第6話 私の幸せ
「凪君。どう、美味しい?」
「うん、やっぱり楓は料理が上手いよね。すごく美味しいよ」
それを聞いて私は密かに胸を撫で下ろしていた。
炒飯は凪君の得意料理だったし、彼のお墨付きをもらえたのなら一安心。
ちょっと不安ではあったから、練習をしていて本当に良かったと思う。
「なら良かった。おかわりあるから、たくさん食べてね」
少食なのは知っているから無理はして欲しくないけど、これはお約束のようなもの。料理を作る人なら一度は言ってみたい言葉だもの。
それが好きな人相手なら尚更だと私は思う。凪君は少し困ったように笑っていた。
「楓が作ってくれたんだもの。もちろん食べるよ」
それを聞いて、胸が自然と暖かくなる。来てよかったとそう思った。
「ありがとう、凪君」
好きな人とふたりで穏やかに過ごせる時間。
それは私にとって、なによりも大切なものであったから。
私は今、自分の家ではない、だけどある意味それ以上によく見知った幼馴染である彼の家で、向かい合って夕食を食べている最中だ。
私の親は海外に出張中で家におらず、凪君のご両親は仕事で帰りが遅くなることがよくあるため、こうしてふたりでご飯を食べることは珍しいことじゃないけれど、最近はご無沙汰であったためこうして間近で凪君の顔を見るのは久しぶりだった。
(うん、やっぱり凪君はかっこいいな)
こうして正面から凪君の綺麗な顔を見るのは、密かに楽しみのひとつになっている。
幼馴染の、ううん、ちょっと違う。
これは彼女としての特権。誰にも譲りたくない、私だけの権利だった。
誰もいないふたりきりの空間。聞こえてくるのは食器の擦れる音と、僅かな相手の息遣い。
同い年の男女のみで食べるご飯というのは人によっては居心地が悪く感じるかもしれないけど、私には多くの友人に囲まれて過ごすお昼休みの時間より、安らげる場所だった。
馴染むというか、ここが自分の居場所であるとはっきりと分かるのだ。
これはきっと理屈で説明できるものじゃないと思う。
誰よりも長く、一緒の時間を過ごしてきた、私にとって一番大事な人がそこにいる。
それだけで私の心は満たされていく。私はこの人が好きなのだと、心からそう思えた。
だから今の私はとても上機嫌だったりする。好きな人に手料理を食べてもらい、美味しいと言ってもらえて不機嫌になる女の子がいるのだろうか。
そのために頑張っているのだし、私には喜びしか沸いてこない。
実は彼に料理を食べてもらう機会はほぼ毎日あるのだけど、その時は凪君のお母さんであるおばさんが張り切っているため、私だけの料理とは言い難い。
最近は放課後になるとクラスの友人に誘われることが多く、帰りが遅くなることがよくあるので、先に帰宅した凪君がご飯を食べ終わっているのが内心不満だったりする。
凪君はそれでいいのと、聞きたくてたまらなかった。
断りきれない私が悪いのは百も承知だし、凪君は人が多く集まる場所が苦手なことは分かっているから責めることはできないけど、正直寂しさがある。
私はもっと、凪君と一緒にいたいのに。
口には出せないけど、わかって欲しかった。
私の気持ちを、大好きな人にだけには見抜いて欲しかった。
それはワガママだって、分かっていた。伝わるはずがないことも、私には分かってしまっていた。
私は凪君とふたりきりで過ごす時間が大好きだ。
一緒にいるだけで心が満たされていく気持ちになるし、それだけで幸せだった。
だから凪君も私と同じ気持ちだったら嬉しいのだけど…最近は少しづつ、不安な気持ちのほうが大きくなってしまっていた。
それは私の気のせいかもしれない。ただの勘違いなのかもしれない。
だけど、なんとなく、本当になんとなくだけど、凪君から避けられているように感じる時があるのだ。
なにかがズレ始めているような気がして、だけどそれがなんなのかが分からない。
最近はそのことで悩むことが多くなり、夜中に起きてしまうこともたまにある。
震えから思わず自分を抱きしめてしまったこともあったくらいだ。
嫌が応にも、私の中に不安が積もり始めていた。
中学の頃の私たちはいつも一緒に行動していた。小学校のときもそう。私たちはそれまでずっと同じクラスで、離れたときなんてきっと片時もなかったと思う。凪君はもう私の半身のような存在で、側にいてくれるのが当たり前になっていた。
