5-2『一番のSと越権裁判』



 兼井さんから依頼を正式に受理して拘置所から出た後、水原くんは武装警察の方へと出向き、僕と住浦さんは一度、スプリミナル本社の特異探偵課の部屋へと戻ってきた。

 時刻は午前10時半を過ぎていて、郷仲さんは社長室に籠って仕事をしているようだ。

 画家も大変なのだろうけど、社長としての仕事もきっと大変なんだろうな…。

 なんて思っていると、住浦さんがファイルやら資料やらを大量に持ってきた。

「よっと……これが今回の事件についての書類だ…」

 先輩は社長の机にそれをドサッと置くと、ふぅと息を疲れと一緒に吐いた。

「え?先に聞き込みとかに行くんじゃないんですか…?」

 探偵と言うのだから、僕はてっきり、初めから聞き込みや捜査をするものだと思っていた。

「そうやって捜査を続けるやつもいるけど、無闇に聞き込みに行くのは効率が悪いから、先に情報を纏めて行く方が良いんだよ。正直めんどくせぇけどな…」

 住浦さんはそう言いながら、ポキポキと指を鳴らした。

 なるほど…言わば、聞き込みに行くためのルートや、捜査の方法、纏まった推理を突きつけるための言葉を厳選するために、必要って言うことなのかな…。

 フィクションで出るような探偵の仕事のイメージとは違い、少し地味な作業ではあるけれど、これも大切な仕事だ…。

 しかし、パソコンがあるのだから、資料もデジタルデータにすればいいのでは?

 ネットワーク社会の進んだ現代の人間からしたら、そう思うのも無理はないのかもしれない。

 しかし、スプリミナルの人間曰く、ネットワーク社会が蔓延った現代だからこそ起こりうる問題、例えば、外部からのハッキングこうげきによる情報漏洩等、そんなトラブルをなるべく防ぐために、探偵課の調査だけは、基本的に書類による捜査の方が多いのだとか。

「にしても…機密書類ってだけで…こんなに集まる物なんですね…」

「スプリミナルはアウトローな集団だからな…いろんな所から依頼者の依頼遂行のために、ありとあらゆる所から情報をひっぺがしてくるんだよ。そのために情報捜査課があるわけだしな。まぁ、それでも手が届かない場所ってのもあるから、そこは協力者に任せるけどな…」

 住浦さんは疲れを息にして吐きながら説明した。

 こんなに情報が集まっても、こんなにしっかりした秘密組織であっても、手が届かない場所ってのはあるんだな……。

「正直、情報捜査課って、ネットや公安からの情報とかを集めた後に、全部纏めてファイリングとかしてくれる部署とかかと思ってました…」

 ふと呟いた言葉に、住浦さんは冷たい視線を向ける。

「お前…情報集めることでさえ負担がでけぇのに、オペレーターみたいなこともしてくれてる部署と思ってたのか?」

「ま…まぁ…」

 僕が正直に頷いた瞬間、彼はわざとらしくデカイため息をついた。

「あのなぁ?情報捜査課ってのは捜査に基づく情報集めだけじゃなくて、武装警察からの情報捜査依頼の処理や、日本全国のノーイン出現情報の処理、依頼書の選定、スプリミナルが不利になるようなフェイク報道の管理、その上フェイバリットの接客業務までしなくちゃなんねぇんだよ。しかも情報は普通勤務だけじゃなくて、パトロールや出張依頼に出掛けてる奴らにも、情報を通達しなきゃいけねぇ。只でさえこんなに大変な勤務の上に、ファイリングや選定なんてオーバーワーク、任せられるわけねぇだろ。それなら俺ら探偵がカバーしてやらねぇと、情報捜査課の奴らが過労死しかねねぇだろ?それくらい分かるようになれよ」

「は…はい…すみません……」

 情報捜査課の説明と同時に、軽く馬鹿にされた気はするけれど…。

 でも、情報捜査課も特異探偵課と同じで結構な重労働な事が良くわかった。

 もしも、逆に特異探偵課の仕事を軽く言われたらどう思う?と考えないとな…。

 まだ右も左もわからない新人だからと言って、これは軽率な言動だったと思うし、他の事務課や会計課等の部署へのイメージも改めよう…。


 とは思っても…、この大量の情報書類を、自分の目で調べろって言うのも、なかなか大変だな…。

 まぁ、パソコンよりも書類の方が目が疲れる早さが遅い気がするし、見落としも少なそうだから、良いのかな…?


