第二話 空腹に耐えかねて指先から唐揚げが出てくるまで

 ずっと歩き続けるのは無理があった。


 サンダルは長時間歩くようにできてない。普段は使わないかかとのところを止めるやつを使ってるけど、それも気休めくらいだ。

 柔らかい地面は踏み出すたびに足が沈んで歩きにくい。柔らかいだけじゃなくてデコボコもしてる。

 そもそも、こんな森の中を歩き慣れてない。長時間歩くことにも慣れてない。こっちは運動不足のオフィスワーカーだぞ。無理がある。

 足の裏も痛くなってきた。小指の付け根が痛い。靴擦れになってるかもしれない。


 ちょっと座って休みたくても、ちょうど座れそうな場所があるわけじゃない。

 地面の上に座ると、服が汚れたり濡れたりしそうで躊躇われる。濡れた服で歩くのは体力を消耗しそうだ。


 時々飛んでくる虫にイラっとするけど、変に叩き潰して大変なことにならないとも限らない。なにせ異世界。何が起こるかわからない。

 手をひらひらさせて虫を追い払ってまた歩き出すくらいしかできない。

 首筋を隠したくて、歩き出してすぐにパーカーのフードは被っている。


 時々、がさっという音と共に鳥の羽音が聞こえることはあったけど、直接鳥を見たりはしていない。見上げたりもしない。

 それ以上の生き物にも出会っていない。実は茂みの中なんかにいるのかもしれないけど、余計な出会いはできるだけ避けたかったので、ただただ足跡を追って歩いた。

 大型の動物に出会わなかったのは助かった。もしかしたら人の行き来がある道なので、動物はあまり近付かないとかあるのかもしれない。そうだったら助かるけど。


 時折分かれ道っぽいところに出くわしたら、足跡を確認して足跡がある方を選んだ。

 普段から行き来のある道で、人が通ったばかりだからだと思うけど、最初の印象よりは歩きやすい道だった。

 例えば、足元に背の高い草はない。張り出した木の枝に少し頭を下げる事はあったけど、通るのに困るほどの枝はなかった。木のすぐ脇を通った時に、枝が切り落とされた跡を見付けたので、誰かが道として整備しているらしい。

 それ以外にも、木に紐のようなものが巻かれているのもいくつか見付けた。何かの目印かもしれない。人の痕跡っぽいものがあるのは、少し安心する。もしかしたら、人じゃないのかもしれないけど、少なくとも道の整備をするような文化を持った何かではあるはずだ。


 あとは、それから……とにかく、めちゃくちゃ腹が減った。

 今日は起きたのが昼前で、チョコレートを一欠片食べてコーヒーを飲んで、そのあと唐揚げ作るかって買い物に出た。

 スマホを見ると、時刻は十六時半。昼に唐揚げを食べ損ねて、そのまま夕方になってしまった。日差しの感じはよくわからない。薄暗いと言われたら薄暗いけど、森の中だったからずっとこんな感じだったような気もする。

