カクテルの意味なんて自分で調べなさいな

 適当な場所で夕食を摂った後、僕らはすすきのを訪れていた。ニッカウィスキーの看板がある所から少し歩いた場所に、飲み放題で質の良いカクテルを出してくれるバーがあるので、僕らはそこでお酒を飲む事にしたのだ。


 東條はモニカ、僕はコスモポリタンを注文し、乾杯をした。素晴らしい事にここの支払いは東條がしてくれるらしいので、僕は宅飲みでは飲めない酒を多量に楽しもうと考えた。


 ちょうどよく夜景が見える席だったので、流れるジャズのBGMに乗って、雰囲気に飲まれた僕はさして好きでもない煙草に火をつけた。


「あれー? 煙草吸うんだ」

「別に好きじゃないけどこういう所に来ると吸いたくならない? 雰囲気的に吸っていた方がかっこよかろう」

「あんたに煙草は似合わないよ。圭介ならともかく」


 なる程確かに圭介がバーで煙草を吸っていたら刑事ドラマや探偵もののワンシーンのように映るだろう。僕にはそうした場面を演出するだけのビジュアルはない。


 せっかく火をつけたのにとも思ったが、さして美味いとも感じなかったので、僕は二口も吸わない内にすぐに煙草を灰皿に押し付けた。代わりに、コスモポリタンの残りを全部胃の中に流し込んだ。芳醇な香りが鼻から抜けると同時に、アルコールが食道を焼くのがわかった。


 飲み放題にしていたので、僕はすぐさま次に何を注文しようかとメニューに目を落としていると、東條が勝手に僕の分を注文しだした。


「すいません、アプリコットフィズお願いします」

 コスモポリタンが甘かったので、ギムレットなどの少し辛めのお酒を頼もうと思っていたのに、よりにもよってアプリコットフィズとは。コスモポリタンより甘いんじゃなかろうか。


 気になった僕は何ゆえ勝手に注文したのかを東條に聞いてみた。


「べっつにー。圭介か結城に聞いたらわかるんじゃないかな」


 何をだ。意味がわからないのできっと寝る前には二人に聞くのを忘れているだろう。僕は気にしない事にした。東條が不可解な行動を取るのはいつもの事である。


「そういえば、さっきラインで秀一がGODを引いたと言っていたからたかるなら今の内だぞ。僕は奴らが食い散らかしてしまった食料品を買ってもらうつもりだ」

「んー別に今欲しい物ないしなあ。あ、すいませんスクリュードライバーお願いします」


 シャカシャカとバーテンダーがシェイカーを振り、カクテルを作っているのを見ると僕もやってみたくなるというものである。


 それにしてもあの人若いのに随分とプロっぽいな。義務教育を終えてすぐにこの道に進んだのだろうか。いやまさかそんなはずはない。というか、どこかで見た事がある気がする。どこだったか。「はて」と僕は声に出して記憶旅行を試みた。すると、案外とすぐに目的地に辿り着いた。彼は僕の中学の先輩ではないか。とすると、やたらとプロっぽいあの格好は付け焼き刃という事に違いない。


 なぜだか僕は少しだけ悲しい気持ちになってしまった。知ってはいけない裏事情というやつだろう。資本主義の世の中、バイトを雇うのは決して悪い事ではない。しかし、この映画のワンシーンに出てきそうな雰囲気が一気に霧散してしまった。どこにそのような雰囲気があったのかと問われると答えられないが、そこはまあお察しくださいというやつだ。


「そういえば、何気に初めてじゃないか? 僕と東條が二人だけという状況は」

「そうだね」


 今までなんだかんだと誰かしらがいたので二人きりという状況は初めてだった。出会いから様々な衝撃があったため、今更二人きりで遊ぶ程度ではドギマギはしないが、思う所がまったくないかと言われると嘘になる。


「酒も入った事だし、今度こそ教えてもらおう。何ゆえ僕をデートに誘ったのだ」

「いやだった?」

「いやという事はないけど、純粋に気になった。何か裏があるのではないかと」

「裏なんてないよ。ただ単にあんたと二人でお出かけしたかったの。ダメ?」

「ダメという事はないけども……」

「それより、スマホ貸して」


 見られて困るものは入っていないので、僕は言われるままに東條にスマホを渡した。すると、東條は鞄から二つのストラップを取り出した。


「さっき買ったんだ」


 ストラップはやたらとファンシーな見た目をしていた。ピンク色のうさぎ状のぬいぐるみなのだが、口は糸で縫い合わせられ、目はバッテンのついたボタンという、血みどろでチェンソーなどを持っていても違和感のないものだ。


 東條は二つある内の一つを僕のスマホに取り付け、もう一つを自身のスマホに取り付けた。


「にひひ。お揃い!」


 そう言った東條は今までに見た事がない程に愛らしい笑顔をしていた。

 こ、こんな事をされたって僕の心はときめかないんだからね! 勘違いしないでよ! 


