第11話


 にやけた男たちが迫ってくる。手を伸ばしてくる。体にさわってくる。たすけを求めても誰も来ない。たすけて。たすけて。こわい。たすけて。


「アーマイゼ」


 はっと目を覚ました。視界いっぱいに、クモ姫がうつっている。


「起きたか?」

「……っ」

「うなされていた」


 クモ姫の手が、アーマイゼをやさしくなでた。


「気分はどうだ?」

「ひめさま……」


 クモ姫の手をにぎり、アーマイゼが自分の頬に押しつけた。クモ姫の手のぬくもりを感じれば、ほっとした。


「もう、……大丈夫です」

「……起きるにはまだ早い」


 クモ姫がシーツをかけ直し、アーマイゼをひきよせた。


「寝なさい」

「……はい」


 アーマイゼが安心したように微笑む。このかたの腕の中が、たまらなく落ちつく。


「おやすみなさい。クモ姫様」


 けれど、トラウマは消えない。こわいことはこびりついて離れない。アニメを見る。似たような描写があって、見ていられなくなった。クモ姫にしがみつく。こんなことを言ってはいけないのはわかっているけれど、


「一日だけでいいのです。おそばに置いてくれませんか……?」

「おいで」


 クモ姫がうれうれとアーマイゼを膝の上に乗せて仕事をした。クモ姫はすこぶる上機嫌となり、なにをしても許された。大臣たちと使用人たちは、一日だけ神様に感謝し、万歳をした。しかし、アーマイゼは思った。このままではいけない。自分が抱えるトラウマを消すために、何か夢中になれるものを作ろう。あ、そうだ。


「知りあいから拾ったネコをいただきました」


 アーマイゼの周りに子ネコが走り回る。


「よしよし、お前の名前はハチにしましょう。黒と黄色のしましまもようのネコ。ハチ。まあ、なんてかわいい」


 アーマイゼがハチをよしよしした。


「ハチ。おいで。ハチ」

「にゃー!」


 ハチがアーマイゼの唇をなめた。


「うふふっ。ハチ」

「にゃあ」

「アーマイゼ」


 上からクモ姫がぎらぎら殺気立たせた目でアーマイゼを見下ろしていた。


「わたくしたちは新婚だぞ」

「知りあいが困っていたのです。この子、すてられていたそうで、とてもかわいそうなネコなんです。話だけきいていたので会いにいってみたら、こんなにかわいい顔をしていたので、わたしが面倒を見ることになりました」

「にゃー」

「おい、ネコ、わたくしの部屋に入るな」


 ハチが元気いっぱいに、クモ姫の部屋をちゅうちょなく走りまわる。時々糸がからんで、たのしそうに遊びはじめた。


「うふふっ。ハチったら。なんてかわいいの」

「にゃあ」

「……」

「ハチ、よしよし」


 そのなでなでは、わたくしが受け取るはずだったのに。


「ハチ、おいで」


 あっ、アーマイゼのひざの上に乗りやがった。


「ハーチ」


 アーマイゼの目はハチに取られる。


「にゃー」


 ハチがクモ姫に寄ると、クモ姫が思いきりハチを蹴飛ばした。ハチはふっとばされてしまったが、たのしそうにしっぽをふり、その場をごろんところがった。


「にゃあ」

「姫様! 動物ぎゃくたい反対です!!」

「来い」

「あっ」


 アーマイゼが手をひっぱられ、クモ姫にベッドに押したおされた。


「わたくしたちは新婚だ。わかっているな」

「ひ、姫様……」

「アーマイゼ……」


 心臓がドキドキするなか唇を寄せると、毛が顔についた。クモ姫が石像のようにこうちょくする。ハチがアーマイゼの顔に乗り、じゃれていたのだ。まあ、なんて人なつっこいネコなのかしら。アーマイゼがくすくす笑って、ハチをなでた。


「ハチ、よしよし」

「にゃー」

「……」


 クモ姫がむくれて、アーマイゼに背中を向けたままシーツにもぐった。後ろからは、自分を相手にしないで子ネコとたのしそうに笑うアーマイゼの声がきこえる。


(今夜、わたくしはお前と一つになれるはずだったのに)


 あのつぶらなおめめのネコが邪魔しやがった。


(く、そ、ね、こ、がぁぁぁあああ……!)


