【中編-B】-brillante.-

【??-?】-?????-


 おかえりなさい。そして、ごきげんよう。


 月が綺麗な夜ね。夜風がとても心地良いわ。

 ここに来るのは、何回目?

 ここの時系列はとても複雑、迷う人がたくさんいるの。途中からお話してしまっては、内容が分からないからあなたに合った場所に案内するわ。


 さぁ、どうぞ。あなたの気の赴くままに。

 初めてここに迷い込んだなら、左側の蕾に触れてみて。新しい物語をあなたに読み聞かせてくれるはずよ。


 あなたがまだ、メルトと出会っていなければ右側の蕾を。いよいよ出立のときが訪れた日のこと。


 ―――。


 ……そう。改めまして、ごきげんよう。

 ここに来るのは3度目になるかしら。嬉しいわ、何度も来てくれて。

 今回も、物語の続きを話していくのだけれど……。その前に少し私の昔話に付き合って頂けるかしら?


 分かってるわ、でもそんなに焦らないで。この物語をより深く理解してもらいたいから、もう少し噛み砕いて話しておきたいことがあるの。

 まず最初に、どうして劇中で結果から話してしまったのか。


 ふふ、おかしな話よね。

 物語には起承転結があって、起のあとに結が来るなんて……ね。これは私があなたを、この世界の虜にしようと思って巧みに物語の筋書きを前後させたの……そう、私の巧妙な話術で。

 ……というのは、半分冗談。半分は本気なのだけれど、ちゃんと理由があるの。

 このお話の大前提は【あなたに考えて欲しい】というもの。

 あなたがどう感じ、どう思い、どう結論を導いたのかを。その対象として、エリスの心を投影しているに過ぎない。

 心という定義があいまいなものだけれど、本来心というのはガランドウで、空っぽなもの。

 ある意味【空白】で、満たされない器を人は抱えているわ。

 それは仮に、私は心という器を持っているという【はじまり】と。安心や思いやりや不安といったものを注いで満たされるという【終わり】があったとする。

 でも、その過程は人それぞれで。そこには憎悪や、狂気や、猜疑心を入れていることもあるかもしれない。

 すべてが千差万別で、十人十色。それは、あなたにしか描けない物語のシナリオのよう。


 例えば、【心が空っぽになってしまった】という言葉を聞いたことがあるでしょう。もしくは、そう自覚したことがあるかもしれない。

 でも、それは元に戻っただけで、逆なの。もともと空っぽの中に、人はいろいろなものを満たして、時には入れ替えて生きている。

 人の器とはすなわち、心の器の大きさのこと。器の大きさというものは、自分の両手で抱えられるだけの大きさしかない。もしもそれ以上何かで満たそうとすれば、指の隙間から零れ落ちてしまうわ。

 だから、心が空っぽになったのは即ち、今までたくさんあった想いが、守り、温めていたものが全て流されてしまったということ。掌にあると思っていたものが、ひょっとしたら欺瞞や、驕りや、その他の名前も知らない何かが侵食して、少しずつ溶け出していたのかもしれない……。

 そして、心はガランドウだったんだって気付いてしまったのよ。立ち直るには、また最初から一つずつ満たしていくしかない。


 始まりと終わりを最初に示したのは、その【空白】を考えて欲しいから。それは心が空っぽも同じ。

 物語を初めて読むときは、みんな結果がどうなるだろうと心が躍ると思う。そして、その先を夢想して楽しむ。

 でも、最初と最後が示されたとき、心は空っぽになる……。そこで興味を失うのではなくて、あなたがもう一度この物語を書き記して欲しいの。


 あなただけの、あなたが見た景色を【物語り】として。


 そうだ、もう一つ面白いお話があったわ。【シュレディンガーの猫箱】のお話は聞いたことがある?

 箱の中に触れたら死んでしまう毒と、猫1匹を入れるの。そうして蓋を閉めたとき、次に開けたときの猫の生死は確率でいうと、5分5分になる。

 つまり、蓋を開けてみるまでは生きているか死んでいるかは分からない状態。これは、蓋を開けて生きていれば生還ルートに収束される。死んでいたら死亡ルートに収束される。

 じゃあ、結果が分かってしまったらすべてが決まってしまう?

 いいえ、ここで最初に話したこの物語の大前提を思い出して欲しいの。過程を考えて、あなただけの物語を紡いで欲しい。

  例え死が運命付けられたお話であっても、過程を楽しむことは許されていいはず。過程を楽しむというのは、どうしたら救えたのか? どこで間違ってしまったのか? どうすればハッピーエンドを迎えられたのか? というのを、考えるということ。


 このシュレディンガーの猫箱の考え方を採用した物語はたくさんあるわ。どれもすごく面白いの。

 あなたも思いつく物語があるかしら?

