学園のアイドルとの恋が、ハッピーエンドとは限らない

くろねこどらごん

プロローグ

第1話  高嶺の花の彼女と凡人な僕

―――別れよう。僕じゃやっぱり無理だったんだ








最近はよくそんなことを考えるようになっていた






それは間違いなく、身の程知らずの恋だったから
















なぎ君、帰ろう?」






その日の授業が終わり、帰り支度をしていた僕のところに、ひとりの女の子がやってきた。






その子の名前は白瀬楓しらせかえで。背中まで流れる黒のストレートヘアーを赤いリボンでまとめた、優しい笑顔の似合うとても綺麗な女の子だ。




街を歩けば多くの人が彼女を見て振り返るだろう美しい容姿。事実、今も部活に向かう生徒を除き、放課後の教室に残るクラスメイトの注目を一心に集めている。






彼女はただそこにいるだけで自然と目が惹かれてしまうような華があった。




その存在感のある佇まいはまさに高嶺の花だ。本来なら僕のような凡人がいくら手を伸ばしても到底届かない。そんな気持ちにさせられる女の子が、未だ自分の席に座り続ける凡人へとにこやかに話しかけてくる。




きっとそれは、似つかわしくない光景であることだろう。明らかに僕は楓という花に釣り合ってなどいないのだから。








ならなぜ彼女が僕に話しかけてくるのか。その理由はひどく単純なもので、楓が僕の幼馴染でもあり、同時に彼女であるという、ただそれだけのものだった。








(こなくていいのに)








僕のように友達の少ない普通の生徒なら、話しかけられるだけで舞い上がるような美少女。そんな楓と付き合って彼氏という関係にあり、帰りの誘いまでされているというのに、僕の心は曇っていた。








「…僕はいいよ。寄りたいところがあるんだ。悪いけど、今日はひとりで帰るから」








彼女に対する罪悪感と、自分への嫌悪感がごちゃまぜになり、言い終えた後は彼女を見ることなく目を伏せた。




僕の小さな、だけど明確な拒絶の言葉に、小さく息を飲む音が耳まで届く。




その音はきっとすぐ近くにいる僕にしか聞こえなかっただろう。だから僕も聞こえなかった振りをする。バレているかもしれないが、構わなかった。そのほうがあるいはいいんじゃないかと、そんなことまで考えてしまう。




