【ロイ・アデルアの義弟2】

「まぁ、ほんとうに大変なことをなさってくださいましたね、騎士様。

 あんなに目撃者のいる場所で……ギルド関係者にも見られていたんですよ!

 もう、秘密裏に手を打つこともできません」

 花街の動きは速かった。

 騎士が連れ去ったとなれば、かなりの目撃者がいたことだろう。

 花街の責任者は、たくさんいる騎士の中からニコラを突き止め、アディアール家にまでやって来た。

 娼館の支配人が来たのではない所から、相手が国の騎士だということで、大事件になっているのだと知れる。

 花街側も本気だ。


 花街の責任者は、黒い燕尾服を着た、年齢のよくわからない男で、波打った黒髪を腰ほどで切りそろえて一つに束ねている。

 赤く紅を差したような唇で訪問の挨拶をする。

「わたくし、花街を取り仕切っております、シャーリー・ガルムと申します。

 シャーリー姐さんとかガルム姐さんと呼ばれております」

 いや、そんな風に呼ばれているのを聞いたことがない。

「ご足労をかけた。

 しかし、これに犯罪性はない。

 私は、たまたま少女を保護しただけだ。

 私としては、花街に迷惑をかけるつもりはなかったんだが……」

 申し訳なさそうにニコラが謝罪する。

 周りの者はハラハラと見守るばかりだ。

「騎士様に限って誘拐なんてことは無いと思うのですけれどね。

 規則は規則ですので。

 間違いは間違いとして、このままこの子を元の娼館に戻すことは、少し難しいのです」

 シャーリーは大きな手ぶりで話をして、最後にしなを作って首を傾げる。

 嫋やかな所作でお茶を飲むのが鼻につく。

「この子を、花街から開放することはできないのか?」

 気づかわし気にニコラが言うが、そうは問屋が卸すまい。

 手洗いに行ってから、少女は、ソファの隅っこに座り、不安そうにやり取りを見守っている。

 確かに店頭に出すにはまだ早い年齢だろう。

 下働きの娘だろうか?


「花街の従業員にとって、騎士に気に入られているというのは、そこそこの評判になるのです。

 そのまま娼館で働くこととなると、いろいろ学ばなければならない時期に、それとなく別の子達から苛められるか、評判につられたよくない客に目を付けられるかして、過酷な環境で働くことになりますね」

 実際はもっと過酷だろう。

 皆が嫌がる客をまわされたり、騎士の妾狙いの娼婦にきつく当たられたり、その手の話はよく聞く。

「そんな哀れな……では、どうしたら」

 ニコラは多くの騎士がそうであるように、子どもや女性に対する責任が全て自分にあると感じるようなタイプの男だ。

 シャーリーの悪い笑みなど気が付きやしねぇ。

「そうですね。

 騎士様がこの子の稼ぐ分を全て買い取って頂く、という手があります。

 そうすれば、この子は騎士様の専属となります。

 契約書で別の場所に売ることは禁止されておりますので、年季明けまでは、衣食住のお世話もしていただかなければなりませんが……他の者と接触して、トラブルになるようなことはありません」

 シャーリーは困り顔で手を揉むが、これは儲け話をしている時の癖だ。

「そのまま家に帰すわけにはいかないのか?」

 ボンボンのニコラには、娘が家で持て余されていたことに考えが及ぶまい。

「花街に来た時点で、年季契約がありますから。

 騎士様に囲っていただくより他はありませんね。

 愛妾として!」

「あ、愛妾……?」

 普通の生活をしていればまず聞くことのない言葉が飛び出す。

「難しく考えることは御座いません。

 騎士様の住まいで、年季が開けるまで世話をしていただくだけです」

 シャーリーはこれまた適当なことを言っている。

 俺は知らんからな。

「つまり、住み込みのメイドのようなものか。

 致し方ない、その子が大変な目に合わない為なら、なんとでも」

「一応そういうことも考えまして、契約書を用意してまいりました」

 シャーリーは待ってましたとばかりに、紙の束を取り出しニコラに手渡す。

「周到なことだな」

 シャーリーは結局、そのつもりでここまで来たのだろう。

 長いこと花街にとどまられるのは、生活費を出す娼館側には実はあまり利が出ない。

 さっさと稼いで、さっさと出て行って欲しいのが本音だ。

 それに、トラブルを生む娼婦はどの娼館でも嫌がられる。

 一括で支払ってもらって、個人に囲われている方が、管理費等を省けて、花街側には利益が出る。


 ニコラは渡された契約書を読み進めるにしたがって、顔色が悪くなっていく。

 目も泳ぐ。

「……一介の騎士に、こんな金が用意できるとでも?!」

 ニコラは周りを気にしたのか、シャーリーに小声で抗議する。

「さぁ、私どもにはなんとも」

 シャーリーは、人の悪い笑みを浮かべて両の掌を見せる。

「これは、その……法外な金額ではないのか?」

 ちょっとした家を建てられるくらいの金額だったのだろう。

 愛妾というからには、メイド以上のことも含まれるのだ。

 専門的技術に対する金額が乗る。

「ちゃんと根拠のある金額でございます。

 ギルドの監督下で作られた規約ですので」

「それにしても……貯蓄を全て使っても、いくらか足りないな……」

 人一人を自分の自由で拘束するのだ、それなりの金額になるに決まっている。

 まぁ、名門とはいえ騎士の次男坊がほいと出せる金額ではないのは確かだ。

 迷惑ついでに調べたニコラの経歴を思い起こす。


 アディアール家ほど歴史はないものの、由緒正しい騎士の家系であるモーウェル家は、それなりの資産家でもある。

 モーウェル家の長男を産んだ母は、少し格上の貴族から迎えられた。

 先妻は血統の良い息子を一人残して、早くに儚くなった。

 ニコラはそのスペアとして格下の家から後妻を迎えて生まれた子だった。

 ニコラがモーウェル家次男として黙々と騎士道を突き進む傍ら、長男がモーウェル家を正式に次ぐことが決まり、その長男にめでたく後継ぎが産まれた。

 血統は自分より下、しかし国からの評判は良いニコラは、兄にとって疎ましい存在となった。

 一方、モーウェル家当主は気の多い男で、ケイトリンを後妻に迎えた後も、色々な女に手を出して子を産ませている。

 近年では別の若い女を妻に迎えたがっており、その為にケイトリンとの離縁を望んでいた。

 どう理由を付けたのか、ケイトリンを屋敷から放り出して、ニコラの部屋に住まわせている間にリシルと出会ったようだ。

 ひどい話ではある。

 ケイトリンの実家は何も言わなかったのだろうか。

 その後、ケイトリンはアディアール家の後妻に入り、同時にニコラがアディアール家の養子となる話がまとまった。

 もやもやとしたものが残るが、モーウェル家としては名門のアディアール家と縁を結べて万々歳といったところだろう。

 国に近いところでいまだに行われている、このような血を繋ぐためだけのやり取りには、正直うんざりしている。


 この経歴からすると、実家から切れたも同然のニコラに、大金は期待できまい。

 事情の分かっているであろうリシルは、義理の息子の不祥事に、手を貸すことを決めたようだ。

「ニコラ、うちの後継ぎとして、ギルト関係でのもめごとは困る。

 もう先にギルドの上の方とは、揉めている奴が一人いるのでな」

 断じて俺ではないからな。

 おい、ソアラは俺を何と言っているんだ?

「ガルム殿、ニコラは義理とはいえ、アディアール家に養子に入る者だ。

 どうにもならないのであれば、私がいくらか都合するのはどうだろう?」

 リシルの申し出をシャーリーがにこやかに制する。

「ご家族での共用は困ります。

 しかも、奥様がおられる方には、基本ご遠慮頂く原則ですから、お受けできませんよ。

 トラブルの元ですので」

 空気が凍り付き、ケイトリンの口の端がやけに高いところまで引き上げられた。

「きょ、共用??!!

