【第2話】 喫茶店美形店員


 まるで迷路だ。十夜は自ら足を踏み入れた場所に思わず嘆息した。

 大きな通りを外れただけでまさかこれほど入り組んでいて複雑で、空気すらも澱んだ路地だと誰が思うだろうか。奥に行けば行くほど道幅が狭くなったり広くなったり、路上に落ちてる空き瓶やそれを入れていたであろう壊れたプラスチックケースが乱雑にされているなど。極めつけは壁にはいつから貼ってあるのは水着姿の女性の、色褪せたポスターにスプレーで書かれた落書きと見るだけで治安の悪さが見て取れた。

「……どこ、ここ?」

 まさか高校生になってまでこんなところで迷子になるなんて夢にも思っていなかった。がむしゃらに走ったせいで十夜は今いる場所を完全に見失っていた。もぶり返す。

「はぁ~サイテー」

 そう文句を垂れながら再び路地裏を彷徨った。



 路地裏といっても商店街のだ、そこまで広い筈はないとすぐに出れるものだと高をくくっていた。しかしいつまで経っても突き当りを何度曲がっても同じような景色に戻ってしまう。

(なんだかオカシイ)

 まるで同じところをぐるぐる歩いているような感覚にさえ思えてくる。表の大通り沿いにある活気ある商店街の裏側だとしても流石にオカシイと思い始めていた。

 それに夜が更けたといってもまだ人通りのある駅近くの路地裏なのにやけに静かだ。静がすぎる。

 道を聞こうにも人っ子一人歩いていないし、擦れ違わない。

「あ」

 もしかしたら一生出られないのかと思い始めた矢先、ようやく一軒だけ明かりが灯っていたお店を見つけた。

 これでやっと帰れる、見つけた灯りに吸い寄せられるようにじくじくと痛み出す足を引き摺った。

 近くで見たお店は植物の蔦でびっしりと覆われていて、窓にまで伸ばしていた蔦のの隙間から店内の灯りが漏れ出していたようだった。入口に回り込みドアには文字の消えかかった《営業中》と看板と掛けられている。お店の名前はない。

 こんな寂びれたところでひっそりと営業しているお店が不気味ではあったがここしか頼れそうなお店が他になかった。

「よし」

 意を決してソッとドアを押し開けた。


 ⁂


 中はガランとしていた。ドアの隙間から見える範囲にも客は一人もいない。

(誰もいない?)

 さすがにそれはないと思いながらどこかに店員か誰かいないか店内に体半分を滑りこませた。

 木製のテーブルに小振りなイス、壁際にはソファの設置されたテーブル席。奥にはカウンターと棚にはカップや透明な瓶、調理器具が幾つも並べられていた。それに何と言っても店内が夕暮れ時を彷彿とさせる暖かみを帯びた照明になっているので何とも落ち着きを感じさせる。

 お店の内装からしてどうやら喫茶店のようだった。

(こんなところに喫茶店なんてあったんだ)

 地元ではあったが路地同様全く知らなかった。偶然見つけた古風レトロな喫茶店に気分が少し好転した。

 道を聞くついでに一杯飲んでいこうかな、と考えてみたが店内の幾つものテーブルにはイスが逆さまになって片づけられていた。学校の教室掃除をするときによく見る光景だ。もしかすると営業時間は終わっしまったのかもしれない。

