9/In the Air

 白くどこまでも渇いた死の大地。底無しに深くあおくどこまで広い空の下、地を駆ける死の軍勢が地平に霞むように消えていく。

 異形の騎士たちを前にして人類の抗戦も虚しく、死と蹂躙の嵐は容赦なく俺たちを街ごと飲み下した。


 ——どうやら、戦いは終わったらしい。

 俺は遠く赤い火に染まる灰色の森を眺めていた。


 ゆっくりと立ち上がる。身体は傷だらけで、満身創痍もいいとこだった。

 あちこちに血がにじむ体は酷く重く、なかなか言うことを聞いてくれない。それでも、と俺は糸で手繰られる人形のように歩き続けた。

 ぽたりと一滴、また一滴と足元に朱い雫が残る。このまま行けば遠からず失血死だろうな、と俺は他人事のように思う。俺にとっては自分の体よりも街にいる少女の安否が気がかりで仕方なかった。


 小高い丘の上に立って振り返ると、戦場の様子がよく見えた。

 白い大地、色のない大地。死した世界の象徴たる星の表皮は、討ち倒された騎士の遺骸から広がる呪いと、相打ちになるかたちで倒れた兵士たちの流した血によって紅く染まっていた。

 大地と骸が燃えている。そこには見覚えのある、あの蜥蜴頭の男もいた。

 駆け寄り声をかけようとしたが、地に伏した頭の半分が消し飛んでいた。


 生命が火花とともに弾け、紅く瞬いて宙に溶けていく。血と鉄が焼ける匂いなど、これまでに散々嗅ぎ慣れていたはずだったのに。悲鳴のような風なりが響くたびに、虚しさと怒りと悲しみと、ドロドロに溶け合った感情とともに耐え難い吐き気がこみ上げてきた。


「そうか、負けたのか、俺たちは」

 あれだけ少女あいつに格好つけておいてこのざまか。そう考えると、ただ虚しくて、悔しくて仕方がなかった。


 

 ◇

 


 遥か昔、俺は一体の天使を殺したことがあった。

 あの日、虹色の光とともに現れた敵の姿は美しかった。それこそが憎き敵の首魁であり、あの日俺からすべてを奪ったモノに他ならなかった。

 俺は死体の山に身を潜めながら、その背に六枚の羽根を背負う少女のカタチをした天使を撃った。憎悪を叫ぶような炸裂音とともに銃身から飛び出した青い流星は、あっけなく少女の額を撃ち抜いた。

 そうして、力なく羽根を散らして堕ちてくるモノと、ほんの一瞬目が合った。


 青い光。乾いてひび割れた大地とはまるで違う、昔の地球のように潤んで透いた瞳。人の形はしていても、死を前にして感情の揺らぎも感じられない、冷たい玉石のような瞳。しかし、その青さの奥で、何かがこちらを見ているような感触があった。

 ——憎いかたきを撃ち落とした、それだけなのに。その姿と感触がいつまでも、俺の脳裏に焼き付いて離れない。



 ◇



 いつの間にか意識を失っていたのか。俺は白い大地に突っ伏して、体にはこれでもかと包帯が巻かれていた。

 じくじくと痛む身体を捩りながら起こすと、そこは塹壕の中だった。周りには俺と同じように負傷はしているが、辛うじて生き残った兵士たちが身を埋めていた。

 だがそれも、もう長くはないだろう。要である街を壊されてしまった以上、魔塵に侵され崩れて灰になるか、理性を失った屍と化すかだ。


「よぉ……シリウス。目が覚めたんだな、死んだと思ったが、相変わらずゴキブリ並みにタフだよなぁお前」

 馴染みのある低い声がすぐ横から響いて、俺はその声の方を見る。

 そこには右肩口から脇腹までをざっくりと割かれ、息も絶え絶えに壁にもたれかかるグリドの姿があった。即死でないのが不思議なほど致命的な傷だった。


「お前、その傷」

「あぁ、戦場に倒れてたお前を連れてこうとして……油断した」

 別に責めてるつもりじゃないぞ、とグリドは痛みに歪む顔で力なく笑った。


「負けたんだな、俺たち」

「……ああ」

 吐息と共に深く吐いた言葉は、塹壕から見上げた空へと溶けていく。


「あぁ、酒が飲みてェ」

「こんな時に、お前ってやつは……」

「街も陥ちちまった。俺はもうどうしようもねぇ、こんな時だからこそ、だろうが」

「——街が、陥ちたたのか」

「ああ、まぁ中心部は守り抜いたそうだが、それ以外はぼろぼろだ。住民も、軍の連中も大勢死んじまった。こりゃ立て直しはできんかもしれんな」

 その声は酷く弱々しく、グリドが弱っているのが手にとるように分かった。


「そういや、お前とまともに話すのは久しぶりだなグリド」

「あー、そういやそうだな、お前、ずっと穴倉周りのチンケな仕事ばっかしてたからなぁ」

「——今まで、邪険に扱って悪いな。お前は鬱陶しかったけど、散々世話になったよ……」

「ん??どうしたんだシリウスよ?随分と優しいこと言うようになったな、お前。

 ——もしかして、あのちびっ子のせいか?」

 いつものように大声でガハハと笑う余裕がないのか、グリドはニヤニヤしながら俺の腕を小突く。


「随分と丸くなったなぁ」

「俺は元からこうだったんだ。今までは復讐のために強くあろうとしてただけだ。でもソレは違うってあいつは教えてくれたんだ——」

 俺がそう言うと、グリドは深く息を吐いた。


「そうか、やっと解放されたんだな」

「そうかもな」

「なら、早く行ってやれよ。こんな死にかけの俺よか、お前にはあのちびっ子の方が大切ってことだ。早く行って、守ってやれ」

 俺を後押しするように、グリドの手の平が弱々しく背中を打つ。


「ほら、行け行け、早くしねぇとお前の想い人がバケモノどもに喰われちまうぞ」

 俺はありったけの感謝を短く残して、痛みむ体を押して塹壕から飛び出す。


「じゃぁな、そのまま突っ走って、振り返るなよ」

 駆け出すのと、グリドの言葉が聞こえたのはほぼ同時。俺は遺された言葉に従って、後を振り返ることなく街へと向かった。

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