だけど僕の思いとは裏腹に、楓はすぐに気を取り直したようで、明るい声で改めて話しかけてきた。






「それなら大丈夫だよ。私も用事はないし、今さら気を遣わなくてもいいじゃない。凪君との久しぶりのデートだと思うと、むしろ嬉しいかも」






それはきっと、彼女なりの気遣いだったのだろう。無理矢理取り繕った感は否めないが、それでも彼女なりの精一杯の好意が確かに伝わってくる。




それと同時に、僕へと突き刺さる多くの視線も肌で感じ取っていた。






その視線には彼女とは真逆の感情が篭められている。敵意だ。彼らは僕を排斥したがっていた。






―――空気読めよ、早く帰れ






―――お前、自分が邪魔なんだってわかってるだろ






彼女以外のクラスメイトがこんな考えを抱いているだろうことが、手に取るように分かってしまう。


既になれたことだった。分かってる。分かってるよ。






僕は一度目を瞑り覚悟を決めると、楓に向かって笑いかけた。






「ごめん、今日はひとりで行きたいんだ。そのうち埋め合わせするから。本当にごめん」






僕は周りが期待している通りの言葉を吐き出した。これでいいんだろという内心を、密かに押し殺して。






「え、でも…」






もちろん楓はこれに異を唱えるだろう。彼女は眉を潜め、僅かに表情も曇らせる。


それを見ると、心が痛んだ。だけど、既に流れは変わったのだ。




僕は彼女の誘いを断り、それに応じるつもりはもうなかった。なら、これからどうなるかは、もう決まっているのだから。






ガタリと、複数の席を立つ音が大きく響く。それが合図だった。


待ってましたとばかりに、困惑する彼女の周りにクラスメイトが集まりだしたのだ。






「いいじゃん、楓。藤堂もこう言ってるんだからさ」






「そうだよ。ね、今日はカラオケいこ?五組の高山くんもくるって言ってたし、絶対盛り上がるって!」






矢継ぎ早に声をかけているのは楓を中心とした、俗にいうリア充グループのメンバーだ。


今も女王蟻に集う蟻のようにワラワラと、僕の彼女を取り囲む。




「あの、私は今日は凪君と…」




困惑する楓。だけど普段よく話す彼女達を邪険にすることはできないのだろう。


会話に気を取られ、楓の意識が僕から逸れる。


そのタイミングを見逃す術はない。僕は素早くカバンを手に取り、席を立った。






「じゃあ僕は帰るから。楓、また明日」






「あっ、待っ…」






そのまま僕は真っ直ぐ出口まで歩いていく。それを邪魔するものはおらず、むしろとっとと出てけとばかりに道が開かれる。言われなくてもさっさと出てくよ。






楓はそんな僕に気づいて追いかけてこようとしたようだが、僕とは逆に取り巻きが壁となり、身動きが取れないようだ。クラスメイトの無駄な連携プレーには苦笑するほかないが、それに有り難みを感じている部分も確かにあるため口にすることはない。楓ともどもそのまま教室に留まってくれることを切に願う。






「……疲れたな」






後ろ手で教室のドアを閉め、僕はようやく一息ついた。


廊下を歩く人はまだまばらだが、いつ話のまとまったリア充グループが出てくるかも分からない。さっさと帰ったほうがいいだろう。これ以上目をつけられるのはゴメンだ。






一度大きくため息をつき、僕は玄関に向かって歩き出す。最近はずっとこんなことの繰り返し。ひとりでの下校にはもう慣れつつある。






本来隣を歩いていたはずの幼馴染を置き去りにし、僕はリノリウムの床を叩いた。


















僕には幼馴染がいる。




白瀬楓という、同い年の女の子だ。




楓は道を歩けば誰もが振り向くほどに容姿端麗。天使のような性格にコミュ力抜群、さらにはスポーツ万能成績優秀という、フィクションの世界から飛び出してきたかのような、完璧という言葉すら生ぬるいほどの少女だ。






天は二物を与えずというけど、神様に愛されて生まれてきたとしか思えないほど、彼女は全てを持っていた。








それに対して、僕はどうだろう。


勉強はそこそこ。運動は並以下。昔は病弱であったせいか、体力にも自信はない。




顔に関しては…まぁ、そこまで悪くはないと思う。中性的な顔とはよく言われるが、褒められている気はしなかった。




少なくとも楓に恥をかかせない程度には身だしなみには気を遣っているけど、身長も平均より少し下くらい。女子としては少し高めの楓と、目線もそこまで変わらない。


趣味や特技もあるにはあるが、それも別に人に誇れるようなものではなかった。




ようはどこまでいっても僕は凡人の域を出ない人間。RPGでいう村人A、現実でもそこらへんにいる、ごくごく普通の一般人であるわけだ。






楓が主人公であるなら、僕は物語にすら関わらない通りすがりの脇役。








彼女を光とするなら、僕は影にすらなれない、誰の目にも止まらない染みのような存在だろう。






学内カーストでも彼女は当然トップクラス。僕はかろうじてぼっちを免れる程度の交友関係しか持たない下層カーストの住人。






ざっと上げ連ねただけでもこの差である。釣り合っていないにもほどがあるというものだろう。




だからクラスメイトに邪険にされるのにも、納得はしていた。彼らからすれば僕のような人間が学園のアイドルである楓と恋人であるなど、目障りで仕方ないことだろう。






――たまたま白瀬さんの幼馴染だからって理由で恋人になれたからって、調子にのるなよ






実際に面と向かってこんなことを言われたことがある。


それに僕は反論することができなかった。






楓と幼馴染であるという運に恵まれただけで恋人に収まったずるい人間であることなど、僕が一番よくわかっていたのだから。






楓に告白したのは中学の頃。好きになった理由も楓の優しさに惹かれたからという、ごくありふれたものである。






それでも当時の僕は間違いなく本気であったし、心から楓と一緒にいたいという思いが僕のなかに確かにあった。だから意を決して玉砕覚悟で告白という選択を選んだのは、きっと必然だったんだろう。


