異世界の地底都市【因果変質領域2】

青葉台旭

1.ショクシュさん

『学校の七不思議』を本気で怖がったり面白がったりするのは小学生までだろう。

 高校生にもなれば空想と現実の分別くらいできる。だから『学校の怪談』だの『七不思議』だのという子供っぽい噂話のある高校は少ないと思う。

 僕の通っていた高校には、生徒なら誰もが知っている怪談が一つだけ有った。

 いわく「夜中、何らかの事情で学校に居残っていた生徒が、廊下で赤いスカートを履いた小学三・四年生くらいの少女に出会う。少女はこちらを見て『おいで、おいで』という風に手招きをする。生徒が少女に近づくと、少女は廊下の奥へ逃げる。生徒は追いかけるが、なぜか追いつけない。そして、いつの間にか自分が化け物だらけの異界に迷い込んでいる事に気づく」

 ……と、まあ、こんな感じの怪談で、高校生の間で語り継がれているにしては何のひねり無い。

 今どきの小学生なら、もう少し凝った話を作るんじゃないか。

 そもそも、この手のいわゆる『学校の怪談』は、いちおう実話という体裁であるにも関わらず『理科室の人体模型が被害者の血で真っ赤に染まる』風のショッキングで映像的なオチを取りがちだから、高校生たちを本気で怖がらせる程のリアリティを持っていない。

 そんな猟奇的な事件が現実にあったのなら、マスコミの記録にも人々の記憶にも必ず残っているだろうに……と思わずにはいられない。

 この『ショクシュさん』と呼ばれる怪談だって、そうだ。

 連れ去られた先が『異界』だろうと何処どこであろうと、そんなに何人もの生徒が一つの学校から行方不明になっているのなら、マスコミが騒ぎ立てない訳がない。

 それに加えて、異界に連れ去られ二度と戻って来られないのなら『自分が化け物だらけの異界に迷い込んでいる事に気づく』というくだりは誰から聞いた話なのか……という矛盾点もある。

