滅びの日02

 ふと継実の脳裏を過ぎったのは、この世界が如何にして終わろうとしているのか、今日に至るまでの道のりだった。

 場所は大平洋の何処か、時期は一昨年の年末頃……巨大な『怪物』が二匹、突如として現れた。

 両者がどんな関係なのか、どんな生物なのか継実は知らないが、ともあれ怪物達は死闘を始めた。大海原で争い始めた二匹の力は凄まじく、その余波は全世界に波及。火山噴火や地震が起こり、たくさんの人々の暮らしが壊れた。死んでしまった人も少なくない。たった二匹の化け物が人間とは無関係な場所で暴れただけなのに、人間の社会は忘れられない傷を負った。

 だが、これだけで終わればまだ良かった。

 余波により住処を追われたのは、人間だけではなかったらしい。世界のあちこちで、怪物としか言いようが生物が出没を始めたのである。怪物達は既知の生物とはまるで異なる姿をしており、大海原で争った二匹ほど非常識な力ではなかったが、それでも軍事兵器ですら傷も負わないようなものばかり。核攻撃を切り抜けたものも相当数存在し、人類文明は日に日に追い詰められていった。

 そして十月を迎えたばかりの今日、世界中に『魔物』としか言いようがない怪物が現れた。

 魔物達は地中から、テレビ報道によれば百体以上が世界各地に出没。奴等は大噴火と巨大地震を引き起こし、次々と都市を破壊していった。勿論人間も大人しくやられている筈もなく、通常兵器による攻撃、更には自国が滅びる事すら厭わないほど大量の核・生物・化学兵器による攻撃を実施したが……魔物は全ての攻撃から平然と生還。小さな傷すら付けられなかった。

 魔物は『ムスペル』と名付けられ、だからといって対抗策などなく。時間と共にムスペルの数は増していき、ついに日本で二体目の個体が関西に出現。されるがまま都市を蹂躙され――――

 自分の両親がムスペルに踏み潰された光景を目の当たりにした瞬間、継実は自分の見ているものが夢だと気付いた。


「……ぅ……くっ……」


 何時の間に、眠っていたのだろうか。

 自意識を取り戻した継実は、その事を深く考える前に全身に走った痛みで呻き声を漏らす。全身がびりびりと痺れたような感覚に見舞われ、上手く手足が動かない。立ち上がるのはしばらく無理そうだと直感的に思う。

 幸い、閉じている瞼は手足ほどの痺れはない。ゆっくりとではあるが瞼を開き、外の様子を見ようとする。開けた視界は暗く、今が夜だと分かった。その割には何故か色合いがハッキリと見えるのだが。

 お陰で、目の前にある『それ』はよく見えた。

 継実の視界を埋め尽くしたのは、溶岩が固まったかのようなごつごつとした見た目の岩だった……否、岩ではない。岩には『口』は勿論、そこからだらりと垂れる赤い舌なんてないのだから。ひび割れた表皮の隙間からは生々しい肉が見え、だらだらと赤黒い汁が溢れ出ていた。岩のようだと思ったものも、硬質化した皮膚だと遅れて理解する。

 これは断じて鉱石ではない。

 これは、継実が暮らす都市部を破壊していたムスペルの横顔だ。


「ひっ!? ひぁ、あっ……!」


 生命の危機を身体も理解したのか。つい先程まで感じていた痺れは吹き飛び、継実は飛び跳ねるように立ち上がる。とはいえやはり本調子ではないのか、尻餅を撞くように転んでしまった。

 逃げないと、殺される。

 そう思えども身体は震えて動かず、焦れば焦るほど手足に力が入らない。ずるずると、這いずるように後退するのが精いっぱいだ。

 幸い、逃げる必要はなかった。

 人間の町を易々と破壊し尽くしたムスペルは、ぴくりとも動かないのだから。


「(……あれ?)」


 あまりにも動かない事から、継実も少しずつ冷静さを取り戻す。一度深く息を吸い、しっかりと体幹に力を入れてから立ち上がった。

 それからムスペルの横顔をじっと見つめる。

 かなり長い間見つめていたが、ムスペルは微動だにしない。それは継実を見て反応しないというだけでなく、呼吸などによる身体の小さな上下すらなかった。

 死んでいる――――動かなくなったムスペルを見て、継実はそう判断した。


「えっ、なんで、死んで……」


 予想もしていなかった事態に、継実は狼狽える。頭が真っ白になり、無意識に右往左往してしまう。

 そうして辺りを見回したところ、継実はますます困惑する事となった。

 何もないのだ。

 否、正確に言えば何もないというのは嘘になる。空には満天の星空が広がり、地平線の彼方まで瓦礫が積み重なっている……ただそれだけ。ビルどころか街灯すらない、『何かある』なんて到底言えないような光景だった。