 ガチャ


「よいしょ…」

 なんて思ってると、武装警察に行っていた水原くんが、これまた大量のプリントやファイルを片手に帰ってきた。

「一応、武装警察の人からも協力してもらって、いくつか提供してもらってきたよ」

 そう言って、水原くんも社長室の机にドサッと資料を置く。

 また目を通さないといけない書類が増えてしまった…。

 というか…いくら一人一人のデスクが広くないからと言って、社長の机をこうやって使ってもいいものなのだろうか……。

「おう。役に立つじゃねぇか」

「君が誉めるなんて珍しいじゃん」

「誉めてねぇよ、さっさと探るぞ…」

 彼ら二人の言い合いを狼煙として、今回の暴行事件の書類調査が始まった。

 多く積まれた書類を幾つか手に取り、それを目の前で開く。

 ザッと通して見てみると、書類は、兼井さんと彼の関係する人間のリストであったり、簡易的に纏められた兼井さんの印象を表す物や、卒業した学校や現在の所属事務所、近年の病院への受診履歴の有無まである。

 驚くのはそれだけではなく、明日の公判にて兼井さんを担当する弁護士や検事、裁判長等の経歴や、彼の所属する事務所の社長の事についても……。

 徹底的に連携しているわけではないから、警察から取ってきたものと被ってしまっている情報も中にはあるが、短期間でこんなに情報が集まるなんて…。

 ということは、僕の事件の時もこの速さで集まっていたのでは…。

 情報捜査課恐るべし…。


「ふぅん……こいつ…アーカルの出か…そんで、彼女もアーカルと……」

「カネイさんの彼女、ヒノデ キミカさんの証言が…一応、第一発見者とほぼ同じ発言みたいですね…」

「クリエイター事務所側からは、SNS等での質疑応答は控える…って書いてあるみたい」

 捜査の途中、各々気づいたことを呟きながら、それをメモしたり、頭に刷り込んだりしていく。

 なにか相手側からの口撃があった時に、対応できるように…。

「ハァ…てか、こういうの俺らじゃなくて弁護士とかの仕事じゃねぇの?一番になるべく俺が情報捜査なんざ…クッソめんどくせぇんだよ…」

 僕らが一生懸命書類に向かっている間、ついにしびれを切らした住浦さんが、数十枚の書類を片手に、乱暴に椅子の背もたれに体重を掛けた。

「しょうがないだろ。弁護士よりもこっちの方が広く動けるわけだし、そもそもリージェレンスが第一発見者なんだし、それもあってだろう」

「あっそ…」

 水原くんからの論破的な返答への不満からか、住浦さんは不貞腐れた顔でまた情報収集へと戻った。

 ここはめんどくさがり屋が多いな…。

 僕はそう思いつつ、山の資料に眼を遠して、こまめにメモを続ける。

 どれだけ小さな情報であっても、事件においてそれは手がかりと言うことには変わりなく、どこかで必ず役に立つ。

 と言う、フィクションの請け負いを信じながら、僕は繰り返し情報を集め続けた…。

 しかし、これまでにカネイさんについて気になった点をあげるとしても、せいぜい『今までに暴力事件どころか、軽犯罪を引き起こしたこともほぼ無い』と言う情報だけだ…。

 勿論、あくまでも自分が調べた中でだけれど…この情報を受けた上で、犯行当時の兼井さんのことを考えてみると、やはり不自然ではある。

 幾ら、酒が人の本性を現すなんて言う位に精神を狂わせると言っても、女の子に殴りかかろうとするのだろうか…。


「まぁ、集めることは粗方集めた…って感じか……」

 収集開始から一時間、思い付く限りの有力情報をメモに記し終えた僕らは、手にしていた資料を改めてファイリングし始める。

「んじゃ、こっからの捜査は聞き込みって感じだね」

