少年は絶望する

「嘘……だろ……?」


 思わず声が漏れ、その場に呆然と立ち尽くす。僕達は来た道を辿り、地上へと帰還する予定だった。だが、僕達が来た道を辿って辿り着いてた先に待っていたのは無情にも希望でも何でもない、絶望だった。

 目の前に広がっていたのは道ではなく壁、僕達が進んできたはずの道は壁になっていた。


「こんなことがあるのかっ!? 迷宮変異ダンジョングローリアが起こること自体が極稀だってのに、それがこんな短時間に二回っ!!」


 グレイは吠声をあげ、壁をあらん限りの力で殴りつける。鈍い音を響かせるが壁は微動だにしない。それでもグレイは自らの拳が砕けるのではないかと思える程壁を打ち付け続ける。

 僕はグレイの腕を掴んだ。


「グレイ……」

「……くそっ……。悪い、ジン」

「いいんだ、それよりも今後どうするかを考えないといけない」


 この壁がある限り僕達が地上に戻ることは出来ない。それなら僕達に残された選択肢は僅かだ。


「僕はとりあえず二つ思いついたよ。一つはこの場で留まって助けが来るのを待つこと。グレイとエミリーが、王族が二人も行方を眩ませたら必ず捜索隊が出るはずだ。それに、ツヴァイ様は僕達が学園に行ったことを知っているし、グレイ達が僕のことで職員室に寄ってくれているから迷宮ダンジョンの中にいることも分かるからね、確実に助けは来ると思うよ」

「確かにそうだな。俺もジンの説明を聞いてるとそれが一番安全で確実だと思えるが……。二つ目の案っていうのは……?」


 グレイは腕を組み、僕の話に耳を傾けながら続きを促した。僕は頷くと口を開く。


「この先に進む」

「……本気で言ってるのか……? 一番初めに出会った酸蟻アキドゥスアントにさえあれだけ苦戦したんだぞ?」

「うん……。だから僕もこの方法はとらない方が良いと思う。あくまでも、とれる選択肢の一つってだけだよ。僕も一つ目の方が安全で確実に生きて帰れると思うから、そうすべきだと思う。エミリーはどう思う?」


 僕とグレイの会話の輪に加わっていなかったエミリーの方に視線を向けると、エミリーの様子がおかしいことに気が付いた。壁に身体を預け、心なしか肩で息をしているように見える。

 僕はエミリーに近づいて声を掛ける。


「エミリー……?」


 すると前触れも無くエミリーはその場に崩れ落ちてしまった。


「エミリーっ!」


 急いで駆け寄り、エミリーの身体を支え、横に寝かせる。息は荒く、顔は上気し苦痛に歪んでいる。僕は申し訳なく思いながらもエミリーの髪を除けると自分の額をエミリーの額に合わせた。


「熱っ……」


 荒い息遣い、自分で立ち上がることすら出来ない程の高熱。先程まではどうということがないように見えていたけど、これは一体……。

 僕がそう思っているとそれまで無言を貫いていたアレクが少し焦ったように僕に声を掛けた。


「ジン、エミリアといったか、そやつの服をはだけさせろ」

「え? ちょっ! 何言ってるんだよアレクっ!! 弱ってる女の子を襲うなんて最低なことだよっ!」

「いいから早くろッ! そやつが死んでもいいのかッ!」


 アレクに一喝されビクリとする。アレクの顔を見ると今までにないくらい焦っている様子が窺える。その表情も真剣なもので破廉恥な気持ちなど一切ないことが分かる。それに、エミリーが死ぬ、その言葉に居ても立っても居られない気持ちになった僕は、エミリーが来ていた制服のボタンを外し始めた。


「おいっ! こんな時に何をやってるんだよジンっ!」


 その様子に慌てた様子でやってきたグレイが僕の肩を掴んだ時には既に、エミリーの制服のボタンは全てはずれ、その身体が露わになった。エミリーのはだけた上半身を見たグレイは僕の肩を掴んでいた手を離し、呆然とエミリーの身体を見ていた。


