【06 捜査】


 ◇――――◇――――◇


 黒い網が、空一面に掛かっている。

 その網の隙間を真っ黒い煙が通り抜け、灰色の空に連なってゆく。

 二階が丸ごと焦げたバス。屯する人だかり。一歩退いたところでまた立ち往生のわかば。ドラム缶の如き寸胴腹の捜査ロボットたちがあたりを往来し、未登録道からバスを引き抜こうと努める小型の牽引車たちは大きなうなり声を上げる。

 灰色の雲に続く煙の合間から、細かな雨粒が頭上に降り始めていた。


「シンセイ、てめえ――」

 混迷を極める状況下、物々しい捜査の陣頭指揮を執る、屈強な大男。その岩山のような男が、空回り気味の熱血青年警官へ馬鹿野郎と怒鳴りつけた。


「出張るなら事前に本社に一報! 予断捜査は控える! 私服でハジキ持ち出してんのに無様に目の前で人質とられた挙げ句まんまと脅されやがって、素っ破抜かれたら赤っ恥じゃ済まねえぞ、お前! 先週初動からポカしたの、もう忘れたのか!」


 恰幅の良い体格、苔生したようにも見える短く刈りそろえた髪、不均等な不精髭。目は圧壊してできたヒビのように小さく、その巌のようなゴツゴツとした顔が歪む。

「ああ――以上だ、ほかに申し開きは?」

 至極申し訳なさそうに頭を下げる晴三郎が、何か呟き、唇を噛みしめる。岩男が返事を催促すると、さらに小さな声で何か告げる。我慢の限界だったのか、岩男は聞こえねえよと軽く張り手をお見舞いした。

「ありがとうございますっ!」

 青年は深く、勢いよくお辞儀をしながら、それはそれはとても好く通る声で応えた。腹の底から出た声に、流石の岩男も一歩戦き、しばらく黙る。


「なんであんなところだけ似るんだ」


 青年に背を向けた瞬間、岩男が小声で吐き捨てた。青年は気付いていないようだが、わかばは決して聞き逃さなかった。

 いわゆる、男の世界なるものを垣間見た気がした。


 岩男が引いた後、今度は痩せた若い警官が、一度会釈してからノロノロと近づいてくる。安い整髪料でギトギトの頭は、パラパラと降る雨を全て弾いている。

「いやー先輩、お手柄っすよ、MVPっす」

 シンセイ、と呼ばれた晴三郎は、唐突な称賛に唖然とした。


「ムズカシー話よく解んねーんでちょくちょく端折りますけど、可燃性の危険薬物かもしれないって【宝船】の人言ってました。物証は全部吹っ飛びましたけど、乗客に煙吸わせねーようにフロント割ったのはホント英断だって、部長は褒めてたっす」

 用事を済ませた若い警官が持ち場に戻ると、晴三郎は静かに熱い涙を流した。


 対してわかばは、あれで警官なのかと呆れかえっていた。


「一階前列から順々に聞いて行きまぁす! 座席位置これで間違ってないですね?」

 乗客は決して多くはないが、客層の大半は高齢者のため、事情聴取には時間が掛かる見込みだ。最後尾にわかばと晴三郎が無様に付いてゆく。


 ふと空を見上げると、かすかに灰色の煙がまだバスの二階から昇っている


 ◇――――◇――――◇


 爆発箇所は二ヶ所。どちらも一階のトランクルーム。ドレッド男が苦労して取り出そうとしたトランクが最初に起爆し、一分後には隣に収められたわかばの花柄トランクがなぜか吹き飛んだ。考えてみれば訳もない。中のフォーマルスーツその他衣類は、全て燃えやすい位相記憶繊維素材で織られている。アイロン台をケチろうとしたのが裏目に出たのだ。

 花柄トランクは、燃え盛る車体と共に、一緒に永遠の眠りについた。永遠にお陀仏、もう二度と蘇ることはない。織部わかばの思い出は、黒煙の中に紛れて一足も二足も早く、創造主と母の住まう灰色の天国へ送られた。

 幸いにも爆発それ自体の規模は小さく、青年の活躍もあって二次的被害もさほど出さずに済んだ。だが、ショートした回線の復旧作業に時間が掛かり、通信が回復したのは今から三十分前のことである。多少知識のあるわかばも協力させられた。時間はすでに正午を過ぎ、当初の予定は大幅に遅れ、わかばの先行きは未だに暗澹としている。


 ◇――――◇――――◇


「長引くのかな――」

 もたれかかった電柱からは延長コードが伸び、鑑識補助に尽力するドラム缶たちへと続く。チガに接続し、苦し紛れに有線チャンネルを回す。巻き添えに一般回線がいくつか焼けたようで、ダイヤルを回せどもなかなかお好みの番組は見つからない。

《そして都市計画イニシアチブが民間主導に移り変わった結果、無計画に等しい再開発が乱発するようになり、一部地域はフローティングユニットの限界値を超える過積載が問題視されました。しかしここで抜本的解決は後回しにされ、マシンの稼働率を上げるだけの強引な取り組みがなされているのが現状であり、昨今では排水効率の限界から来る浸水問題で――》


 厭となるほど聞いた現代社会学科のカリキュラム。今やわかばには、締めの言葉さえ明瞭に予想できる。


《以上の経緯から、随時沸き続ける公害スモッグや水上に浮かぶ構造を踏まえ、慣例的にこの都市は【Smoke On the Water】即ちS-O-Wと呼称される由縁となり、近年は行政もこの名称を――》


 ジャンクションに入ったところで空かさずチャンネルを回す。一般放送の電波に紛れて、一部通常回線のエコーバックが耳に入る。知りたくもない日常会話を聞き流しながら再度端末のダイヤルを回しわかばは趣味でもないヒットチャートに耳を傾けながら、灰色の空を見つめた。


 ◇――――◇――――◇


 さようなら思い出、さようなら今まで。

 わかばは過去を失った。いっそ、もう、後腐れなく燃えてしまえばいい。

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