 水原くんはそう言いながら、ファイリングとは別に使わない資料を、社長の机の近くに置いてある資料用の大きな金庫に入れた。

 無論、プライバシーや情報の悪用防止の為に後で破棄されるのだが、大切な資料だからこそ、依頼遂行まではできる限り、厳重に保管されなければならないらしい…。

 それに、廃棄した情報をまた捜査課に引き出してもらうなんて面倒なことさせてはいけないのだろうからな…。

「うっし…。そんじゃ、こっからは一度二手に別れるか。一番になるべき人間は、人数が多いことにも気を配らないといけねぇからな…」

 欠伸を一つしてから、住浦さんは体を伸ばしつつ、意気揚々と提案する。

「そうですね…」

 適当に生返事を返した後、僕は水原くんと後ろを向く。

「ねぇ…スミウラさんが言ってる一番って…あれ何なの?」

 彼に気づかれぬよう、僕はこそっと聞く。

「スミウラくんの口癖みたいなものだよ…。あらゆることでトップに立ちたいっていう個人的願望が口に出てるんだと思うよ…」

 住浦さんを呆れているような冷たい口調で、水原くんは教えてくれた。

 一番と言ったら、確かに小学生よりも前の頃から、憧れの数字の一つだし、なにかを志すなら1を意識した方がいいかもしれないが…。

 そういえば、今朝、スプリミナルのボスに手を掛けようとして、一瞬で氷付けにされてたなあの人…。

「ミズハラァ、お前は第一発見者のリサトってやつの周辺探れ。できるなら現場検証とかもしとけ。そんで、俺と新人はカネイの女に話聞いてくらぁ」

 僕らがこそこそと話していることに遺憾に思ったのか、住浦さんはこちらを見下すようにギロリと睨みながら、僕らに命令した。

 と言うか、聞こえてたのか…。

「はいはい……」

 歳上にも動じない水原くんの肝の座り様はさておいて、自分はその後の言葉に驚いていた。

「ぼ…僕とスミウラさんが一緒にですか!?」

 正直、水原くんと一緒に行動したい。

 なんか変な意味とかじゃなく、住浦さんがちょっと高圧的だから、怖いのだ…。

「新人研修だっつってんだろ。ほら、早く来い」

 その思いは知らず、彼は僕の服の襟を乱暴に持って、引っ張りながら歩きだす。

「は…はいぃっ!」

 水原くん助けてと言いたかったが、彼も御愁傷様と言いたげな目をしているし、言ったら言ったで住浦さんになにをされるか分からなかったので、渋々、彼に引っ張られながら着いていった…。

 なにか、パワハラ紛いのことをされなければ良いんだけども…。




 ◆




 お昼前。

 生命の頭の上で顔を出している太陽は、ウザったいほどに白く街を照らす。

 引っ越しの手伝いを含めたら、もう5連勤以上している自分からすれば、もうそろそろブラック企業の申請をしても良いんじゃないかと思ってくるほどウザったい。

 まぁ、(勝手に)適度に休めているから、疲れて死にそうって訳ではないけれど…。

 昔から、対策が立てられては捨てられ続けた政策で、今日までにパワハラや過労死やらの数だけは減っている。

 そんな世界で、僕らを含めて多くの人間は、汗水垂らして今日も働いているのだらうか…。


 そんなことを考えながら、僕はバラーディアでも有数の金持ち区の中の街、昔は銀座と呼ばれたその場所の、とある居酒屋に来ていた。

 少し強引に、和風の自動ドアをこじ開けて入った居酒屋の中は、床がオニキスのように黒く光り、黒く塗られた木彫の壁が店内を覆う。

 レジの後ろには、色もラベルも様々な種類の酒瓶がズラリと並んでいて、その近くにあるショーケースには、如何にも高級という肩書きを下品に主張している肉や魚が、見せしめに飾られていた。

