第9話 THIRD = Amphisbaena


 世界が爆ぜるような音が鼓膜を突き破らんと襲い掛かり。それから目の前のきらめきがなりをひそめ、人の姿を目視できるように暗順応する。


 空から生温かい雨が降り注いだのを頭から被り。青年は目を瞬かせた。


「あーっ、あーっ。てすてす、聞こえますかぁ人間君。それとも一歩間に合わなかった感じかなぁ? まあ、どっちでもいいんだけどさ」

「――――え」


 繰り抜かれた黒い蛇の頭。丸い傷口が泡を立てて修復していくのを、再度放たれた蹴りで妨害する少女。

 白く透けるようなワンピースから肩を出し、それこそ南国に浮かれた観光客のような薄着と白い靴に黒い血が跳ねついては蒸発する。

 十指にはめ込まれた獣爪の如き銀の指輪。踵には銀色の装飾。


 短い巻き毛を小さなツインテールに仕立て上げ、流した金の髪が夜の月を思わせる。

 赤々と燃え盛る火球のように、血の気を隠そうともしない金の双眸が、地獄のような色をした瞳孔を丸く開いていた。


「聞いてる?」

「えっ、あ、俺っすね!?」

「君以外に誰がいるのかなぁ? まあいいやぁ。カラス君、彼と一緒に離れていてくれると嬉しいなぁ」


 笑顔。弓なりに吊り上がる口角は、人の笑みではない。


「カラスって――コルヴォ!?」

「聞いている」


 近くまで来ていた黒髪の少年は、頬についた蛇の返り血を拭いながらカラベルの腕をとる。子どものような姿と反した馬鹿力で引き起こされた青年は彼の肩を借りながら地に足を着いた。ふらつき方から見て、治りかけの足首を再度くじいたらしい。


 ぐじゅぐじゅと音を立てながら再生していく蛇の頭を背に立つ少女に、少年は義眼でない方の右目を向ける。


「夜は私の管轄ではない。任せていいか」

「構わないよぅ。その為にアタシが居るんだからさっ!」


 親指を立てた少女の右方、鉄の板が突き刺さった桃色の頭が少女に虫のような大口を広げ飛びかかる。すっぽりと頭の先から飲み込まれた彼女は、内側に張り巡らされていた鋭利な牙の肉をものともせずそれを


 濁った色をした血潮が弾け飛び、後には痙攣を繰り返して再生を目論む頭の無い骸が跳ねまわる。


 少し離れた住居の影に腰を下ろした二人はその様子を傍観する。

 あまりの惨状に、カラベルは開いた口を塞げずにいた。


「なんだありゃ……」

「彼女が我々の雇い主だカーベル。まるで、異形を狩るためだけに生まれた異端とでも言おうか」


 カラベルの足首を紐で固定しながらコルヴォは遠い目をする。青年の顔が痛みに歪んだが、どうにか骨折は免れている様だ。


「そういやぁ、人間じゃないって言ってたな」

「あぁ。実際に見てどうだ。あれが人間に見えるか?」

「無理を言わないでくれ」

「だろう?」


 少年は言いつつ、目を覆いたくなるような戦いの様子を流し見る。


 片方の蛇に食いちぎられた腕は、水に還るようにドロドロに解けたかと思うと、元の位置に再生している。

 頭を持って行かれたかと思えば霧のような血が集まって顔を作り直す。

 敵の頭を砕く際にも身体のつくりを無視し、折れた手足を毎度作り直しながら戦っているように見えた。


「簡単には死なないといえ、よくあんな風に戦えるものだ」

「俺達も何かしら加勢に入った方がいいのか」

「冗談じゃない。あれの得物をかすめ取ったとなれば、こっちが頭を吹き飛ばされかねん」


 そもそも割って入る隙間すらないだろうしな。少年の言葉に青年が振り向くと、そこには地面を跳ねつつシャドーボクシングのような素振りをする少女が、二体分の蛇腹の上で舞い踊っていた。


 沈黙した蛇の上で白いシューズが踊る度、鱗は砕け、一枚一枚が銀色の輪を描いて溶けていく。


(まさか、あの靴も銀製なのか……?)