 もちろん大部分の生徒は『ショクシュさん』なんて与太話、これっぽっちも信じてなかっただろうと思う。

 高校に通っていた頃の僕だって、そうだ。

 噂話としては聞いていたけれど、とても本気には出来なかったし、興味も無かった。

 いま僕は『高校に通っていた頃』と書いた。

 そう……過去形だ。

 もう、あの平和で平凡な学生生活に戻ることは不可能だと覚悟している。

 万に一つ、『夜叉護やしゃご財団』とかいう組織の人たちが、僕らを助けにこのに来てくれたなら再びあの日常を取り戻せるかもしれないが。

 少し先を急いでしまった。

 順番に、最初から書こう。


 * * *


 僕の名は、柱飛はしらと健太郎けんたろう。十七歳。

 親しい友人からは『ケンタ』って呼ばれている。

 日本全国どこにでもある中規模地方都市の、いちおう進学校ということになっている私立高校に通っていた。

 学校の成績は可もなく不可もなく。

 父親は地元の銀行に勤めるサラリーマン。母は市役所の職員。

 まあ要するに『平凡』を絵に書いたような高校生という訳だ。

 強いて自慢できる部分があるとすれば、他の高校生より体格ガタイが大きく、運動部に所属していない割には運動神経が良い事くらいだろうか。

 それと……別に自慢できる事でもないが、家系は少し特殊かもしれない。

 僕の生まれた柱飛の家系は、かつてこの地方を治めていた領主に剣術指南役として代々仕えていた。

 柱飛流と呼ばれるその剣術は、明治維新以降も僕ら一族に受け継がれた。

 四歳年上の兄と僕も、幼いころから祖父に剣術を習った。箸の使い方より先に剣の振り方を覚えたくらいだ。

 いずれ兄は一子相伝の奥義を得て、柱飛流剣術の伝承者になるだろう。

 次男である僕には兄貴ほどの責任が無かったけれど、それでも中学を卒業するまでは祖父から厳しい指導を受けた。


* * *


 高校二年生に進級して一ヶ月半ほど経ったある木曜日の事だ。

 夜七時少し前、僕はバックパック型の防具袋を背負い自転車を漕いで学校に戻った。

 僕はどの部活動にも所属していない。いわゆる帰宅部だ。

 平日は授業と掃除が終わればぐ家へ帰るし、練習のため休日登校する必要もない。

 ただ毎週木曜日だけ、僕は一旦いったん家に帰って、夜七時に再び剣道具を持って学校へ戻る。

 小学校からの同級生、蟹岩かにいわ祐司ゆうじと剣道の地稽古をするためだ。

 玄関で靴を履き替え、体育館と渡り廊下で繋がった剣道場へ向かう。

 道場の前で、稽古を終えて出てきた部員たちと挨拶を交わした。

 もちろん僕は剣道部の一員ではないが、部長である蟹岩の知り合いという事で、剣道部員からは一目置かれる存在だった。

 道場に入ると、いつも通り、蟹岩祐司は防具と面を付けたまま真ん中あたりに正座していた。

 僕を見て、ひとこと「来たか」と言った。その声にうなづいて返し、防具を付け、蟹岩と正対する。

 礼をして構え、僕らは稽古を始めた。

 僕と蟹岩は、毎週木曜日の夜七時から八時まで学校の剣道場で二人きりの地稽古をする。正確に言うと稽古そのものは四十五分程度で、それから道場の掃除をして制服に着替え、八時までに校舎を出る。これが僕と蟹岩の、木曜夜のルーチン・ワークだった。


 * * *


 ここで少し、僕と蟹岩との関係を説明しておこう。

 僕らは同じ学区に家があり、小・中と同じ学校に通った。たまたま同じ高校を志望・受験し、二人とも合格した。

 小学校から高校までずっと同じ学校とは言っても、実は小・中を通じて同じクラスになった事が一度もなく、中学までは特に親しい友人でもなかった。

 高校一年で初めて同じクラスになり、休み時間に話す機会が増えて、彼が剣道部を復活させようとしていると知った。

 十年前までは僕らの高校にも剣道部があったらしいのだが、部員不足で廃部になったと聞かされた。

 蟹岩は、その剣道部の活動を再開させるべく同志を募っている最中だと説明した。

 当然のように、僕も勧誘された。

 現代の日本で柱飛はしらと流なんて剣法を知る者は、僕ら家族くらいのものだろう。蟹岩が僕の家系について何かを知っていたとは思えない。

 彼が僕を勧誘したのは、単に体格ガタイの良さと体育の授業で見せた身のこなしの良さが理由だろう。

 僕は「高校を卒業したら東京の大学に進学したいと思っているし、自分は頭の良い方じゃないけれど、それでも出来るかぎりは上の大学を狙っていきたい」と言って断った。部活動ではなく勉強に専念したい、と。

 その時は蟹岩も「そうか」とうなづくだけで、強いてそれ以上の勧誘をして来なかったのだが、しばらくして「とうとう正式に部としての活動が認められたから、一度、練習を見に来てくれ」と言われた。

 まあ一度くらいなら、と思い、自前の防具一式持参で練習見学に行ってしまった。

 柱飛はしらと流の稽古で剣道の防具や竹刀を使う機会は無い。

 しかしある種の教養として、僕と兄は、爺さんからスポーツとしての剣道も教わっていた。だから自分専用の剣道具一式も持っていた。

 蟹岩は「ほう、多少は心得があるのか」と言い、僕は飛び入りで練習に参加する事になり、最終的には部長の蟹岩自身と地稽古をする所まで行ってしまった。

 正直に言って僕と蟹岩では技術に差があり過ぎた。まともにやっては稽古にならなかったから、手加減せざるを得なかった。

 その場にいた部員は、部長の蟹岩を含めて六人(我が校において、部として認められる最小人数)で、蟹岩以外は素人同然だったから、僕が手加減した事は気づかれなかったと思う。

