第20話 底辺冒険者と病弱ウィザード⑧


 アリシアが転送されたのを確認する。

 本調子ではないが、体もだいぶ動くようになってきた。


「次は俺たちだ。アリシアが落下してくる前にこの輪から脱出するぞ」


「うぅ……あまり乗り気じゃないけど……。もうアリシアちゃん飛ばしちゃったからね。わたしも覚悟を決めるよ!」


 エルもマントをバサッとなびかせ、元気よく立ち上がる。


「よし、ではさっそく中に失礼して……」


 その場にかがんでエルのマントの中に入ろうとする。

 しかし、少々慌ててしまい、指先がエルの胸の膨らみに触れてしまう。

 瞬間、エルが虫にでも触れられたかのようにゾワッと身震いした。


「キャッ!? ゆ、ユーヤ! 変なところ触んないでよ!!」


「今はそれどころじゃないだろうが! いいから早くマントの中に入れさせろ!」


 エルに足蹴にされたので、胸を鷲掴んで抵抗する。

 

「わぁーッ!!? もう完全におっぱい触っちゃってるからぁー!!」


「あとで好きなだけ俺の胸を揉みしだいていいから今だけは耐えろ!!」


 振り落とされまいと、ガシッとエルの両胸にしがみつく。

 他意はない。

 でも柔らかいのでつい必要なく手が動いてしまう。


「ちょ、ちょっとぉー!? 揉むのは明らかにおかしいってぇーッ!」


 ドタバタと暴れるエル。

 しかし、俺は離さない。

 こんなところで時間を食うわけにはいかないのだ。

 なぜなら――



『あわわわーーーッッッ!!!?』



 アリシアが豪風で口を震わせながら情けない声をあげて落下してくる。

 そう。アリシアはエルのマントによってはるか上空に転送され、今まさに自由落下している最中なのだ。

 アリシアの姿はもう俺の視界におさまる距離まで近づいてきていた。


 このままではアリシアが魔法を打てずに地面と激突してしまう。

 アリシアが失敗すれば……俺もエルももれなくラパンたちのサンドバックとして一生を終える。

 背に腹を変えられる状況ではない。


「ならこれでどうだぁ!」


「ひゃんッ!?」


 エルの腰に手を回し、木にしがみつくようにして完全に体と体を密着させた。

 傍から見ると母親に泣きついている子供にしか見えないが、この体勢なら確実にエルのマントで一緒に脱出できる。

 顔を胸の谷間にうずめているのは……そう、あれだ、密着度を高めるためだ。何度も言うが他意は無い。


「……」


 ……あ、でもなんか甘い匂いがする。

 そしてこの、肌の神経にまで吸い付くような弾力。

 あぁこれは……悠久の過去、幼少期に感じたあの懐かしい感触――

 

「これじゃあさっきよりひどくなってるからぁーっ!!?」


 ハッ!?

 エルの喚き散らす声で我に返る。

 危ない危ない。危うく赤ん坊に退行するところだった。


「ちょっといいかげん離れてってばー!!」


「はっふぇ、ふぉーふぁふぁいふぁふぉ(だって、しょーがないだろ)!」


 俺が胸の中で息をすると、エルがビクッと体を震わせた。


「ひゃうっ!? く、くすぐったいから顔押し付けたまましゃべんないでよぉ! あと何言ってるかぜんぜんわかんないからッ!?」


 こうしている間にもアリシアは風を切りながら猛スピードで落下していく。

 ラパンの群れもすぐそこまで歩み寄っている。猶予は無い。

 エルが必死に俺を引き剥がそうとしているが問答無用。羞恥で顔を真っ赤に染めるエルを無視して、俺は上空のアリシアに届くように大声で叫んだ。



「アリシアーーッッ!! 今だ、打てぇーーーッッッ!!!!」



 俺の合図とともに、アリシアが地面に向けて杖を構える。

 それを確認したエルは、俺を引き剥がすのを諦め自分ごとマントの中に覆いかぶさる。外光が遮断され、視界は暗転する。

 暗闇の中で聞こえたのは、上空から響くアリシアの声だった。



「≪火炎球フレイムボール≫―――――!!」


 アリシアが魔法を唱えたのを合図にして、エルも魔道具を起動させる。


「て、≪転移テレポーテーション≫!!」


 瞬間、宙に浮くような感覚が全身を駆け抜ける。転移が成功したのだ。

 エルの甲高い声の残響とともに、マントによって塞がれていた視界が一瞬にして晴れる。


 

