05 第三王女


「ここが教室か……」


 扉を開いて教室に足を踏み入れる。

 金属製の椅子と机が整然と並んでおり、既にいくつかの席には生徒が腰掛けていた。


 学園長は担任に挨拶しておけと言っていたが、残念ながら職員室がどこにあるのかわからない。

 探すのも面倒なので担任がこの教室に来るのを待とうと思い、教室の後ろ側の空席に適当に座った。


 周囲からの視線が集まる。

 ちょうど先日に学年が変わったばかりの時期であるため、それほど目立ちはしないかと考えていたが、すぐに思い直す。

 そういえば、この学園では基本的にクラスの変更が行われずにクラスの面子がずっと同じだという話だった。それは目立つのも無理はない。


「おい貴様、どうして僕の席に座っている」


 振り返る。

 俺に話しかけてきたのは金髪の男だった。

 

 どこかで見たことがあるような整った顔立ち。切れ長の目は威圧的にこちらを見下ろしている。

 じっと見ればその既視感の正体はわかりそうだが、男の顔を見つめる趣味はないので、すぐに視線を前方に戻す。


 教室の前方には大きな黒板と、その前には教卓がある。

 なんだかんだ、結局学園に通う前にオルブライト家を追放されているので、こういう場所に来るのは初めてだ。

 退屈ではあるが、同時に新鮮さも感じられる。


「あ、なんだ? ここは俺の席だぞ」

「……教室でも間違ってるんじゃないか? ここは二年のAクラスだぞ」

「いや、俺も二年のAクラスの一員だ」

「嘘をつくな! 貴様のような奴は見た覚えがないぞ!」

「まあ、俺みたいな美少年は早々いないからな。とはいえお前も、俺には及ばないものの中々じゃねぇか」

「そういう話じゃない!」


 男が怒鳴り声を上げると、周囲の生徒が何事かとこちらに視線を向けてくる。


「そう怒るなよ。無駄に目立つだろ」

「だったら目立つような行いをするな!」

「ごもっともで。まあ、あれだ。俺は今日からこのクラスに編入することになったんだ」

「ふん――なるほど、編入生か。……そうか、確かに先日担任が言っていたな」


 男は一人で勝手に頷くと、左隣の空席を指差した。


「というか、それならば貴様は僕の席ではなくてこっちの席に座れ。そこが確か空席になっていたはずだ」

「了解、親切にどうも。――ええと、お前の名前は? 俺はノア・メイスフィールドだ。よろしく同級生」


 言われた通りに移動しながら、男子生徒との会話を続ける。


「レオンハルト・ダールブラックだ。貴様のような輩とよろしくするつもりはない」

「ダールブラック……伯爵家か」


 振り返り、男の顔を見る。

 ああ、と納得する。

 どこかで見た覚えがあるとは思っていたが、なるほど、テオドールの弟か。


 テオドール・ダールブラックは俺と同じく『暗躍星座ゾディアック』所属の魔術師だ。


 俺とは違い、世間的な知名度も高い。

 無論、王国の最暗部に位置する組織である『暗躍星座ゾディアック』に所属していることは知られてはいないが、その一方で宮廷魔術師の一人としてテオドールは有名なのだ。

 つい最近も、王国の辺境で暴れ回っていた凶悪な魔獣(セリオン)を討伐し、更に名声を高めている。


「ふん、僕の家名に驚いたか? 僕は本来なら貴様のような下賤な者が話しかけられるような存在ではないのだ」

「そういうわけじゃないんだが……いや、家名に驚いたっていうのは事実か?」


 俺だって本来ならばオルブライト公爵家の子弟であるため、むしろ立場としては上なのだが。

 まあ、俺は既に家名を剥奪されているのだけれど。


「ただ、この学園は実力主義を標榜している。もしも貴様がその態度に見合うだけの実力を持っているのなら、好きにするといい。この学園では家名など飾りでしかないからな」

「実力主義?」

「ああ。この学園の校風だ。この学園は入試からして実力重視、貴族だろうと実力が満たない者は容赦なく落とされる。貴様も、編入試験に受かったのならそれなりにできるのだろう?」

「どうなんだろうな。そもそもこの学園の生徒の平均が分からないからなんとも」


 適当に答える。


 にしても、実力主義……か。

 分かりやすいのは嫌いではないが、下手に目立ちすぎて護衛対象に疑われるのは勘弁して欲しい。

 ただでさえ、編入生という立場だけでも疑われかねないのだから。


 そんなことを考えていると、新たに教室に入ってきた女子生徒がこちらに声を掛けてきた。


「――見ない顔ね。一体誰よ、そいつ」

「リリー様!」


 声に反応して、レオンハルトが物凄い勢いでそちらに首を向ける。

 ちょっと、いやだいぶ気持ち悪い。


 前方の教室の入口。

 そこに一人の女子生徒が立っていた。


 端正な顔立ち。

 意志の強そうな透き通る青色の瞳が俺をじろりと眺める。


 金色の長髪をした美少女。

 その女子生徒は堂々と金髪を靡かせながらこちらに近付いてきた。


 リリー様……ってことは、あの女子生徒がリリー・エントルージュか。


 似顔絵どおりの、極めて整った容貌だ。

 姉であるアイリスと容姿こそ似ているが、アイリスがお淑やかそうな印象なのに対し、彼女の場合は気が強そうな印象と雰囲気は大きく異なっている。


「ああ、この男は編入生らしいです」

「今日で何度目の名乗りか忘れたが、俺はノア・メイスフィールド。今日からここに編入する美少年だ。よろしくお姫様」

「そう。私の名前は言わずとも分かるわよね?」

「第三王女。リリー・エントルージュ」

 