 しかし実際に手合わせした部長には、僕の剣の腕が彼より数段上であるとバレてしまった。

 その日から再び僕に対する勧誘(それも熱烈な勧誘)が始まり、僕は固辞し続けた。

 最後の最後、諦めきれない蟹岩に「一週間に一度だけ、一時間で良いから個人的に稽古をつけてくれ」と言われ、まあ、それくらいならと承諾してしまった。

 僕らの高校では『平日の部活動は午後七時まで』と決められている。

 この門限が他の学校に比べて早いのか遅いのかは分からないが、部活動に熱中するような校風でもなかったから、門限ギリギリまで居残って練習する部はほとんど無い……というか、毎日七時まで練習にはげんでいるのは剣道部くらいのものだった。

 剣道部を立ち上げて早々、蟹岩は、一週間のうち木曜日だけ門限が緩くなる事に気づいた。

 この学校では、男性教師たちが曜日代わりで『最後の見回り当番』をする決まりになっていた。

 教師たちの中にも、時間に厳格な先生と、ゆるい先生がいた。

 キッカリ午後七時に生徒を追い出し校舎に鍵をかける先生もいれば、五分・十分の遅れは大した問題じゃないというスタンスの先生もいた。

 とくに木曜日当番の葛沼くずぬまという社会科教師は寛容だった。

 いちおう七時前後に一度見回りに来るのだが、「お前ら、程々にしとけよ」と投げやりに言うだけで職員室に戻ってしまい、八時を過ぎないと再度の見回りもしない。

 さすがに、八時過ぎの見回り時に生徒が居残っていれば「さっさと帰れ!」と怒鳴るらしいけど、逆に言えば、それまでは学校に居ても怒られることは無い。

 実質的には、葛沼先生が当番の木曜日だけ門限が午後八時になったようなものだった。


 * * *


 その木曜の夜、僕と蟹岩は七時五十五分に部室を出て正面玄関へ向かった。

 校舎の廊下を歩きながら、蟹岩が「ショクシュさん、って知ってるか?」と僕にいてきた。

「名前だけは知ってるよ」僕は思わず苦笑してしまった。「先輩から後輩へ代々語り継がれる『学校の怪談』ってヤツだろ? まったく我が母校も案外あんがい幼稚だなって思うよ。怪談なんて……しかも、小学三、四年の女の子の幽霊だって話じゃん……なんで高校に小学生の幽霊が出るんだっての」

 ……夜の校舎で、赤いスカートを履いた小学生の女の子が『おいで、おいで』と手招きをする……それに釣られて彼女を追いかけると、いつしか生徒はこの世ならぬ場所に迷い込み、二度と帰って来られなくなる……てか?

(バカバカしい)

 そう思いながら、蟹岩の顔を見た。

 蟹岩の表情は、暗く沈んでいた。

 とても冗談や軽口を言うような雰囲気じゃなかった。

「なんだよ……蟹岩、お前まさか、赤いスカートの少女だの異世界だのって与太話を真に受けてんじゃないだろうな?」

「俺、見たんだよ」

「は?」

「だから、その、赤いスカートを履いた小学三・四年くらいの女の子が俺に向かって『おいで、おいで』をするのを、見たんだよ」

「おいおい……蟹岩?」

 さすがに困惑した……というか、心配になった。

(こいつ、大丈夫か?)

 僕らは、廊下の角を曲がった。

「なんかの見間違いだろ? この校舎って案外、照明が暗いし……」となだめるように言う僕に対し、蟹岩は「見間違いなんかじゃねぇ!」と語気を荒げた。

「見間違いなんかじゃねぇ! だったら、あれは何だよ!」蟹岩が長い廊下の奥、突き当たりを指さす。

 その方向を振り返って見る。

 少女が居た。

 赤いスカートを履いた、小学三・四年くらいの少女が、『おいで、おいで』と手招きをしていた。

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