案件01:六日目の晴天

1 光の雨

 どしゃ降りの雨が連日つづいていた。

 雨雲が上空をおおい、王都をどんよりと濡らしている。


 優雅な、洗練された木骨造の家が立ち並び、あちこちに赤い旗を垂れさげたその巨大な都は、もともと青と茶を混ぜたような色彩だったが、雨に打たれすぎてすべてが黒ずみつつあった。

 太陽が昇っているはずの時刻にも関わらず、街頭が明かりを灯しているせいで、その黒ずみにたしかな輪郭を浮かびあがらせている。

 人々が足早に駆けていく。ガタガタと煙を吐く四輪車マキナ・ビトルや馬車が水しぶきをあげながら走り去っていく。

 そんないつもよりもスピードをあげた世界を、雨のしずくがガラスを歪ませながら落ちゆく向こうでウォレンは膝をかかえながら見ていた。

 憂鬱ゆううつだった。まるで監禁された少年のように時間がすぎるのを待っていた。

 突然、兵士たちが石畳の大通りを駆けて現れた。群衆たちを追い払って、道の真ん中にある水たまりの周囲に集まると、

「こいつは神祇じんぎだ!」

「水たまりじゃないぞ、近づきすぎるな!」

 神祇……もっとも古い光の果て、もっとも遠い地点から地上に訪れて人を襲う魔物たちのことだ。正体はわからないが人間社会のなかに紛れこみ、あるいは攻撃を仕掛ける人類の天敵にして、神の敵対者である――

 四人の兵士たちがショートソードを取り、射撃武器トフェキを取った。

「攻撃用意!」

 風格あるリーダーらしき兵士が片手をあげた刹那せつな、水たまりが渦の柱を立てて曇天どんてんに伸びた。上空へ打ちあがったは巨大なサメだった。

「渦ザメ」

 ウォレンがつぶやいた。神祇図鑑や神祇交戦録で見たことがあった。

 空にのぼったのち、渦ザメがリーダー兵士の上に高速で落下した。

 渦ザメが地面に着水する。しぶきが勢いよく、さながら散弾のように跳ねた。ウォレンの見る窓にピシリとヒビが入ったが、彼は反応を示さなかった。恐怖がないわけではなく、関心を寄せるほどの気力がなかったのである。

 近くにいた兵士のひとりがしぶきによって負傷したらしく、脚から崩れ落ちた。リーダーはというと、そこにはもういなかった。食われたのだ。

「リーダーがやられた、応援を呼ぶ!」

 負傷して倒れた兵士の肩を支えながら、ひとりがいった。

「態勢を立て直すんだ。ここはおれに任せて先にいけぇっ」

 殿しんがりを申しでた若いもうひとりが槍を構える。ウォレンは彼が死ぬのだとわかった。そんな気がした。

「おおおっ」

 水たまりが勇敢な兵士に襲いかかった。なすすべなく彼は水のなかに消えた。

 二度目の散弾にふたりが吹き飛ばされて、ウォレンの部屋の前、窓に叩きつけられた。折れた槍ががっきと地面に突き刺さる。

 水たまりが向きを変え、ウォレンの部屋のほうに高速で迫ってきた。目標はこのふたりの兵士だろう。神祇の執念深さは誰もが知るところである。

「あべぷ」

 水流と気泡が窓の外で上昇した。水が外で炸裂したのだ。世界が海底に沈んだような光景であった。

 水位はすぐにさがった。だれもいない、兵士ふたりがいなくなっていた。

 ぬらりと水たまりが泳ぎだすと地面に溶けこみはじめた。増援の兵士たちが駆けつけてきたのを察知したらしい。真っ向勝負ではなく、波状攻撃を好むのだろうか。どちらにせよ、五日目の雨はこの神祇の味方をしている。