 そもそも、スマホの時計が正確に動いているかもわからないか。考えたらキリがない。

 とにかく腹が減ったけど、そのことを考えると余計辛くなるので、できるだけ他のことを考えながら歩く。


 そして、何回目かの分かれ道。

 その分かれ道の両方に足跡がある。困った。どっちに進めば良いのかわからなくなってしまった。

 足跡はいくつも付いていて、どうも行ったり来たりしたみたいだ。複数人の足跡が混ざっているのかもしれない。

 しゃがみこんで足跡をじっと眺めたが、結論は出ない。

 スマホをちらっと見たら、十七時前。腹が減っていて、頭もあまり回らない。


 しゃがみこんだ膝を両手で抱えて、そこに顔を埋める。

 頑張ってここまで歩いたけど、疲れてしまった。これは立ち上がるのにエネルギーがいるやつだ。


「あああぁぁぁぁぁーーーーーーー」


 息を吐くついでに、意味もなく声を出す。息を吐き切って、なんとか立ち上がろうとしたけど駄目だった。

 空腹感も、気力も、体力も、何もかもがツラい。足も痛い。

 雨空を背景にしたビニール袋の姿を思い出す。


「唐揚げになるはずだった俺の鶏モモ肉」


 声を出してないと挫けてしまいそうだ。空腹感のせいで、唐揚げのことしか考えられなくなっていた。


「山盛りの唐揚げ。食べるはずだったのに。地ビールと一緒に。キャベツの千切りはマヨネーズの気分かな。ああ、あの地ビール、せっかくの頂き物だったのに。唐揚げと一緒に飲もうと思ってたのに。唐揚げ食べたかったなぁ」


 しばし目を閉じて、その光景を想像する。山盛りの唐揚げ、地ビールの缶、キャベツの千切り、マヨネーズ。ゲームも良いけど、ダラダラ食べるのには映画が良い。

 唐揚げを食べながら背景が綺麗な感じの映画見て、食べ飽きたらゲームやって、そしたら今頃はまたちょっと腹が減ってくるから軽く唐揚げを摘んだりして、そろそろ新しいビールを出しても良いな。


「ぁぁああ……唐揚げ食べたい」


 絞り出すようにそう言った時、右手のひらが熱くなった。まるで、唐揚げの為に揚げ油を熱して、そこに手を近付けた時みたいな熱さだ。

 あまりに具体的にその光景を想像しすぎたのかもしれないと、俺は自分でそう思った。

 右手のひらの熱さが、やがてぎゅーっと固まって、指先に移動する。流石になんだろうと思って目を開けて右手を持ち上げた瞬間、その熱が指先から外に出てゆく感じがした。

 そして、唐揚げの、あの、油のにおい、ニンニクと生姜と醤油とごま油のにおいがしたかと思うと、指先に唐揚げが出てきて、そして地面に落っこちた。


 意味がわからない。

 地面に落ちているそれは、唐揚げに見える。指先でそっと突っついたら、唐揚げのあの感触だった。揚げてから時間がたっているのか、熱さは感じられない。べとついた指先を口に含むと油の味がした。

 地面に落ちて土がついたそれを拾って食べる気にはなれなかったけど、それは確かに唐揚げだ。


 地面に落ちてしまった唐揚げは放置して、俺はなんとかもう一つ唐揚げを出そうとした。

 油のにおいに胃が反応して、空腹感に目が回りそうだった。


 右手の指先の下に、左手を出しておく。手はベタベタになるだろうけど、地面に落とすわけにはいかない。ここには食器がない。

 そして、さっきの自分の行動を思い返しながら、小さく呟いた。


「唐揚げ食べたい」


 右手のひらにさっきのような熱は感じず、唐揚げも出てこない。

 言えば良いってものでもないみたいだ。


 そういえば、さっきは唐揚げを食べる光景を思い描いてた。すごく具体的に。イメージが具現化するのはお約束だし、そっちの方向かもしれない。

 目を閉じて、俺は作るはずだった山盛りの唐揚げを思い浮かべる。箸で摘んで、口元に持っていく。ニンニクと生姜のにおい、ごま油のにおい、醤油のにおい。噛み切れば、油と醤油と肉汁が混ざり合った香ばしさが口の中に広がる。よだれ出てきた。

 そして、心の奥底から湧き上がってきた欲望にしたがって、俺はその言葉を口にする。


「唐揚げ食べたい」


 先ほどのように、右手のひらが熱くなる。今度は目を開けて、自分の手を見詰める。

 俺の手は、光ったりとかもしてなくて、普通のいつも通りの手だった。ただ、熱は感じる。その熱がやっぱりぎゅっと集まって、指先を通って、そして、また指先から唐揚げが出てきた。

 本当に唐揚げが出てきた。

 本当に本当に意味がわからないけど、唐揚げが出てきた。


 暫定的に、俺はこの現象を創作物とかでよく言われるところのチート能力だと判断することにした。

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