【第6話】帰宅妖堂



「本当だ」

 電気も通っていない真っ暗闇のなか、その壊れた自動販売機の横には目を凝らさなければきっと素通りしてしまいそうなほど道とも言えないような狭い隙間があった。

(他にもあったんじゃないの?)

 本当にこの道しかなかったのだろうか、と疑いたくなった。

「わざとこんな道しか教えなかったんじゃないでしょうね…」

 ぶつぶつ文句を言いながら体を横向きにしないと通れないほどの狭すぎる路地を行く。

 擦れるような鈍い痛みが肌に幾つも走っていくが引き返せない場所まで着ていたので最後は強引に隙間を抜けきった。

 そこはとある商店街の一角。

「え、ここって」

 見覚えのあっただけに開いた口が塞がらない。駅の改札口、亮平達の集まっていた本屋のすぐ近くに十夜は立っていた。不思議なことにあれだけ迷っていたのが嘘のよう。

「あ…スマホ!」

 鞄に入れっぱなしだった携帯の存在をすっかり忘れていた。起動させると眩しいくらいの液晶画面に【着信】の文字と【22:30】という数字が映し出された。

(もうこんな時間、さすがにもう帰ったよね)

 そう思って本屋のある一角を覗いた。そもそもこんな時間、あらかたの店舗は閉まっていて本屋も例外ではなかったし、制服姿の男達も当然いなかった。

 ふと、ショーウィンドに映る自分の姿が目に入った途端「ああああ!」と道行く人も振り返るほどの叫び声が上がった。

(せ、制服が!?)

 狭すぎる路地のツケだった。

 気付けば制服といわず頭の上から靴の先まで見事に汚れてしまっていた。

 こんな時間にすっとんきょうな声を出した制服姿の十夜にすれ違う人達に怪訝な顔をされ、恥ずかしさの中で慌てて汚れを落とし足早に商店街を抜け出した。


 ⁂


 しばらくして携帯の液晶画面に着信の文字があったのを思い出した。携帯を操作すると、そこには鬼のような着信履歴が並んでいた。

いちねえ?」

 分刻みでかかってきていた着信履歴には姉の名前と申し訳程度に兄と母の名前もあった。

 伝言メモに残されていたのも姉の声で。


 ピッ


「どこにいるの? 母さんも心配してるよ」


 ピッ


「一報くらいしなさいよ」


 ピッ


「いつまで遊んでるのさっさと帰ってきなさい!」


 徐々に口が悪くなる姉の一夜が心配する内容の伝言が残されていた。朝の出勤ぶりに聞く声に心底安心した反面、どうも嫌な予感しかしない。

「一件のメッセージを再生します」と何度も聞かされた自動再生の抑揚のない声のあと――

本気マジでいい加減にしろ怒るぞ十夜。とっとと電話に出るか、家に帰って――」


 ピッ


「あ」

 思わず停止を押していた。

 すぐ後ろに姉がいたような気さえしてぶるりと悪寒が走った。普段から低い声なのにたまにみせる本気で怒る時の姉の声はとはいえ、占いの結果と同等の恐怖だと思った。



 ブブブと突如耳元の携帯が震え出し、思わず携帯を取り落としてしまいそうなほど飛び上がった。

 液晶には【朝日兄ちゃん】の文字。

 姉じゃなくて良かった、と胸を撫で下ろしつつ通話を押した。

「お、やっと出た。お前どこにいんだよ」

 どこから話したらよいものか。そもそもどこからも話せないことに気付いた。

「ごめん色々あってさあ。こんな時間になっちゃった」

 今日のことを素直に話したところで信じてもらえるかどうか分からない。

「友達と話が弾んじゃってさあ、電話に気付かなかったんだって。今から帰るから本当にごめんって」

 嘘で誤魔化した。

「お前なぁ~…」

 耳元で呆れめいた溜め息が漏れたと思ったら「アホか!」と強く窘められた。

「そんな下手な嘘、誰が引っ掛かるか。お前も分別ある高校生こーこーせーならもっとましな嘘を吐けよな。特に心配はしてなかったから詳しくは聞いてやらないけどさ。久しぶりに夜仕事がないと思ったら一夜がすんげえ怒ってて訳を聞いたらこれだろ。……さすがに一報くらい入れてもよかったんじゃないか?」

 すごい心配してたんだぞ母さんも姉さんも、と朝日らしい遠回しな心配だった。

(そういえば兄ちゃんと話をするのはいつぶりだろう)

 仕事の関係で姉以上に家にいない朝日とする久しぶりの会話がまさか心配させる内容になろうとは。一夜と違い静かに怒る朝日は言っていたが心配させてしまったはず。

 嘘を吐いたことに素直に「ごめんなさい」と謝った。

「まあ別にいいけどさ、んで今どこ?」

「タコの公園過ぎたあたり、あのピエロのブランコがあるところね。だからもうそんなに時間はかかんないよ。あと。もうすぐ家に着くけどこのまま通話しててもいい?」

 近所の夜道は慣れている十夜だったが久しぶりの兄との電話にこのまま切るのが勿体ないと思っていた。

 しかし予想に反して朝日から深刻そうに「そうか…」どこか上の空だった。

「兄ちゃん?」

「よく聞け十夜。タコの公園過ぎたってことはここまであと五分くらいだな? 今は運よくが居ないから忘れないうちに言っておく。帰ってくるまでにもっとましな嘘か取り入る準備をしておけ、でないと…――」

 そこで朝日の声が途絶えた。


 そして


「アンタ…ドコニイルノ?」


 ヒイィィィィ!!!