幼馴染である関係を壊すことへの恐怖も確かにあったが、僕は楓とその先へ進みたかったのだ。幼馴染という関係では、僕はもう満足できなかったのだと今では思う。






―――ありがとう。私もずっと好きだったんだよ






だから楓が涙を流しながらも僕の気持ちを受け入れてくれたときは、本当に嬉しかった。


慌ててしまい、あたふたする僕を見て笑う楓に釣られて、僕も笑ってしまうくらいには、その時の僕らの気持ちは確かにひとつだったんだ。




これからふたりで歩いていけると、そう思ってた。








中学の頃の楓は、今ほどではないけどそれでも美少女として有名であり、成績も優秀だった。そんな楓が当然放って置かれるはずがない。


男子の間で話題になるたび気が気ではなかったけど、彼氏になれた後はむしろそんな彼女を持てたことが誇らしかった。






後から知った話だが、楓に浮いた話がなかったのは僕以外の男子とは距離をおいていたことが原因のようだ。


元々楓は社交的というわけではなく、どちらかというと僕のように内向的な性格であり、積極的に誰かとコミュニケーションを取りたがるタイプじゃない。




だからこそ僕と気が合っていたわけだけど、男子相手だとそれが特に顕著らしく、僕と他の男子では露骨に対応が違うと友人に冷やかされたことを覚えている。




あの時はからかわれたことが恥ずかしかった反面、心の底では優越感があったことも確かだった。




僕が楓の特別なのだという事実が、僕の自尊心を満たしてくれた。






だからだろうか、その時の僕は明らかに調子に乗っていた。


僕は楓の特別であるという思いが、僕に周りを見えなくさせていたのだ。












ある時期を境に、楓は変わった。










以前よりさらに綺麗になった。






以前よりさらに多くの人の目を惹きつけるようになった。






以前よりさらに多くの人が楓の周りに集まるようになった。






楓は短期間で誰もが認める学内カーストのトップに上り詰め、皆が楓に注目するようになっていた。




そしてそれは、高校まで続いている。楓はいまや誰もが認める学園一の美少女であり、カーストの頂点にいるといっても過言ではないだろう。






僕も最初は嬉しかった。




なにせ楓が変わるきっかけを作ったのは、ほかならぬ僕自身だったのだから。








きっかけは些細なことだった。




中学の三学期、冬の寒さに耐えながら、卒業を意識し始めた頃の帰り道でのことだ。




既に僕らは同じ高校に進学しようと決めていたし、勉強も楓に見てもらい充分合格圏内であるとのお墨付きをもらっていた。そのこともあり精神的な余裕もあったことから、それなりに話も弾んでいたことをよく覚えている。








―――綺麗だな








僕のくだらない話でも楽しそうに笑ってくれる楓の姿があまりにも綺麗に見えたものだから、ついそんなことを僕は口走ってしまっていた。




今なら間違いなく頭を抱えてしまうような、飾り気のない素直な言葉。








―――え?凪君、今なんて…








それをスルーしてくれれば良かったのに、楓は食いついてきてしまった。




頬も紅潮していたが、明らかに寒さが原因ではないだろう。きっと次の言葉に期待している。それが分かってしまったものだから、僕は気恥ずかしさと照れ隠しから、こんなことを言ってしまったのだ。








―――い、いや、もっとオシャレに気を遣ったら楓ならもっと綺麗になるんじゃないかなって。ほら、もうすぐ高校生になるしさ。高校デビューとか、してもいいんじゃないかな








本当に、何気ない一言だったと思う。




別にそうなって欲しかったわけじゃない。咄嗟に出た誤魔化しの言葉だったし、楓は今のままで僕にはもったいなさすぎるほどの彼女だった。




僕はただ、楓がそばにいてくれるだけで、充分幸せだったのだから。








―――凪君は、そのほうが嬉しいの?








楓はしばしの間、僕の言葉を反芻するように目をキョトンとさせていたが、やがてニコリと笑顔を見せるとこう言った。






その笑顔が、生まれた時からの長い付き合いのある僕でさえ見たことのないような、とても綺麗な笑顔だったから。






―――えっと…うん。そう、だね






僕は頷いてしまったのだ。それがどんな意味を持つことになるかも、知らないままで。








―――わかったよ。私、頑張るね








そう言って楓はまた笑った。






肌寒くて粉雪が舞う夕方の路上には似つかわしくない、穏やかな笑みだった。












思えばこれが、僕と楓の決定的な分岐点だったのだろう。








これは僕、藤堂凪とうどうなぎという主人公になれない凡人が、決定的に間違えてしまったおはなし。








それは結局どこまでいっても、身の程知らずの恋だった

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