 継実は、そんな瓦礫の上に寝転んでいた。

 どうして自分はこんなところで寝ている? いや、段々と戻ってきた記憶が確かなら、自分目掛けて大きな瓦礫が飛んできていた筈。どうやってそれを回避した? 何故ムスペルが死んでいるのか? 世界中に現れたムスペルはどうなった――――

 分からない事だらけだ。頭の中が情報で埋め尽くされ、自分の考えが纏められない。これからどうしたら良いのか、何をすべきなのか。悩めば悩むほど身動きが取れなくなる。

 それでも十分な時間があれば、継実は少しずつ情報を飲み込み、ある程度落ち着いて考える事が出来ただろう。しかしながら彼女にそんな暇は与えられなかった。

 ひらひらと自分の方に飛んできた、青いチョウを見てしまったがために。


「――――ひっ」


 反射的に、引き攣った声が漏れ出る。

 だ。

 無論ただのアオスジアゲハなら、怖がる必要など一切ない。継実はそれほど虫嫌いでもないし、綺麗なチョウならむしろ好きだが……しかし今この時、アオスジアゲハは別だ。

 その姿を見た瞬間、ハッキリと思い出す。

 ムスペルと互角以上の戦いを繰り広げていた生物――――それがアオスジアゲハだった。言うまでもなく、普通のアオスジアゲハにそんな事は出来ないのだから、正確にはアオスジアゲハではなかったのかも知れない。されどそんな細かな話は今、どうでも良いのだ。目の前にそれっぽい生物が現れたという、ただ一つの事実に比べれば。

 このムスペルを殺したのは、きっと戦いを繰り広げていたアオスジアゲハっぽいチョウだろう。核兵器すら通用しない化け物を殺したチョウに、ただの人間が勝てるだろうか? 答えは勿論Noだ。

 アオスジアゲハが何故ムスペルを殺したのかは分からない。分からないが故に、人間を襲わないという根拠もない。なら、ひらひらと飛んでくるチョウの傍に居るのは得策と言えるだろうか?

 継実には、到底思えない。


「ひぁ、ひ、ひぃ!」


 またしても腰が抜けてしまった継実は、這いずるように此処から逃げようとする。もしも自分を客観視出来たなら、その不様な姿に恥を覚えるだろう。されど命の危機に対し、恥も外聞もどうでも良い。

 死にたくない。

 ただそれだけの気持ちが、継実の身体を突き動かす。必死に、全力で、アオスジアゲハから離れる。

 

 あまりにも異質な動きと速さ。継実の姿を見ているであろうアオスジアゲハは、されど追い討ちを掛ける事も、警戒して逃げていく事もなし。

 ひらひらと降り立った場所は、ムスペルの亡骸の上。

 月明かりでは到底出せないような強い光を翅から放ちながら、アオスジアゲハは継実の背中を見つめるだけだった……






「は、はぁ、はぁ……こ、此処まで、逃げれば……」


 息を切らしながら立ち上がり、継実は辺りを見渡す。

 相変わらずビルも街灯も残っていない風景が広がっていたが、この辺りは魔物が居た地区より建物が少なかったのだろうか。数本の街路樹の葉がてっぺん付近だけではあるが地上に出て、まるで生け垣のようになっている姿が見えた。

 それはやはりこの瓦礫だらけの場所が元々都市であり、全てが崩れ落ちたという最悪を物語る光景ではあるが……自分以外の、恐らくは『無害』であろう生物の姿に継実は安堵を覚える。無意識に傍まで近付くと、寄り掛かるように生い茂る葉に背を預けて座り込む。


【ねぇ、乱暴に寄り掛からないでくださる? 枝が折れてしまいますわ】


 途端、声がした。


「ひひゃあっ!?」


 継実は驚きから跳び上がり、即座に後ろを振り返る。背後に人の姿は見られない。

 代わりに、自分が寄り掛かろうとしていた街路樹の一部が、まるで自己アピールをするかのようにざわざわと揺らめいていた。風なんて、全く吹いていないというのに。

 直感的に継実は理解する。この街路樹も、さっきのアオスジアゲハと同じ『存在』なのだ。見た目は普通の動物なのに、理解すら出来ないような超常的な力を宿した化け物。

 ちょっとその気になれば、小娘に過ぎない自分なんて一瞬で消し飛ばされる。


「いやぁぁぁ!」


【そんな驚かなくても良いじゃありませんこと? 喋る木が珍しいのは認めますが、でもあなただって――――】


 またしても街路樹が何かを話したが、継実の耳には届かない。一刻も早くこの場から離れようと、がむしゃらに走る。

 瓦礫だらけの地面は走り辛い。何度も何度も転びそうになり、それでも継実は走り続けた。そして何度も背後を振り返り、左右を見渡す。恐ろしい何かが、自分の傍に潜んでいるような気がしてならないから。

