1-⑥


時間をかけて菜々子ななこの遺品を検分したけれど、「ほしい」と思えるものはなにもなかった。

 どうしたものか……とあらためて部屋を見渡す。

 ふと、骨壺の隣にこぶし大の毛玉――クマのぬいぐるみがちんまりと供えられていることに気づいた。背中にファスナーのついた、ちょっとしたポーチにもなるキーホルダー。菜々子の十五歳の誕生日に、私がプレゼントしたものだった。

「こんなものまで取っておかなくても……」

 あきれながら、ぬいぐるみポーチを手に取ってみる。

 元はオレンジ色だった毛並みは灰色に変色し、ツヤがなくなっていた。買ったときはもちもちだった中綿も、すっかりへたっていた。刺繍によって描かれた顔は、糸が抜けて片目が消えてしまっている。

 部屋に戻ってきた伶子れいこさんが、「ああ、それね」とぬいぐるみポーチに気づいた。

「菜々子がスマホにずっとつけてたの。お棺に入れてあげようと思って、洗って干しておいたんだけど……忙しくて忘れてた」

 つまり、このクマはスマホといっしょに海に落ちたのだ。もしかすると、菜々子の死の瞬間を見ていた可能性だってある。

 私はぬいぐるみポーチをまじまじと見つめた。消えかけたクマの顔は、なにも語らない。ポーチのファスナーをあけて、狭いポケットをのぞきこんでみる。砂が数粒残っているだけで、空っぽだった。

聖良せいらちゃん」

 私がぬいぐるみポーチをいじっていると、伶子さんが静かに切り出した。

「菜々子からの留守電メッセージ、データを保存しておいてくれてありがとう。本人からしたら私に聞かせたくない話だったとは思うけど……。でも、最後の言葉を聞けてよかった」

 伶子さんの発言は独白めいていた。

 私はなにも言わずに、くたくたになったぬいぐるみポーチを揉み続ける。菜々子からのメッセージをいまだ消化できていないから、伶子さんにどんな言葉を返すべきかわからなかった。

 たぶん、伶子さんは私になんの反応も求めていないのだろう。言いたいから言った。そんな一方通行なところが、伶子さんにはあった。

 沈黙が流れる。五感が鋭敏になっているのか、嗅ぎ慣れたはずの線香のにおいをやけに強く感じた。

 伶子さんはまだ言いたいことがあるみたいだけれど、私は菜々子の残り香に満ちた空間にすっかり嫌気が差していた。写真や手紙を見つけたときに、なけなしの気力をがっつりと削られてしまったのだ。

 もう帰っていいですか、と素直に訊こうとしたときだった。

「……こんなこと、聖良ちゃんに言うべきじゃないのかもしれない」

 伶子さんが再び口を開いた。平坦で、不穏な前振り。

「でも、聖良ちゃんにしか話せないから」

 私は伶子さんを見やる。

 伶子さんは無表情なようで、緊張しているのか口もとが強ばっていた。

 ―このひとは本気でろくでもないことを言うつもりだ。

 直感的に気づいてしまう。

 十中八九、菜々子のことだろう。お母さんではなく私を話し相手に選んだということは、留守電メッセージに内容についてなにか思うところがあって――。

 私の予感は的中する。

「私、菜々子は失恋が原因で自殺したんじゃないかと思うの」

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