ぼくの仕事のこと Ⅱ
麦畑の中に刻まれた足跡を辿って、僕は畑の反対側に出た。
プレート入りの軍靴を見つけた以外の発見は得られず、農夫ブーモのところに戻ることにする。
「何かあったか?」
麦畑から出た僕に、ブーモは問う。
だが、軍靴のことは話せない。
「足跡が向こう側に続いていたこと以外は、特に……」
僕がそう言うと、ブーモはあからさまに肩を落とした。
まだ調査を始めたばかりだ。
時間を掛けるつもりもないが、痕跡を見つければ解決まで辿り着けるような気がする。
状況的に、そこまで複雑な事件ではないはずだ。
向こう側に痕跡があったということは、こっちにもあるに違いない。
周囲を見回し、道路と畑の間を注意深く観察する。
畑に踏み込むには何かしらの理由があるはずだ。その真意はともかく、犯人の足取りを辿る必要があるだろう。
侵入した痕跡の所から捜索を始めることにした。
足取りを探るのは簡単だ、麦畑と村を行き来する道は1つしかない。
遠回りの道を選ぶ可能性もあるが、自身の痕跡を隠そうとするような人物が畑の中で倒れるはずがない。
案の定、畑の隅に何かがある。
近付いて調べてみると、それは木片のようだった。
手に取り、引き揚げてみる。
それは何かの取っ手のようだ。
原型を留めていないが、樽に近い構造をしている。
木片には虫が張り付いていた。さっと振り払い、破片の匂いを嗅いでみると、微かに酒精の残滓を感じる。
「……中身はエールだったようだ」
おそらく、これは樽ジョッキの取っ手だろう。
「どうした?」
後ろからブーモが覗き込んでくる。
僕は手にした木片を彼に見せる。
「そいつは『鷹の目亭』のジョッキじゃないか? あそこのジョッキは店主のお手製のモノなんだ。間違いない、取っ手に鳥の絵が彫ってあるはずだ」
ブーモが言うのは、村唯一の酒場兼宿屋の『鷹の目亭』のことだろう。
言われたとおり、取っ手には鳥らしき造形が彫り込まれている。
「たしかに、見覚えがある」
「お前さんはあんまり酒を飲まないんじゃないか?」
「僕は陽が落ちてからの方が忙しいんだ」
害獣は夜行性が多い、狩人の仕事は夜回りの方が重要だ。仕掛けた罠や餌が使えなくなってしまう前に設置しなければならない。
昼間はガペラが色々やってくれる。それでも動けない時は僕がやらなければいけないのだが。
「最近、ガペラさんのおかげで新しいエールとミードを仕入れられるようになったと店主が喜んでたな。お前さんも、たまには飲みに行ってみたらどうだ?」
「暇な時にでも行くよ」
樽ジョッキの取っ手を放り投げ、改めて周囲を見回してみるが、辿れそうな痕跡は無さそうだった。
「これ以上は特に見つからないな」
少なくとも、畑周辺には痕跡を探す余地は無かった。
「どうだ? 犯人は見つかりそうか?」
ブーモの問いに僕は答えられない。
少なくとも、個人を特定できそうなものは無かった。
――軍靴が気掛かりではあるけど……
「とりあえず、この件は僕に任せてください」
「まぁ、トルムが言うなら……」
ブーモはがっくりと肩を落とし、村の方へ戻っていった。
少なくとも、謎は残っている。
樽ジョッキだ。
普通、樽ジョッキを持って歩くような村人はいない。
いたとしたら、理性を失うほど泥酔しているはずだ。
そうだとしたら、麦畑の中で転倒していたことにも繋がる。
ならば、確かめるしかない。
『鷹の目亭』で樽ジョッキを持ち出した者を特定出来れば、犯人でなかったとしても、ブーモより早く麦畑に訪れた人物がいたということを証明できる。
「手掛かりはそれだけだもんなぁ」
まだ、ブーツは何かと結びつく気はしない。
先に樽ジョッキの線を当たった方が良いだろう。
鷹の目亭は村の中央にある。
小さな鶏小屋と馬の繋ぎ場が目印の建物だ。
まだ日が高い、この時間帯では村人の多くは農作業に勤しんでいるだろう。
じっくり話を聞くなら今のうちだ。
ジョッキを掴んだ鷹の絵が彫られたドアを開けると、見知った女給仕が掃き掃除をしているところだった。
その女給仕がこちらを見る。
すると、満面の笑みを輝かせた。
「あら、トルムじゃない! 珍しい!」
「忙しいところに悪いね、ちょっと仕事で来たんだ」
女給仕の名はサリー、僕の幼馴染みだ。
小さい頃から一緒に遊び回った仲である。彼女が鷹の目亭の主人と結婚しなければ交際を申し込んでいたかもしれない。
今では酒場給仕と宿屋の雑用、元気いっぱいの3人の男児を育てている最中だ。
野山や川を駆け回っていた、彼女のたくましさは今も健在らしい。
「仕事? 商談かしら――って、トルムがそんなことするわけないわよね」
弁が立つ方ではないが、商売の心得くらいはあるつもりだ。
さすがにガペラが矢面に立つから、自分の出番が回ってくることはないだろう。
「ちょっと調べ物をしていてね……」
ふと、カウンターに陳列された樽ジョッキに視線が釘付けになる。
やはり、鷹の目亭のジョッキなのは間違いないだろう。
「そういや、ガペラのおじさまに樽の仕上げ剤を発注するように伝えてくれないかしら? 最近、ジョッキを返却してくれないお客さんが増えててね」
「樽ジョッキを持ち帰ることなんてあるの?」
僕の問いに、サリーは困惑の表情を浮かべた。
「そもそも、樽ジョッキそのものを売ってたのよ。お土産とかのためにね」
――き、気付かなかった……!
