【24 懸念】

◇――――◇――――◇


 予報通り、ゲリラ豪雨がS-O-Wを襲った。

 プレハブ小屋の天井は、ジャズのような激しい連弾を奏でる。

 持ち主たちが引き払った事務所に入って早々、LARKは朝比奈に手ごろな作業着を渡してユニットバスで着替えるように告げた。わかばは真っ先にうすら寒かった衣装を脱いで、乾燥機から取り出した作業着に着替えた。


 当然、丈が合わない。余分な袖を捲り上げると、手首の辺りが大きく膨れて傍目にはボクサーのように見える。 

「二回り下のサイズを選ぶべきだったな」


 勝手知ったる何とやら。LARKは服を物色しながらそう言った。

 カビ臭い事務所には、天井に映写機が一機、机にタイプライターが一台と電光式掲示板と、物干し竿が数本。それらを取り囲むようにソファとテーブルが散らばり、壁一面はロッカーが並ぶ。試しに一つ開けてみると、鍵がないにも関わらず、中は思い思いの私物――ほとんどがポルノテープ――だった。


「ガサ入れしやすいよう、鍵を着けない仕組みなんだ」

 振り返ると、半裸のLARKが作業服片手に佇んでいる。

「不用心ですね」

「それにも事情がある」

 LARKは各種拡張機器などぶら下げた薄手のインナージャケットの上に直接作業着を羽織る。どうしても露わになった胸元に目が行く。


「半月前だったかな――地下の旧開発地域でドンパチがあった。ここから運送路で行ける距離だ。 元締めママがロッカーを開けたら、ないしょで持ち込んでたことがバレちまった。 なんとか担当者を買収して事なきを得たが、ここの阿呆共は入りきらない分を売っぱらって、大量の模造銃がヨソに流れた。 昼間見かけたあのロクデナシの獲物も、その煽りで下落した粗悪品ピンハネだ」

 LARKは得意げに銃を構える仕草をして続けた。


「業界事情は押さえとけ。 最安値はトンプソン、別名シカゴ・タイプライター。 ホント、そんな感じの音がする。十六ミリフィルムのカバーみたいな弾倉マガジンがついてて――」

ですか?」

 知ってるのか、と驚くLARK。

「叔父が定期購読してました! 叔父はコン・イチカワが大好きで、自分でも――」


 LARKから無表情で制服が投げ渡された。Sサイズ。対するわかばは嬉々として受け取り、いそいそとその場で着替える。男物だが、着心地も丈も申し分なかった。

「今度は似合ってるぜ」

「え、本当ですか」

「ああ、誰から見ても義務課程上がりの職業訓練生にしか見えない」

 苦笑い以外のリアクションを覚えねばと、心の底から思った。


 ◇――◇――◇


「着替え――長いですね、朝比奈さん」

 よほどここのウォシュレットが気に入ったんだろ、とLARK。品のない冗談を無視して、わかばは狭い事務所をぐるりと見渡す。


 窓もない小さなプレハブ小屋でも、回線とタイプライター周辺機器が一式あれば、管理官たちの中継基地として十分に機能する。壁の一面には港のマッピングが施されており、梁に括り付けられた映写機から貨物の積載行程、船の出港状況、警備ロボットの巡回ルート、その他異常の有無がリアルタイムで映写されている。

 それらを一堂に見渡せるメインデッキの前でLARKが仏頂面で仁王立ち、一台のブラウン管を注視していた。


「さっきから、深刻そうに何見てるんですか?」

「マルボロのブラフ、大事になってる」

 タイプの画面を覗くと、同じ事件の情報がリアルタイムで繰り返される。


【続発する発砲事件、民警対応を急ぐも、続く凶行の阻止ならず】

【逃亡中の犯人像 未だ不明 複数犯? 事件同士に関連性か?】

【未知の入手ルート 照会済みの自動小銃十三丁、未だ行方不明?】


 息を呑む。何人か、新たな被害者が出る。

「前座のときもそうだったが、どうも統制が取れてない」

「み、民警の目をくらませるためには、ショッキングな方がいいとか?」

「それにしちゃ派手すぎる――これじゃテロだ」

 そう吐き捨てて、LARKはスポーツバッグから無数の拡張機器を取り出し机に広げる。いいかわかば、と今度は至極真剣な趣でLARKは説く。


「騒ぎが時間を追うごとに、西から中央、この湾岸区の手前にまで延びてる。 マルウェアが作動すれば、ボットマシンが暴れて湾岸はサーバーダウンするから、間近まで来ていれば足止めは出来るだろう。 だが、この鼻の良さだと逆に追手をおびき寄せるかもしれない」


