第35話

 ペットボトルの中身を飲みながら、月夜はお茶について考えた。


 彼女は、どちらかというと、お茶が好きだ。どれくらい好きかというと、少なくとも、牛乳以上には好きだといえる。牛乳は、動物から齎される液体だから、彼女はあまり好きではない。その点、お茶は植物から齎される液体だから、彼女は、好ましい、と感じる。


 月夜は、基本的に、動物の肉や、動物の油が嫌いだ。その第一の理由は、それらが、自分と同じ「動物」というカテゴリーに属する生き物の、殺された成れの果てのものだからだ。しかし、この理屈がおかしいことはすぐに分かる。なぜなら、植物にも、命があることに変わりはないからだ。動物を殺すと嫌悪感を抱くのに、植物を殺しても特に何も感じない、というのは、明らかに人間のエゴだ。あるいは、もう少し規模を大きくして、動物のエゴだともいえる。動物は、無意味にほかの動物を殺さない。しかし、動物は、意味がなくても、様々な植物を殺す。これは、動物と、植物の間に、何らかの差があらからだと考えられる。ほとんどの人間は、その差を無意識の内に認識している。言葉で詳細に説明できない、というだけで、その差が存在すること自体は、ほとんどの人間は分かっているのだ。


 いっそのこと、植物になりたい、と月夜は思う。


 植物は、痛みを感じるのか? たとえ痛みを感じても、表現する手段がなければ、それは誰にも伝わらない。動物は、痛みを感じると、それを身体を使って表現する。だから、同じ「動物」というカテゴリーに属する人間には、それが分かる。けれど、植物の場合は分からない。ここには、言語的な相違がある、とも考えられる。植物が使う言語を、人間が理解できれば、あるいは、彼らと意思の疎通を図ることができるかもしれない。


 そうした結果、もし、植物が、痛みを感じていると分かったら、もっといえば、もし、植物にも、動物と同じように、感情と呼べるものがあると分かったら、人間はどうするだろう? それでも、自分勝手なエゴで、彼らを殺すだろうか?


 植物も、人間と同じように、色々なことを考えているかもしれない。人間は考える葦である、と言った科学者がいたが、本当は、葦は考える人間であるのかもしれない。本当にそうだとしたら、人間はどうしたら良いだろう? そう考えたとき、月夜は、どうしても、皆消えてしまえば良いのではないか、という結論に至ってしまう。彼女には、それ以外の解決策は考えられなかった。本当は、それは、解決策、とは呼べない。人間が救われなければ、解決策ではない。人間が関わらない解決策というものは、この世界には存在しない。


 世界とは何か?


 世界と、人間の社会は、同義か?


 ……分からない。


 そう、分からないことだらけ。


 これだけ多くの動物を殺して、これだけ多くの植物を殺して、多種多様な手段でエネルギーを消費して、様々に思考した結果人間が導き出した答えが、分からない、という酷く空疎なものだったら、神様はどう思うだろう?


 人間なんて、生み出さなければ良かった、と後悔するだろうか?


 どうだろう?


「月夜、今夜は、ここに泊まっていけば?」紗矢が言った。


「家に帰って、フィルとお風呂に入らないと」


「フィルと、私と、どっちが大切?」紗矢は笑いながら尋ねる。


 月夜は暫く考える。


 やがて、彼女は、最も合理的な結論に至った。


「お風呂が、一番大切」


 紗矢は、沈黙して、応えなかった。

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