第25話 水泡の記憶
「あ、そういえばそろそろ学校に連絡しとかないと」
刹那さんとの会話が長引き、未だ学校へ休みの連絡を入れていなかったことを思い出した。
宮間には言伝を頼んでいたが、そもそも学校に行っていたないとあってはいつ家に連絡があるかわかったものじゃない。下手に心配されて親にまで伝えられるようなことがあっては面倒だ。
「あれ、まだ入れてなかったんですか?」
「うん、まぁ…刹那さんは?」
「私はお茶を沸かす時間の間にしてましたね。友達にも連絡送ってました。てっきり凪くんもそうかと思ってましたが…」
刹那さんはジト目で僕を見る。なんだよ、その目は。
「もしかして、私の部屋をほんとに物色してたりとかしてません?」
「してない」
間髪入れずに即答する。神に誓ってそんなことはやっていない。僕は無罪だ。
だというのに、刹那さんは疑ってくる。ジットリとした目で僕を見ていた。
「ほんとですか?なんだか焦っているみたいで怪しいです」
「…ちなみに悩んでた場合だったら?」
試しに別のパターンの場合を聞いてみたが、なんだか既に答えが読めた気がする。
この短いけど濃厚な時間を過ごすうちに、刹那さんの相手にも慣れてきたのかもしれない。
「そのまんま怪しいですね。疑う余地がありません」
「それ、部屋にいるってだけでもうダメなやつじゃない?」
やはりというか、どうあっても疑われるパターンだった。こんなの無理じゃん。
「だっていくら童貞の凪くんでも、年頃の女の子の部屋にいたら、こう、ムラムラしちゃうんじゃないかなと…」
「しない。あとそこは童貞関係ないから」
待ってる時点で詰んでるとかデスゲームかなんかだろうか。
なにもしてないというのに無実の罪を証明しないといけないとか、悪魔の証明かよ。
「分かってますよ。私には全部わかってますから…」
「分かってない。その目は絶対分かってない」
刹那さんの目が急に慈愛に満ちたものへと変わるが、その目はやめてくれ。悪いことをした子供を見守るかのように優しさを感じられる眼差しだが、僕は潔白そのものだ。
遠まわしに冤罪に仕立て上げようとしているあたり、タチが悪いぞこの人…
「まぁ冗談ですよ。ではどうぞいってらっしゃいませ。彼女さんにもよろしくお伝えください」
「…言えないよ、こんなことになってるのは」
僕はゆっくりと立ち上がりながら、ポツリと呟いた。
刹那さんとの会話が楽しくて、つい忘れそうになってしまうがここにいるのは楓に対する立派な裏切り行為だ。これに関しては冤罪でもなんでもなく、弁明の余地がなかった。
(話したら、もしかしたら泣くかもな…)
この話を楓に話すわけにはいかないだろう。さらにいえば、刹那さんと仲良くなった事実も当面は隠したほうがいいように思える。
つい先日、というか今日まで僕と刹那さんの間には接点らしい接点がなにもなかったし、急に名前呼びをしたら訝しまれるに決まっている。ましてや僕らは同じクラスメイト。同時に休んだ翌日に親しげに話したならば、勘のいい生徒なら察してしまう可能性も否定できない。
(そう考えると、釘を刺しておくべきか)
今の楽しい時間の流れに水を差すようで少し気が重いが、これは早めに言っておかなくてはならないことだ。取り返しがつかないことになるかもしれないし、それなれば彼女にも迷惑がかかってしまう。
「ねぇ、刹那さん。あのさ…」
「あぁ、私のことは実際に話さないでおくことが賢明でしょうね。それに私達は明日からはいつも通りただのクラスメイトです。それでいいんでしょう?」
僕が口を開くタイミングを見計らったかのように、刹那さんが話し出した。
「え…」
「なんです、驚いたような顔をして」
驚くに決まってる。その内容は、今まさに僕が伝えようとしたものを完璧に理解したものだったからだ。
彼女はエスパーなのかと一瞬勘ぐってしまったのも、無理はないんじゃないだろうか。
「いや、助かるけど、なんで…」
