私は、優衣ちゃんの隣に腰を下ろした。それを見た優衣ちゃんは、キーボードを叩く手を止める。そして、まず広哉先生(仮)を手で示した。


「カナ。こちらが広哉あきら先生」

「あ、ど、どどどうも」

 次いで、私を手で示す。


「祐也。こちらがあんたのファン」

「はあ」

 すぐさま再開するタイプ音。

 ……え? 今ので終わり?


「いや、優衣ちゃん、さすがに無理あるよ! ねえってば!」

「優衣、昔からそういうとこあるよな! もうちょっと説明くれよ!」

「あー、もう、分かったって!」

 さすがに二人分の反論は無視する方が損だと思ったのか、優衣ちゃんはパソコンを閉じた。それから、右手をひょいと挙げる。


「一から説明すんのはめんどいから、質問ある人から挙手制で」

「はい!」

「はい、カナ」

「広哉先生(仮)と優衣ちゃんはどんな関係なんですか! というか、そもそも本物なんですか!」

「幼馴染。あと、確実に本物だと思う」

 確実に。随分ときっぱり言い切った。何か根拠があるのだろうか。

 と、今度は広哉先生((仮)はもういらないだろうか)が手を挙げた。


「はい!」

「はい、祐也」

「何で、俺のことを広哉あきらだって知ってんだよ!」


 優衣ちゃんは呆れた表情を浮かべた。

「逆に何で分からないと思ったの?」

「だって、俺、公式でプロフィールほとんど明かしてないし」

 確かにそうだ。広哉先生は年齢も誕生日も何も明かしていない。広哉先生のTwitterも見ていない優衣ちゃんに、広哉先生の素性が分かるとは思えない。


 優衣ちゃんは大きくため息を吐いた。

「だって、漫画の吹き出し? の外にある手書きで追加されてる文字がなんか見たことある字だったし、何より作者情報の写真だよ」

「作者情報の写真?」


 漫画単行本のカバーの折り込みの部分には、作者の自己紹介やコメント、それと共に作者の描いた自画像、撮った写真等が載っていることが多い。広哉先生はコメントは毎回違うものの、写真はいつも同じものを使っている。少し小さいサイズの赤いシャープペンシルの写真だ。シャープペンシルの軸には「VIIXIV」と彫られており、通称・広哉暗号と呼ばれている。「2ハナ‼」の今後の展開の伏線じゃないか、と推測され、ファンが解読にいそしんでいるが、未だこの暗号を解いた者はいない。


 広哉先生は納得がいかないといった様子で、反論する。

「確かに、このシャーペンは昔、優衣から誕プレで貰ったやつだけど、既製品だから、他にも持ってる人いるだろ。俺だって断定する情報にはなんないはず」

「あのね。このシャーペンには軸に文字を彫るってサービスがあるんだよ。で、その『VIIXIV』はあんたの誕生日を、ローマ数字で入れたやつなんだって」

「え……マジで?」

「がっつり名前とかアラビア数字で誕生日彫ったら、恥ずかしいかと思って、ローマ数字にした」

 広哉先生がぽかんと口を開ける。どうやら知らなかったようだ。対する私は感動していた。


 こんな身近に広哉暗号の作者がいたなんて! そして、おそらく世界初の解読の瞬間に立ち会えたなんて! なるほど、広哉先生の誕生日は七月十四日なのか。忘れない。絶対に、忘れない。


「だから分かった」

「……マジか。そうか、そうだったんか……」

 なぜかやけに嬉しそうにうつむく広哉先生。よく見ると、耳が真っ赤になっていた。これはもしや……優衣ちゃんが広哉先生の想い人パターンなのでは。そう考えると、十分の道のりを五分で来たり、やけに挙動不審だった理由も辻褄が合う。が、しかし。


 優衣ちゃんをちらりと見やる。

「っていうか、何であのシャーペン、紹介画像に使ってんの?」

「え、それは、その……ほら、なんか」

「何?」

 優衣ちゃんは全く気付いていなさそうだった。鈍感な完全無欠の美少女か……ありだな。


 二人の会話が一段落したのを見て、私はもう一つ質問を投下した。今度は優衣ちゃんに、ではなく、広哉先生に。

「あの、広哉先生。何で私の名前を知ってたんですか?」

 私が玄関で応対した時、広哉先生は「高倉さん」と言った。しかし、会った記憶はない。


 すると、優衣ちゃんがまたもや呆れた声を出した。

「カナ。こいつ、高校の同級生だよ」

「……へっ?」

「何なら、高一の時同じクラスだったんだけど、俺。赤月祐也あかつきゆうやって名前、覚えてない?」


 なんてこった。憧れの漫画家が同じ高校で、しかも同じクラスになったことがあって、その上私のことを覚えていてくださって、それなのに私はそのことを忘れていて……。感情が大混乱した末に、私はがばっと頭を下げた。

「すみません! 私、美少女には興味あるんですけど、イケメンには興味持てなかったんです、すみません!」

 広哉先生はぽかんと口を開けて固まっていた。

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