川の流れが行き着く先

彼岸花

一歩目

「こちらが、源川みながわ様のお部屋となります」


 真っ白な着物のような装束を身に纏った、生気の薄い女は、源川かおるにそう説明しながら部屋に入った。

 女の後を追って香も部屋へと入る。室内にあるのは真っ白な壁、真っ白な床、真っ白なシーツを敷かれたベッド、真っ白なカーテン、真っ白なタンス……これでもかというほど白尽くし。しかしテレビや電話などは見当たらず、外界の情報を手にする術はない。精々、壁に掛けられた時計が時間を教えてくれるだけだ。

 ホテルの一室としては些か機能が足りないし、こうも白ばかりだと目がチカチカする。もしも旅先でこの部屋を使えと言われたなら、一泊だけなら我慢出来るが、不満たらたらだろうと香は思った。

 しかしながら『宗教団体』の施設と思えば、まぁ、こんなものかという感想にもなるが。


「源川様は今回一週間の体験修行との事ですので、一般の信者のような日常生活の制限・規律はありません。ですがあくまで部外者という立場となりますので、自由行動はこの施設内のみとなります」


「はい、承知しています。説明会でもそのように聞きました」


「ええ。ですが、どうにも興味本位でやってきた方の中には、このお約束を守ってくださらない方も多くて……うちの施設の周りの森は原生林で、夜に出歩くのは特に危険なのに」


「……………」


「ああ、不安にさせてしまいましたか。申し訳ありません、昔から口が軽いのが悪い癖でして」


「いえ……わたしも、人の話を聞くのは好きですから」


「お気遣い、ありがとうございます……では、私はこれにて失礼します。ご用命がありましたら、施設内の信者になんなりとお伝えください」


 そう言うと女は、静かに部屋から出ていった。パタンと扉が閉じ、数秒、香はその扉がまた開く事がないか確かめるように佇む。

 一人になったと確信した香は、部屋の中をぐるりと一望。

 の類がない事を確かめた。あくまでも簡易的な調べ方なので過信は出来ないが、とりあえず『あからさま』なものはないらしい。


「(まぁ、こちらとしてもあからさまな動きをするつもりはないけど。監視や盗聴をされているのは想定内だし)」


 香はそう考えながら、綺麗なベッドの上に腰掛ける。一息吐いて休むように、部屋を案内してくれた女性と同じ真っ白な装束を着崩しながら、自分の『仕事』について思い返す。

 山水神会さんすいしんかい

 それが香の居るこの施設の持ち主であり、近年勢力の拡大が著しい新興宗教団体の一つだ。発足は五年ほど前だが、現在信者数三万五千人を誇り、新興宗教界隈ではかなりの大勢力である。

 「大人山おおびとやまに住まう神ディーダラヴォルを奉る」というのが主な教義で、神奈川県某市にある大人山の麓に本部が置かれている。修業として険しい山に登り、そこの湧き水を飲んだり行水したり……そうして神を奉るという。信者から毎月の集金は行っているが、あくまでも団体の運営費という名目であり、金額は月々五千円程度とちょっとした習い事程度。『お布施』としてそれ以上の金銭を受け取る事は、物欲を促すものとして禁じられているようだ。教義で労働の尊さを説いているため、信者の大半は普通の仕事をしている。部屋を案内してくれた女性のような『修行僧』も、教団から事務員として給与が支払われている。

 勧誘活動は活発だが、信者が自発的に行っているだけで、教団側からの強制はない。むしろ強引な勧誘をしないよう信者に注意喚起したり、行政側からの要請があった時には調査・研修に協力するなど、透明性も高い。信者となる前に体験修行を受けさせ、それでもなりたいか確かめるなど、自由意志を尊重している。信者となった後の脱会も自由に出来、その後の嫌がらせなどの事件は……なくはないが、全て熱心な信者による独断というケースだ。教団そのものは関与していない。また信仰の自由は子供にもあり、信仰を自分で選ばせるため、未成年の行事参加は認められていないという。

 と、これだけならばかなり良心的な宗教団体だ。実際教祖の周りは綺麗なもので、起こす事件は下っ端信者の暴走によるものばかり。そうした暴走がある度きちんと行政指導に従い、真面目に再発防止に取り組むのだから、組織としては立派なものであろう。

 そう、これだけなら。


「(……二千五百十八)」


 脳裏で読み上げた数字。

 それはこの教団の信者、及び体験修行に参加した者達の中で、となっている人々の数だ。

 設立して三年間ほどは、信者数や体験修行の参加者自体が少ない事、またそうした人々の多くが親族関係などに問題を抱えていた事から、表沙汰にはなっていなかった。しかし勢力が大きくなったこの二年ほどで行方不明者数は急増。今ではあまりにも異常な数となっている。