 厚い唇の端に浮かぶ表情から、わかばは事態の深刻さを理解した。参ったなあ、と縮れ髪を掻きむしりながらLARKが室内を右往左往する。


 ふと思う。この状況下で、自分にできることはなんだろう。

 魔女から贈与され、返礼として義務付けられた役割とはなんだろう。センスを磨け、肌で感じてこいとは言われた。だが贈与されたモノは、その程度の返礼で帳尻の合うモノではないはずだ。


 LARKは自らタイプ席に座り、インナージャケットから先ほどくすねた新聞記者の社員証を探し出した。しかし拡張機器と端末をタイプライターのチガに接続した瞬間、事務所のインターホンが鳴った。

「オイ、出動だ、聞いてないのか⁉」

 若い男の声がする。LARKがその場でうなだれる。

「なんで残ってんだよ! 先月の続きか知らんが、身元不明のゴロツキ共が市場からなだれ込んできて――銃を持ってる、とにかく人手が要るんだ協力してくれ!」

 

「やべーな――よその会社の見回りだ」

 LARKは渋々デスクから立ち上がり、チーフから渡された身分証を首から下げ、膨れた縮れ髪を手櫛で再びまとめる。

あやしてくるぜ――あと数分したら、天使たちの合唱で電子回線が合葬される。 この事務所にはあらかじめ抗体打ってあるが――」

 LARKが窮屈なファスナーに手をかけたとき、この方が丁度いいか、と呟きそのまま玄関に向かい、一度だけふり向いていたずらっ子に釘を刺した。

「絶対変なマネするなよ、

 わかばです、と訂正して、悪童は何食わぬ顔でデスクに座った。


 ◇――◇――◇


 画面にノイズが混じり始める。お祭り騒ぎの黒子達はこの港のあちこちに潜んでいる。時間はもうそれほど残されていない。

 この間に少しでも情報を集めよう。わかばはまずそう考えた。


 トラックボールの動きに合わせて、凶悪犯罪、政治、経済労働問題、先月の履歴、セミナーの紹介、無数の記事が滝のように目の前を通過するが、どれもわかばの勘には引っかからなかった。埒があかないと半ば諦めながらもキーワードで絞り込み、注意深く読み漁っていたとき、わかばはふと、ある記事へのリンクを見つけた。


【フジ=ルネッサンスの真実、隠された迷路の出口】


 記事執筆者の名前を見たとき、わかばは戦慄した。

【ヘンリー・ウィンターマン】

 その名前は、今やデスクで無造作に広げられた機器の中に埋まっている。


 興奮を抑えつつリンク先のニュースサイトへ飛ぶが、生憎今夜の特集はまだ上がっていない。随時配信予定とのみ記された空白が、個人フォーラムのトップページをぶち抜く。その下にあるはずの連載コラムが、未だに何も更新されていない。


 何を書こうとしたんだろうか。


 ヘンリーは、どんな情報でも記事にした。

 経済、犯罪、文芸、ゴシップ。上京前に厭というほど読まされた、フェイクニュースギリギリの眉唾記事ばかりが並ぶ。だが、どれも逃がし屋の逃亡経路を単独で探し当てたヘンリーの素性とは、大きく乖離している。それほど有能な男が、三文文屋に甘んじていたということなのか。

 