 アイリスの妹で、俺の護衛対象。

 改めてこうして対面して見ても、多分オルブライト家にいた時代にも彼女と会ったことはない。

 尤も、俺が覚えてないだけかもしれないから何とも言えないが。


「気軽にリリー様と呼ぶことを許すわ」

「了解。これからよろしく頼むぜ、リリー様」


 俺が言うと、リリー様は僅かに眉を顰めた。


「……あなたに様付けで呼ばれるのは何か違和感があるわね。リリーでいいわ」

「そうか。じゃあリリーで。俺も同級生を様付けして呼ぶのは違和感があるからなぁ」

「ふぅん? 私、こう見えてもお姫様なんだけれど、私に対して敬語を使おうとは思わないわけ?」

「こう見えても何も、典型的な傲慢なお姫様タイプの人種だろお前」

「失礼ね!」

 

 思い切り爪先を蹴られた。

 痛みに顔を顰めながら、俺は言う。


「そういうところだぞお前――というか。別に、偉いのはお前じゃなくてお前の父親だろ」


 言うと、リリーは目を丸くした。


「……おい貴様、リリー様に失礼だろう!」

「悪い悪い、育ちが悪いもんで畏まるのが苦手なんだよ」

「そもそも貴様の場合、畏まる気すらないだろう!」

「――レオンハルト、黙りなさい。今は私とこいつが会話してるのよ」

「は、はいっ!」


 レオンハルトが慌てて一歩下がった。

 立場弱いなぁ、と思うが、一般的な貴族ならば普通かと思い直す。先ほど実力主義だの何だのと豪語していたのは一体何だったのか。


 リリーはその青い瞳でじっと俺を見て、何故か笑みを浮かべた。


「ふぅん……まあいいわ。確かに今のところ、私は王家に生まれただけのただの天才美少女だしね」


 自意識が凄いな。

 全く、自分で自分のことを美少女などと言っていて恥ずかしくないのだろうか?


「そういうことだな」

「けど、あなたの場合お父様相手にもその口調で話しそうだけど」

 

 正解だ。そのせいで国王にはだいぶ嫌われている自覚もある。

 俺は内心で呟いた。

 

「にしても、あなたはどうしてこの学園に?」

「勿論魔術を学ぶために決まってるだろ、魔術学園なんだから」

「……胡散臭いわね」

「何がだ? 魔術学園で学べるものなんて魔術だけだろう?」

「知っているかしら? この学園、基本的に編入してくる人って少ないのよ」

「あ、そうなのか?」

「編入試験を突破するには、その学年までに学ぶことを全て修めている必要があるのよ。そして、それを学べる環境があるなら環境を変えてまで編入する理由なんてあまりないでしょう?」


 なるほど、そういうものなのか。

 そもそも俺の場合はその編入試験というやつを受けていないのだけれど。

 ラヴィニアの権力による、所謂裏口入学というやつである。


「……学園生活ってやつを体験してみたかったんだよ」

「さっきと理由が変わってるわよ」

「気のせいだ」

「気のせいって……誤魔化すにしても、もう少しやり方があるでしょうに。にしても――あなた、別の魔術学園に通っていたってわけでもないのね」


 青い瞳が何かを探るように俺をじっと見つめる。

 珍しい編入生を見て、自分の護衛として送り込まれた者か何かだと疑っているのだろうか? 


 その疑いは正解である。

 だが、表情に動揺を表すほど俺は迂闊ではない。


 ……いや、もうちょっとまともな理由を考えておけばよかったと後悔はしてるけれど。

 まさか編入生がそんなに珍しい存在だとは思わなかった。


「…………」

「――まあいいわ。あなたがどうしてこの魔術学園に編入してきたかなんて興味ないし」


 リリーが呆れたように視線を逸した。

 と、ちょうどそのとき、学園の敷地内に鐘の音が響き渡った。


「そろそろ担任が来るわね。あんたも編入生なら、挨拶くらいしといた方がいいんじゃないかしら?」

「そうだな、教室の外で待っとくか」

「別に私としては、二度と戻ってこなくてもいいのよ?」

「できるなら俺もそうしたいところだけど、そういうわけにもいかないんだよなぁ」


 流石に、初日から命令を放棄するわけにはいかない。


 俺は椅子から立ち上がり、教室を後にする。

 教室中の生徒に注目されている中でも、リリーが俺の背中に向けている刺すような視線の気配は、はっきりと感じられた。


 やれやれ、面倒なことだ。

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