 クモ姫がめらめらと嫉妬に燃えた。


(アーマイゼが寝た隙に食べてしまおう。そうだ。それがいい。そして、すべて元どおりだ)


 クモ姫が黒い笑みをうかべて振り向くと、我が子のようにハチをだきしめて、幸せそうに眠るアーマイゼがいた。あの事件があってから、久しぶりに見た寝顔だった。


「……ふん」


 クモ姫は糸を引かせた。


「おい、ハチと言ったな。お前、その女を泣かせてみろ。ようしゃなく貴様を食べてやるからな」


 クモ姫がアーマイゼに手を伸ばした。その手にハチがじゃれてくる。


「うるさい。お前のための手ではないわ」


 ハチをよけて、アーマイゼの頭をなでる。そして、クモ姫も眠ることにした。ハチは二人が寝たのがわかり、つまらなくなって、仕方なく寝ることにした。


 翌日、アーマイゼがハチをひざの上に乗せて教科書をひらいた。お昼寝してる。まあ、なんてかわいいの。アーマイゼがやさしくやさしくハチをなでた。その様子を糸からつないでクモ姫が見ていた。本日は超ごきげんななめ姫。


「姫様、書類……」

「……」

「そんなにらまないでくださいですじゃ。もーお!」


 お茶の時間にクモ姫が執務室から出ると、日にあたって昼寝をするハチと、それを微笑ましく見ているアーマイゼの姿があった。クモ姫がとなりに座りると、ようやくアーマイゼがクモ姫に気がついた。


「クモ姫様」

「寝てばかりだな」

「さっきまで暴れてたんですよ。この子、トイレもちゃんと決まった場所でしてくれて、とってもいい子なんです」

「そうか」

「ふふっ。かわいい」


 頭をなでても、ハチはやすらかに眠っている。ほら、反応なんてしない。いびきをかいて寝ているだけだ。それならその手は誰のもの?

 クモ姫がその手を強引に掴み、そして、やさしくにぎった。


「あっ……」


 肩をだきよせ、よりそいあう。


「……姫様……」

「昨日からそのネコのことばかりではないか」

「だって、かわいくて……」

「お前の妻のことはそっちのけか? 大好きと言ったのはだれだ?」

「……どうして怒ってるんですか?」

「バカな。怒ってなどいない」


 アーマイゼの頭をなでる。


「ただ、新婚なのに、妻をほうっておくのはどうなのかと問いているだけだ」

「どうしたのですか? 今日のクモ姫様は、お機嫌がすこぶるお悪いようです」

「もういい。だまれ」

「あっ」


 唇が重なった。


「……クモ姫様……」

「集中しろ」


 また、唇が重なる。


「んっ……」


 長い舌がからんでくる。体があつくなっていく。アーマイゼの胸が高鳴った。


「んむ、んっ……」


 水滴の音がきこえ、どんどん、はずかしくなってきた。


「くも、ひめ、さま……」

「逃げるな」


 腰を掴めば、逃げられない。


「ひざの上でハチが寝ているぞ。お前が動けば落ちてしまうではないか」

「あ……」

「そうだ。だから動くな。動かず、大人しく、キスをされていろ」


 クモ姫の口づけが深くなっていく。舌がからんで、激しく動く。そんなに動いたら、アーマイゼの心臓が激しく震えてしまう。アーマイゼがびくりと体を跳ねさせた。けれど、動いたらハチがひざから落ちてしまう。クモ姫がわざとのように、つややかなキスをしてくる。とても色っぽくて、いやらしい。ふらちなキス。けしからん。


「ひめさまっ……」


 息を荒くさせたアーマイゼがクモ姫の胸をそっと押した。


「それ以上は……」

「なんだ? 興奮してるのか?」

「そ、そんなことは……」

「エロい目をしている。わたくしに興奮しているな? お前はなんてふらちな女なのだろう」

「ご、ごめんなさい……」

「ほら、こちらを見なさい」

「あっ……クモ姫様……」

「アーマイゼ……」


 ハチが起きた。


「にゃあ」


 わずらわしそうにアーマイゼのひざから下りた。床でくしくしして、ごろごろして勝手に一人で遊びはじめる。クモ姫が遠慮なくソファーにアーマイゼを押したおした。


「アーマイゼ……」

「あっ、いけません。姫様、ここでは、誰かに見られてしまいますから……」

「良いではないか。見せつけてしまおう」

「あっ……だめっ……」


 首筋にキスをされるとアーマイゼの体が、再びぴくんっと跳ねて、顔をそらすと、じーーーーーっとハチが見ていた。


 それを見て、アーマイゼが真っ赤になって、クモ姫をつきとばした。


「いけませんってば!!」

「ぎゅふっ」

「ハチがっ! 見てます!!」


 アーマイゼがハチをだきしめた。


「よしよし、ハチ」

「にゃあ!」

「……」


 もうちょっとだったのに。すごくいい感じだったのに。ネコがいなければやれたのに。


(……許さない……)


 クモ姫がぎらぎら目を光らせて、たのしそうにアーマイゼにたわむれる子ネコをにらみつけるのだった。


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