だけど、一緒に合格できた高校で私達は離れ離れになってしまった。クラスが別になってしまったのだ。凪君のために頑張ってきたこともあって、それはとても残念だったけど、クラスメイトの人や友達にはたくさん褒めてもらえて嬉しい気持ちになったことを思い出す。
私はあまり人に褒められることがなかったから、つい舞い上がってしまったりもしたっけ。誰かの期待に応えたいと、自然とそう思うようにもなっていた。高校生になって、私は確実に変われたのだと思ってる。高校デビューっていうのかな?多分私は、それに成功することができていた。
それまでの違う交友関係。小学校から中学校と、長らく続いていた私たちの関係は着実に変わっていったし、それぞれがこれまでと違う行動することも多かった。凪君の友達がどれくらいいるのかも、私はちゃんと把握できていない。
…教えても、くれていないから。
それでも連絡は頻繁に取り合っていたし、放課後やお休みの日にデートに行くことだって普通だったのだ。
僅かに浮かび上がった寂しさも、友達が埋めてくれていた。だから私は大丈夫、ずっとそう言い聞かせてここまできたんだ。凪君に迷惑をかけたくなかった。凪君に、私はずっと助けられてきたのだから。
そんな私の祈りが通じたのか、今年はやっと一緒のクラスになることができていた。
私はとても嬉しかったし、これで中学の頃のように教室でもまた一緒にいられると思っていたのに、何故かそうはならなかった。私の周りにいるのは高校生になってからできた友人と、あきちゃんを始めとした中学の頃の友達ばかり。そのなかに凪君はいない。私たちの輪の中に、彼は入ってこようとしなかった。
凪君は人見知りをするところがあるから、まだクラスに馴染めていないのかもしれない。
気付いたら凪君はひとりでどこかに行くことが多いように思えたし、これはきっと時間が解決してくれるはずだと思ってる。
だけど、どうしても気がかりなことがある。
それは気のせいなんかじゃきっとない。
今日もそうだったけど、凪君は用事があるからと、私を置いてひとりそそくさと帰ってしまった。
私は、凪君の彼女なのに。
その後ろ姿はまるで、私から逃げていくようで――
(違う)
生まれた考えは即座に否定した。
そんなことはない、きっとたまたまだ。
凪君には本当に急ぎの用があったんだよ。うん、きっとそう。
それに不安なら、今聞き出せばいいだけの話。
だってほら。手を伸ばせば頬に触れられる位置に彼はいる。
凪君はそこにいるんだ。逃げたりなんかしない。
なにをしていたのか聞けば優しい凪君のことだ。きっと素直に答えてくれると思う。それでなにも問題ないことを確かめたら、不安だってすぐになくなる。
今日の夜は、きっとぐっすり眠れるだろう。
「……ねぇ、凪君」
「ん?どうしたの、楓?」
そう、だから――
「そろそろお皿片付けようか。おばさん達のぶん、冷蔵庫に入れてくるね」
口から出てきたのは、まるで違う言葉だった。
私は席から立ち上がる。凪君の顔は、見れそうにない。
「そうだね、僕が食器を洗うから、楓はラップをかけといてくれる?」
「うん、分かった」
…分かってる。私はきっと、臆病なんだ。
凪君の口から、聞きたくない言葉が出てくるんじゃないかって思うと、すごく怖い。
大好きな人から違う女の子の名前が出てきたらと思うと、不安で不安でたまらなくなる。
凪君から拒絶されるのが、私はとても怖いんだ。
だから誤魔化した。いつだってそう。私は、人から嫌われることを恐れている。
それはきっと、誰でももっている感情。私の場合、人より少しその割合が大きいんだと思う。その釣り合いを取るためなのか、欲というか、満足できるものが人並み以下であったのは幸運だった。
私は私を好きでいてくれて、私が好きな人と同じ気持ちであれたなら、ただそれだけで幸せなんだ。
だから、私には凪君がいればそれで良かった。
それがふたりきりの狭い世界だったとしても、静かに過ごせればそれで満足。
他にはなにもいらないと、私は本気で思っていた。
でも、あるきっかけがあった。それで少しだけ欲が生まれた。
好きな人に少しだけ背中を押してもらい、少しだけ変わりたいと思ったのだ。
それからはトントン拍子に、なにもかも上手くいったと思う。
何人も友達ができたし、綺麗になったと言ってもらえた。
凪君もそう言ってくれたし、彼の好みに近づけたのなら、すごく嬉しい。
凪君には、私の綺麗なところだけを見て欲しかった。
弱い自分なんて、見て欲しくない。