 彼女の到着(着陸?)から五分程度だろうか。二頭の大蛇は跡形も無く消え去った。異形が破壊した舗装道路も、丘の芝生も見る間に元通りになっていく。


 異形殺しブレイカーは、神秘の痕跡を消し去るのも仕事である。


 軽快なステップを踏んでいた少女はくるりと振り返り、男二人に腕を振った。どうやら片付けが済んだらしい。


「待たせたねカラス君! 無事だったかい?」

「こちらは無事だ、助かった」

「そうかそうかぁ。んー、でも、そっちの彼は怪我してるみたいね?」


 言いながら腕についた血を舐めとる少女。化け物の痕跡は銀に溶けた後に跡形も無く消失するので、今のは彼女自身の血なのだろう。


 血にまみれた掌を差し向けられた青年は、本能的に肩を震わせる。

 コルヴォが一歩前に出た。


「こいつは人間だ。くれぐれも間違ってくれるな」

「あっははは! それぐらい分かってるよ! アタシだって子どもじゃあ、ないんだからさぁ?」

「人でもないだろう?」

「カラス君もね?」


 やれやれと肩をすくめるように腕を動かし、カラベルの方へ一直線に向かって来る。青年は足を釘で打ちつけたように動くことができなかった。


「ふーん。君が、カラベル君。会うのは初めましてだねー?」


 夜の街灯に浮かび上がる少女の顔は酷く幼い。銀の爪が青年の褐色の頬を挟み込んだ。


「……!」

「あははは。身構えずとも取って食いやしないよぅ、食事はさっきので足りてるんだ。……んー、なになに。おお。あばら骨にヒビが入っちゃってるけど、命に関わる怪我じゃないみたいで安心だ! 君は健康だね!」


 「ぱっ」と手を離しホールドアップのまま後退すると、少女は地面に叩き付けられていたリュックサックに腕を通す。


「そうだ、カラベル君の為に自己紹介でもしちゃおうか」


 新月のようなタペタムアイが街灯の光に反射する。虹彩が黄金の様な輝きを放ち、細められた。


「アタシは異形殺しブレイカーのローラ。どうもよろしくねっ」







 ローラは少女の容姿をしていながら長命を生きる異端なのだという。清楚な白のワンピースには所々可愛らしいフリルがあしらわれていて、傍目には可憐な美少女だった。


 猫のような瞳を隠せば、口の端が三日月のように綺麗に上がりすぎているところだけが違和感である。


 ひとしきり笑った後、彼女はナップザックから巨大なスクロールを取り出しながら、自分を丘の上まで案内するように告げた。

 ばさり、と広げられたそれには、まがまがしい黒布に赤い文字がびっしり、東の国で言うところの呪符を敷き詰めているように見える。


 英語の他にも北欧や西洋の言語が混ざり合った、落書きのように絡み合う文字列を羽織った少女は、月のような瞳をキロリとカラベルへ向けると、外行きの笑みを浮かべる。


「何か気になる事があったりするのかな?」

「えっ、いいや、何となく観察してしまって」

「敬語はいいよ。今更って感じだ――君たち出先でアタシのこと散々ディスってくれるもんねぇ? 気にしてないからタメ語で話して? ね?」

「……視えない棘が刺さってるような気がするんすけど……!?」


 キウイの皮を擦りつけられ、毒の弱いクラゲの刺胞に触れられたような、じりじりと追い詰められる感じのプレッシャーを受けつつ、冷や汗でしとしとになった赤毛が左右に揺れる。


「で、気になっているのはどの辺りなのかな? アタシの年齢とか? 無粋だから聞かないでくれよ?」

「聞かな……聞かねーよ。俺が気になっているのは、さっき貴女が殺した異形についてだ。結局、何だったんだろうと思ってさ」


 桃色隻眼の大蛇と、黒い鱗の大蛇と。


「今まで見てきた『宿り木』や『毒蝶』みたいに、あの蛇にも名前があるのかと思ったんだ」

「あー、あれは『アンフィスバエナ』。双頭の竜とも呼ばれる異形だねぇ」


 二つの頭を持った蛇。もしくはドラゴン――何でもないように説明するローラの発言に、コルヴォは眉根を寄せた。


「……竜? その情報は無かったぞ」

「伝えなかったからねぇ。だって、言ったら拒否るでしょうカラス君」

「当たり前だ。死霊滅殺銃グールガンが効かん相手だと分かっている以上、最大限回避する敵種だぞ。お前……こちらの命を何だと思っているんだ」

「だからアタシが来たんだよ。じゃなかったら君たちはここに来てすら居ない。そもそも一日寝過ごしておいて何を言っているんだか」

「一日?」


 少年は青年の方を向いたが、カラベルは義眼と視線を交わさぬように尽力していた。これは後が怖い。


 一度は登り切った坂を越え、緩やかな丘陵に戻った芝生の上でくるくると舞うローラ。白く薄いワンピースは裏地のお蔭で透けることはないものの、ライトアップされつつ広がるスカートと視界に入る生足は非常に目の毒である。

