08 日常
何もかもが面倒だ。俺は嘆息した。
わざわざ力を隠さなくてはいけないことも、元婚約者であるアイリスのことも、オルブライト家、俺のかつての兄妹のことも、リリーのこちらに対する疑念の視線も、そして――。
「ふん、編入生というだけあって中々やるようだな。まあ、僕ほどではないが」
「はあ……」
午後の休憩時間に、机に突っ伏した俺の前に立ち、こちらを睥睨するレオンハルトとか。
教室内に人は少ない。
机に集まって弁当を食べている生徒もいるが、どうやら学園には食堂があるらしく、そちらへ行っている者の方が多く、そのため教室内には空席が目立つ。
俺も食堂に行ってみようかと思ったが、金がないことを思い出して諦めた。
昨日から何も食べてないせいで腹は減っているが仕方ない。
『
今更、一日や二日何も食べない程度では死にはしない。腹は減るが。
「で、俺に何か用か」
「貴様も多少は魔術の腕があるのは認めよう」
「お前に認められようとどうでもいいんだが……」
「だからといって、調子に乗って身の程知らずにもリリー様に近付くんじゃないぞ! 分かったか!?」
「お前もな」
そもそも、任務でもなければあんな面倒そうなお姫様に近付くつもりはないのだが。
むしろ、任務だとしても近付きたくないくらいだ。
何なら役目を変わって欲しいくらいである。
こいつならリリーの護衛でも尾行でも何でも喜んでやりそうだし。
確かに、リリーの奴は見た目だけならば流石は王女様といった感じで、絶世と形容しても良いくらいなのだが……。あいにくと棘が多すぎる。
俺の周囲にいる女性を思い出してみると、ラヴィニアを筆頭に、どうにも美しさに比例して棘の数も増えている気がしてならない。例外といえばアイリスくらいだ。
アイリス――そう、アイリスで思い出した。彼女のことはどうするか……。
幼少期、俺の覚えている限りではアイリスはジュリアンのことを苦手に思っていた気がするが……とはいえ、もう五年前の話だ。
あちらが俺のことをすでに忘れていて、ジュリアンとの婚約に納得しているのならそれでいいし、俺の方から何かをするつもりはないが。
――まあ、相手があのジュリアンだというのは少し癪だが……どの道、貴族同士の結婚など大体は政略結婚だしな。
ただ、アイリスがもしもジュリアンとの結婚がどうしても嫌だと言うのであれば、俺も動く必要があるだろう。
正直、ただでさえリリーの護衛関連が面倒なのに、オルブライト家と関わってこれ以上面倒ごとを増やしたくはない――ないが、ジュリアンと婚約することになった原因は俺が追放されたからだと言えなくもないからな。
元婚約者としての義理というやつだ。
そんなことを考えている間に、レオンハルトは俺の前にある机の椅子を引き、こちらに向かい合う形で座った。
座るな。お前の席はそこじゃないだろ。
「一応言っておくが、そもそも俺はあんな面倒そうな女に興味なんてないからな」
「な! 貴様、リリー様に対してなんてことを!?」
「お前もお前で面倒臭いなこいつ……」
興味があると言ったら烈火の如く怒り出す癖に、興味がないと言った場合もこれだ。どう言えば正解なのか。
「しかし、そうか……貴様がリリー様に興味がないというのならちょうどいい」
「何がだよ」
「俺とリリー様がお近付きになる方法を考える手伝いをすることを許してやるぞ」
「失せろ」
俺の拒絶を意に介さずレオンハルトはぺらぺらと話し続ける。
「――というわけで、昨年からずっとリリー様にアプローチをしているわけだが、中々上手くいかなくてな」
「へえ」
「一応貴様の意見も聞いておこう。どう思う?」
聞いてなかった。心底からどうでもいいと思った。
「そうだな……あの金髪女は相当に捻くれてそうだからな。しかし俺が見るに、きっとそれは全て照れ隠しで、本当はお前のことを憎からず思っているに違いない」
「なんだと!?」
「だから、今以上にもっと積極的に、それこそ付き纏う勢いでアプローチを掛ければお前の思いはきっと成就するに違いない」
「それは本当か!?」
「俺が嘘を吐いているように見えるか?」
「行ってくる! 感謝するぞノアよ!」
まあ嘘なんだが。
笑みを浮かべて教室を出て行ったレオンハルトを見送って、俺は再び机に突っ伏そうとして――。
「随分と楽しそうな会話をしていたじゃない?」
「げ」
前を見ると、青筋を浮かべたリリーがこちらに近付いてくる。
「何? 私が捻くれてて? 照れ隠しで? 誰を憎からず思ってるって?」
「少なくとも捻くれてるのは確かだろ」
「死になさいっ!」
思い切り爪先を踏まれた。
くそ、今日は散々だ。正直体重が軽いからか大して痛くはないが。
「はぁ、あなたが焚きつけたせいで私が面倒を被る羽目になるのよ?」
「そうしないと俺が面倒を被ってたんだ、仕方ないだろ」
「何が仕方ないのかさっぱり分からないんだけど?」
「俺は慣れない学園生活で疲れてるんだ、労われよ」
「偉そうな……。そんなこと私の知ったことじゃないわよ……」
呆れた様子でリリーは自分の席に戻っていった。椅子に座り、鞄から小さな弁当箱を取り出す。
「……何よ」
「いや、王女様のくせに弁当なんだな、と」
「これはお姉さまが私のために作ってくださったお弁当だもの……言っておくけど、あげないわよ」
リリーが弁当箱を開けて、中に入っていたサンドイッチを一つ摘んで頬張った。
お姉さま、というのはアイリスのことだろうか。昔のことだが、王女の癖に厨房に忍び込んで料理をするのが趣味な変わった奴だったことを思い出す。
「なあ、よければそれ、一つくれないか?」
「なんでよ」
「金が――ないんだ」
「嫌よ」
取り付く暇もないとはこのことか。この冷血女めと俺は思った。
「何を考えているのか表情に出てるわよ?」
「なんてことだ、リリーお嬢様は今日も麗しいなって思ってたのがバレてしまったか……」
「そんなこと絶対考えてなかったでしょ」
リリーははあ、と溜息を吐いた。
「そうねぇ、一つくらいならあげてもいいわよ?」
「本当か?」
やはりリリーは良い奴だと思ってたんだ。俺の目に狂いはなかった。
「もしここにいたのがアイリスお姉さまならそうするだろうから、仕方なくよ。ほら」
「おお、ありがたい――ああ、旨いな」
「でしょう? お姉さまは料理も得意なのよ」
ふふん、と何故か自慢げなリリーを尻目に、俺は甘いタレで味付けされた肉のサンドイッチを口に入れた。
――あの頃よりも随分と上達しているが、どこか懐かしい味だった。
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