第六話 舌戦

「内海に蔓延はびこる賊が再び活動を始めております。りんでは最大手の海運業者が被害に遭い、当主も重傷を負いました。りんの民を守る島主としては、このまま賊を自由にさせておくわけには参りません」


 礼に則り両手を前に突き出して、袖を合わせたまま口上を述べる上紐恕じょうちゅうじょの滑舌は滑らかだ。それは今の言葉になんら嘘偽りが含まれていないからだろう。


「既に宰師殿には報告を上げております通り、此度の賊討伐には近隣のいつ及びげんの水軍にも協力を仰いでおります。討伐を長引かせることなく一撃で成果を出すため、陛下には何卒ご寛恕を願う次第です」


 袖の陰から切れ長の目だけを覗かせながら、上紐恕じょうちゅうじょは今のところ概ね真実のみしか口にしていない。


「あくまで内海の賊を滅するため。島主はそう申すか」


 その彼を段上から見下ろす変翔へんしょうの目には、一切の情がこもっていない。


「さようです」

「だがいつげんとの勝手な共同は、いささか島主の権限を超えるものであろう。まずは陛下の裁可を仰ぐべしと、そなたは考えなかったのか」

「お言葉ですが宰師殿。このびんにおいて内海の治安はりんの島主、この私めが全権を預かっております」


 上紐恕じょうちゅうじょの言うことは事実である。広大な版図を持つびんではりょうの水軍がもっぱら紅河一帯とその河口域を、それ以外の内海に面する北岸一帯をりんの水軍が取りまとめることになっていた。


「今回の件もあくまで内海の治安維持の範囲内のこと。いつげんとの共同も、両水軍と歩調を合わせるという意味以上のものはございません」


 だがいつげんの水軍との共同を勝手に推し進めたことについては、判断が分かれるところであった。上紐恕じょうちゅうじょはあくまで治安維持活動の一環であると主張するが――


りんの水軍単独での行動ならばまだしも、他国との共同にまで及ぶとあらば、これは島主の権限を超えておる」


 変翔へんしょうは外交――つまり国家間の交渉の範疇と考えていることは明らかであった。


 段上から見下ろす冷徹な眼差しと、袖の陰から見上げる不敵な視線がぶつかり合う。見る者がいれば、広間の中空に火花が立つようにも思えただろう。ただその場にいるキムとすいは面を伏せたままであり、目の当たりにするびん王は青ざめた顔のまま、ふたりのやり取りを無言で眺めているだけであった。


「私めの判断が越権行為に当たると陛下がお考えなのであれば、もちろんこの上紐恕じょうちゅうじょは従うのみでございます。ただ賊は我らの動きを待ってはくれない。こうしている間にも内海を行くびんの領民は危険に冒され、やがて紅河を上りこのりょうにも賊が乗り込んでくるやもしれません」


 顔の前に突き出した両腕を微動だにさせないまま、上紐恕じょうちゅうじょは抑揚の効いた太い声で物申した。


「もしや宰師殿は、賊が紅河を上る可能性はないと仰られるのか。その保証を頂けない限りはこの上紐恕じょうちゅうじょ、陛下の御身を守る臣のひとりとして、がえんじ得ません」


 上紐恕じょうちゅうじょの物言いは、完全なであった。


 彼は賊の裏に変翔へんしょうがいると疑っているが、その証拠は何ひとつない。にも関わらず言外に「賊を操る首魁は変翔へんしょうと知っているぞ」「お前が操っているからこそ賊が紅河を上らないと言い切れるのだろう」と、そう仄めかしてみせたのである。


 もし推測が外れていたらどうするつもりだったのか。だが彼のは最低限の効果は発揮したようであった。変翔へんしょう上紐恕じょうちゅうじょの越権行為についてそれ以上追及しようとはしなかった。


 ただその代わりに変翔へんしょうが口にしたのは、より痛烈な詰問であった。


「島主の屋形には、単陀李たんだりが匿われていると聞く」

「……よくご存知で。確かに単陀李たんだり殿は、我が屋形に逗留されています」


 そう答える上紐恕じょうちゅうじょの口の端が、袖の陰で微かに引き攣った。


単陀李たんだりは過日、陛下よりこの宮中を追われた身。かような咎人を、島主はいかようなつもりで屋形にとどめ置かれているのか」


 単陀李たんだりが屋形に滞在していることまで把握されているとは、上紐恕じょうちゅうじょ変翔へんしょうの情報網を甘く見ていたのだろう。「恐れながら……」と口を開きかけながら、次の言葉を発するまでに幾ばくかの時間を要した。


