十二月/ポインセチア

 さて、ここに一本のポインセチアがある。

 つくりものめいた真っ赤な苞が四方にひらき、中心のささやかな黄の花を騎士のように守っている。聖夜クリスマス・イブにふさわしい、赤と緑の色を持つ花である。

 その首に、花鋏をあてる。みずみずしさを感じながら、チョン、と切る。

 そういう一連の動作を、かおるはよどみなくやる。

 十六の、とりたてて特徴のない、咲くまえの水仙のように、しゅっと姿勢だけはよい少年だ。まだ夜明けまえの社のなかはあおぐらい闇に沈んでいて、かたわらの燭台が少年のほっそりしたシルエットを床に刻んでいる。ポインセチアの茎を手に持つと、馨は音もなく鋏を置いた。

 切られた首から、微かに香気がたちのぼる。

 目を細めた馨のまえに花精が現れた。花精は尋ねる。


「未練をひとつ、話してもよいでしょうか」


 馨は目を伏せて、ただ耳を澄ませている。


「――はい」


 人形のように整った面に微かな笑みをのせ、花精がかたりだす。


 *


 わたくしは機械人形オートマタ

 人形師が気まぐれにつくった、魂のない人造物。神をたたえる賛美歌を百編、はじめに覚えさせられたわたくしは、毎日朝と夕の二回、街の教会のまえで歌をうたうことを生業としています。

 わたくしが住む街は、雪深いといわれる小国の、もっとも険しき森を背にした最北にあり、短い夏が終わると、あとはずっと白い雪の檻に閉ざされる。日夜鎧戸を閉めるせいで、陽の光というものを忘れた家のなか、ひっそりと十字架に祈りを捧げるひとびとへ、朝と夕の二回、歌を届けるのがわたくしの役目。

 ――それももう、五百年以上も昔のことだけども。

 雪に埋もれ、ひとびとのいなくなった街。壮麗だったステンドグラスは割れ、かつて聖人が描かれていた内装は剥げて、廃墟と化した教会。わたくしをつくった人形師もとうに死に、それでもかれが遺した「朝と夕に二回、歌をうたうこと」という命令だけは忘れ去ることなどできるわけがなく、わたくしは今も朝と夕の決まった時間、廃教会の扉のまえに立ち、白銀の原に向けて歌をうたう。わたくしのまえを横切るのが、もはや雪風だけであっても。きっとこんな日が、人形師がさいごに巻いたネジが止まるまで続くのだろうと、わたくしはただ漠然と予感していた。

 何千、何万と続いた、繰り返しの日々。

 かれが現れたのは、五百年といったい何百、何千日が経った日のことであったのか、正確なところはわたくしにもわからない。残念ながら、わたくしは朝と夕に歌をうたう以外は能無しで、時間を測ることはできたけれど、日付を数えるという機能は人形師がつけてくださらなかったので。

 その日は、きのうとおとといとおなじように、朝から雪が降りしきっていた。

 わたくしは夕方の五時になったことにきづくと、教会の扉をあけて、外に一歩踏み出す。いつもとおなじ。覚えている百編の中の一編を歌い、そして扉を閉じる。それだけ。それだけのはずが、扉のまえにひとり、男がうずくまっていることだけがちがっていた。

 わたくしは扉のノブに手をかけたまま、瞬きを繰り返す。

 男はもうずいぶん長いこと、この教会のまえで倒れていたらしい。襤褸布のような外套にはうっすら雪が積もり、消えかけた足跡のそばには赤い血痕が点々と残されていた。凍りついた血は、うずくまるかれを中心に広がっている。どうやら手負いのようだ、とわたくしは錆びかけのメモリーと照らし合わせて判断した。あるいは、もう死んでしまっているのだろうか。