「――――ッ!?」



 直後、焼けるような熱風を肌に感じた。

 何事かと状況を確認しようとするが、目も開けられないほどに容赦なく吹きすさぶ烈風に邪魔をされる。

 瞼を焼く熱に顔をゆがませながら、俺はやっとの思いで薄目を開く。



 視界に広がったのは――あか

 煌々と燃え盛る灼熱だった。



 術者であるアリシアを上空に残したまま、膨大な熱を凝縮した火球が地面へと突き刺さる。

 それはまるで、隕石が降り注ぐが如く。

 地面を抉りながら墜ちていくそれは、ラパンの輪を近くにあった巣穴ごと飲み込みながらその勢力を拡大していく。

 

「くっ……これは――」


 熱膨張した空気が周囲をぼやけさせる。

 おぼろげな視界の中、火球は地面に押し返されてその形を窮屈そうな楕円に歪ませていくのがわかる。


 そしてついに――地面の圧迫に耐えきれなくなったそ火球が、水風船を針で刺したかのように一気に破裂した。


 ドカァァァン!!!!


 天にも轟く爆裂音が草原を駆け巡ったかと思いきや、間髪入れずに今度は固い岩盤を巻き上げるほどの強烈な爆風が周囲を襲う。


「ぐっ……!」


 俺とエルは揺れる地面にへ必死でしかみつきながら、その熱と風の暴力に耐える。

 地面から切り離された土やら植物やらを散々まき散らしたのち――やがてその嵐は収まった。

 周囲の揺れが収まったのを確認し、俺は恐る恐る目を開ける。


「――――」


 そして目の前に広がっている光景を視界に収めた瞬間、自然と言葉がこぼれ落ちた。


「なんて威力だ……」


 肉の焦げる匂いとともに広がっていたのは、焼け荒れた大地。

 草原を円の字にくりぬいたように、ラパンの群れがいたあたりだけがきれいに焦土と化している。

 そのぽっかりと空いた穴の中心にアリシアは倒れていた。


「――アリシアちゃんッ!! ……とわたしのマントぉ~!!」


 エルが慌ててアリシアの元に走っていく。

 アリシアとマントの安否を同列に扱っていたことはこの際置いておこう。

 本人に聞かせたらショックでまた吐血しそうだしな。

 俺もエルの後に続いて、クレーターのように窪んだ黒焦げの大地に足を踏み入れる。

 足の裏からはほんのりと熱を感じながら、火炎をもろにくらい丸焼けになったラパンたちには目もくれず、真っ先にアリシアの元へ駆け寄った。


「アリシア! 大丈夫か!?」


「アリシアちゃん!!」


 アリシアを仰向けにして寝かせる。

 目を回しながら完全に気を失っていたが、頬にすすが少しついているだけで外傷は無さそうだ。


「良かったぁ、ケガとかしてなくって……」


「ああ、そうだな」


 俺はアリシアを背負う。

 アリシアの細い体は俺が思った以上に軽かった。


「アリシアは俺が運ぶから、お前は自分のマントを取りに行ってていいぞ」


「ぬぁ!? わすれてた!! マントマント……」


 周囲をキョロキョロと見渡すエル。

 『あったぁ!!』と自分のマントを発見するなり猛ダッシュで駆けていく。

 太陽に照らされた白生地がつややかに輝いているのを見る限り、マントの方もおおかた無事らしい。


「あぁ……こんなにすすだらけになってぇ……うぅ……」


 子供みたいに涙をポロポロ流すエル。

 無事じゃなかったのはエルの心だけのようだった。


 ……ということは損害ゼロだな。良かった良かった。

 そう思ったら急に強張っていた全身の力が抜けたような感覚になる。

 そのまま倒れてしまわないよう、アリシアをもう一度背負い直した。


「おーい、エル! 早くここから出るぞ。暑くてたまらん」


 じわじわと地面から漏れる熱気を腕で払う。


「うぅ……ひゃい……」


 凄まじい火炎の残滓が散る中、傷心のエル、そして気絶したアリシアとともに、焼け焦げた大地から避難するのだった。

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