 ほんと…ここは、庶民が想像しているような高級感がこぼれだしそうな場所だな…。

 まるで磔の高級食品を見ていると腹がなりそうだ。

 そう言えば、この前に引き続き、また昼飯を食い忘れていたな…。

 なんてことを思い出していると、結構年の行った中年男性の店員が、僕に駆け寄ってきた。

「いらっしゃいませ。すみません、まだ開店前でして…。それと、子供だけでの入店はちょっと……」

 まぁ、14歳の上に背も結構低い僕を見れば、当然そんな対応をするだろうな。

 しかし、もうトランス済みの自分は、胸についているエンブレムさえ見せれば、入店拒否を突破できる。

「警察特殊認可特異行使結社、スプリミナルです。リサト ジュリさん…いますか?」

 顔を隠しながら、僕が店員に僕の立場を説明をすると、彼の顔が一気に緊張した物に変わった。

「しょ…少々お待ちください……」

 店員は、まるで逃げるように立ち去って、スタッフルームへそいつを呼びに行った。

 スプリミナルは秘密結社だからしっかりとは知られていないのだが、警察の特殊認可組織と先につけておけば、一応は信じてもらえる。

 都市伝説的な秘密組織だけど、警察がバックについているとやはり色々と便利だな。

 それに、スプリミナルだと言ったら、一気に態度が変わる様は見ていて少し気持ちが良い。

 まぁ、この優越感を悪用するような屑にだけはなりたくないが。


 なんて考えていた刹那、部屋の奥から出てきたのは、皮膚の数ヶ所が鱗で覆われた人形の生命体だった。

 このタイプは恐らく、人間とリージェンのハーフ、半異形生命体リージェレンスだろう。

「君が利郷 樹里リサト ジュリさん…でいいかい?」

「なんすか…?」

 ようやく登場した第一発見者の彼は、ポケットに手を突っ込みながら、死んでいるような目で、僕を睨んでいる。

 高圧的なその態度から察するに、早く済ませろ、とでも言いたいのだろうな……。

「カテキン暴行事件の第一発見者として、ちょっと聞かせて欲しいことがあるんだ。カネイさんの件について、あの人が一体なにをしてたのか…」

 少々苛立ちつつ、僕が彼に聞くと、彼の琥珀のようなオレンジ色の目が、スッと僕と視線をはずした。

「あぁ……個室にいた人っすか…。誰か知らないですけど、入店してからしばらくした後、なんか男女の差別?みたいなことで言い争いになって、男の方が女の方を突き飛ばしてたところで俺が見つけた…って感じっす」