「……此度の賊討伐のためにいつの使者を招いた際、共に現れたのが単陀李たんだり殿でございます」

「奴が現れた経緯はどうでも良い。だとすればなぜ未だ屋形におるのか、その理由を問うておる」


 変翔へんしょうとの政争に敗れた単陀李たんだりの受けた仕打ちは、官位剥奪の上での下野である。彼を匿ったとしても、上紐恕じょうちゅうじょが直接咎めを受ける謂われはない。


 だが単陀李たんだりの政敵だった変翔へんしょうを前にして、その言い訳はかえって火に油を注ぐだけである。


 そこで上紐恕じょうちゅうじょが取った行動は、肩越しに背後を振り返ってみせることであった。


単陀李たんだり殿を屋形にとどめ置くのは、私の本意ではありません。全てはこちらの、天女の託宣に従ったまででございます」


 上紐恕じょうちゅうじょのぬけぬけとした口上を聞く、すいの胸中はいかばかりであったか。これほど追い詰められた場面で、よりにもよって天女の託宣を引き合いに出すとは、いくらなんでも無茶が過ぎるのではないか。


 これが王陛下の御前でなければ、島主といえども食ってかかりたいところであった。


「天女だと。そなたの後ろに控える頭巾の女が、そうだというのか」


 案の定、変翔へんしょうの口振りからは疑わしさしか聞き取れない。すると上紐恕じょうちゅうじょすいに向かって、「天女に頭巾を取るようお伝えせよ」と告げた。


 この期に及んでも彼女を天女の通訳として扱うことを、上紐恕じょうちゅうじょは忘れない。すいは内心で何度目になるかわからない舌を巻きながら、目の前のキムに「というわけだから、取っちゃって」と囁きかける。するとキムは小さく頷いて、おもむろに頭巾の端を指先でそっと引いた。


 やがて見事な金髪に瑠璃色の瞳の、見目の整った若い女の顔が現れて、さすがに変翔へんしょうも目を見開いた。彼の情報網は既にキムの存在を伝えていただろうが、金髪碧眼の存在を信じられなかったのかもしれない。一瞬でも彼の意表を突くことが出来たのは、上紐恕じょうちゅうじょにとっては胸のすく思いだったろう。


 それ以上に彼にとって幸運だったのは、それまでほとんど存在感のなかったびん王がキムに興味を示したことであった。


「おお、噂には聞いたが、まさかこれほどの美しさとは」


 それまで背凭れに預けていた上体を乗り出して、びん王の青白い顔は興奮しているのか、目の周りだけがやけに紅潮している。


「天女よ、もっとこちらへ近う寄れ。遠慮するな」


 王の手招きに応じて良いものか、キムは困ったように上紐恕じょうちゅうじょの顔を見る。すると彼は変翔へんしょうが苦々しげな顔をしながらも口をつぐんでいることを確かめてから、キムに対して頷いた。


 腰を屈めながらそろそろと歩を進めたキムが、王の手前の段で跪く。すると王はなお一層激しく手招きする。そこでキムは、今度は変翔へんしょうの顔を仰ぎ見ると、宰師は頬をひくつかせながらも無言で首を引いた。つまり王へのさらなる接近を許されて、いよいよキムは段を一段ずつ上る。


 ついに王の目の前までキムがたどり着くと、王はその痩せ細った手を伸ばして、彼女の白い指先を手に取った。


「まさかこの世に生ある内に、こうして天女を目にすることがかなうとは。願ってもない僥倖よ」


 言葉を解さないということになっているキムは、その手を握り締めて離そうとしない王を前にして、なんとか微笑んでみせた。彼女の笑顔がよほど眩しく映ったのだろうか。王はますます鼻息を荒くして、キムの顔に自身の痩けた顔を近寄せる。


「もっとはっきりと見せてくれ。この目に天女の麗しい顔かたちを、しっかりと焼きつけて……」


 そこで王の言葉は途絶えてしまった。


 病弱の身で急激に頭に血を昇らせたためだろうか。まるで不意に全身から力が抜けてしまったように、王の上体ががくりと前倒しになる。慌ててキムが両手で王の身体を受け止めるのを見て、傍らに立つ変翔へんしょうはさほども慌てることもなく、ただ広間の奥に向かって鋭く叫ぶのみであった。


「誰か、医者を呼べ! 陛下がまた倒れられた!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る