 私は昔、死ぬことが決められた少女の物語を読んだ事があるわ……。その時私は、悲しくて考えることを放棄したの。可哀そうって。もうこれじゃ……助からないよねって。

 結果を目の当たりにして、死を目の当たりにして、それが強烈過ぎて、少女を見捨てることを選んだわ。彼女を助ける方法を、模索せずにね……。

 今思うと、それは見捨てたんじゃなくて見殺しだったのだと思う。だから私は、今ここにいるのかもしれないわ。

 そして、この場所が私のような人のためにあるのだとそんな気がするの。だからあなたには、同じ後悔をして欲しくないからこうして……、【私が見た景色】を話しているのよ。



 さて……。ついつい長話になってしまったわ。

 いよいよ物語りも佳境に入る頃。エリスがメルトと出会って、それからのお話ね。

 ふふ、お待たせ。大丈夫、まだまだ時間はたっぷりあるから。ただ、私が話したことを少しでいいから思い出してくれると嬉しいわ。憶えていてくれたら、それはあなたの人生に私という一部が存在できたことの証になるのだから。


 それが私の、罪滅ぼし……。


 さぁ、目を閉じて。耳を傾けて。エリスとメルトの不思議な物語、そして問いかけを【あなた】へ―――。



【君が見た景色】

    ~~中編B~~

   

        -brillante.-


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~



 黙して歩いていたメルトは、歩みを止めた。

 気が付けば大分森深くを歩いていて、辺りは薄暗さから霧の立ち込める様相を呈していた。心なしか肌寒い、霧が素肌をチクチクと指すようだった。

 エリスは無意識に自分の両腕を抱えている。ひょっとしたら、寒いのではなく森の騒めきが鳴り止んだことへの自己防衛かもしれない。

 そこに佇む、白壁の木造の家。そこが魔女の館であるかのような、ハロウィンを思わせる装飾などは一切無い。

 煙突からは煙は上がっていないけれど、こんな森深くに住んでいる人などいるのだろうか。

 外見では判断出来ないが、ひょっとしてここが白魔女が住む家なのだろうか?


 少し警戒しながら小屋を臨むエリスをよそに、メルトは我が家に帰るかのように小屋へと入っていく。もちろん、扉を自ら開けてではなく、すり抜けたわけでもなく。

 入り口のドアの下部に、猫が通れるほどの大きさにくり貫かれたスペースがあった。

 そこには柄の付いた暖簾のようなものが架かっており、メルトの身体を撫でる。エリスはぐっと不安を押し込めて、小屋のドアをノックした。


 中から聞こえてきたのは、若い女性の声。またしても、自分に似たような声……?今日エリスは、何度目か分からない既視感を覚えながら小屋のドアを開く。

 中に居たのは―――。見間違えるはずもない。曲解しようもない。まるでそれは、鏡と対面しているかの様。

 可愛らしいクッションに囲まれたソファに、寝そべるようにクッションを抱いてこちらに顔を向ける少女が居た。少女はエリスを見つめながら、にっこりと微笑む。


 世の中には3人くらい自分にそっくりな人がいるという俗説がある。しかし、似ているとか、そっくりというレベルではない。これはもはや、エリスが一卵性双生児であったといわれても納得してしまうだろう。

 それでも別人というのなら、これはドッペルゲンガーか。死期を知らせる鐘のような存在。

 これには諸説あるが、大体は不吉の前兆として捉えられることが多い。しかし、【共に歩く者】という解釈があるのをご存知だろうか。

 仮に凶兆として捉えた場合、常に死が共に歩くという考え方。これは、とりわけ不思議なことではない。

 なぜなら人の生死は背面関係にある。表と裏があるように、光と影があるように。この世界は相反する心に従順である。常に天秤は、アンビバレンスなのだ。


 余談だが、対極に位置する気持ち、あるいは態度を同時に表す時、相反する心を【アンビバレンス】という。分かりやすく例えると、狂おしい程愛しているのに、殺したいほど憎い。……といったアンビバレンス。

 このドッペルゲンガーの場合、人は常に生きていれば常に死と隣り合わせであると定義出来る。故に、ドッペルゲンガーは共に歩く者なのである。

 ……そして、エリスは恐る恐る問い掛けた。あなたの、名前は……と。


【わたしは、あなた。】


 それが、彼女の解であった。エリスは理解しようと必死で思考する。

 けれど、どの言葉も支離滅裂で、自分を納得させるだけの解を導くことは出来なかった。

 そんなエリスを知ってか知らずか、人懐っこい笑みを浮かべながら、まるでスキップするように駆け寄る少女。エリスの手を取ると、親しい友達を自分の部屋へ招くかのようにソファに座らせた。