「やはり……。ジン、先程お前はこの場で助けが来るのを待つと言っていたな」

「え? うん……」

「我もそれが最善だと考えていた。だが、状況が変わった。確かにこの場で助けが来るのを待てば確実に助かるだろう。だが、それはお前とそこの坊主だけで、エミリアは助からない」

「なっ!?」


 見ないようにと、ずっと後ろを向いていた僕は思わずアレクの方を振り返る。その際に意図せずはだけたエミリーの白い柔肌が見えてしまう。それと同時に胸元に爛々と輝く紫色の禍々しい刻印も。


「なっ……なんで呪印が……!?」

「呪印……?」


 グレイはエミリーの胸元に発言した紫色の刻印を前に、顔を青ざめさせ拳が震えるほど力を込めて自分の手を握り締めている。

 グレイは僕に背を向けたままぽつりぽつりと語り出した。


「呪印ってのはな、詳細は分からないが身体に現れたら最後、助からないって言われている呪いの刻印なんだよ……」

「そんな……」

「このままにしていたらエミリーは一日ともたない……。多分、捜索隊が来る頃にはもう……」


 その場に崩れ、膝をつく。

 エミリーが死ぬ……? 僕はまだこの想いを伝えてない。僕にはこの想いを伝えることも出来ず、ただエミリーが死ぬのを待つことしか出来ないのか?

 自然と涙がこみ上げてくる。視界がぼやけ、自分の無力さに打ちひしがれた。


「何を弱気になっているのだッ!」

「っ」


 アレクの怒声が響いた。


「ジン、思い出せ。お前が力を望んだのは何故だ?」

「僕は……」


 僕は英雄ヒーローになりたくて、そのための力を欲した。でも、結局大切に思う人一人守れないような僕には、英雄ヒーローになる資格なんてなかったんだ。


「お前が憧れた英雄ヒーローならば、この状況をどうする」


 僕の憧れた英雄ヒーローなら――。


「っ!」


 僕は自分の心に喝を入れるとしっかりと脚に力を込めて立ち上がる。目尻に溜まった雫を拭い、覚悟を固めた。


「グレイ、まだ諦めるには早いよ」

「ジン……?」

「エミリーを連れて下に降りよう」

「何を言ってるんだお前はっ!! さっきの戦いを忘れたのか!? 俺達は入り口付近に出てくる魔物にすら苦戦したんだ! それもエミリーがいる状態でだ! それなのにエミリーを抱えて二人で先に進むだと? 無理に決まっているだろ!」


 僕はグレイの怒鳴り声を浴びる。黙ってそれら全てを受け止め、引きつる顔で無理矢理笑みを浮かべる。


「大丈夫だ」

「っ!」


 僕だって怖い、この先もしかしたら死んでしまうかもしれない。でも、僕の知っている英雄ヒーローはどれだけ怖い時も、どんなに理不尽で状況でも、常に笑みを浮かべて言うんだ。

「もう大丈夫だ」って。

 それに、僕は自分が死ぬことも怖いけど、それ以上にエミリーを失うことが怖くて仕方がないんだ。絶対に大切な人を失いたくない。


 グレイは驚いたような顔を見せたけど、薄く笑みを浮かべるといつものような笑みを浮かべた。でも、その顔は青ざめ、恐怖を感じているのはすぐに分かった。


「ああ! そうだな、ジンの言う通りだな、俺達なら大丈夫だ!」


 無理矢理自分達のことを鼓舞すると先の見えない暗闇を見つめた。エミリーのことを背負い、僕とグレイが暗闇へと向けて歩みを進めようとした、その時だった。

 突然僕の身体がその場に倒れた。かと思うとグレイも僕の隣に倒れる。何が起こったのか、何をされたのかも分からないまま意識が徐々に薄らいでいく。

 意識が途切れる寸前、僕の耳には確かにアレクの声が聞こえた。だけど、何と言っているのかは聞き取れなかった。


 ♢♢♢


 辺りは白い空間だった。中央にはベッドが置かれ、その上にはエミリーが寝かされている。

 僕は走って近付くとエミリーに声を掛ける。けれど、エミリーは目を覚まさない。気付けばベッドの周りにはエミリーを取り囲むように多くの人が集まっていた。皆が涙を浮かべ、悲しみの表情を浮かべている。