「話の流れで分かりますよ。明日から急に親しくしたら今日のことを含めて疑われるに決まっています。学園のアイドルの彼氏に浮気疑惑なんて絶好のゴシップネタ、うちの生徒なら食いつかないはずないですし」
女子という生き物は、常に話題に飢えているものですからと、刹那さんは付け加える。
どうやら彼女のほうがそのへんの機微には長けているらしい。男子はもっと、直接的だ。
「そっか…ごめん。せっかく仲良くなれたのに」
「気にしないでいいですよ。私も噂を止める力なんてありませんから…宮間さんあたりなら、別なんでしょうけど」
刹那さんはそう言って視線を落とした。その表情は、どこか悔しそうにも見える。
彼女は楓を中心とした中心グループとは距離を置いているとは思っていたが、思ったより複雑な事情があるのかもしれない。
「…そういえばさ、まだ連絡先交換してなかったよね」
そんな彼女の顔を見て、考えるよりも先に口が開いた。
僕の言葉を受けて、刹那さんは顔を上げる。
「え…?」
「交換しようよ。学校に連絡したらさ。僕と…」
一瞬、言い淀む。なんていえばいいのか、分からなかったからだ。
僕は彼女に、どんな関係を求めているのか。それを深く考えるのを、僕は避けた。
「友達に、なって欲しい」
だから出てきたのは、当たり触りのない言葉。
刹那さんとの友人関係を結びたいという、ごく普通の考えからくるものだった。
―――それは本当に、本心なのか?
そんな一瞬だけ沸き上がった考えを、僕は無視した。
まったくもって意味のわからない、ただ浮かんできただけの戯言だろうと切って捨てる。そうしなければいけなかった。僕が好きなのは楓であり、いくら癒されることがあろうとも、ただの衝動のようなものに流されるわけにはいかない。
そう、これは気の迷いというやつだ。だからすぐに忘れる。それでいい。
そうでなくてはいけないんだ。
「……はい」
僅かな間を置いた後、刹那さんは僕の提案に頷いてくれた。
それを見て、僕はホッとする。先ほどの会話もあったから少し不安ではあったけど、彼女も僕と友人になることを望んでくれたらしい。
これで良かった。これでいい。僕は内心安堵する。
「ねぇ凪くん。少し聞いてもいいですか」
その刹那、彼女の声がしたことで心臓が跳ねる。
油断していたわけではないけど、このタイミングで質問されるのは意外だった。
「なに?」
動揺を表に出さないように努めて、僕は短く返した。
「もう、走ったりはしていないんですか?」
「……?」
質問の意味がちょっと分からない。少し戸惑っていると、また刹那さんは口を開く。
「陸上。中学の頃はやっていたじゃないですか」
「ああ、そういうこと…」
ここでようやく得心がいく。彼女の言いたいことがようやく分かった。
「してないよ。そもそも向いていなかったしね。高校では部活に入る気はなかったんだ」
刹那さんが言いたいのは、高校では部活を続けないのかということだろう。
それに対し、僕はNOと言うしかない。そもそももう二年だし、今更だ。中学の頃だって、強制入部の癖に文化系の部活が吹奏楽部しかなく、体も弱かった僕は緩いと噂になっていた陸上部に籍を置いていたにすぎない。
それでも休みがちだったから先輩や後輩からはあまりいい顔をされなかったし、仲の良かった数少ない友人は別の高校に進学してしまった。そういう意味でもあまりいい思い出のある部活動ではなかったのだけど…
「そうですか…」
「えと、なにか」
なにかまずいことを言ってしまっただろうか。中学の頃も同じクラスだったというなら、当時の僕のやる気のなさは知ってるかもしれないし、彼女なら察しがつくかもと思ったんだけど。
「いえ、ただ…」
刹那さんは一瞬、息を呑んだ。そして何故か窓へと顔を向けてしまう。
「凪くんの走る姿、嫌いではなかったので」
刹那さんがどんな顔をしているかは分からない。
だけど視線の先にある窓の外には、ただ青空だけが広がっていた。
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