 兵士五名、渦ザメと交戦。全滅――ウォレンは胸ポケットから取りだした紙に、それだけを書いて「安らかなれ」と一言いった。両手を組んで頭を浅く沈めながら。

 彼の仕事は、記録屋といって、日々起こることを書き残す歴史の語り部である。

「おい」

 ウォレンが振り向くと、ギギと扉が開かれて背の低い男が入ってきた。この記録屋支店を取り仕切るチーフだ。

「おい、買いだしいってこい。パンと飲みもん」

「あの……外にまだ神祇が……」

「お前が喋っていいのは『はい』か『いいえ』か『すみません』だ」

「はい……」

「早くいけ」

 吐き捨て、チーフはまた廊下に消えた。

 ウォレンの内心は外の曇天よりも薄暗くなってしまった。どうせなにを買ってきても文句をつけられて殴りつけられるだけだからだ。

 銀貨と銅貨が数枚、入っただけの財布をつかみ取り部屋をでる。廊下を抜けて広間にいくとデスクに腰かける大男、セカンドが声をかけてきた。

「お前、散歩にでもいく気か。仕事しろ」

 お前――彼はこの仕事をはじめてから、一度たりとも名で呼ばれたことがなかった。かれこれ一年になる。

「いえ……買い出しに……」

「半人前の癖に、一丁前に飯は食うのか」

 あなたの上司に買い出しを指示されたんですと、ウォレンはいいたかったが平に「すみません」とだけかえした。

「戻ってきたら、これも仕上げろ」

 セカンドは書類の束を放り投げて、床に落とした。

「明日の午後、兵団に持っていけ」

「明日? 明日は休み――」

「休みなんかない」

 壁にかけられたスケジュール表には久しぶりの「休」の字が書かれていたが、やはり用をなさなかった。じゃあ書くな。


 傘をさして、雨のなかを駆け足で急ぐ。

 紙祇に襲われる可能性よりも、なにかをすることが怖くて仕方なかった。少しの行動や言動が上司たちに怒りでもってかえされることにおびえていた。すれ違う人々の顔もわからない。わかったところで羨望せんぼうだけが残る。思考が黒く塗り潰されて足取りが重くなる。もうこのまま家に帰ってしまいたい。

 走り疲れ、不安することに疲れてきて、ウォレンは立ちどまった。すると、彼の目の前に建設中の建物が広がった。

 ――コロッセオだった。

 骨組みのまま雨ざらしになった巨大な闘技場の前に、ウォレンは立っていた。ウミ王の新しいたわむれだと人々は噂している。

 情報によると、そう遠くないうちにこれは完成して稼働するらしい。記念すべき最初には、各地の強きごうたる者たち……そのなかでも超一流だけを集めた「小規模トーナメント戦」を多くの観客を呼んでもよおすのだとか。

 なんのために、それをおこなう必要があるのだろうか。はなはだ疑問であった。

 徒手による闘争であるならば格闘技大会で済むだろうが、各地の一流を呼び寄せるのであれば、それぞれの分野にひいでた者たちが現れることになる。武器を使う者、魔法ギアエを使う者、卑怯手をいとわない不逞ふていの輩……さまざまであろうが、どれもこれも無事では終わらないだろう。終わるはずがない、その場合は。

 ……誰がを見たいというのか。

 良王とほまれ高い「総国のウミ王」らしくない酔狂すいきょうである。

 曇った都市の中央に君臨する未完成の舞台は、なにかの産声うぶごえをあげているようだった。原始的な、あるいは黎明れいめいのような我々の根源的性質の再誕をこころみる怪物に彼の目には映った。

 コロッセオの魔力に魅入られるウォレンの不穏な思考が分断された。通りの奥で盛大に水柱が吹きあがったからだ。

 兵士たちが八方を囲みながら、マキナ・ビトルで並走し、攻撃を仕掛けている。

 兵士のひとりが、錬金術でギアエを練りこんだ斧を振り放った。衝撃波が拡散して民家を切り飛ばしたが、水たまりには効果がない。

 また別の兵士のひとりが、アシェアノに装填そうてんした。アシェアノとは「鋼の輪」を意味するトフェキに似た射撃武器だが、ギアエを詰めた錬金特殊弾丸に対応している。非才でもギアエを放つことができる強力な武器だ。とはいえ、才覚とは違う熟練を要する魔銃でもある。