 その中で、代表してツヴァイ様が僕の元に歩み寄ってきた。


「エミリーは、死んだよ……」


 ♢♢♢


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 叫び声をあげ、僕は飛び起きた。周りに人はおらず、エミリーもいない。よく見れば僕は検査服のような白い衣服を着させられ、ベッドに横たわっていた。

 辺りをきょろきょろと見まわしていると扉が開かれる。


「先程叫び声が聞こえましたが……。あ、やはり目が覚められたのですね!? 少々お待ちください!」


 メイド服を着た侍女らしき人は僕が起きていることを確認するなり男の人達を連れてきた。男の人達には僕の身体を色々と検査したり、いくつかの質問をされそれが終わると代わるようにツヴァイ様が部屋にやってきた。


「やあ、ジン君。無事だったようで何よりだよ」

「ツヴァイ様、グレイとエミリーは……」

「……。グレイは無事だよ、ジン君よりも早く目覚めて今日も身体が鈍るからって身体を動かしているみたい。エミリーは……」


 そう言ってツヴァイ様は顔を歪めた。やっぱり、僕のあれは……。


「今は安定してる、無事とはとても言えないけど、生きていること自体が奇跡のようなものだよ。マギア様の魔法で何とか容体を安定させているけど、長くはもたない。もって一週間というところだろうね……」


 苦々しく告げられたのは非情な現実だった。まだエミリーは僕と同じ十三歳、生まれてから十三年間しか生きていないというのに、こんな理不尽に命を奪われるなんて……。

 その後ツヴァイ様とは話をしたが、正直何を話したのかは覚えていない。エミリーのことで僕の頭は一杯だった。

 ツヴァイ様が部屋を出ようとノブに手を伸ばした時、立ち止まった。


「そうそう、ジン君一つ聞いておきたかったんだ。君はどうやって迷宮ダンジョンから帰ってきたんだい? グレイからも話は聞いたけど気が付いたら王城にいたと言っていてね」

「僕にも分かりません、気が付いたらこの部屋にいましたから」

「……。そうか、ごめんね、邪魔をしたよ」


 笑みを浮かべ、会釈をすると今度こそツヴァイ様は部屋を後にした。部屋は静寂に包まれる。でも、僕の心が静まることはなかった。


「うっ……うう……」


 誰もいなくなった部屋には、すすり泣く小さな声だけが静かに木霊した。いくら泣いても泣き足りない、どれだけ涙を流しても涙が枯れることはない。すると隣からすっとアレクが現れた。


「ジン、お前はエミリアが死ぬと聞いて悲しんでいるのだろう」

「うっ……くっ……そりゃあ……そうだよっ!」

「ならまだ嘆くには早い。エミリアの命を救う方法はある」

「っ!! それ本当っ!」


 アレクは静かに頷いた。曰く、エミリアの身体に現れた呪印と呼ばれるもののことをアレクは知っているらしい。あれは且つてアレクが迷宮ダンジョンに潜った時にも出くわしたことがあるものということだった。

 アレクはあの呪印に身体を蝕まれ、ながらも強行し、迷宮ダンジョン守護者ガーディアンを倒すことによって呪印が解除されたようだ。


「つまり、あの迷宮ダンジョン守護者ガーディアンを倒すことが出来ればエミリーを助けられるってことだよね?」

「ああ、だが恐らく迷宮ダンジョン守護者ガーディアンではなく、迷宮変異ダンジョングローリアによって生み出された区画の最奥に眠る守護者ガーディアンを討つ必要がある」

「なら、今すぐに「駄目だ」えっ……?」


 何故、と僕がアレクに訴えるよりも先にアレクは言った。


「今のジンの実力では守護者ガーディアンには敵わん。タイムリミットはエミリアの命の灯が尽きる、一週間後。それまでにジン守護者ガーディアンを討てるだけの力を蓄える必要がある」

「……。分かった、それならこうして寝ている時間も勿体ない。アレク、僕のことを強くして、大切な人を守れるくらい、強くっ!」

「勿論だとも、我が相棒よッ!」


 その日、僕は無断で城を抜け出した。全てはエミリーを助けるため、僕は王都の外へと駆けだした。

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