そうすれば、きっと私のことをずっと好きでいてくれて、ずっと一緒にいてくれると、そう思ってた。
でも、このままでいいんだろうか。本当にこの考えは、正しいんだろうか。
私はなにかを間違えているような気がしてならない。でも、その答えがわからなかった。
教えてくれる相手は目の前にいるのに、教えを請うことなんてできないからだ。
私はどこまでも臆病で、答えを知るのが怖かった。
「お休みなさい、凪君。また明日」
「うん、また明日」
結局胸にモヤモヤを残したまま、私は帰りの挨拶を彼と交わしてしまう。
凪君も短い挨拶をしてくれると、扉を閉める。そのまま鍵の音がカチャリと響いた。
送っていって欲しい、なんてことは言わない。
私の家はすぐ隣。目と鼻の先だ。走れば一分もかからない距離をエスコートされても、申し訳なさが勝ってしまう。こういう時、幼馴染であるのはちょっとだけ難点だと思う。
これはたまたまそうなったというわけではなく、元々仲の良かった私たちの両親が、揃って家を購入したんだとか。
私達が幼馴染であることは、最初から約束された仲であったということであり、内心運命を感じていたりする。
神様がいるというのなら、私はすごく感謝したい。
おかげで凪君とはたくさんの思い出を共有できた。
恋人にも、なれた。彼のおかげで、たくさんの友達にも恵まれた。
みんながみんないい人ばかりで、凪君ともきっと仲良くなってくれると思う。
私の大好きな人のことを、みんなにも好きになってほしい。これが今の私の望みだった。
だからきっと、これ以上なにかを望むのは、きっと贅沢なことなのだろう。神様も許してくれないはずだ。
彼のことをもっと知りたい、私を安心させて欲しいなんて、そんなことを言ったら、きっと罰が当たっちゃう。
「そう。私達は、このままでいいんだ」
きっと大丈夫。なにも問題なんかない。
そう思って、すぐにたどり着いた家の鍵を取り出そうとカバンを開けたとき、カバンに入れたままだったスマホが点滅していることに気が付いた。
「誰だろ。あきちゃんかな…?」
一番連絡を入れてくる友人を頭に描きながらスマホを取り出しタッチすると、そこに表示されていたのは全く別の人の名前だった。
「高山くんかぁ。そういえば、悪いことしちゃったかも」
高山恭司たかやまきょうじくん。
一年の頃のクラスメイトで、確かサッカー部だったと思う。
爽やかなルックスで人当たりもいいし、クラスの人気者だった彼とは同じ委員長という間柄から、凪君を除いたら一番仲が良かった男子だ。
久しぶりに遊べる時間が取れたからと、彼も今日のカラオケに参加していたのだが、あまり話すこともせず帰ってしまったのは少しだけ罪悪感のようなものがあった。
SNSを通したメッセージにも、私と同じく話せなくてちょっと残念だったという旨の文章が乗っていた。次があったらよろしくともだ。
相変わらずマメだなぁと、ちょっと苦笑してしまう。
「とりあえず返事を返しておこうかな」
そのままいつも通り短い文章を作り、返事を返そうと思ったところで、手が止まった。
「……男の子の気持ち、かぁ」
本心では、私は凪君の気持ちが知りたい。だけど、それを聞くことができない。
誰かに相談もできずにいたけど、高山くんになら聞いても大丈夫なのではないかと、ふと思ってしまったのだ。
普段ならそんな考えは浮かばないし、魔が差したというべきかもしれなかった。
凪君と高山くんではタイプが違うし、参考にならないかもしれないけど、彼は口が堅いことは一年間同じクラス委員長として過ごしてきた経験から分かってる。
彼なら信用に足りる相手だと思ったのだ。
私には凪君がいるから男の子とは意識して距離を取るようにしてるけど、これくらいならきっと大丈夫。
ネットを通じての相談だし、たとえ漏れたとしても特に痛い情報でもない。
私と凪君が付き合っていることは多くの人に知られているみたいだし、問題ないと判断していた。
だけどそれはきっと言い訳。自分の都合のいいように、いつの間にか私は私をごまかしていた。
無意識のうちに焦りがあったのか、それは私にも分からない。
――ねぇ、高山くん。ちょっと相談したいことがあるんだけど、いいかな?
だけど、気持ちだけは確かに本物で
その時の私は、ただ凪君のことを想って、その文章を送信するべくタップした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます