第3話 上を向いて歩こう

「はぁ……」


 都内に通う高校二年の安藤次郎は教会の扉の前で溜息をひとつ。


 また来てしまった……特に用事があるわけでもないのに……。


 ふと型破りで破天荒な見習いシスターのフランチェスカの顔がぱっと浮かぶ。


 もしかして気になってる……のか?


 すぐにいやいや! と首を振る。


 そんなはずはない! シスターのくせにがさつで、暴力振るうような女に心惹かれるなど……!


 すぅーっと深呼吸する。心なしか胸のつかえが取れたような気がした。


「よし!」


 気分を入れ替えて扉を開ける。


「こんにちはー。また来ました」

「あら? たしか、安藤さんでしたね?」


 この教会がある区域を管轄しているマザーが出迎える。


「はい。その……フランチェスカさんはいますか?」

「ああ、彼女でしたらそこに……」


 マザーが長椅子のひとつを指さす。

 はたしてそこには自称フランシスコ・ザビエルの末裔の美少女が腰かけていた。

 だがなにか様子がおかしい。いつもの元気がない。それこそボクシング漫画の燃え尽きた主人公のように。


「あの、なにかあったのですか……?」

「よくは知らないのですが、ゲームのデータが消えてしまったそうで……」

「ああ……」


 経験者だからその気持ちはよく分かる。痛いほどに。


「今朝からこの調子で……」


 まったく……とマザーが首を振る。そしてフランチェスカの下へと歩く。


「いい加減にしなさい! もとはと言えば神聖なる場所でゲームをするあなたが悪いのですよ! 主はいつも見てらっしゃるのです!」


 だが当のフランチェスカは無反応だ。マザーがまた溜息をつく。


「とにかく、このミサのお知らせを掲示板に貼ってきなさい」


 数枚のチラシをフランチェスカに渡すと「ふぁい……」と受け取る。

 そしてよろよろと立ちあがるとそのままふらふらと夢遊病者のごとき頼りない足取りで教会を出ようとする。

 扉を開けようとした途端、戸が開いて年配の女性参拝者が入ってきた。


「あら? フランチェスカちゃん、どうしたの? そんなにやつれて……なにか不幸なことでもあったの? に……」


 女性参拝者の最後の言葉でフランチェスカはとどめを刺され、がくりと倒れそうになるところを安藤があわてて支える。

 マザーが頭が痛いとでもいうように額に手を添える。


「安藤さん、心苦しいのですが、この子についていってあげてくれませんか?」

「え、あ、はい……」


 この町に掲示板は計五カ所ある。最初のひとつにぺたりとチラシを貼る。


「……っとにツイてないわね……セーブデータは消えるわ、マザーにゲーム機を取り上げられるわで……」


 とぼとぼと次の掲示板へと向かう。


「しょーがないですよ。自業自得なんすから……」


 並んで歩く安藤の隣で見習いシスターが頭を抱える。


「ああー! 教会ってセーブするところなのに、データが消えるなんて!」

「ゲームと現実をごっちゃにされても……」

「ま、ゲーム機はほかにもあるからいいけどね」


 修道衣の腰のポケットから別のゲーム機を取り出す。ひと昔前のゲーム機だ。


「あ、それ懐かしいっすね。よくそれでモンスター捕まえるゲームやってましたよ」

「こういうのってたまにやりたくなるのよね」


 んふふと笑う。

 二つめの掲示板にチラシを貼り終え、角を曲がろうとした途端、なにかにぶつかった。


「きゃっ!」

「わっ!」


 ほぼ同時でフランチェスカと相手が声をあげる。


「ちょっと! どこ見て歩いてんのよ!?」

「うっさいな。アイテム探してんだからさ!」


 小学生と思しき少年が文句を言う。手にはスマホが握られている。少年は謝りもせずにその場を去る。


「ちょっと! ながらスマホは危ないわよ!」


 だが少年は知らんぷりだ。


「なによ、あのガキ……そういえばアイテムがどうのこうの言ってたわね」

「知らないんすか? あれたぶん今流行りの『モンスターウォーク』ですよ。スマホと連動してて実際に町を歩いてモンスターと戦ったり、アイテムを集めたりするんすよ」


 安藤の説明を聞いたフランチェスカはふーんと興味なさそうだ。


「あたしあーいうの別に興味ないし」

「意外すね。フランチェスカさんってゲーム好きだからてっきりやってるのかと……あ、もしかしてスマホ持っていないとか?」

「シスターだってスマホくらい持つわよ」と別のポケットからスマホを取り出す。


「でもこういうゲームって課金とかするんでしょ? なんかこういうの性に合わないのよね」

「寄付金ふんだくったり、自己のために使う人のセリフじゃないっすよね。それ」


 続いて三つめの掲示板は商店街のなかだ。アーケードをふたりは歩く。


「おや、フランチェスカちゃんじゃないか! お務めかい?」

「ほらこのお菓子持って行き!」

「お嬢ちゃん、またうちのラーメン食べに来てくれよな!」


 商店街の店先から店主や店員が挨拶してくる。フランチェスカはにこやかな笑顔で手を振って応える。


「……慕われてるんすね。意外と」

「あら? 意外とは余計よ。これもすべて日々の正しい行いから来るものよ。神様は全て見ているんだから」


 ふふんと鼻高々で言う。


「ずいぶんとケアレスミスの多い神様ですね」


 四つめは駅前にあった。掲示板に向かう途中、見覚えのある三人組の不良が目の前を歩く。向こうも気づいたのか、足を止める。

 そして九十度の角度で最敬礼だ。


「「「こんちゃーっす!!!」」」


 四枚目のチラシを貼り終えて、最後の掲示板がある公園へ向かう。


「そういえばフランチェスカさんって、生まれはスペインなんすよね? それにしては日本語めちゃくちゃ上手いっすけど、どこかで勉強してたんすか?」

「そうねぇアニメ、ゲーム、マンガとかで……あとラノベも」


  指折り数えて答える。


「さいですか」

「……あたしがまだちいさい時ね、いつも家の教会で朝から晩まで聖書読まされて、お前はフランシスコ・ザビエルの名に恥じない立派なシスター、いやマザーになれってそれこそ耳にタコが出来るくらい言われてね……」