 私はそんな倫理観の無いことはしない!」

 ケイトリンとシャーリーの間をリシルの視線が忙しなく行き来する。

「皆さまそうおっしゃいます!」

 シャーリーの言葉は軽薄だが真実だ。

 奴隷のように売り渡すのではないのは、あくまでも花街の所属だということを明らかにして、娘たちを守る為だ。


「シャーリー、前金で現金があればいいのか?」

 俺は、我関せずと後ろの壁に寄りかかって様子を見ていたが、ふと思いついて口を挟む。

「はい、そのぐらいの覚悟がありませんと、うちの従業員を派遣することはできませんので。

それと、身元の保証と状況を確認のためにギルドから定期的に監査が入ります」


 俺は打算的なことを考えていた。

 ニコラがこの少女を囲うことになれば、そうそうタリムにちょっかいをかける暇はなくなるのではないか、と。

 愛妾を囲う騎士というのは、ソアラやユウキからしてみれば、タリムの王子様に相応しいイメージから遠くなる。

 ニコラに恩も売れるし、アディアール家にも恩が売れて、俺の事に関して口封じが楽になる。


 ……俺、金は持っているんだよな。


 子どもの頃から、ギルドで働いていたことになっているので、知らないうちに一財産を築いていたのだ。

 ほとんど使わないから、土地か金を生みそうな商家でも買おうかと思っていたぐらいだ。


「おい、クソ騎士。

 俺に借金をする気はあるか?」

 挑発的に言うと、ソファから腰を浮かせこちらを睨む。

「はぁぁ?! なんだって?」

「まぁ、よく聞け。

 こう言っては何だが、俺は今、ポンと貸し出せる金額を持っている。

 お前が動かす金は、どれを使っても騎士の家名に傷がつく。

 モーウェル家から何か言われるのと、俺に頭を下げるのと、どちらが得かよく考えるんだな」

 ニコラはギリギリと歯を噛みしめる。

 悩め、悩め、だがお前に選択肢はない。

「貴様の恩など受けん」

 ニコラはプイっと顔を背けるが、その先に少女が身を小さくして座っている。

「騎士様、わたしはどうなっても大丈夫ですので。

 本当にもうやめてください。

 わたし、仕事場で少しぐらいいじめられても大丈夫ですから。

 そういうの、慣れてますから」

 娘はどうにかこうにか、こわばった顔に笑みを浮かべた。

 娘がニコラに言ったことは、実に効果的なセリフだった。

 俺にはわかる。

 ニコラは哀れでか弱い者に弱い。


「何を言う。君のような子があそこで働いていいはずがない」

「いいえ、わたし、本当に大丈夫なんです。

 こんな、ちょっとした勘違いで、騎士様にそこまでしていただくことではありませんし」

「いや、私の責任だ。心配せずに任しておけ」

 ニコラは覚悟を決めたようで、俺に向き合い、真剣な口調になる。

「いくら借りられるのだ?」

 不足分を出すだけでは、こいつに恩は売れない。

 しばらく返すのに苦労してもらわなければならないな。

「半額まで出してもいい。

 その娘を養うのに、素寒貧ではその子が不憫だ。

 しばらく使う予定の無い金だし、返済は無期限でかまわない」

「半額……いや、しかし……そんなに」

 そうだな、タリムが家族で暮らせる大きな家が欲しいと言い出したら返してもらおう。

 そんな未来が来るとは限らないが、少なくともタリムとこいつとの未来は潰しておかねばなるまい。

「ロイにしては素晴らしい提案ですね!

 こちらとしてもギルド職員からの借金であれば、身元保証をしていただけるのと同義です。

 皆さま、お知り合いのようですし、ロイに定期的な見回りも委託しましょう。

 我々も騎士の名門のお宅とやり取りするよりは、騎士様個人の利用の方が都合がいいですし」

 シャーリーは嬉々として契約書を整え始める。

「では、騎士様、ここに署名を。

 ご家族の方もよくお読みください。

 ここにいらっしゃる方が全て証人ですよ」

 リシルが眉間を揉みながら、書類に目を通す。

 ケイトリンは、溜め息をつくが、あきらめたように首を振った。

 使用人たちもどうしようもない雰囲気でそこに控えている。


 タリムは?


 そういえばタリムがいない。

 いつからいなかった?


「おい、タリムはどうした?」

 後ろに控えていたトマスに、小声で尋ねる。

「タリム様は急用があるからとおっしゃられて、お帰りになられました。

 途中で辻馬車を拾うから、アデルア様にも知らせなくていいとのことで。

 アデルア様が気が付いた時でいいので、書類は出しておくと伝えて欲しいとのことでした」

「あいつ、逃げたな……」


 沈痛な面持ちでニコラは書類にサインをする。

 もう後戻りはできない。


「大丈夫だよ。

 何も心配しなくていい。

 周りには親戚の子を下宿させるとでも言って住まわすから」

 ニコラは騎士の模範のような笑顔で娘の肩に手を乗せる。

「あの、私、子どもじゃありません」

 娘はブンブンと頭を振る。

 薄い金の髪が柔らかく波打つ。

「いや、君はまだ大人に庇護される立場だ。

 大丈夫だ、私の個人的な家だし。

 私はそのうち養子に出される身だから、本家からの干渉もない。

 生活の心配なんてさせない。

 契約の期間が終わった暁には、親元に返れるように手配するから」

「そうじゃないんです、騎士様……」

 娘の話を遮るようにニコラは続ける。

 こいつ、あまり人の話を聞かないんだよな。

「広い家ではないが、すぐにでも部屋を用意しよう」

 言いたいことが言えずに、娘は困った顔をしている。

「あの! 騎士様、わたし、十八です!」

 その場のシャーリー以外の誰もが何の数字だ? と自問した。

「そうか、まだ幼いのに苦労したのだな……。

 まて……。

 じゅ……十……八?」

 こくこくと頷く姿は、愛らしいと思う。

「わたし、十八歳です。

 ちゃんと成人しています!」


「は?」


「本当に大丈夫なんですか?

 わたし、子どもの頃、貧しかったので貧相ですが、ちゃんと子どもも産める体です。

 子どもじゃありませんって、何度も言っているのに……。

 お仕事で、ちゃんと自分で申し込んで、合意で花街に稼ぎに来たんです!

 だから、ちゃんとお仕事だってできるんです!」

 やっと、自分の主張が許される機会を得て、娘は矢継ぎ早にしゃべり続ける。

「ああ、あああ、ええ、ええええええ?!」

 ニコラは壊れた。

「そうですよ。何を仰られているんですか?

 未成年なんか、ウチが雇うわけないじゃないですか。

 そんなことしたら、ギルドから制裁を受けますよ」

 シャーリーはほほほほと小指を上げて気持ち悪く笑う。

 なんだ、これは?

 俺にとっても何となく都合のいい展開ではないか?


 リシルは腕を組んで、日和った。


「う、うむ。自分で買い取った愛妾だ、無下にはすまいな」

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