第3話

 午後零時七分。


「うおっ! こんな豪勢なうどん、ホントに食べて良いの!?」


 晴くんはテーブルに腰を下ろしながら、目の前で湯気を立てるどんぶりうどんにとても興奮している。


「何大袈裟に言ってるの、普通にわかめときざみ揚げ入れてるだけでしょ」


 向かいに座る頼子は呆れた感じでそう答えた。『言うまでもない』と省略したが、薬味のねぎもしっかり入れている。


「いやいや、これはもううどんじゃない。だよっ」


 無邪気に『お』を付けうどんへの敬意を表した晴くんの、その語彙力の無さを頼子はツッコまないでいてやった。


「はいはい、が冷めない内に早く食べなさい」


「はーい、いただきまーす」


 お箸で持ち上げたうどんにふぅっと息を吹き、ずるずるといく晴くん。


「――はふぅ」


「ふふっ」


 幸せそうな顔になる彼を見ながら、頼子は髪をゴムで括る。


 そして「いただきます」の言葉と共に自分も一口いった。


 彼女のうどんは一玉ひとたま標準サイズで、更にトッピングの違いとしてわかめではなくとろろ昆布が入っている。


「――うん、美味しい」


 一袋およそ三十円の質とはいえ、自分で調理した後となれば、それ自体が良い調味料になったりもするものだ。


 落ち着いた様でしっかりと味わう頼子の姿は、それだけで晴くんに不思議な安心感を与えもする。


「僕はとろろ昆布は苦手だけど、頼子ちゃんが美味しそうに食べるのを見るのは悪い気しないな」


「何よそれ」


 頼子は軽く吹き出しながら、良い具合にそれが絡むうどんをすすっていく。


 会話を挟んだからか、彼女の口元に少しだけとろろ昆布が残った。


「あ……」


 晴くんはその事を教えようとしたが、とろろ昆布からおつゆが一筋滴るのが見えてしまって言葉に詰まった。


「ん、ぼーっとしちゃってるわよ。どうしたの?」


「ううん、なんでも」


 頼子の何気ない言葉にも、晴くんは何故かドキドキして上手に返答が出来ずにいる。


「そう?」


 頼子は微笑み掛けるが、その顔はうどんの熱気の為にほんのちょっぴり上気していて、それが色香となって晴くんを余計に困らせていく。


 ――あれえ? 頼子ちゃんってこんな顔だったかな? なんか急に、ええと、えーっと……も、もんにょりしてきた……。


 晴くんは自分の語彙力をフル稼働させて、ようやく自分の心に生じた何かを『もんにょり』と表現してみせた。


「大丈夫? 晴くん熱とか出たんじゃない?」


「無い無い、それは無いって! うどん食べてるからそう見えるんだよきっと!」


 これで帰らされたらたまらない。彼は必死で首をふるふるさせる。


「あーそっか。確かに私も少し暑いかも」


 頼子はそれに納得した様子で、何気なくブラウスシャツのボタンを一つ外す。


「へあっ!?」


 晴くんが奇声を上げる。そのぱっちりした目が頼子の開いた胸元へと吸い込まれて――。


「ちょっと、へあって何。あっ……」


 頼子はその『へあっ』の意味を、悟ってしまうのだった。

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