 利郷は金の髪をかき分け、ポリポリと軽く頭を掻きながら、やる気なさげに応えた。

 淡々と短く答えているのが少し気になる…。

「なるほど……ちなみに、証拠に出来るものはある?」

「すみません…。うち、監視カメラとか少ないし、長い間マイクも壊れてて音声もとれてないんで、多分、俺の証言しかないかも…」

 利郷はめんどくさげにため息を一つく。

 先ほどから、一切の気力が無さげな彼の態度が癪に触る。

 面倒くさがりの自分が言えたことじゃないが、応答くらいは真剣にやって欲しいものだな。

「裁判は?君は出るの?」

 僕が聞くと、彼は大袈裟にため息を交えながら、引き続き質問の返答する。

「あぁ…昨日、わざわざ検事さんがきて、重要参考人として来るように言われましたね…」

 眉間にシワを寄せている利郷。

 やっぱり検察側も、第一発見者は必ず証人として確保しておきたいところだよな…。

「なるほどね……んじゃ、現場検証してもらえることってできる?とりあえず、彼らがいたような場所と同じ空き部屋でも良いから」

 僕が足を踏み入れようとした瞬間、彼は僕の目の前に手を出して動きを止める。

「あっ…さーせん。さっき警察が来て、検証とかもうやり終わった後だから、もう開店準備始めてて…」

 今の彼の言葉は、なにか急いで身を繕っているような感じで、なんともばつが悪そうな態度だ…。

「ちょっとだけ見せてもらえることも無理?一分だけでもいいから。それと、来店情報もほしいんだよね…」

 本当はもっと強行的に押し入りたかったが、怪しまれるのを懸念し、できる限りの譲歩をして踏み込んでみる。

 しかし、利郷は適当に頭を下げて、スプリミナルの要求を拒否する。

「さーせん……。これ以上めんどくせぇの嫌だって、店長言ってたし…お客のプライバシーに関わるからやめろとも言われたんで…」

 利郷の態度に疑いを感じるが、そこに嘘はないと思われる。

 確かに現場検証をするとしたら、準備中の今の時間しかないし、只でさえ現場検証は時間がかかるから、疲労も仕方がないだろう。

 それに、僕が店内に入るとき、扉をすぐに開けられたのだから、警察が来たと言う納得はいく。

「……そっか…。捜査協力感謝します…」

 これ以上踏み込んでも、彼はきっとなにも言わないだろう。

 彼に礼を言って背中を向けて少し歩きだそうとする。


 しかし、僕はふと足を止めた。

「ちなみにさ、君カテキンって知ってる?」

 彼とこの事件についての関係性について、少し思うことがあったから、僕はそれを聞いてみた。

「さぁ…?CMで出てるだけしかよく知らないっす」

 しかし、当人の返答はどこか冷たい。

 僕の目に見えていない、彼のその姿や表情は、一体どんなものなのかと考えるが、どうせ自分にとってあまり気分の良いものではないだろう。

「ふぅん…ありがと。それだけ」

 僕はそう言って手を振りながら、電源のついていない自動ドアを手で開く。

 恐らく、愛想の無さすぎる利郷の対応が気にくわなかったのか、扉が予想以上に大きく空いてしまった。

「あざっした…」

 客が帰る時ですらテキトーな利郷の返事を聞いたところで、この鄙陋ひろうな高級居酒屋を後にした。

 事情聴取からあまり時間は経っていないが、街の飲食店からは、ドアの隙間や開いた扉から漏れだした美味しそうな香りが、街を昼の装いに彩るように漂い始めている。


「にしても……やっぱり、なんか怪しかったな…」

 ランチタイムの街を歩きながら、僕は考える。

 利郷から聞いた証言は、いくらかキナ臭い要素の言葉や態度が沢山あった。

 まるで、自分自身の生気のなさを盾にして、なにかやましいものでも隠しているような…。

 しかし、これを理由にして犯人と決めつけるのはよくないというのは、昨日の家事代行での聞き込みでもわかっただろう。

 しかし、だからと言って利郷を手放すわけにはいかないような気がする。

「帰ってから情報課に頼んで、もう一回あいつの事をまとめてもらうか…」

 いろんな見解が頭のなかにぐるぐる回っているのなら、それを止めるために調べると言うのが先決だな…。


 プルルルルル!


 ランチタイムの街を出て、間もなく駅に着こうとしていたところで突然、着信音が鳴った。

 ポケットからスマートフォンを取り出すと、画面には『監視課』の文字が表示されている。

 事情聴取に行く前、あの居酒屋の監視映像を提供して貰えるように電話していたのだ。

「もしもし?ミヤサワくん?」

 事件解決へ少しの期待をのせて、僕はすぐさま電話に応答する。

〈ミズハラくん?さっき電話で言ってもらってたことなんだけどさ。ごめん、今回は力を貸せないみたい…〉

 しかし、彼からの報告は残念ながら、僕の求めているようなものではなかった…。

 その理由はすぐに考えられる…。

「もしかして、ピンポイントにカメラがないの…?」

〈そう…。厳密に言えば無いとは言いきれないんだけどね。このお店、監視カメラが少なくて、何部屋かはどうしても死角ができちゃうんだよ。それが、今回の依頼主、カネイさんの部屋も対象となっているんだ…〉