 肩にまがまがしいマントを羽織っていなければ美少女だった。


「本当はここにお呼ばれしたから、ここに着地する予定だったんだけどー。でも、ちょっと融通利かせちゃったんだ。感謝してよね?」


(融通?)


 青年の脳裏には疑問が浮かんだが、異端のする話に一々答えを求めても仕方がない。コルヴォの手を借りながら身体を支え、さくさくと解体作業を進めると、あっという間に機材は設置前のスーツケースに納まった。


「よし。それじゃあ事務所にでも行きましょーか? カラベル君お腹空いてるだろうし、家に泊まっていくといいよ! カラス君もね!」

「えっ、良いのか?」

「うん。ただ、ここから事務所までが遠いからねぇー。人間のカラベル君にはこれにくるまって貰うよ」


 そう言うと、速やかにマントを外して広げるローラ。白いワンピースの美少女ニッコリと笑いかけたその視線の先は、青年カラベルである。


「さ、流石にそんな、まがまがしい訳の分かんない布に包まれるのはちょっとなぁ……」

「んーと。これから亜音速で飛ぶんだけど、風圧で酸欠になった上に凍結して四肢バラバラになっていいなら別に生身でも構わな」

くるまらせていただきます」

「いぇーい、素直で助かるぅ! じゃあちょっとだけ寝ててね! えいっ!」

「ふぐっ!?」

「……耳が痛い会話だな……」


 かくしてミイラの如くグルグル巻きにされたカラベルは、身動きが取れないまま、夜の空を連行される事になったのだった。







 青年カラベルの包装が済み、荷物を手にしたコルヴォを抱えるようにして、少女は空を行く。背には巨大で強固な翼。体躯にそぐわない竜の翼にも似たそれは、寝静まった大地を遥か下に見る高さを駆けていく。


 両脇を抱えられるような体制でぶら下がる少年は、荷物の軽さに目を瞑りつつも久々になる夜の空中散歩を楽しんでいた。


「ねぇ」

「……なんだ」

「ここに来るまでの間、何匹か連続して狩ったのかな? それとも使のか――カラス君の周囲、神秘の空気が濃いような気がするよ」

「……駅へ向かうまでの間に牛の脳から蜂が出てくるあれと出くわした」

「あはぁ。『農耕詩』のミツバチ? あれは数が多いから面倒だったろう。通りで残弾が少ないとか言っていたわけだー。って、その程度じゃあこんなに濃度上がんないよ。誤魔化さないでほしいな!」


 無邪気に笑う雇い主。

 踵を三回鳴らすより、羽を生やして飛んだ方が手軽だ。と言わんばかりだ。


怪物殺しブレイカーを請け負ってくれる異端の数は少ない――カラス君自身がというなら、アタシの言わんとしてる事は分かってくれるよね?」

「……毎回人の話を聞かんうちに通信を切るのは何処の誰だったか」

「電子機器はハウリングするから慣れないんだよっ」


 異端あるあるを言って場を和ませようとする様子はまさに上司の鏡だが、それが日ごろの行いで打ち消されていく。コルヴォからすれば彼女との腐れ縁の主従関係は続いているのだ。


 気が合わずとも、噛み合ってはいるのだろう。


「そういえば、あの双頭竜。しきりに『うるさい』って言ってたんだけど。カラス君たちあの場所で照明弾以外に大騒ぎでもしたの?」

「……? いや。特には」

「そっかぁ。ま、あの竜を食べたのアタシだからもう聞けないし。どうでもいっか」


 あっけらかんと言い、翼の向きを調整するローラ。

 コルヴォは徐々に重みを増すスーツケースを握りしめながら、乾く義眼を気にして目を閉じた。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る