 初対面にも関わらず少女は、エリスの名前を呼んだのだ。困惑するエリスの頭の中はクエスチョンマークで満たされていく。


『どうして私の名前を知ってるの? そもそも私にそっくりなのはなぜ? 私は夢を見ているの? ひょっとしてこの子が、白魔女なの? 私と同じ顔、同じ背格好、同じ声のこの子が? それより、メルトは? 確かにここに入ってきたのにどこに行ってしまったの? これが、成人の儀というものなの?』


 矢継ぎ早に湧き上がる声無き問いに、少女はぎゅっと握り締めたエリスの手を両手で包み込むと、落ち着くのを待ってからそっとエリスの右頬に触れた。

 その表情は聖母の眼差しを湛え、エリスの憧れたそれに限りなく近い表情をしている。それから一つ一つ、少女はエリスの問いを説き解いていく。

 次第に、警戒と混乱で満たされていたエリスの心も和らぎ、嬉しそうに話す少女に静かに耳を傾けられるようになった。

 その中で、何度もエリスの名前を呼び、エリスもそれに応える。少女のことはメルトと呼んだ。聞けば、白猫のメルトと同じ名前だったから。

 でもその疑問を問うよりも、【メルト】の話すことに耳を傾けることの方が、今のエリスにとっては至福だったのだ。

 名前を呼ばれることに、こんなにも嬉しさを覚えたのはいつ振りだろう。普段エリスは、お母様やお父様から名前で呼ばれている。けれど、この子はエリスの名前を呼ぶこと自体が嬉しいことであるかのように、とても幸せそうにエリスの名前を呼んでいる。

 それはまるで、いつもエリスが動物たちに語りかける時のようで。

 エリスは、自分はきっとこんな表情をしながら動物たちに話しかけているのだろうと思った。

 思えば、愛猫のクリス。散歩の時に出会うシェルティのシエル。牧場にいる羊のシープにメリアにララ……。みんなに名前がある。

 そして何よりも、エリス自身にとっても自分の名前は特別。それは唯一無二の、自分である証。

 たとえ、同姓同名の名前であったとしても【自分】は唯一無二のもの。これは識別番号などでは、決して無い。自らが愛し、ひとから愛される名前。

 それが、名前に宿る魂であり、名前で呼ばれることの【意味】である。



 メルトは本当に話し上手だった。

 彼女が話す話題は尽きることがなく、エリスもメルトと話していて飽きるということは無い。

 お腹が鳴ればクッキーを焼いて香りと舌を楽しませる。星型からハート型、細長いものから四角いもの。文字や動物まで。中には手のひらサイズの大きなものもあった。味はチョコにイチゴにメロンに抹茶。メルトはどんな味のクッキーでも焼いてくれたのだった。

 気が付けば部屋中が、クッキーの芳しい香りで満たされていて、甘く蕩けるような二人だけの空間を装飾している。

 不思議なもので、ここは普通の木造の家なのだけれど、お菓子の家に迷い込んだみたいな錯覚に陥る。

 だって、家の中がこんなにもクッキーの甘い匂いで満たされていて、隣には饒舌に楽しい話をしてくれる人がいて、もう心がふわふわしてるの。

 夢の中か、童話の中にでも迷い込んだと錯覚してしまうほどに。室内を見渡せば、ソファだと思っていたものはミルフィーユに。テーブルはシフォンケーキに、ランプがクレープに、タルトの花が咲いた花瓶まで。

 ここまでくると、エリスも自分がいかに夢心地なのかを自覚する。

 それは一重にメルトが話し上手だからなのか、クッキーの甘い香りがそうさせるのか、エリスには分からない。

 けれど、目の前で本当に幸せそうな表情を浮かべるメルトは、これが最高のお持て成しだというように、エリスとの世界を形作っていく。

 次のクッキーはどんな味? もちろん、二人の大好きな味。すでにエリスはもう、この時間に心を奪われていた。

 誰も急かさない。誰も水を指さない。二人だけの時間を壊すような無粋なシナリオは用意されていないのだから。


 しかしメルトも【幻想】を見せる為だけに、エリスを招いたのではない。エリスの好きな遊びもよく知っていた。

 手持ち無沙汰になったら綾取りを始めた二人。エリスはは綾取りをするのは得意だと思っていたようだけど、メルトは何回も何回も珍妙な取り方でエリスを撹乱する。

数え切れないほど繰り返しては、変な形になって笑い転げる。

 終いにはどっちが綺麗な形を作れるかという趣旨に変わっていて、もはや綾取りという遊びではなくなっていた。


『お母様に見せてもらったホウキやハシゴは難しくて私はまだ出来ないけれど、メルトはやってみる! と、意気込んでいざ挑戦! 自信満々で挑んだにも関わらず、結果は撃沈……。ただのクモの巣のようでした。それでも、出来た! と胸を張るものだからおかしくて、これではホウキにクモの巣が引っかかっていると二人で笑い転げていました。もちろん、私が挑戦しても結果は同じくクモの巣でした。お返しとばかりに、私は覚えたばかりの綾取りで出来る【不思議な魔法】を見せてあげました。これは、複雑に紐が絡んでいるように見えるけど、ある手順を踏んで絡めていくと、スルスルと解けてしまう魔法のような方法なの。メルトは自分の手からスルスルと解けてしまうところを見て、すごいすごい! と、とても楽しんでくれました。私も初めてお母様に教えてもらったときは、こんな風にはしゃいでいたっけ……。