 電話越しに、宮澤くんの申し訳なさげな声が聞こえる。

 確かに、事情聴取の際に利郷はら監視カメラが少ないと言っていたな…。

 と言うことは、アイツが言っていたのは本当のこと…と言うことになるか…。

 店側が業務功績や労働基準違反を隠すため、現代でも嘘をつく企業があるから、正直半信半疑だったのだが…。

「そっか…じゃあ、来店した人の情報だけでも送ってもらって良いかい?店側は提供できないって言われちゃったからさ…」

〈わかった。でも、活用した後にはちゃんと情報は破棄してね〉

 監視課もスプリミナルも、第三者以降のプライバシー保護は絶対だからな…。

「わかってるよ、忙しいのにごめんね。ありがと」

 僕は宮澤くんに礼を言って電話を切った。

 今回は監視課は無理か…。

 カメラがないと言うのは、監視課にとって最大のデメリットだし、それを自発的に補うことはできないから不便だな…。

「まぁ、地道にやるしかないか…」

 面倒な思いをため息にして吐>きながら、僕はスマホを改札にかざして通る。

 そう言えば、住浦くんに新人研修として連れていかれた悠樹くんは大丈夫だろうか…。

「早く終わったし、様子見に行ってやろ」

 ちょっと悪戯心いたずらごころを含んで呟きつつ、僕は鼻歌を口ずさみながら、プラットホームへと進んでいった…。




  ◆




 林檎とシナモンの甘い香りがする…。

 白色を基調とした女性らしい部屋のなか、僕らは上品な絨毯の上に座り、重要人を待っていた。

「良いのかなぁ……こんな押し込むみたいに…」

 片足を立てて座る住浦さんの横で、僕は正座をして辺りを見回しつつ、申し訳なさげに呟いた。

 と言うのも、この家の家主は、この事件の重要人物であり、最初に彼女は、スプリミナルである僕らを拒否しようとしていたのだが、住浦さんが『お前には応える義務がある』等と、理には叶っているが強引なことを言って、無理やりこの家に入り込んでしまったのだ。

 こういう人が、平気でこんなことするから、スプリミナルは秘密組織のままなんだろうな…。


「お待たせしました…」

 小心者の自分が罪悪感に飲まれそうになっているところで、家主である女性が、ティーカップを乗せたトレイを持って来た。

「おう。悪いな」

 一瞬の悪気も感じない素振りの住浦さん。

 やはりその態度にイラついているのか、家主は彼を無視して、紅茶の入ったカップを僕らの前においた。

 家主の名は日之出ヒノデ公佳キミカさん。

 カテキンが所属している事務所でカメラマンをしており、殴られたと詳述している兼井さんの彼女だ。

「それで……私になにか用ですか…?」

 日之出さんは眉をしかめ、睨むように聞く。

 恐らく、兼井さんのことについて聞かれたくないというのが、顔に出ているのだろう…。

「単刀直入だが、今回の事件の加害者、カネイ キノミについて聞きたいことがある」

 だが、そんなこと知ったこっちゃないと、住浦さんはいきなり兼井さんについてを彼女に聞き始める。

「なんであいつを告訴した?」

 住浦さんが聞くと、彼女はふぅとため息を一つく。

 このため息はきっと、このデリカシーの欠片もない先輩への呆れなんだろうな…。

「……自分はずっと別れたかったんです」

 ティーカップを両手で掴みながら、彼女は話し始める…。

「良い気味ですよ。あんな、女に手を出すやつ…。ようやく別れられるからせいせいします…」

 嫌味混じりに応えると、彼女は気を落ち着かせる為に、少しピンクがかったその紅茶を一口含む…。

「ふぅん…やけに冷てぇんだな…」

 自分で聞いておいて興味なさげに返事をする住浦さん。

 我が家のように足を崩している彼は、格好をつけるかのように、ティーカップの取っ手ではなく飲み口の部分を掴んで紅茶を飲み始めている…。 

「そんなに…嫌だったんですか…?」

 そんな失礼な彼は置いておいて、僕の頭の中では、拘置所で落ち込む兼井さんの姿が浮かんでいて、僕は恐る恐る彼女に聞いてみることにした。

 しかし、それが引き金になってしまったかのように、彼女はさらに目くじらを立て、募っていた不満を吐き出し始める。

「だって彼、清純派に見えて裏では全然なんですよ?掃除はしないし、洗濯もしない、買ったものはほったらかしな上に、新しい物好きだし、おならはするしと、全然良いところないんですよ?」

「いや、屁くらい良いだろ別に…」

 紅茶を飲み干した住浦さんがツッコむが、彼女は彼への嫌悪を曲げることはなく、まだ中身が入っているティーカップを、少し乱暴に机に置く。

「それだけじゃないんです!最近は動画に必死すぎて、私に全く構ってくれなくて、しばらく倦怠期ぎみだったんです!だから……だからもう、私は彼に関してはなにも思ってません。告訴を取り下げようとは思いませんし、通報してくれた人には感謝してますから」