 ……動揺のあまり心の中でとはいえ何かとても気持ちの悪い事を口走ってしまった気がする。気のせいという事にしておこう。


 それにしても本当に今日の東條はどうしたというのだ。いつものコロポックルを束ねる女王の風格はどこへいってしまったというのだ。これではただの美少女ではないか。


 いかん。美少女などという単語を思い浮かべてしまったがために、妙に緊張を覚えてきてしまった。お酒が入り、頬に軽く朱がさし、若干涙目になっている東條は紛れもない美少女だ。くそう、このままで恋に堕ちてしまう。なんとかして東條ルートは回避せねば。


「あ、そ、そういえば今度全員で海に行くらしいよ」

 我ながらなんと強引な話題変更。若干どもってしまったのも相まってなんとも情けない。


「む……」言葉通り東條は若干むっとした表情を見せたが、「まあいいや」と言ってすぐに微笑を携えた。「あれ本当に行くの?」

「らしいね。ラインに書いてただろう。圭介と結城は行く気マンマンで今日道具買ったらしいし」

「あーなんかそんな事書いてた気がする。あのラインすぐに話題が逸れるからいちいち全部目を通すのめんどーだからさ」

「一理ある。運転は結城がするらしい」

「マジ?」


「このままいけば。だから僕はここいらで全員生命保険に入る事を提案したい」

「あたしやだよ、あいつの運転する車なんて乗りたくない!」

「逆走しない事を祈るしかない」

「知り合いに行き帰りだけ頼もうかなあ……」

「いわゆるアッシー君か。というか知り合いって男だろう」

「もち」

「これ以上むさ苦しいメンツを増やすのはやめていただきたい」

「女の子がいいの?」

「ウェルカムだね」


 キリッと格好良く決め台詞めいて言い放つと、なぜか東條に肩を殴られた。


「痛いじゃないか」

「痛くしたの」

「お前酔ってるだろ」

「酔ってませーん」

「酔っぱらいは皆そう言う」


   ○


 翌日、いつものように堂々と講義に遅刻して入室した僕は、教授に「貴方の分のプリントはありません」との有り難いお言葉を大勢の前でスピーカー越しに頂き、赤っ恥をかいた。しょうがないので前の席に座り、真面目にノートをとる振りをする事で少しでも心象を回復しようという努力の姿勢を見せたが、ついぞ僕にプリントが回ってくる事はなかった。恐らくこの講義の評価は不可だ。


 まあこの講義は必修ではないからいいのだ。元々出席日数が足りないのでテストで良い点でも取らない限り単位は取得出来なかった。


 そんな事よりも、後一週間もすればテスト期間に入るので、学食内では過去問のコピーの販売が行われている。そんな物を購入した所で講義に出席しなければ単位は取れないと思うのだが、人間というのは無駄に足掻きたがるものである。従って僕も、値段の割に美味しくない学食を食べながら今期は何教科の過去問を購入しようかと思案していた。


 早い段階で購入を済ませておかなければ、自治会などがでしゃばってきて、過去問の販売会は強制的に終了してしまう。しようがないので僕は嫌らしい笑みを浮かべて落ちこぼれである購入者を待ち構えている結城の前に立った。


「ヒッヒッヒ。汝はどの講義の過去問をご所望や?」

「言語学とマジカルリョーコちゃん、日本近現代史の過去問を貰おう」

「三つで五千円」

「ご……っ! お前ボリ過ぎだろう!」

「何を言うこれでも友人価格で安くしてやってるんだぞ」

「やい、酒天童子。お前この間酔って僕の座椅子を破壊しただろう」

「ぐっ! なぜそれを今言う。すまんと謝って終わった事だろう」

「いいや許さん。今怒りがふつふつと沸いてきた。ちょうどあの座椅子は五千円だった」


 嘘である。あの座椅子はホームセンターで買った二千円の安物である。しかも壊れた切っ掛けは結城だが、元々壊れかけていたから、背もたれが起き上がる事を放棄して倒れたままになってしまうのは時間の問題だった。


「しゃーない。持ってけ泥棒」

「うむ。それでいいのだ」


 そもそも友人から金をふんだくろう等という下劣な発想が間違っているのだ。


「ちなみに売上は俺らの海行きに使われる」

「なんと。じゃあもっと頑張ってキリキリと販売するのだ」


 結城は器用な奴で、墜落寸前の低空飛行である僕とは違い、総取得単位数と付かず離れずの良好な関係を築いていた。しかも、持ち前の顔の広さで、こうしてテスト前等に過去問や講義の内容を売って金儲けをしていた。実にずる賢い奴だが、売上の大半は我々の飲み会やイベント行事に費やされているので僕らには批判する資格はなかった。


 ちなみにマジカルリョーコちゃんの講義は怪しい錬金術について学ぶものである。驚くべき事に、この講義は学会にしっかりと学問として認められているらしい。楽単として有名なので、皆こぞって履修する。そのため、教室は常に人で一杯なのだが、出席を取らないため、僕のように勤勉な学生は次第に出席をしなくなる。のだが、過去問という名の魔導書さえあれば単位が取れるのが楽単と呼ばれる所以である。

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