 兵士がトリガーを引く。歯車がギリギリと回転し、カチリと音がした。鋼の銃身から弾丸が放たれ、反動で兵士が吹き飛んだ。

 中身は炎のギアエ――灼熱しゃくねつが王都の巨大な通りで火で巻きあげたが、犠牲になったのは景観と彼らの味方だけであり渦ザメは全速前進をつづけている。

「仲間をこんがり焼きやがって、このシリアルキラーめ!」

「好きで仲間焼いたわけじゃねぇ、含有がんゆう量が多すぎた!」

「だまれ、お前ら!」

「くるぞっ」

 水たまりから血管のような鋭い針が飛びだした。まるで地面を高速で走るハリネズミだ。水分で構成された針は兵士たちをマキナ・ビトルごと貫通した。

 針がズッと水たまりに戻る。兵士たちの遺骸がごろごろと道の上に転げ落ちた。マキナ・ビトルも転がって爆発した。

 ウォレンのほうへ渦ザメが、水柱を爆音とともに打ちあげながら急接近していた。

「危ないぞ、逃げろーっ」

 建物の二階の窓から叫ぶ男がいた。

「早く逃げなさーい!」

 王都の民たちが家のなかから顔をだして叫んでいる。

 酩酊めいていしたようにウォレンは静止していた。金縛りにあったように動けないのは死の恐怖のせいだけではない――

 ウォレンの前に巨大な男が背を向けて立った。職場にいるセカンドよりも、はるかに大きい。体躯たいくだけではなく、まとう気のようなものが傘すら持たずに山となってそびえていた。山は傘などささない。

 みすぼらしい布の服から太い四肢がのぞいている。厚い胸板が張っている。筋肉がふくらんでいる。傷だらけの肉体だ。

 仁王立ちする男を敵と認識したのか、水たまりは爆速で回転する巻き貝を六発、まるでミサイルのように飛ばした。火を噴きながら飛来したそれらは、男に届く直前、まるでなにか透明の壁に衝突したように爆発した。

 地鳴りを響かせて水たまりから渦ザメが飛びでた。一気に食い殺す気だろう。ギザギザの牙がバカっと開かれた。

 まったくの闇だ。

 震えあがりそうになる無限の闇が、渦ザメの口のなかに広がっていた。大気圏に突入したように、黒一色が男とウォレンを呑みこんで高速で流れてゆく。トンネル内を加速するのと同じで、景色はないのに高速で背景が流れていることがわかる、あの感覚だ。

「記録屋だな。それも優秀な部類の」

「え……」

 地平線や水平線から太陽がのぼって、光が横へ伸びていくように。一文字の太い光ができると、今度はトンネルの出口となってふたりを呑みこんだ。

 光が明けるとウォレンと男は、さっきまでどおりの雨降るコロッセオ前に立っていた。

 ウォレンが呆気に取られつつ、うしろを振り向いた。横一閃に斬り裂かれた神祇、渦ザメが黒い煙をあげながら溶けている。

 なにが起きたのかウォレンにも、おそらくは建物から見ていた大衆にもわからなかっただろう。光が巨大な水のサメを切り裂いたとしかいえないのだが、果たして仁王立ちしていただけの男の手によるものであったのか――

「俺と張り合おうとするとは、神祇も最近の若い奴はってところか」

 じかに出会うのははじめてであったが、知らない男ではなかった。これもまた猛者もさの一角であり、いやそれらの頂点であった。古今東西天下無双、誰がその名を知らぬ。


 ――熾天してんのミキ。


 世界広しといえど、ただのひとりしか現世に存在しない「勇者」というブランド。

 神祇たちと対等以上に渡り合い、人間同士の争いにおいても無類の強さを誇った勇気ある者。王や屈強な兵団ですら手綱を握れない生ける伝説そのものが、か弱い青年の前にたたずんでいた。

