2章 サヤの街 その3

「……やっぱりここ、現実じゃないんですね」

「ああ、そうだな」

 俺は小租田と一緒に、窓の外から見えていた江戸風の街にいた。

 視界にはろくろ首や一つ目小僧など、人外の者が存在している。俺たち以外にも人間はいるのだが、彼等は妖怪を目にしても平然としていた。

「……行くか」

「はい……」

 俺たちは重い足取りで、物の怪が混在する街へ足を踏み入れた。




 あの後、雪奈から二人一組になって行動することが提案された。

 そのことに積極的に賛成する人はいなかったが、反対する者もいなかった。

 消極的賛成で雪奈の案は決定されたが、チーム分けの段階になって要津から組み合わせの意見があった。


 雪奈と要津の話し合いで最終的な組み合わせは決まった。

 以下がそのペア構成である。


 まず俺と小租田。

 次に雪奈と浦野。

 そして黒木と要津のペア。


 黒木と要津、それに口にこそ出さなかったが小租田も、雪奈と組むのはイヤがっていた。

 加えて要津は、兄妹である俺と雪奈を一緒にするのも警戒していたようである。

 だからこのような組み合わせになったのだろう。

 猫又は学校に待機しているとのことだった。




 街並みは黒い瓦の屋根に、白や木材の壁の建築物で主に構成されていた。

 道には着物姿の人が行き交い、馬や人力車もちらほら見かける。

 校舎から見たよりは道は広く、両側を人が歩き、中央を乗り物が走るという現代風の交通規則がそのまま適用されていた。無論、信号機などはないから、反対側の道に行くときはひかれぬよう注意しなければならない。

 人通りはかなり多いし危ないなと思っているが、今のところ事故が起きたような騒ぎは聞こえてこない。


 街並みが日本風ということもあってか、使われている言語も日本語だった。

 看板や提灯に描かれた字は漢字とひらがなだ。

 ただ交わされている会話に江戸訛りの人がいるから、意思疎通できるか少し心配だ。


「どんな狂った街かと思ったけど、意外と平和っぽいな」

「そうですね。昔行ったテーマパークを思い出します」


 さっきから小租田はそわそわした様子で辺りを見回していた。

 いつものおどおどした様子が抜けて、少しはしゃいでいるようにも見える。


「すべきことは情報収集、だったか。どうする?」

「そうですね、まずあそこのお団子屋さんに行ってみませんか?」

「……団子?」

 俺が訊き返すと小租田ははっと両手で口を押さえて、しゅんと肩を落とし。


「……すみません、少し浮かれていました」

「いや、構わない。腹が減ってはなんとやら、とも言うしな」

 そう言うと小租田は胸に手を当て、肩から力を抜いた。

「そう言っていただけると……、幸いです」

「金は確か、猫又からもらったのがあったな」

「はい。通貨の単位は露(ろ)で、円とほぼ変わらぬ感じで使えると聞きました」

 団子屋の店頭を見やると、商品は大体100~200露。50露払えば茶もついてくるらしい。


「意外と安いな」

「ですが、お金は大切に使わないと……」

 ぐぅうう……。

 小租田の言葉を遮るタイミングで腹が鳴った。

 ぽっと彼女の頬に朱が差す。


「あ、す、すみません……」

「生理現象だ、気にするな。団子はみたらし派か、それとも餡子派か?」

「え、と……。磯部派です」

「よしわかった、ちょっと待ってろ」


 俺は店の中に入って、厨房の方へ呼びかけた。


「店主、磯部二つ。それと茶二杯だ」

「おうよぉ、ちっとばかし待ってろ!」


 どこかに座って待っていようかと思ったがさすがせっかちの江戸っ子、息吐く間もなく若い女が盆に二本の団子を載せた皿と茶の入った湯のみ二つを載せて出てきた。

 ただの人間じゃない。頭には猫耳、尻から尻尾が生えている。猫娘、といったところか。


「はい、お待ちどおさま。……兄さん、変わった格好してるねえ」


 今、俺はTシャツにチノパンという普段着の出で立ちだった。

 確かにこの街にはそぐわない格好だろう。


「……外来品なんだ」

 それっぽいことを言ってみると猫娘は「ははあ、そうだったのねえ」と納得したようだった。それでもなお、好奇の目でじろじろ眺めてくるのはやめなかった。耳がぴょこぴょこ、尾が左右に揺れているのが、気になって仕方ない。