 最後に一番の大技に挑戦です。これが一緒に出来たなら二人はずっと仲良しで、ずっと幸せで居られる。そんな願掛けが施された大技があるの。【立体大神木】。二人で3本の紐を使って作る、大技。私もお母様と1回しか成功させたことがありません。緊張の一瞬です。私も息を忘れるくらいに緊張していました。結果はなんと……成功してしまいました! この時は私も、嬉しさと驚きではしゃいでしまったのは言うまでもありません。ああ、恥ずかしい……。初めて会った子に、飛び跳ねて抱きついてしまうなんて……。でもメルトも同じように笑ってくれていたから、私もすごく嬉しかった……』


 これもクッキーの魔法。

 エリスが綾取りを好きな理由は、母親と綾取りをするときには決まって

クッキーを焼いてくれたからだ。

 そんな単純な理由でも、エリスにとって【クッキーと綾取り】はどちらが欠けてもダメなのだ。

 二つで一つ。二人で一つ。そんな甘くて苦しい係わり。

 綾取りが一人では面白さも半分であるように。メルトはエリスのことを、とてもよく知っている。

 妹が出来たみたい? 同世代の友達が出来たみたい? いいえ、どちらも違う。

 生き別れの双子の姉妹と再会出来たような? いいえ、そんなに複雑でもない。


 エリスはようやく出会えたのだ。

 ずっと成りたいと思っていたエリスの【憧れの人】に。


 それからメルトの宝物である、綺麗な水晶石のカケラを見せてくれた。決して大きなサイズのものは無いけれど、様々な色の水晶石が煌いていた。どうやらこの家のすぐ裏手には小さな洞穴があって、その地層には多種多様の水晶石が散りばめられているという。

 普段遠くに行かないエリスにとって、洞穴など立ち寄ったことは無い。少し不安に思ったが、メルトはさも素敵な場所に行くかのように誘うのでエリスも尻込みをすることは無かった。



 コレクションを一通り見せてもらった後に、エリスたちはその洞穴へと赴くことにしたのだった……。洞穴でランプを灯すと、まるでそこは地中のプラネタリウム。

 色取り取りの採光を放つ星空が広がっていた。地下で薄暗いにも関わらずエリスはその煌きに目を奪われる。怖いなんて微塵も感じない。

 それ以上にこの素敵な空間は、満天の星空よりも綺麗だとさえ思ってしまった。

 空に掛かる星々は、ここまで大きな輝きをしていただろうか。まさしく、一等星と二等星のステージだ。さらにこんなにも様々な色をしていないだろう。

 例えるならこれは、地中に描かれた天の川。大きな煌きは彦星や織姫のように異彩を放っている。そんな秘密の場所を案内してくれたメルトは、誰にも内緒だよっと言って【指きり】をしたのだった。


 この時の感動を言葉で表してしまうことすら、無粋なのかもしれない。どんな言葉を用意してもこの煌きを、100%伝えるのは難しいだろう。地中であるけれど、星空のようで。星の煌きのような、鉱石の目映い輝き。

 エリスの目に映ったこの景色が、どうかあなたの目にも美しく映ることを【私】は願うばかりだ。



 森の家に戻ったあと、メルトが首飾りを見繕ってくれるという。緑色が好きなエリスは、エメラルド鉱石での制作をお願いした。

 洞穴の中で見た景色を思い起こし一際綺麗だった緑色は、今なおエリスの心に焼き付いているのだろう。

 言葉ではなく感性で。メルトと繋いだ手の温もりに、エリスは想いを馳せた。掌から伝わる体温は、メルトの鼓動を伝えてくれているようでもあった。

 地下の湿気だけではない、微かに感じる汗の感触は、確かにメルトが存在することの証左なのではないだろうか。


 出来上がった首飾りはエリスの白い首筋に落ち着き、まるで婚約指輪を通す時のような厳かさがあった。


 ありがとう……。

 と、笑顔で伝えたエリスに、メルトは微笑みを返し【おまじない】として、胸元の一番大きな鉱石に、口付けをしたのだった……。


【中編-B】-brillante.- 了。

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