 事務所の玄関では、男の驚声とLARKの艶めいた猫なで声と鈍い音が交差するが、スイッチの入ったわかばには何一つ届かなかった。


 プレハブ小屋が利用している借用サーバーでは限界がある。しかしこれを大手御用達のクラウドスペースへ接続できれば活路はある。遠隔でオルガンを操作して、ばら撒いたボットとマルウェアを再構築すれば、ヘンリーの素性を明かす程度のことは出来るかもしれない。だが、随時トラブルシューターが血眼で駆け巡るワイヤード上で、防壁やアンチソフトの追撃を躱しながらクラッキングをするのは困難だ。


 街一番のタイピストだった叔父でさえ、ついに生涯果たせなかったのだ。そんな芸当ができるオルガニストは、そうそう多くない。

 この世に一人、マルボロを除いて。


 胸の奥底で野心が芽生える。盗まれた過去が、砕かれたはずの夢が、再び自らを加速させる。わかばは、自らに付与された偽の技能士資格証明書マジックカードを取り出し、拡張機器に読み込ませた。


「やってみようか」

 体中がたぎった。


 タイプライターを経て、わかばの肉体にも電流が通じたかのようだった。それはマルボロという鏡を経て七年ぶりに贈与された、別の誰かの欲望である。だが当人はまるで気付かないまま、まずは姿勢を正し、デスクに着席する。


 ◇――――◇――――◇


 座り心地は教会のオルガンには遠く及ばない。なによりブラウン管の後ろには大小様々な真空管が列挙していないと、どうも収まりが悪い。それでもわかばは、背中に翼が生えたかのような心持ちで、タイプライターのキーを一つ一つ打刻する。

「私にも、歌っておくれよ天使たち――」

 わかばは、先ほど事務所宛てに送られたメッセージから、マルウェアを半解凍のままヘンリーのアカウントに送付した。見立てが合っていれば、電算室でマルボロが使役していた物と同じ情報収集型スパイタイプだ。回線がまだ生きているあいだに、ヘンリーの情報を入手できれば、何か真相に近づけるかもしれない。


 案の定、マルウェアに潜む悪意に満ちたプログラムたちがヘンリーの痕跡を追いかけ、小男の秘密を丸裸にしてゆく。随時かき集められていく情報を整理しながら、わかばは道筋を立てた。

「怪しいときは――まずお金の動き!」

 刑事ドラマの受け売りを鵜呑みにすると、わかばは急いで拡張機器エクステを操作した。ヘンリーのカードから、直接市民標のIDを探り当てる。ワイヤード上に接続された旧市営の個人情報管理システムを経由して、金融機関のユーザーアカウントを逆算、IDナンバーで照会して資産管理システムのドメインへ侵入する。


 必要とされる作業量に対してキーの段が少ない。

 ファンクションペダルがあと半ダースは欲しい。

 まるでマジックハンド越しに手品をするようなものだ。


幼い頃、指の届かないキーに苛立ちては癇癪を起こし、叔父の手を頼ったことがあったが、あのときに似ている。懐かしさに浸りながらも目は数字を追い続ける。土砂降りの雨の中、外で誰かが走り去る音が聞こえた。


嘘だろSpeak LARK!」

 LARKが全速力でデスクの前を通り過ぎるが、わかばにはもう見えていない。


 別窓でヘンリーの講座履歴を開き、同時期に起きた金の動きを探った。大手での連載が途絶えた時期より大口の収入は乏しく、それどころか小口の出資先とその総額が増える。暗号化されている情報を解析しつつ、わかばは、魔女の言説を思い出した。「お金の動きがあるときは、すでに関係が終わったとき」つまり、まだ決算の完了していない取引先こそ、活きた情報を持っている可能性が高い。わかばは振込先の口座番号から、登録者の名前を割り出し、羅列した。


!」


 ユニットバスから響くLARKの怒号。それと同時にわかばも、ヘンリー・ウィンターマンの名簿からある名前を見つける。


【比仲 漁尾】

が、逃げた!」


【ASARUO HINAKA】

 KAORU ASAHINA


 朝比奈 薫助


 ◇――――◇――――◇

 

 ヘンリーの特ダネ。埋まるはずの空白。

 それがわかばたちの手によって、秘密を抱えたまま逃げようとしていた。

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