 怒りを乗せながら言葉を吐いた彼女の顔は、僕ら二人の目を見ているわけではなく、ただまっすぐの方向を向いていた…。

 言葉だけを聞けば、今の彼女が兼井さんを嫌っていると言うのがわかるだろう。

 しかし、彼女の態度には、なにか言葉にできない違和感のようなものを、僕は感じていた。

 言葉にできないそれこそ言葉にするべきではあるのだが、それができる程のボキャブラリーは僕にはない。

 だからこそ、彼女の心情への疑いが、汲み取れたのだ…。

「で…でも…少しは情けとかは…?」

 偽物の真実を知るために、僕は少しだけ、彼女の心の中にある兼井さんへの情に語りかけてみた。

「あるわけないでしょう?ずっとうんざりしてたんですよ?私と動画、どっちが大事かっていったら、きっと絶対に動画をとるような人間ですよ?もう嫌ですよ…」

 やはり突き放されるけれど、ここで諦めたらいけない…。

「そんな……彼も仕事だったんだし…それに、家族を守るために仕事はするものでしょう…?」

「そんなの綺麗事でしょう?仕事が終わった後にでも、私にいくらでも話したりとか、飲んだりとか、そう言うことも出来たと思うんですけど?」

「でも…きっと、それは忙しいからこそ、行動に出来てなかっただけで、彼なら愛しているのは間違いないと思うんです」

「失礼ですねあなた…。勝手に彼の気持ちを捏造するみたいに…。こっちの気持ちにもなってくださいよ…」

「こっちの気持ち…と言われても…」

 どれだけ想像上の兼井さんの心情を想像して突きつけても、どれだけ自分が問いかけてみても、どれだけ反論しても、彼女の返答は、嫌いの一点張りだ…。

「そもそも、付き合ってるんだから、もっともっと時間くらい作っても良いと思うんです!なのに、いっつも編集撮影や編集やらで…酷いときは買い物を私に任せて、1ヶ月も外出してなかったんですよ!?どっからどう考えても仕事人間じゃないですか!」

 嫌いの裏を突くどころか、彼女の口からは芋づる式の如く、どんどん依頼者への揶揄や罵倒が涌き出てきて、僕が口を挟むこともできない…。

「それに、カテキンの動画見たことあります?前はおぼつきながらも頑張ってた動画を作ってたのに、最近は、いくつかの動画を外部に任せるようになって、今のカテキンは低迷してるんじゃないか?って、SNSとかで言われている始末なんですよ?このままあいつはドンドン落ちていくと思います…。見きりをつけるのには、今回の事件が最適だったんですよ…」

 彼女の身体の中から、ずっと抱えていた大量の文句が放たれた後、僕の隣で聞いてた住浦さんが先程の彼女よりも大きな溜め息をついた

「はぁ…んじゃ、お前の言うとおり、典型的な倦怠期だったわけだ…。こうなっちゃあおしまいだな」

 呆れる住浦さんに向けて僕が反応するよりも先に、彼女は通夜のように静かなこの部屋の中で、ぽつりと言葉を吐く。

「もう良いんです…終わりたい…」

 その哀愁の言葉が意味するものは、きっと彼女自信の恋の話。

 予想していなかった、一人の男のたった一つの行動が、女の中にある硝子細工的な何かを崩してしまった、どこにでも上映されそうな小さな喜歌劇だ。

 この世界のどこを探しても、類似したものに溢れている凡庸すぎる物語…。


「でも……それでも…大好きだった人に…変わりはなかったんですよね…?」

 しかし、僕はそれは違うと思う。

 彼女の言葉に隠れている思いを予測してみてみると、どこか観念

のような感情が自分の中で取れた気がしたのだ。

 これはどこにでもある怨みの物語等ではなく、 何か事情のあるトラジティ的な物なんじゃないか?

 しかし、僕の言葉を聞いた、日之出さんはしかめっ面で此方をギロリと睨む…。

「何が言いたいんですか…?今さらそんなこといって示談にしてもらおうなんて思っても…」

「今のところ、まだその気はないです。でも、あなたの話はさっきから、暴力その物の件の話が出てなかったんです。本当に嫌いだったら…見ず知らずの僕らに、そこまで詳しく日常のことは言えないんじゃないか?と思いまして…」