「ミキ……」

「ん」

 はじめてウォレンに気づいたような反応をして、ミキは彼のほうを向いた。

「利口な男だ。見たことを鮮明に記憶できる才がある、記録屋に向いている」

「……」

 ウォレンは自分の手の平を見た。

 記録を書こうとすると、記憶や情報がこと細かに脳内で再生され、文字に変換することができた。誇らしい才覚だったし、それを活かすのが生き甲斐だった。

 ……だがしかし、いまは。

「どうした、悩みごとか」

「いや……そんな……」

「お前はいまの神祇になにを期待した。それに引き寄せられて、奴はお前の側にかじを切ったのだぞ」

「……なにも」

「仕事か。記録の仕事が嫌になったか。いや、違うなあ。人か、人が嫌なのだな。悲しみと怒りと憎しみと、不安だ」

 なにも語らぬうちにミキはずばずばといい当てた。

 そのとおりだった。夢を追おうとする、生きようとするだけで理不尽に打ちのめされる日常に嫌気がさしていた。

 ミキの眼がぎょろと空へ向けられた。

「腕っ節だけではとめられない悪意が大気をおおっている。神祇どもより、ときとして醜悪な風が吹き荒れている。あれもそう」

 ミキはコロッセオを指さした。体はウォレンのほうを向いたまま。

「正義ほどの悪徳は、そうそうない」

 今度は首を傾けて、ミキは街の人々に視線の焦点を当てた。

「争いは望まぬといいながら奴らは退屈している。耳ざわりのいいことばかりつらつらいっておるが結局は見たいのだ。ほれ、そこ。そこを歩く奴らも」

 薄ら笑いを浮かべながらミキはいうが、それが余計に哀愁に満ちた虚しい影をきわだたせていた。

 勇者の指摘にはおおかた同意だった。

 武力勢力、つまり兵団の急激な政治的台頭が世界情勢に変化をもたらしている。絶対正義を唱えて戦う兵団は民衆のヒーローだが、それが大きくなればなるほどに対極の悪というべきものを刺激する。強力な善性が強力な悪性を呼ぶのは、いつの時代にあっても不変であり、これは摩擦を起こす。摩擦は熱になる。狂的な熱気が世界中を焦がしている。腐臭を漂わせてだ。

「ミキ。あなたは?」

「待っている」

「なにをですか」

「夢を捨てたら夢が落ちてきたときに後悔する。だから待っている」

「どういう意味です」

 はじめて真っ向から会話した勇者は、まるで違う世界の生き物だった。会話が微妙に嚙み合わないのに、圧倒されそうになる。

「苦しいときは。はは、歩け。わしもそうした。背負うものすべてを放り投げて、知らぬ存ぜぬと歩いた。歩くと、いい出逢いがある。人生とは、そういうもの」

 口角をあげて眼だけは怪しく光らせたまま、ミキがいう。

 ウォレンの目に映る勇者の姿が突然、まばゆく照らされた。どしゃ降りの雨が光の雨となって、ミキのまわりを優しく落ちている。

 この段になって、あることに気がついた。この強い雨の日にあって、ミキはまったく濡れていないのだ。

「記録屋、またしかるべき舞台で逢おう」

 ミキはウォレンの前からいなくなっていた。雨もただの水玉に戻っている。まるで時間が飛んだように、最初からそこに誰もいなかったようにウォレンだけが道に立っていた。まばたきをしたのかもしれない。その一瞬で勇者はいなくなっていた。


 六日目、雨は晴れた。

 ウォレンは昨日のうちにほぼ徹夜で山積みの仕事を終わらせると職場に報告だけして、そそくさと王都の正門をくぐった。自分の分は余分に終わらせた。文句はないだろうと、なかば開き直って汽車に乗りこんだ。

 一年前、夢を抱いて王都にやってきて以来の汽車であった。

 蒸気を吐く音と足の下でせわしなく回転する鉄の音、上下左右の大雑把な振動が心地よかった。硬い座席から窓を見ると、見慣れた景色が右から左へ流れて風情ある力強い石造りの街並みに変わった。

 久しくまともに寝ていなかった彼は、またたく間にまどろんだ。鉄に支えられた木製のゆりかごでウォレンは泥のように眠った。

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