 その感覚は当たっていた。

 自分の真横を、凄まじい速さで飛んでいく虫がいた。ハエのような姿のそれは白い靄……ソニックブームを纏いながら飛んでいて、明らかに音の速さを超えたスピードを出している。小さな虫がいくらすばっしこいと言っても、音より速いなんて『普通』じゃない。

 遥か彼方からは、どおん、どおんと、爆音が轟いた。驚きから思わず振り返れば、巨大な粉塵が舞い上がってキノコ雲を作っていた。何がいるかまでは分からないが、恐ろしい何かがいるのは間違いない。

 あっちからも、こっちからも、恐ろしい生物の存在がその存在感を露わにしている。

 確かに、この世界には怪物がいる。だけどこんな、町中でちらほら見掛けるような存在ではなかった筈。大体怪物の殆どはムスペルのように、大きさも姿も異形そのもの。アオスジアゲハもどきや街路樹もどきのような、姿形が普通の生物なのに出鱈目な力を持つ生物なんて知らない。聞いた事もない。

 どうしてこんな生き物が突然現れたのか。ムスペルが暴れ回った影響なのか、どんな力が働けばあんな化け物だらけになるというのか。

 それとも。

 


「ひっ、ひぅ、あ、あ、ひっ」


 走って、走って、走り続ける。何処まで走るつもりかは、継実にだって分からない。町の中は化け物だらけかも知れないのだから、何処なら安心出来るかなんて分かる筈もない。

 逃げなきゃいけないという衝動に突き動かされるがまま、がむしゃらに駆け抜ける。靴と靴下は何時の間にか脱げていて、石やガラスで出来た瓦礫の山をぺたぺたと裸足で踏み付けたが、痛みなど感じなかった。ただただ走り、『何か』から逃げるだけ。

 継実が立ち止まったのは、裸足で踏み締めた時の感触の変化に気付いてから。

 突然変わった大地の様子に、継実は驚きから反射的に跳び退く。続いて怯えた獣のように恐る恐る足下を見て……そこが、地面の上だと分かった。

 そう、地面だ。森や草原にあるようなふかふかしたものではなく、学校のグラウンドのようにガチガチに踏み固められたものだが、間違いなく地面。崩れたビルの瓦礫なんかではない。

 思ってもいなかったものを目の当たりにし、最早何が怖いのかすら分からぬまま、継実は不安に駆られて辺りを見回す。そうすると周りに瓦礫の山を見付け、ほんの少し安堵した。安堵により落ち着きを取り戻した頭は、自身の置かれている状況を冷静に考える。

 瓦礫の山はあるにはあるが、ムスペルが倒れていた場所と比べれば明らかに低い。瓦礫の種類もコンクリートばかりではなく、材木やガラスなどが目立つ。恐らくビルやマンションが倒れてのではなく、一軒家により出来た瓦礫なのだと思えた。

 つまり此処は元住宅地。がむしゃらに逃げ回っていたら、何時の間にやら都市部から出てしまったらしい。


「(……そんなに走った? この町、かなり大きい筈なのに。それに、あんまり疲れてない……)」


 自分の認識と実際の距離が食い違っている気がして、継実は首を傾げた。とはいえ無我夢中で逃げていたのだから、自分の感覚など当てになる筈もない。時計があれば大雑把に計れただろうが、現在継実に時刻を教えてくれるのは、天頂で輝く星ぐらいなもの。生憎夜空で時間を計れるほど、継実は星と親しくない。時間の経過を知る術は、継実が考える限りでは存在しなかった。

 そもそもあんな化け物だらけの都市から脱出出来たのだから、何分走ったかなどどうでも良いだろう。

 逃げる事が目的だった事もあり、継実は抱いた違和感を深く追求しなかった。それに今になって気付いたが、重大な問題も発覚している。


「……お腹、空いた」


 飲食の問題だ。

 それなりに裕福な家で産まれ、怪物が出るようになってからも食事で困った事などない継実。彼女にとって、一食でも食事を抜くというのは初めての経験だった。

 無論継実だって自分が健康体である事を理解し、健康な人間は一日ぐらい飲まず食わずでも問題なく生きていけるという知識はある。しかし知っている事と、実際に我慢出来るかは別問題だ。

 たくさん走ってエネルギーを使ったというのもあるのか、今までにないぐらい強い空腹感に苛まれる。食べ物が欲しい。

 何処か、人が集まっている場所はないだろうか。ムスペルの所為で避難所は潰れてしまったかも知れないが、何処かで生き延びた人達が身を寄せ合っている筈……

 そう考えて継実は、今度は落ち着いて、しっかりと細部まで凝視しながら辺りを見回す。何も見付からなければゆっくりと歩き、見逃しがないよう慎重に探した。

 すると思いの外あっさりと、彼女は見付ける事が出来た。

 瓦礫の山の向こう側で薄らと、だけど確かな強さで輝く、なんらかの『光』の存在を――――

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