第32話 アイドルの習性
「高山、くん…」
どうしよう。なんて間の悪さ。高山くんとはこのタイミングで会いたくなかった。
ううん、誰であっても、今は話しかけて欲しくはない。
あまりの間の悪さに、思わず神様を呪いたくなる。
「うん。こうして顔を合わせるのは久しぶりだね。たまに廊下で見かけたりはしてたけど、話しかけるタイミングはなかったから。元気してた?」
彼は晴れやかな笑顔を私に向ける。その姿は一年生の頃と変わらない、むしろさらに垢抜けて、自信に満ちているものであるように思う。
(世間話をしてる場合じゃないのに…)
だけど、できれば今だけは空気を読んで欲しかったというのが本音。
当たり前だけど、高山くんはこちらの事情を知っているわけじゃない。
それを期待するほうが間違っているのは、頭では分かっているのだけど。
「うん、元気、だよ」
気付けばこの場でできる限りの笑顔を、咄嗟に取り繕っていた。
私は、という心の声は、呑み込んだ。
「そっか、なら良かった。それで、さっきの話の続きなんだけど…」
挨拶を交わし、まだ話を続けようとする高山くん。
本題はそっちだよね、分かってる。分かってるけど、今は本当にタイミングが悪かった。心がざわめき始めるのを肌で感じる。内面の不満をただ必死に押し込めた。
「ありがとう、アドバイスは役に立ったよ」
私は彼が話し終える前に、お礼の言葉を口にする。できればこれで切り上げて欲しいと、願いを込めて。
少し早口になってしまったかもしれないけど、彼はそれくらいで気を悪くする人ではないことは去年クラス委員として過ごした経験から知っていた。
「そっか。白瀬さんの役に立てたなら嬉しいよ」
そう言って高山くんは少しはにかむように笑う。
その顔はどこか子供のようにあどけない純粋なもの。狙ってできるものじゃないだろう。私たちの年代の男子は格好をつけたがるものだから、女の子の前だとこういう顔はなかなかできない。凪君もそうだ。
イケメンだけど、なんだか可愛くて彼に好意を抱く女子が多いと聞いたことはあるけど、なるほど。納得の笑顔だと思う。
(……凪君も、こういう笑顔をしてくれたら嬉しいんだけどな)
でもそれはそれ、これはこれ。私には凪君がいるし、絆されることもない。
男の子として思い浮かぶ相手はまず第一に凪君だし、高山くんに関してはモテそうだなぁと、ただ率直な感想を抱いただけだった。
「本当にありがとう、高山くん」
―――だから、もういいかな。行っても。早く凪君と話したいんだ。
「あっ、いや、そんな…」
照れたように頬を掻く高山くんの姿は、どこか凪君に似ていた。
それを見て、私の焦りは加速する。重なることのない姿だけど、彼が幻影として消えていくことだけには耐えられそうになかったから。
「うん、だから私…」
早く、早く教室へ―――!
「あれ?白瀬さん、もしかして急いでた…?」
そんな私の焦りを彼は感じ取ったのか、どうやら察してくれたらしかった。
(助かった…これで――)
凪君に連絡を取れる。そう思ったのに……
「そんなこと、ないよ」
私の口から出てきたのは、真逆の言葉だった。
「あ、そうなんだ。それじゃあさ、この前のことなんだけど」
私の否定の言葉に安堵したのか、高山くんはそのまま話を続けようと、私に話しかけてくる。それに応えるかのように、私の体は硬直し、自然と顔にも愛想笑いが浮かんでゆく。
それは会話の流れの出来上がり。たまにある休み時間の、ほんの一コマの再現だった。
(なんで…)
だけど、私はそれどころじゃなかった。自分で言ったことが理解できないでいたからだ。
私は確かに今すぐこの場を離れたかった。
教室に駆け込んで、スマホを取り出し、凪君の安否を確認したい。
そのことで頭がいっぱいだったはずなのに、口から出てきたのは真逆のもので、体はこの場に留まる選択を選んでいたんだ。
それが自分でも理解できない。
遠くにいて姿の見えない凪君より、近くで話しかけてくる高山くんを選んでいた、自分自身を。
それはこの数年でいつの間にか身に付いていた習性。
誰にでも愛想よく、笑顔を振りまいていれば嫌われることはないし、皆もそんな私を望んでいるはずだという、私の思考方針が自分でも気付かないうちに養んでいた一種の癖だった。
誰かに嫌われることを無意識のうちに拒んでしまう私が、目の前にいる相手を邪険にできずに人当たりのいい対応をまずは選んでしまうのだ。
それは多くの人に囲まれている時なら問題ないものだったのに、今この瞬間では間違えようもない選択を外すほどの悪癖へと変化する。
そのことに気付けるはずもなく、私はただただ混乱していた。
高山くんの話も、まるで頭に入ってこない。
(なんで、なんでなんでなんでなんで!!)
優先順位が、入れ替わってる。
なによりも大切な人の現状を知るよりも、同級生のどうでもいい過去の雑談を聞くために、この場に私は立ち止まっている。
自分でも訳がわからなかった。
なにがどうしてこうなったのか、まるで全然分からない。
そんな頭では時間の感覚すら掴めなくて、結局私が動けたのは廊下に響くチャイムの音に高山くんの声がかき消された時のことだった。
「あ、もう時間か。ごめん、また今度ね。いつでもまた、相談に乗るからさ」
そう言って彼は焦ったように自分の教室に戻っていく。体育でもあるんだろうかと、ひどくどうでもいいことを考えながら、私はその後ろ姿を見送った。
それは本来なら、私がしなければいけない姿だったというのに。
(なにやってるんだろう、私…)
今日は朝からずっと、失敗ばかりを繰り返している。今から教室に戻っても、確認は昼休みまで持ち越してしまう。
これではいくら心配してるなんて言ったところで口だけだ。私の言葉には説得力の欠片もないだろう。
自分のことが、もうなにもかも信じられなくて。
私は先生に声をかけられるまで、ただその場に立ち尽くしていた。
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