ネェベラの森にて Ⅳ END

 目を覚ますと、そこは森の中だった。

 ガペラと共に人狼の痕跡を辿っていた、ネェベラの森。


 そこは以前のように静かで、穏やかな空気が流れていた。



 その後、様子を見に来たガペラから事情を聞かされる。


 銃声や咆哮が続いた後、ガペラも巣穴へと侵入した。

 そこで、首の切り落とされた人狼と倒れている僕を見つけたらしい。


 そのまま外に運び出し、ひとまずは村へ報告に戻っていたとのことだった。

 そして、ガペラの手には人狼の生首があった。


 



 それから、僕らは村へと帰還。

  へとへとだった僕を余所に、村人たちは収穫祭でも開くかのようなお祭り騒ぎだった。

 僕が人狼を倒した、ということに村人全員が驚いているらしい。


 普段、昼間はゆっくりしていることから、村人にとって僕という狩人は「怠け者」と思われているらしい。

 そんな僕が危険な生物で知られている変異動物の一角、人狼を屠ったとなれば驚きもされるだろう。


 日が暮れてきた頃、僕は村人とガペラに連れられて酒場に来ることになった。

 村唯一の宿屋兼酒場の「鷹の目亭」、そこで待ち受けていたのは大量の料理と酒樽。


 定期的に村へやってくる商人の死より、普段はぐうたらしている青年の活躍の方がよほど問題だと思われたのだ。


 