 赤いペチコートをふわりと揺らしてかれのまえにかがむと、わたくしは白い首筋に指を這わせた。氷のように冷たい。やはり死体か。なんとかここまでたどりついたようだが、扉のまえであえなく力尽きたらしい。どこで死のうが男の勝手だが、教会のまえは毎日わたくしが歌をうたうために使うので、死体が転がったままだと困る。

 ひとまず戸口から動かそうと、わたくしはかれの腕に手をかける。その手を、かれの手がおもむろにつかんだ。


「おまえはだれだ」


 ぴたりと動きを止め、死体ではなかったのか、とわたくしは認識を改める。

 かれの声はひどくかすれていて、一言口にしただけですぐに咳き込み、多量の血を吐き出した。口を押さえながらわたくしを睨む翠の眸には、鋭い警戒心が滲んでいる。まるで敵を威嚇する獣だ。


「機械人形です。歌をうたいます」


 わたくしはかれの手を振り払うでもなく、淡々と返した。

 

「あなたはなぜここで倒れていたのですか」


 かれの目にははじめ猜疑が色濃くのっていたが、やがて睨んでいることにも疲れたらしく、「中へ運んでくれ」と乞うた。なぜですか、と尋ねれば、ここは寒い、と喘鳴まじりの短い返事がもどる。確かに、ひとの身にはこの街の夜はこたえるだろう。しかたなく、わたくしはうずくまるかれの背と膝に腕をまわして、教会のなかへと運ぶ。

 塗装が剥げ落ちたベンチからガラス片をのけて、男の身体を横たえる。裂けて内臓がはみ出た腹と、深くえぐれた太腿が重傷で、男の顔は土気色を通り越して死人のように青白い。血はもう流れ尽くしたのか、外套にこびりついた血痕は凍りはじめていた。

 男――とはじめ思ったが、それよりも若い。

 まだ十五、六。人間でいうなら子どもを抜けかけた年頃の少年だった。いまは血で汚れていたが、白金の髪に翠の眸の、北方の人間らしい容貌をしている。

 傷ついた腹を庇うように背を丸めて、かれは細く息をついた。

 わたくしは五百年以上前、人間たちのなかで過ごした短い記憶をたどり、かれの手当てをするために必要な器具や薬をさまざま思い描いてみる。が、この廃墟にそのようなものはなにひとつ残ってなどいなかった。凍えるかれにかける毛布、あるいは頬や唇にこびりついた血を洗う水すらも。わたくしはそれをすこし残念に思った。


「あなたは」


 赤いペチコートを花弁のように広げてかれのまえに座ると、わたくしは固く目を閉じているかれに尋ねた。


「もう死ぬのですか」

「まだ、生きてる」


 薄く目をあけ、不愉快そうにかれが言った。

 かれの身体はじょじょに機能を止めようとしているのに、不愉快そうなかれの声には、かれという人間らしさが確かにこもっていて、わたくしはひととき言葉を失くした。この身体にいまは宿っているかれの魂が、身体が機能を止めたとたんにどこかに消え去ってしまうことがふしぎだった。わたくしを生み出した、気ままで傲慢な人形師が死ぬときにも、確か同じことを思った気がするけれど。


「そう。まだ生きているのですね」


 この感慨をどう表してよいのかわからず繰り返すと、かれはますます気分を害したようすで眉根を寄せる。わたくしは霜の張ったベンチに手をおいて、しげしげかれを眺めた。


「その傷は獣に襲われたのとも、ちがうようですが」

「……よかったよ。あんたの目が節穴じゃなくて」

「どうされたのですか?」

「あんたが作られた頃には、戦争ってなかったのか?」


 その言葉から察するに、かれは「戦争」で腹と太腿を負傷したらしい。よく見れば、うずくまったかれはわたくしが知るものと形状は異なるが剣のようなものを腕に抱いている。銃剣だとかれはつぶやいた。かれはどうやら兵士のようだ。