「兄さん、お連れさんは?」

「外だ。店外で食べたいんだが」

「構わないわよ。そこまでお持ちするわね」


 猫娘と外に出ると、小租田が心配げにこちらを眺めやっていた。

「何をそう不安がってるんだ。ただちょっと団子買いに行ってただけだろ」

「ですがその、未知の世界なのに……」

「あらこちら、彼女さん?」

「えっ、ええッ!?」

 小租田が素っ頓狂な声を出して跳び上がる。なかなか今日びみないリアクションだ。

 こうまで面白い反応をされると、ついついさらにからかいたくなってしまう。


「俺の家内なんだ」

「まあ。そうだと思ったのよ、お似合いだし」

「え、ええぇ、ええぇぇええぇぇ!?」

 たった一音で驚きの段階を巧みに表現している。なかなか聞きごたえがあるな。


「結婚してもう十年、子供は娘二人なんだ」

「からかっちゃやあよ、兄さんまだまだ若いじゃない」

「むう……」

 さすがに少し無理があったようだ。


「じゃあ、後はお若い二人に任せて、ごゆっくり」

 猫娘は尖った八重歯を見せて笑い、店の中に引っ込んでいった。


 椅子の上に置かれた盆の湯飲みからは、熱々の茶が白い湯気を立てている。

 それがいっそう、磯辺の団子を魅力的に引き立てていた。


「じゃ、食うか」

「は、はい……」


 俺と小租田は盆を挟んで左右に座る。

 早速、磯辺焼きの団子を手に取ろうとしてみる。

 その拍子に、タイミングが重なって指先が少し当たった。

「おっと、すまん」

「あ、い、いえ、こっ、こちらこそ!」

 恐縮しきった小租田は頭まで下げてくる。向こうの方が年上のはずなのに、なんだか立場が逆転したみたいだった。


「……なあ、俺の方が年下なんだし、別に敬語を使わなくていいぞ。むしろ俺が敬語を使った方がいいか?」

「いっ、いえいえ! そんな、わたしに敬語なんて使う必要ないです。これはその、クセみたいなものなので」

「クセ?」

「はい。わたしの実家って少し、礼儀作法にうるさくて……」


 言われてみれば小租田の所作には節々に、育ちの良さを感じるしとやかさがあった。ほぼ常におろおろしていたせいで、今まで気に留まらなかったが。

「ってことは、小租田ってお嬢様なのか?」

「どうでしょう。自分ではそう思ったことはあまりなくて……」

 さらに観察を続けると、その青いカラーシャツはコットンのいい生地で、リネンのロングスカートなんかもちょっといいお値段が思想だった。極めつけはその腕時計。安物とは違う金色に光るそれは、もしかしたら百万を越えるんじゃないだろうか……。

「……当事者ってのは、自分の置かれた状況には得てして疎いもんだ」

「はあ……?」


 一人納得してる俺を小租田はぽかんとした顔で眺めてきた。


「おっ、この磯部、結構美味いぞ。海苔はサクサク、団子はもっちり。噛みしめると醤油の香ばしい風味が広がって、潮の香りが漂ってくるみたいだ」

「よく淀みなくそこまですらすら言えますね」

「美味いもんを食った時の人間の脳は、常時の30%増しで働くものなんだよ」

「えっ、そうなんですか?」

「すまん、嘘だ。本当のところはどうかは知らん」

 小租田は曖昧な笑みを浮かべ、磯辺に口をつけた。

「あっ、本当に美味しいですね」

「だろ。仄かに甘いのは砂糖を入れてるからだな。醤油のコクと合わさってうま味を引き立ててる」

「ええ、これならいくらでも食べられそう……」

「おっ、もう一本行っとくか?」

「いっ、いえっ、結構です。その、この世界で摂取したカロリーも現実世界に持ち越されそうなので……」

 だんだんと声が尻すぼみに、顔が俯き加減になっていく。


「別に太っているようには見えないけどな」

「お世辞はいいです……。この前、スカートが一着入らなくなったばかりで。本当は糖分控えなきゃ……」

 と言いかけたところで、やにわに弾かれたように顔を上げた小租田は両手を打ち鳴らして叫んだ。

「そうですっ……、スカートが入らなくなったのは6月17日! それまで今の体型を維持し続ければ、あの忌まわしい事態を回避できる! 漆黒に覆われし歴史を……改変することができます!!」