「あらら残念」

 もっと明るい時に来ようかな、などと考え事をしながら動いたのがまずかった。体勢を戻そうとして足をガンッと盛大にドアにぶつけてしまった。


 カラン、カラン、カラン、カラン


 ドアの上部に備え付けられていたカウベルが予想以上によく響いた。

「い、ヤバ!」

 慌ててベルを止めようとしたけど時すでに遅くお店の奥からキィ、キィ、と木の床を踏む軋んだ音がカウベルの音に紛れて聞こえてきたと思ったら

「いらっしゃいませお客様ですね。どうぞ中へ」

 店の奥から長身の男が爽やかな笑みと共に現れた。


 ⁂


 あれだけ鳴っていたカウベルすらも今ではすっかり気配を無くし、静かに十夜の行く末を見守っていた。

 静けさの戻った店内で、前にも後ろにも踏み出せずドアにしがみ付いていたら

「…? どうかされましたか」

 幾ら待っても入ってこない十夜をさすがに不思議に思ったのか、店員が声をかけてきた。

「あ、あの…み、みち、を」

 緊張して上手く喋れない。普段ならここまで人に対して緊張することはないが今の十夜は――少し問題を抱えている。

 キョトンとしていた店員は十夜の様子に何か思い当たる節があったようでその場で優しく言った。

「ずっとそこにいては冷えますよ」

 何も返事をせず、店内に入ってこない十夜を不審人物扱いもせず。

「急いでいないようでしたら少し休んでいかれませんか?」

 映画や漫画に出てくるフットマンのように胸に手を当てカウンターへと誘う仕草は、長身の男からは何の違和感も感じられないほどスマートだった。

 自分がどこぞのお姫様のように感じられるむずがさもあるが、ここまで来るのに苦労したこともあってこれ以上なく甘く感じた。

 誘われるまま最初の目的を後回しに安易にその店へと足を踏み入れた。



 借りてきた猫のように縮こまっていた。

 何せカウンター越しには長身の男ではなく、長身の店員がいて。

(物凄ものすっっごくイケメンなんですけど!)

 遠目で見ても絶対に美形だと思ったのは間違いではなかった。

 喫茶店の店員はお洒落で美形が多いのは知っている。姉曰く人の印象は大部分が視覚情報で構成されているという。

「カフェの店員がイケメンに見えるのは見た目を活かした企業側の緻密な戦略のせいらしいよ」

 特に客に影響を与える服装には力を入れている、というものだった。

「つまりカフェ店員のイケメンはお洒落が見せる一種の幻だと思うの」

 いつかドラマでみたカフェの店員を姉が分析して一刀両断していたのを思い出していた。

(でも絶対それだけじゃないよ、これは)

 エプロンは付けていない状態の白無地のシャツに黒のスキニーパンツといった普通の恰好ではいるものの、特にこの店員は日本人離れした整った顔立ちに照明の灯りのせいなのか、それとも元々なのか黒髪も薄っすら灰色がかって見えるのがとても不思議で意識すると一気に十夜を緊張させる。

「店主は寝起きが悪いので少しだけ待っていてください」

 そう言って盗み見ていた横顔がこちらを見た。その屈託のない眩しい笑みを直視出来ず「…あ、いえ、すいません」と俯いた。

 ともかく当初の目的である【道を聞く】タイミングを完全に逸してしまっていた。

 しばらくカチャ、カチャと洗い場で作業している音だけが店内に響く。手持ち無沙汰だった十夜は店内をぐるりと見回した。

「あの……私、来てよかったんですか?」

「どうしてです?」

 手を止めた店員と再び目が合って少しドキッとした。

「…あ、その。本当はもうお店、閉まってたんですよね?」

 店員が不思議そうに首を傾げたので「イスが片づけてあったから」と付け足すと「ああ」と納得した様子で手元の作業を再開した。

「この店はなんです。一度に多くのお客さんが来ることはまれで、それに店主の気まぐれで開店時間もまちまちなので特に問題はありませんよ」

 今日はついさっき開けたばかりです、とさして気にする様子もない店員にホッとした。

 再び沈黙となった店内で考える時間は非常に多い。

 店員の言った言葉にふと疑問が生じた。

 (喫茶店なのにこの状態が普通ってどういうことだろう)

 店員が冗談を言ってるようにも嘘を言っているようにもみえなかった。

「ふふ、さあどうぞ」 

 カウンターに洗ったばかりの水滴が落ちるガラスのコップが現れてハッと思い出した。

「あ、そういえば私まだ何も頼んでなかった!」

 喫茶店にきて何も頼まないわけにはいかない。十夜は飲食店には必ずはずのものを探した。しかし左右どこを見ても目当てのものは置いてなかった。

(え、あれ?)

 慌てて探す十夜の様子が面白かったのか、クツクツと店員が可笑しそうに笑っていた。

「えっと、あの、このお店、喫茶店、ですよね?」

 メニュー表が、と言おうとした口を「いいえ」と店員が遮った。

「貴女はここが何のお店なのか知らずにいらっしゃったので?」

 店員の言葉に固まった。

「え、じゃ、ここって何のお店……」

 嫌な予感がする。無意識に店員から離れようとした体を、そんな微々たる距離をも埋めるように日本人離れした綺麗な顔が近付く。

 近くで見た店員の瞳は色素の薄い灰色アッシュグレー

 一瞬見惚れていた隙に店員が十夜との距離を詰め、手を取った。まるで十夜を逃がさないとでもいうように


 そして

 

「ようこそ、猫屋敷八花のへ」

 蕩けそうなほど甘い笑みを見せたのだった。


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