 また話を切られそうになったが、負けじと僕は、僕自信の思いを彼女に問いかけてみた。

 少々賭けのような手法な気はするが、うまくいけば、きっと情に流されて本当の気持ちを吐き出すか、何かしらのボロが出るかも知れない。

「それに…あなたのことも、少しだけ調べました。デビューした時から、ずっと好きだったんですよね?カテキンとしてがんばっている兼井さんのこと…。8年前の昨日、はじめてのオフ会の時から今まで、欠席しなかったことはなかったって言う…あくまで噂の範疇ですが、そう言う情報も知ってます。勿論、ファンとして叱責するのも大事なことかもしれないですけど、ずっとずっと昔から応援してるんだったら…その分、ちゃんと信じてあげるのも、ファンじゃないんですかね…?」

 情報調査の際に小まめに取っていたメモを片手に、僕は彼女にその事を突きつけた。

 これはあくまでも、ファンとしての歴史が、情に訴えるために大事な事だろうと思ったから、話したまで。

 これで、もう少し情報が引き出せたらいいと思い、僕はまっすぐに彼女の目を見る。

 しかし、僕の話した事が地雷だったのか、彼女はジワジワと顔を赤くしながら机を強く叩き、こちらを強く睨んだ。

「うるさい……っ!あなたに何がわかるのですか!」

 突然の怒号に、僕はビクリと肩を震わす。

「あの人はわたくしを殴った!そこにファンとしての情なんてないのですよ!ふざけるのも大概にしてくださいませんか!」

 しまった…絶対に逆効果だった…。

 目の前で涙目になりながら怒る日之出さんに、僕はもう目を合わせられない…。

 フィクションの真似事のようなことをするには、僕の計画自体が浅はかすぎたのだ。

 情に訴えようとして怒らせてしまうなんて、探偵として最低だ…。

「ご…ごめんなさ…」


 ゴンッ!


「い゛っ!」

 彼女へ謝辞を述べようとした瞬間、突然、自分の脳天を目掛けて先輩からの拳骨げんこつが落ちてきた。

「すまねぇな。こいつ、新人だからさぁ~、まだちゃんと第三者視点に立って物事言うことできねぇんだよ」

 住浦さんが営業スマイルを彼女に向ける中、僕は未だにグリグリと拳を押し付けられている。

 暴力的な教育に少々不服な感じはするが、感情的になってしまった僕を助けてくれたつもりなのだろうか…。

 なんて思っていた途端、彼は僕の頭から手を離すと共に、とある提案を日之出さんに吹っ掛けた。

「んじゃ、俺と二人で話をしないか?それの方が、こいつに調子狂わされなくて済むだろ?」

 突然のマンツーマン聞き込みへの誘いに、僕は驚いた。

「そんなこといっても、なにも変えませんよ…?」

 こんなに拒絶しているのに、一対一でなんとかできるのだろうか…。

「いやいや、お前が嫌いな彼氏をちゃんと裁いてやるためだよ。証言は沢山ある方が良いだろう?どうだ?」

 未だ僕らに不信感を抱く彼女に、住浦さんはあくまでも裁判をする側としての提案を元に、彼女に案を提じている。

 ここまで自信ありげに話すということは、なにか今回の依頼遂行のための鍵があるということなのだろうか…。

「話すことは変わりませんよ?」

「わかってるさ。俺だけに、お前が言いたいことを言えばいいだけだよ」

 このやり取りを機として、しばらく彼女はジロジロと住浦さんを睨んでいる…。

 睨まれている当人は、ただ微笑みを浮かべているだけだ…。


「……わかりました。日常的なことから何から話します…」

 少しにらみ合いのような攻防が続いた後、彼女は住浦さんとの対話を了承してくれた。

「ありがとうご…ザッ!!」

「あんがと。協力に感謝するよ」

 僕が礼を言うよりも前に、住浦さんが微笑みながら僕の頭を掴み、乱暴に後ろに押し倒した。

「ちょ…なにするんですか!」

「うっせぇ!ヒノデさんが二人がいいって言ってくれてんだ!新人はとっとと出てけ!」

 どさくさ紛れに背後の壁に打ち付けてしまった僕に、住浦さんはシッシッと手で虫を払うかのように冷たくあしらう。

 新人だからって、なんという対応だ…。

「わ…わかりましたよ……」

 ぶつけた頭をさすりつつ、僕はやれやれと立ち上がり、ドアノブを握った。

「聞き耳とか立てんなよ?」

「それも……了解です…」

 用心に釘を刺されたところで、僕は口を尖らせながら、不信感に濁るこの部屋から出た。


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