 少し間を置いてから再び続ける。


「で、ある日なにもかもイヤになって家を飛び出したの。夜中にね」


 安藤は初めて聞くフランチェスカの身の上話を黙って聞いていた。


「そのうち迷子になっちゃってね……泣いていたところをタクシーの運転手のおじさんが家まで送ってくれたの。バックミラーに見たことないアニメのキャラクターのキーホルダーがぶら下がってて、おじさんにそれなに? って聞いたら日本のアニメのキャラクターだって。で、家に着くまで日本のことを話してくれたわ」


 日本の食べもの、観光地、アニメやマンガなどなどの未知の体験は幼いフランチェスカの心をめくるめくときめかせた。


「それであたし、日本に行きたいと思って猛勉強して、スペインの神学校を出て日本へ奉仕活動に来たの」

「よく日本に行くことを許してくれましたね?」

「そりゃ当然。だって日本はフランシスコ・ザビエルが布教に来た地だもの」

「ああ……」


 安藤が納得する。


「でも、シスターにはなりたくないんですよね?」

「とーぜん! いつか口実をみつけてシスターなんかやめてやるわ!」


 揺るぎない決意でフランチェスカが言い放つ。そうこうしているうちに目的地の公園が見えてきた。掲示板は入口の横にある。


「これでおしまい……っと!」


 最後のチラシを貼り終えて手をぱんぱんと叩く。


「さ、教会に戻るわよ。と、その前に……」


 ポケットからゲーム機を取り出す。


「ゲームよ!」


 きひひと笑みを浮かべるフランチェスカを見て安藤が呆れる。ふとなんとなく公園の入口の反対側を見ると、誰かが歩いているのが見えた。


「フランチェスカさん、あの子、ぶつかった子じゃ?」

「え?」


 見ればなるほどふてぶてしい態度を取った少年がいた。相変わらずスマホゲームに熱中している。


「性懲りもないわねぇ……」


 少年からゲームの画面に目を移そうとした時だ。

 少年が出口から出ようとした途端、横から車が走るのを視界の端で捉えた。

 フランチェスカからいきなりゲーム機を投げ渡され、彼女を見たときにはすでに出口へと向かっていた。


危ないクイダード!!」

「え?」


 聞き慣れない言葉に少年が振り向こうとすると車が向かってくるのが目に入った。

 ぶつかる! そう思って目をぎゅっと閉じる。

 その瞬間、少年の体は歩道から公園へごろごろと転がった。

 閉じた目を開くと目の前には金髪をした青い目の少女がこちらを見ていた。

 車の運転席から「バカヤロー!」と罵声が飛ぶとそのまま走り去る。


「……大丈夫?」


 間一髪で少年を救ったフランチェスカが聞く。


「あ、うぇ……」


 安堵したのか少年が所構わずに泣きはじめた。



「だから歩きスマホは危ないって言ったのよ」


 フランチェスカが外れたヴェールを被り直す。


「うん……ごめんなさい……」


 少年の手にはスマホがあるが、タイヤで踏み潰されたのか、画面は蜘蛛の巣のようにひび割れて本体はひしゃげていた。もう二度と動かないだろう。

 少年の目にまた涙がにじむ。フランチェスカがはぁっと溜息をつく。


「アンジロー、それちょうだい」


 安藤に預けていたゲーム機を受け取るとそのまま少年に手渡す。


「え……?」


 ゲーム機を受け取った少年が目をぱちくりさせる。


「あげるわよ。でもそのかわりちゃんと安全なところで座ってやること!」


 びしっと指さす。


「う、うん……ありがとう」


 よろしいとフランチェスカが頷く。そしてくるりと安藤のほうを向く。


「さて、チラシも貼り終えたことだし、教会へ戻るわよ!」


 二人並んで公園から出ようとした時、後ろの方でわいわいと盛り上がる声がした。振り向くとゲームをしている少年のまわりをたまたま来た少年の友達らしき子達が興味深そうに画面を見つめていた。


「なにこのゲーム?」

「なつかしーな! おれの兄貴がやってたやつだ!」

「家からゲームもってくる! 対戦しようぜ!」


 その光景にフランチェスカの口の端が緩む。


「本来、ゲームってああいうふうにやるものよ。よそ見して死んだら遊べるものも遊べなくなるし」


 そして再び歩く。すでに夕日は沈みかけている。


「俺、フランチェスカさんのことちょっと見直しましたよ」

「なによ。あらたまって……」

「案外向いているんじゃないすか? シスター」

「……冗談キツいわよ」


 どんと肘で小突く。

 夕陽を受けてふたりの長く伸びた影がいつまでも後を追う。





後書き

フランチェスカのお約束


フランチェスカ:歩きスマホ、運転スマホとながらスマホが多いわね。まわりに迷惑かけてまでしたいものなのかしら?

安藤:実際、問題になってますからねぇ……。

フランチェスカ:とにかく! ながらスマホは絶対にしないこと! さもないと天罰がくだるわよ!

安藤:それは物理的にすか?

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