 無論警察とて、この馬鹿げた数字を前にして何もしなかった訳ではない。半年前に令状を取り、教団本部、そして体験修行で使用している施設を捜査した。警察の威信を掛けた大捜査であり、世間もこれで邪教の秘密が暴かれると好機の眼差しで注目していた。

 だが、何も出なかった。

 殺人、監禁、人身売買……他にもあらゆる可能性を考慮したが、なんの証拠も出なかったのである。正直、捜査陣は混乱した。二千人以上を行方不明にしながら、なんの証拠も出ないなんてあり得ない。

 地面に埋められたのではないかと、敷地内の土をくまなく掘り起こした。いいや、森に捨てられたのだと数百人体制で大人山の山狩りもした。きっとバラバラにして川に流したのだと、あちこちにルミノールをぶちまけた。だけど何も出なかった。

 なんとか下っ端信者数名を詐欺の容疑で逮捕・送検したものの、そんなものはただの苦し紛れ。二千人以上も殺害している ― 少なくとも世間はそう決め付けていた ― 邪教にあっさり欺かれた無能として、警察はマスコミや世間に酷評された。世界的にも無能の烙印を押され、現在の日本警察は苦しい立場にある。

 警察の威信というのは、治安維持組織としてのプライドの問題だけではない。「何かしても警察に逮捕される」と「こんな警察なら逮捕されない」の間では、罪を犯すハードルに大きな違いがあるのだ。事実、捜査に失敗した神奈川県警のお膝元では、窃盗など軽微な犯罪が微増したらしい。まだ誤差の範疇ではあるが、こうした情報が広まれば、確実に犯罪のハードルが下がるだろう。

 真実を突き止めなければならない。本当に教団は関与していないのか、関与していないのなら何が原因なのか……関与しているのなら、どうやって被害者の痕跡を隠しているのか。

 それを知るために、香はこの教団に『潜入』した。

 香は警察側が送り込んだ、潜入捜査官なのである。『体験修行の参加者』という体で施設内に侵入し、強制捜査時には見付からなかった証拠を発見・確保するのが任務だ。体験修行の期間は一週間であり、この日は初日。施設内を先の女性に軽く案内してもらった。


「(とはいえ、流石にここまでの道中で怪しいものなんてなかったけど)」


 香が現在居る部屋、及び施設は体験修行で使われているもの。半年前の捜査で警察がくまなく探した筈である。香がちょっと歩いただけで見付かるようなら、本当に日本警察は無能という話になってしまう。

 勿論見付からないよりはマシなのだが、流石にそれは期待出来ない。施設内に証拠はないと見るべきだ。あるとすれば、施設の外。

 山水神会の信仰対象である、山が特に怪しい。


「(勿論警察も山狩りはしたけど、調べ尽くしたとは言い難い)」


 山というのは、捜索場所としては海に次いで最悪と言えよう。単純に広大というのも厄介だが、極めて複雑な『構造』をしているのが問題だ。建物や都市のような人工物と違い、秩序だった作りをしていない。方向感覚は狂わされ、自分が通った順路すら曖昧にされてしまう。

 木を一本一本丁寧に調べたつもりでも、方向感覚を失えば見落としがあるかも知れない。或いは木の幹に出来た洞とかに、証拠品を隠せるような隙間があったかも知れない。

 建物内ならばこうした『もしも』なんて考慮しなくても良いだろうが、広大な山ではそうもいかない。自然の雄大さは、何時だって人間を翻弄する。

 体験修行では、この大人山の山登りをするという。むしろそれがメインイベントか。その道中で何か怪しいものを見付けられたなら御の字。そうでなくても、信者同士の会話からヒントが得られるかも知れない。

 警察の威信も大切だが、何より優先すべきは被害者の安否。これ以上被害者を増やさないためにも、行方不明となった身内を待つ親族達のためにも、この事件を解決しなければ……


「……ふぅ」


 少し気負い過ぎたか。ため息が漏れ出た。それに緊張からか少し口が渇いている。

 香はベッドから立ち上がり、部屋の奥へと向かう。入口から死角となっている場所には、簡易な洗面台、それと隣接するシャワールームがあった。

 洗面台の蛇口を捻り、水を出す。

 正直洗面台から水を飲む、というのは香的には少し抵抗がある。とはいえ我慢ならないほど嫌という訳ではないし、この施設に自販機は置かれていない。食堂を除けば、水を飲めるのは此処だけだ。

 洗面台には透明なガラスのコップが置かれていたので、これに水をなみなみと注ぐ。香はコップに口を付けて、ふと、思い出す。

 ――――そういえば修行の説明会の時、この施設の水は山の湧き水を使っているとか言っていたっけ。

 そんな事を考えながらごくりと飲んだ水は、


「(……しょっぱい?)」


 何故か、微かな塩気を感じる気がした。

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