そもそも、酒場に立ち寄る機会があまり無いのもあって、どんな料理や酒が置いてあるかさえ把握していない。
「でもね、最近はウチの主人が新しい造り方を試してて、そのジョッキを使うとエールが美味しく感じるんだって!」
「そ、そんなバカな……」
何か根拠があるのかはわからないが、食器で雰囲気が変わるのは間違いない。
樽ジョッキもまた、酒を美味しくする何かがあるのだろう。
しかし、酔っ払ってしまったら味もなにも関係無いのではないか?
「それはさておき――」
陳列された樽ジョッキの1つを手に取る。
それは間違いなく、麦畑の隅に放られていた木片と同じものだった。
取っ手に鳥が掘られている。間違いないようだ。
「トルムも持って帰らないでよ?」
「いやいや、そんなことはしないって」
だが、村人が複数の樽ジョッキを持ち出していたとなれば、特定するのは難しいだろう。
しかし、畑にあった痕跡は樽ジョッキだけではない。
靴のサイズが大きく、体重が重い。そういった人物の特徴がある。
それだけでなく、泥酔していたはずだ。
そうでなければ、この樽ジョッキを割り落とすなんて考えられないだろう。
「もし良ければなんだけど、樽ジョッキを返却していない客のリスト……なんてあったりする?」
「なんでそんなリスト作らなくちゃいけないのよ」
――それもそうか。
こんな小さな村で人を特定するのは難しくない。
だからこそ、リストなんてものを作ってまでして取り立てる必要も無いのだ。
……場合によっては、僕やガペラが取り立て役になることもあるのだけれど――
「昨晩は混んでた?」
「いえ、全く……」
昨晩に飲んでいた村人がそのまま麦畑に向かった、と考えるのは自然だ。
それにエールの入った酒樽を家に置いていたり、樽ジョッキに注いだまま持ち歩くなんてことは考えられない。
だが、手掛かりはこれだけだ。
「うーん、昨晩といえば……ガペラのおじさまと村長さんと、グレンくらいしか……」
村長は毎日のように通っていることは知っている。
だが、村長の息子であるグレン以外は深酒をする印象は無い。
「あとは、ボーちゃんね」
「……ボー、ちゃん?」
「そうそう、ボーちゃん」
僕の知っている『ボー』という村人は、とても「ちゃん」を付けるような可愛げがある男とは思えないのだが……
「それって、『荷車引きのボー』のことか?」
「そうよ、あの子は酔っ払うと面白いの。昨晩も樽の半分くらいを飲み干しそうな勢いでエールを飲んでたはずよ。……そういえば、樽ジョッキの持ち出し常連だったわね」
ボーという男は少なくとも、僕らより年上だ。
だが、農作業や採取といった仕事はほとんどできないため、荷車を引っ張ったり丸太を担いだり、といった力仕事だけを任されている村人だった。
交流したことはほとんど無いが、大酒飲みだという話だけは知っている。
身体的特徴としては、背が大きくて、かなり大柄な体型。
麦畑の足跡がかなり大きかったことも加味すれば、彼が怪しいことは間違いない。
「……それで、ボーはいつも樽ジョッキをどうしてるんだ?」
「彼が仕事に行く前に、あたしが取りに行くのよ。場合によっては自分で返しに来ることもあるわね」
「それで、昨晩のジョッキは帰ってきた?」
すると、サリーは首を傾げる。
「そういえば……無くしたって、言ってたけど」
――証拠は揃ったな。
少なくとも、嫌疑を掛けるには充分なほどに情報は集まった。
本人に直接聞いた方が早いだろう。
少なくとも、彼以外を疑うには取っかかりが少ない。
だから、攻めるべきところを攻めるだけだ。
「ありがとう、またあとで」
「面白そうね、どんな『調べ物』をしてるのよ」
「解決したら教える」
サリーは相変わらず、好奇心旺盛だ。
昔から、気になることや面白そうなことを見つけては探検や調査に奔走していた。
今も、そういう部分は変わらない。
もう、実際に動くことができないというのが残念だが……
「じゃあ、行ってらっしゃい」
「では、後ほど」
幼馴染みに見送られ、僕は酒場を出た。
行くべきところはわかっている。
犯人を特定するのはそう難しくない。あとは事情聴取するだけだ。
残されている謎は無い――その時は、そう思っていた。
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