 あんたは知らないようだけど、とかれは底意地の悪い笑みを浮かべて、五百年のあいだに変わったこの国のありさまをわたくしに教えてくれた。一年の大半を雪に閉ざされるこの国に、東の大国が武力を盾に属国となることを要求したのが十年前。王と民は抗った。結果、起こったのが十年にわたる長い戦争だ。戦はもともと痩せた土地から食料を奪い、働き盛りだった若者たちを奪い、皆がもうやめたいと思いながらやめどきを見失ったまま、ついにはかれのような、十代の少年少女までが武器をもたされた。

 前線はここから数キロ先だ、とかれはそっけなく言った。

 いまは名もなきこの街が戦場になるのももうすぐだと。


「あんたもいまのうちに逃げたほうがいいんじゃない?」


 かれの声は血と喘鳴がまじるせいで、ごろごろとかすれている。

 わたくしは首を振った。


「朝と夕に歌をうたうのがわたくしの仕事ですから」

「だれも聴いていないのに? 意味がない」

「そのこととわたくしが歌うことに、相関はありません」


 かれはなぜか、驚いたように口を閉ざした。

 わたくしはベンチに手をのせたまま、血がこびりついたかれの白金の髪を眺める。昔、人形師が眠るまえ、寝台に呼び寄せたわたくしによくそうしていたことを思い出し、固まった血で絡まる髪を指で梳いた。


「ひとは意味ということばがすきですね。わたくしの人形師もそうだった」


 なぜなのか、と訊いたとき、かのひとはこたえた。

 ――それはひとがさびしいいきものだからさ。

 では、「さびしい」とはなんだろう。病に侵され、生涯続けた研究は完成させられず、わたくしひとりに手を握られて死んでいった人形師は「さびしかった」のか。答えのえいえんに出ない問いをわたくしは五百年以上、考え続けている。


「歌うことに、意味などあるのですか。生きること、死ぬこと、うしなうこと、このネジがやがて止まることに意味はあるのですか。わたくしは、朝と夕に歌をうたうのです。だれがいてもいなくても、なにがあってもなくても。ひとはそうではないのでしょうか」


 ひび割れた唇が微かに動く。

 否定の言葉をかれは口にしたように見えた。けれどそれは吐き出されることなく、かれは緩く唇を結び、なぜか、ふふっとわらった。


「あんたの言うとおりかもしれない」

「はい」

「意味のない、価値のない、なにひとつ為すこともない、十三年だったよ」

「はい」

「そして、ひとり知らない場所で死ぬ。わらえるな」


 わらえない、とわたくしは思ったけれど、あえて口には出さずにいた。かれの声はふるえ、乾いた目の端には水滴が滲んでいた。凍てた雪が解けたのだろうか。かれは一度目をつむると、わたくしの手をそっと握った。


「それでも歌ってくれ、機械人形オートマタ。意味も祝福もなくても。今日は聖夜なんだよ」


 わたくしは機械人形オートマタ

 人形師が気まぐれにつくった、魂のない人造物。神をたたえる賛美歌を百編、はじめに覚えさせられたわたくしは、毎日朝と夕の二回、街の教会のまえで歌を歌うことを生業としています。

 わたくしははじめ、歌うのは朝と夕の二回だけと決まっているのだとかれに告げようとして、そういえば夕の一回分が抜けていたことを思い出した。割れた窓から見える外の世界は暗い。教会の時計は止まって久しいが、わたくしの体内に埋め込まれた時計が今が夜の零時まえだと告げていた。

 聖夜クリスマス・イブ。神がつくりたもうたあなたがたとはちがう、魂などない人造物であるわたくしだけども。今日はかれのために、五百年間してこなかった逸脱をしてもよいかもしれない、と考えてしまった。

 傲慢で皮肉屋で、それでいて孤独でもあった人形師とこの少年を、すこし似ている、と思ったからかもしれない。考えるだとか、思うだとか。五百年のあいだにだいぶわたくしは人形らしからぬ機能を兼ね備えたようだ。