「……単語と実情の乖離がすさまじいな」

「何を言ってるんですか! レディにとって、体重と年齢はいつだってゆゆしき事態なんですよ!!」

「なるほど。ちなみに俺は18歳だ」

「わたしは36歳で……あっ」

 ポロッと出てきた情報に、俺は苦笑いを禁じ得ない。


 小租田はかあっと赤くなった顔を両手で抑えた。

「ううっ……今すぐ殺してぇ! わたしを殺してくださぁあいいッ!!」

「いや、天然ドジっ子属性は稀有で価値が高い、むしろ誇るべきだと思うぞ。……いや待て、大人の場合は子じゃなくなるのか?」

「やめてぇ、年齢の話はもうしないでぇッ!」


 魂の訴えが来たので、俺は大人しく口にチャックすることにした。


「……まあ、なんだ。ドジレディも多分需要あるぞ」

「なくていいです……。もっと頭のいいカッコイイレディになりたかったです」

「せめてそこは博識とか頭脳明晰って言葉を使ってほしかったな」

「もーやだぁ! おうち捨てるぅ!」

「家出かよっ! ……っていうか、家帰りたくないのか?」

 半べそをかきながらも小租田はうなずく。

「だって家に帰ったら、子供の面倒見ないといけませんし……」

「親なんだろ? 子供の面倒ぐらい、ちゃんと見てやれよ」

「それに、仕事だって……」

「夫はいないのか?」


 小租田は膝の上で手を組み、それを眺めてぼそっと呟いた。

「……結婚、できなかったんです」

「できなかった……? 逃げたのか」

「ええ、あの世に……」

 思わず息を呑んだ。

 こちらの顔を見上げた小租田は、微かに笑って言った。

「別に、気にしなくていいですよ」

「いや、……そんなの無理だ」

「いいんです。もう、たくさんの人に無神経に踏み荒らされて、何を言わてもされても、感じなくなったんです。痛みも、悲しみも……」


 小租田はふっと息を吐いて空を仰いだ。

 星が瞬く暗い夜空がそこにはある。

 現実の江戸は、深夜なら闇に覆われ人々は寝静まっているはずだ。

 しかしサヤの住民はおそらく昼間と変わらず活気にあふれ、街にはたくさんの提灯が吊るされ、至る所が明るく柔らかい光に包まれている。まるで夢でも見ているような心地だ。


「夫がいない状況での子育ては大変ですけど、妹が一緒に面倒を見てくれてるので……まだ恵まれてます」

「優しいんだな」

「ええ。わたしよりもしっかり者で、気が利いて。……多分、あの子なら一人でもやっていけると思います」

 驚いて見やると、小租田の顔には暗い影が差していた。


 俺は小租田の分の湯飲みを手に、彼女へ差し出した。

「そんなことはない。その妹はきっと、お前のためだから頑張れるんだよ」

「……そうですかね」

「ああ。雪奈だって、俺の嫁のために手を貸してくれることがある」

「おっ、お嫁さんがいたんですか!?」

 電流が身体を走ったかのようにビビる小租田。俺はちょっとばかしばつが悪くなって頭を掻いた。

「……いやその、アニメのイベントのさ、優先チケットの抽選をしてくれたり……な」

「はあ……?」

「とっ、とにかくだ」


 声を少し大きくし、どうにか話の路線を強引に戻そうとする。


「自分なんていなくてもいいなんて、考えるのはやめろ。お前がいなくなったらその妹が悲しむし、何より……」

 俺は小租田の顔を覗き込んで言った。

「俺も、悲しいからな」

 小租田は何かを堪えるようにぎゅっと唇を噛んでいたが、痙攣したように揺れる表情筋がやがて、ため込んでいたものを両目から流し出した。


「ぅ……ううっ、うぁあああああッ!」

 小租田は俺の胸に顔をうずめ、小さな肩を震わせて声を上げて泣いた。

 俺は彼女の肩をそっと抱き、柔らかな毛髪の覆う頭を優しく撫でてやった。

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