 村人はげらげらと笑いながら料理と酒を浪費していく。

 ガペラも同じく、その中の一員になっていた。


 強引にワインやエールを飲まされ、取り分けられた料理を押し付けられ、酔っ払いの男達に絡まれる。

 濃厚な酒と汗の匂いに、思わず吐きそうになった。


 純粋に、僕は疲れていた。

 大きな怪我はしていないが、全身が軋むように痛い。

 抜けきっていない疲労感に酔いが回って、気分が悪かった。



 泥酔して理性を失った酔っ払いの輪からそっと抜け出し、店から逃げ出した。

 外は真っ黒。夜風は冷たく、心地良い。


 店から出ても、酒場の喧騒が聞こえてくる。

 それがどうにも嫌で、気付けば酒場から離れるように歩いていた。



 村の外れにある大樹、その根元に僕は腰掛けた。

 そよ風が草木を揺らし、木の葉が囁くような音を立てる。

 村人達に囲まれて大騒ぎするのは嫌いじゃない。


 だが、僕は腑に落ちないことがある。

 それは、「僕の手で」人狼を倒したわけではないことだ。


 あのもう片方の人狼は、どこからやってきたのだろうか。

 そして、どうして僕を殺さなかったのだろうか――



 人狼には、いくつか種類がある。

 だが、それを突き詰めても意味は無い。


 だから、僕は賞賛されるべきではないし、僕が倒したとされることを受け入れられない。


 僕は生き残った。

 それが事実だ。



 ――だけど、どうしても……わからないな。


 あの人狼はどうして、「同じ人狼」を殺したのか。

 そして、どうしてそのまま去ったのか――















「あら、こんなところにいたのね」


 すぐ横から声がして、僕は耳を疑った。

 足音はしなかったし、気配は感じなかった。


 酔いや疲労で感覚が鈍くなっているかもしれないが、気づけなかった。

 僕のすぐ隣に、女性がいた。



「みんな、あなたのことを褒めてるのに。主役がいない宴にしちゃったら、気持ちよく飲めないでしょ?」


「浴びるだけ飲む理由が欲しいだけだよ」


 隣にいた女性の長い黒髪に、思わず目が奪われた。

 腰丈まで伸びた黒髪、質の良い布地のようにしなやかで艶やかな頭髪は見るからに普通ではない。


 僕の視線に気付いたのか、女性は僕に向かって微笑む。


「どうしたの?」


「いや、なんでも……」


 服装も見たことのない物だった。

 ワンピースのようだが、傷や継ぎ接ぎは見当たらない。

 その黒髪と同じだけ真っ黒で、上質な質感。そんな布地のワンピースを着ている村人がいたら、嫌でも顔を覚えてしまうはずだ。


 それなのに……初めて会った気がしない。



 彼女は穏やかな笑みを浮かべたまま、僕と距離を詰めてきた。

 肩と肩が触れ、肌越しに彼女の呼吸を感じる。 



「随分と飲まされたのね、酒が弱いのに」


「ガペラと席を離されちゃって、孤立したんだ」

「そういう時は逃げることも考えなさいよ」


 見知らぬ女性に説教でもされているようなやりとりなのに、どこか懐かしく感じた。

 黒髪の女性に面識は無い。

 だが、彼女は僕を知っている――らしい。



「まったく、いつまでも軟弱な弟ね」


「……弟、だって?」


 僕の家族はガペラだけだ。

 それなのに……姉がいる、わけがない。


 だが、彼女の言葉に違和感は無かった。

 本当は姉がいる、そう言われてもすんなりと呑み込めてしまうような感覚がある。


 それとも、酒に酔っているせいで幻覚でも見ているのだろうか?

 薬酒や霊薬の類を口にした記憶は無い――はずだ。



「疲れているなら休みなさい。もっと周囲の人間に強気で接してもいいと思うのだけど?」


 風に乗って、彼女の黒髪から優しい匂いが鼻腔をくすぐる。

 甘くて、苦くて、どこかで嗅いだことがあるような香り――だが、それが何かを思い出すことはできない。

 それが、「懐かしさ」を引き寄せているのかもしれない。



「でも――」


「――でも、じゃない」

 そう言って、彼女は僕の頭の上に手を置く。

 

「ゆっくり休んで、明日からキリキリ働きなさい。――怠け者って言われないくらいにね」


「別に、気にして……」


 不意に、瞼が重くなる。

 疲労と酔い、そこに安堵感のせいで眠気に抗うことができなくなっていた。


 黒髪の女性が微笑むのを見ながら、僕は瞼を閉じる。

 彼女の隣は居心地が良かった。いつもそうしてきたような、安心感が得られた。



 そして、僕は意識を手放した。

 家のベッドで眠るよりも穏やかで、夜風と彼女の黒髪から漂う香りが僕の眠りをより深いものへと導いていく。






 気が付くと、瞼越しに強い光を感じた。

 眠る前と変わらない、風と草木の揺れる音――


 そして、寝そべっている僕の上で眠る「黒い獣」。

 家で寝ている時と変わらない、いつもの光景。


 いつも通りのはずなのに、どこか違うような気がした。

 そんなはずはない。眼前にいる雌狼のルナは家族の一員だ。

 僕が寝ている間に上に乗って、僕を起こす――普段通り、どこも変わらない場面だ。


 人狼との戦いは、死を覚悟した。

 生還を諦めようともした。


 だが、生きている。

 まだ、生かされている。


 誰に、何に、どんな力で死から遠ざけられているのかはわからない。

 それでも、こうして普段通りに目覚めることができるというのは幸せなことなのだろう。


 僕の上で寝ているルナが静かな寝息を立てている。

 とても狼とは思えないほどの賢さや素直さに驚かされることばかりだが、彼女に振り回されるのも日常の一部として受け入れていた。

 僕が何者であっても、この雌狼は隣にいてくれる。そんな妙な確信があった。


 だから、今日も僕はゆっくりと過ごす。


 彼女の仕事を奪わないために。


 繰り返される毎日を続けるために。



 今日もまた、良い天気だ。

 絶好の昼寝日和。誰に急かされるでもなく、何かに追われることもない。

 そんな日々を過ごすために、僕は戦った。


 

 優しい風と揺れる木の葉の音を感じながら、僕は再び瞼を閉じる。

 

 この世界には危険が満ちている。

 でも、こんな穏やかな時間こそが、僕にとって必要なものだった――

 

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