「歌いましょう、あなたのための聖歌を」


 かれの手を握り返すと、わたくしは赤いペチコートを広げて立ち上がる。

 いまは廃墟と化した教会。かつて聖夜には、街のひとが「いつもの歌のお礼に」と届けてくれるポインセチアが、建物内を赤く彩ったものだ。いまはなにもない。だからこそ、わたくしはことさらにたおやかに赤いペチコートをひるがえし、さいごの歌を、ただひとり、あなたのために歌う。


 ・

 ・

 ・


「ですが、その歌はさいごまでうたえなかった」


 困ったように眉を下げて、「途中でネジが止まってしまったのです」と花精は肩をすくめる。赤いペチコートを着た花精が身じろぎをするだけで、まだ夜の名残を引きずる社のなかにも花が咲く。


「ですが、わたくしの自己満足のようなものです。そのときにはかれはもう、事切れていたから」


 目を伏せた花精の目元に暗い翳がよぎる。あまりにも人間らしい、つくりものらしからぬ表情だった。「おかしいと思っているのでしょう」と花精は馨に尋ねる。


「わたくしのような機械人形が、あなたに未練を語るなど」


 いいえ、と馨は首を振った。


「この国では古来より、長く使った物には魂が宿るといいます。だから、おかしいなんて思わない」


 クリスマスイブの朝はことさらに冷えた。

 時刻は六時を回っていたが、陽はまだのぼらない。薄暗がりのなか、なにかに背を押されるように、馨はめずらしく自分から口をひらいた。


「俺にも歌ってくれませんか。今度はさいごまで」


 花精はふしぎそうに瞬きをする。

 精緻な花顔に、ふわりと悪戯めいた笑みがのった。


「わたくしの国の神をたたえる歌をうたったら、あなたの国の神が怒り出すのではありませんか」

「心配いりません」


 暗闇にひとつ灯った蝋燭を目に映し、馨は微笑み返す。


「クリスマスも正月も、ひとまとめに騒ぐのがこの国ですから。たぶんめずらしがって集まってくるんじゃないでしょうか」




 /承前/


「じゃあ、今度はさいごまで歌うことができたのね」


 ケーキの箱をひらきながら、ほっと顔をほころばせた鹿乃子に、うん、と馨はうなずく。

 花精が消え去ったあと、しばらくして社に朝陽が射した。用をなさなくなった蝋燭を消し、馨は歌の余韻が微かにのこる社の扉を閉めた。いつものように。


「わ、ブッシュドノエル!」


 紙箱をあけた鹿乃子がはずんだ声をあげる。


「もしかして馨くんのてづくり?」

「うん、そう」


 昨晩、家の台所を借りて挑戦したブッシュドノエルは、木を模したクリームの塗り方ですこし失敗したけれど、けっこうな力作になった。クリスマスは毎年鹿乃子と過ごすから、今年はちょっと凝ったケーキを持っていきたかったのだ。

 もこもこのダウンをくっつけあって、鹿乃子と馨は公園のベンチに座っている。といっても、都内のデートスポットとは異なり、普段は近所の子どもたちが駆け回っているような小さな公園である。ブランコと滑り台が置いてあるだけの園内には今、馨たち以外にひとはいない。それだけが、すこしとくべつかもしれない。


「蝋燭立てようよ」

「マッチ持ってくるのわすれた」

「だいじょうぶ。どっちも持ってきたから」


 鹿乃子は子どもに戻ったみたいにわくわくとした顔で、ブッシュドノエルにカラフルな蝋燭を立てる。もらったマッチを擦り、蝋燭に火を灯す。白い息を吐いて、鹿乃子がジングルベルを歌いだす。冷えた身体の芯があたたまっていくのを感じながら、馨は暗闇のなかで今、その声に耳を澄ます。



 一日一花。繰り返される、馨の日常である。

 ここに、ポインセチアがいた。昏い夜で祝福を歌う花だった。



 十二月/ポインセチア(終)

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