ふたりのいじわるな魔王さま

れい狐

一章 白黒の夢

プロローグ

 やわらかな銀光が揺らめく、埃っぽい部屋の真ん中。まるで時が止まってしまったかのようにしんと静まり返る一室で、一人古びた本のページをめくる。


 長机と椅子が所狭しと置かれているこの部屋は、学校の一角にある寂れた図書室だ。読書をするためにやって来る人を想って用意された筈の沢山の席たちは、使われることなく机の上に逆さまに乗せられ整然と並べられていて、何とも物悲しい雰囲気を漂わせている。きっと座ってくれる人を待つことに飽きたのだろう。木製の椅子の脚は、代わりに蜘蛛たちの住みかとなっていた。


 そんな寂れた空間を、自分はとても気に入っていた。何より、図書室の書架には、数え切れないほどの魅力的な物語たちが収められている。花の様に色鮮やかな背表紙で人の好奇心を誘い、いつか温かな手に取られ優しく自身を開いてくれる者が現れる瞬間を期待しながら、その時が訪れるのを静かに待つ本たち。目を惹かれる色合いを持ち、美しい模様が施され、一瞥しただけでも素敵な話だと確信できる様なタイトルの本たちに一つとして同じものはない。それは、まるで夜空に輝く星々の様で、この空間にいるだけでどうしようもなく心が躍るのだ。


 ……近くて、遠い、星の一つだ。


ここには、そうだ。輝かしい物語たちが棚いっぱいに隙間なく詰め込まれ、眩いまでにキラキラと瞬いている。


 けれど、君たちは違った。


「なんで……。どうしてなんだ……」


思わず嗚咽しながら、読みかけの色褪せた本をそっと長机の上に置く。机には、他にも数冊の本がある。先ほどまで読んでいた別の本たちだ。


 それらは本棚に収まることが叶わず、部屋のあちこちに忘れ去られた様に放置されていた可哀想な本たちだった。過去には疎らに訪れていたであろう図書室の利用者にすら誰からも見向きもされずに、ただ、ただ。長い時を永遠と無意味に生きてきた物語たちは、もう元の装丁も分からないくらいに半ば朽ちかけてしまっている。


「…………」


椅子から腰を上げ、手近な書架から適当な一冊に目を付けて見る。しっかりと作られた装丁の背に人差し指をかけて引き抜くと、ふわりと華やかな光を放っては表紙をめくることを催促してきた。


 はらり、はらりと。しなやかに、軽やかに、ページをめくる度に時は静かに流れていく。そこには、命の輝きが素敵な言葉たちで綴られていて、否応にも心を震わせられた。


「……君たちの夢は、なんなんだろう」


改めてぼろぼろになってしまった本たちを見やり問いかける。星々に囲まれた中で見る君たちの姿は、まるで夜闇に塗り潰されたかのように色を失っているように見えた。


 書架に散りばめられているのは夢だと、自分は思う。物語とは、人が夢を叶えるお話だ。そんな物語が美しくない訳がない。輝かしくない訳が、ないのに。


「……まるで、悪夢だ」


君たちの物語は酷く暗澹としていて、まるで救いがなかった。物語は登場人物が夢を叶えるまでの一部始終であるべきだ。それなのに、君たちは一人として夢を見てはいなかった。


 そんな君たちの前には、一縷の希望だ。ゆらゆら、ゆらゆらと。蜃気楼のように頼りなく揺らめく淡い光が、輝く星の代わりに一つ、それぞれの目の前にはあった。それを君たちは夢だと信じて疑わず、なんとか眼前の光に辿り着こうと縋り付くようにがむしゃらにもがいている。


「……違う。違うんだ。それは夢じゃないんだよ」


これしかないのだと。これだけが自分の希望だから、と。瞳に映った幽かな光を逃さないようにと、一心不乱に走り続けている君たちだけれど。それは、選べる道がたった一つしかなかっただけの話で、その先には求める幸せなど欠けらもありはしない。それなのに。いや、それでもと、君たちは強く強く手を伸ばし続けている。


 酷く意地の悪い夢を見ているような気分だった。人の夢と書いて儚いと読むけれど、君たちを見ていて、その通りだと思った。人はあまりに夢を見失い過ぎる。


 君たちはただ、他の子よりも夢を見ることに不器用なだけだった。理不尽にも逃れようのない悪夢を手渡されてしまっただけの、救われるべき子たちであるはずだった。


 しかし、ままならない。この子たちは本当の夢を忘れてしまい、訪れる不幸な未来を変えようとするでもなく、的外れな努力をしては、更に暗闇へとその身を沈めていく。それだと言うのに、自ら身を滅ぼそうとしているのに、だ。君たちは、物語の最後には、決まって幸せそうに微笑むのだ。


 嗚呼、腹が立って仕方がなかった。君たちに苦痛と孤独を押し付ける物語に。全てを知りながら、救いを与えずに無視を決め込んでいる冷酷な世界に。そんな君たちを放って日常を貪っていた自分が、どうしても許せない。


 叫びたくなるくらい、息苦しくて堪らなかった。この場で心臓を抉り出して握り潰せたなら、どれだけ良かっただろう。そうできれば、どれだけ幸せだっただろうか。


 けれど、それは決して許されないことだ。


「……待ってて」


机に並べた本たちを、その脆い身を崩してしまわないように優しく撫でる。


 これまでたくさんの本を読んできた。数々のハッピーエンドを見てきたつもりだ。だから、失敗はしないはずだと、自身の心を奮い立たせる。必ずやり遂げてみせるからと、そう一人決意し、君たちに約束をする。


「君たちに、これ以上ないってくらいの幸せな毎日を贈れますように」


耳が痛くなるほどの静寂に、呼吸の音さえ煩わしく思えて、そっと息を止めた。体にぐっと力を込めると、突然君たちの悲しい物語が脳裏に浮かんだ。あまりに惨い終わり方を思い出した途端、鮮烈な痛みが心に突き刺さり哭きたくなる。


「……溢してなんか、やらないからな」


瞳に、胸の奥に、溢れる大きな熱を必死に抑えつけながら、自分は筆を執るためのガラスペンに手を伸ばす。


「夢を諦めさせない」


夢は、必ず叶う。そうあるべきなのだと、強く想った。


君たちの不幸の一切を必ず消し去ってみせる。想像もできないほど大きな幸せで溺れさせてみせよう。君たちが幸せになることを誰も許そうとはしなくても、自分だけは君たちの味方でいると誓おう。


 ……だから、お願いだ。


「……お願いだから、…………下さい」


 濡羽色のインクにペン先をつけ、目の前に広げた悪夢たちを見据える。七冊ある本の一つを手に取り、インクを湛えたペン先を悲しみで溢れたページへと静かに下ろした。


 さぁ、”冒涜”を始めよう。幸せの”贖罪”を、始めようか。


 願わくは。この拙い筆が、自分の空っぽな言葉が、君たちの人生を明るいものへと変えられますように。

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