 地を這うような声が聞こえた。朝日のスマホは略奪さられたらしい。代わりに電話に出たのは鬼コールをくれただった。

「サッサトカエッテ…って何、邪魔しないで――!」

 ガサ、ガサ、ガガカ、の音。

 次に聞こえたのは「ハア、ハア」と朝日の必死な息切れだった。スマホを取り返して家中を逃げ回っているのだと想像できた。

「に、兄ちゃん……?」

「…――い、妹よ」

 まるで遺言のようだった。

 それに朝日には自分の息切れで聞こえていないのか電話口からひた、ひたと足音が迫っていた。

「ハハ、まさか一夜が、あの白い仮面フェイスパックに乗り移られてしまうなんて。クッ…この家は見る影もない、母も、姉も、皆バケモノになっちまった。・・・ひい! ちょ、一夜、ちょ、待って。今のは冗談です! 口が滑って…だって皆して白い顔なんて怖いだろ! ちょ、母さんも笑ってないで止めろよ、俺は関係ない、ブツッ!」


 ツーツーツーツー


 消えた液晶をみた。

 ソッとポケットにしまい込んだ。

 家まで残り五分。

 それまでにどうにか頭を捻って一夜を誤魔化せる内容を練っておかないと。朝日の二の舞になる。

(ちょっとだけ遠回りしようかな)

 などと往生際の悪いことを考えたが素直に帰った方が傷は浅くて済むと十夜は知っていた。


 ○●○●


 一息吐いてお店のドアを押した。

 カラン、カラン、とドアに備え付けてあるカウベルが鳴った。

「おかえりなさい

 そう労ってきたのは朧だけで、十夜を追いかけてお店から出ていった状態と全く同じ状態でいる八花へと湯飲みを差し出していた。

 緋天は店内に客がいないことを確認して、肩の力を抜いた。

 首元のボタンを緩ませながら八花の隣に腰掛けた。

「あんなに脅かしてよかったんですか?」

 その目は先程のような鮮やかな翡翠の色ではなく、元々の色の黒。

「何の事?」

 惚けちゃって、と思いつつ緋天も朧から渡された熱いお茶をちびちび啜った。

「さっきのお客さんですよいいんですか帰して?

 ん~? とあからさまに考えるをした。

「いいんじゃない? 別に」

 八花の性格を知ってる身としてはいつものことなのだけど。

 このお店のモットーは【来るもの拒まず、去るもの追わず】これだから手に負えない。

 これでまた家計が、と言いたい気持ちをグッと堪え別のことを口にした。

「まあ……八花さんがそう言うなら別にいいんですけどね」

 湯飲みに目を落とすと濁った緑に茶柱が浮いていた。茶柱が浮くのは縁起のいいこと、らしい。

 無意識に睨んでいた眉間にエイッと自分よりもずっと細い指でつつかれた。指の主は勿論八花でニヤニヤとからかう笑っていた。

「やけにあの子が気になるみたいだね?」

「何がです?」

 少しぶっきらぼうにその指を返した。

「普段エセ紳士な緋天君に騙される可哀想な女の子ばかりなのに珍しいじゃない。手でも抜いた? それともあの子に惚の字なのかな?」

 とおどけたように聞いてきた。

「惚の字?」

「同性、異性などの他者に対して惚れているということですよ。好き、とも言い換えられますね」

 クツクツ笑っている八花の代わりに朧が淡々と説明した。

 意味を教えられ緋天の顔が遅れて赤くなった。

「ち、違いますよ。勘違いしないでください!」

 周囲のいたたまれない視線を誤魔化すように湯飲みに入っているお茶を煽った。

(苦ッ)

 クォーターの血のせいなのか、緋天はこの苦みがどうも苦手だった。

 飲みきった湯飲みを見ているうちに、ふと十夜との別れ際を思い出した。最後に十夜の背後にいたモノを思い出す。あれはまさしくだった。

(あの類いは結構陰湿で有名なのに)

 この人は分かっているのだろうか。

 いやきっと分かっているはずだ。

 だけど八花が動かないのには理由があるのも知っている。

(難儀な仕事だな)

 自由にみえて意外に制約の多いこの仕事に何度目かの溜息が出た。


 カラン、カラン


 再びカウベルが鳴った。

 まさか十夜が戻ってきたかと思って振り返ったがどうやら違うようだ。

「緋天、お客さん。今日はお客が多いね~」

 開け放たれたドアをろくに見ず他人事のように言う。

 店主がこんな態度普通では有り得ないのだろうが、ここが普通の店ではないからしょうがない。


 やれやれ考え事もろくに出来やしない


 客に見えないよう素早くボタンを止め合わせ少し皺の寄っていたシャツを払う。そして普段通りので普段通りの口上を述べた。

「いらっしゃいませお客様ですね、どうぞ中へ」

 誰をも魅了する営業スマイルを浮かべた緋天は、次なるお客様を店内に招き入れた。

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