第2話

 伴善男の処分が決まったのは、秋の末だった。

 伴善男、その息子の中庸なかつね、さらに同族の伴秋実、伴清縄の四人が罪に座せられることになった。

 さらには累は業平と縁続きである紀家にも及び、善男の従者である紀豊城も伴家の四人とともに罪を問われた。業平や有常にことの次第を告げたあの紀夏井の弟である。この五人は、斬首に当たる罪と断ぜられた。

 常行とて参議である。黙ってなりゆきに任せていたわけではない。だが右大臣の嫡男といっても年が若く、三十一では参議の中でも最年少であった。そして太政大臣の養子の基経が、同じ年齢の若い参議として睨みをきかせている。同じ参議には業平の長兄で大枝家を継いだ音人もいるが、腹違いということもあって業平とは疎遠になっていた。

 結局伴家と紀家の五人は、死一等を降じて遠流おんるとなった。

 これは慣例で、平城上皇の乱で藤原仲成が誅せられたのを最後に、死刑は実質上は廃止されている。

 だから、死刑を宣告されても実際は遠流というのが通例となっていたのだ。

 伴善男は伊豆、中庸は隠岐、紀豊城は安房と、それぞれ遠流先は決まった。さらには豊城の兄のあの紀夏井までが、連座ということで土佐へ配流と決まった。こんなにも多くの人が一斉に流されたのは、政治的にも大事件である。

 善男の配流後は、その財産没収が始まった。かの大伴家持と祖を同じくする大伴御行おおとものみゆきの末裔の名家大伴氏が、ここに没落していくことになる。

 そして摂政太政大臣良房は、老いてますます時の人になっていった。だが良房の本当の鉾先は、単なる伴家という他氏排斥ではなかった。

 伴一族の処分が一段落つくと、いよいよ良房はその真の標的へと鉾先を向けてきた。

 だから言わぬことではないと業平は思っていたが、もはやこれ以上深入りしたくなかったので、右馬寮での勤務をおとなしく黙々と続けていた。兵衛府にいた時と違い、ここでは滅多に内裏の中へ行くような用向きもない。


 右大臣良相には、太政大臣良房からかなり無言の圧力がかかっているようで、表立っての糾明はないにしろ陰湿ないじめが行われている様子である。

 内裏へは行かないので具体的なことは業平の耳には入らないが、やはり左大臣を犯人扱いしたという事実が以前にある以上、良相はその兄に抗えないでいるらしい。

 十二月になって、帝の勅という形で良房の養子の宰相左中将基経が三位に叙せられ、先輩参議七人を飛び越えて中納言に任ぜられた。

 これには良相も、ついに切れた。即日右大臣と左近衛大将の辞表を帝に提出したのである。理由は病気であった。辞表は形式どおり三回に渡った。三回目で受理されないと、普通は引っ込める。良相の場合は右大臣の辞表は受理されなかったが、左大将の辞任のみが認められた。

 そこで太政大臣と同じ北家で遠縁の、それまで右大将だった権大納言氏宗が左大将に転じた。そして、それに乗じる形で常行に右大将の地位が回ってきたのである。これで常行は本職では基経に先を越されたが、兼職では大将となって左中将の基経より上となった。

「あの男にだけは負けたくない。父が伯父に後れをとっても、私はあの男には負けたくはないのだ」

 と、常行はいつも業平に言っていた。同じ年の従兄弟に、相当対抗意識を持っているようだ。

 だが今の業平には、それが空々しく聞こえた。もはや同調はできない。このような陰謀と策略渦巻くどろどろした権力闘争とは、自分は無縁でいたかった。

 そんなことを考えるとき、自然とある存在が業平の中で意識された。同じように権力闘争に敗退し、その埒外でひっそりと悶々と暮らしている人――惟喬親王だ。


 右大臣良相にとって、決定打が下された。暮れも差し迫った頃、ついに摂政太政大臣は切り札を出してきた。

 つまり、養女高子の入内が実現し、高子は女御に冊立された。良相の再三の辞表提出と同じ時期に、良房は高子の入内工作を進めていたことになる。ところが良相の娘の多美子の女御宣下は詔書の形で出されたが、高子には詔書はなかった。高子は帝より七歳も年上である。

 業平の心境は、一種複雑であった。あの事件はもう遠い昔のこととして片付けてしまっている。

 東国行きの前とあとでは自分の人生が全く変わったと業平は思っているが、考えてみればあの事件からまだ六年しかたっていない。だが、もう六年もたったのかとも思う。

 今、女御となった高子は、今の自分ともそして過去の自分とも全く関係のない存在である。そうは思っても、はじめて彼女を見たときの五節の舞の衝撃、彼女を抱いて同じ馬の背に乗ったときの彼女の体のぬくもりと香の匂い――それらすべてが彼の中に残っていた。


 しかしそのようなことで悩むには、彼はもう年をとりすぎていた。今では悩むより逃避を選ぶ。その逃避先は大炊御門おおいみかど烏丸からすまの惟喬親王邸だった。

 久々の業平の来訪に、老境に達しているような心持ちの二十三歳の若者は、大げさなくらいに喜んで迎えてくれた。すぐに酒が出される。

「このたびは、伴の一族がやられましたな。わが母の里の紀家からも、若干の連座の者が出たようですね」

 屋敷に篭もっている割には、親王は時事問題をよく知っている。四品という位があるだけに、暮らし向きは困ってはいないのだろう。だが、職は弾正尹だんじょうのいんで、冗官である。弾正台自体が、検非違使の設置以来全く機能しておらず、形式的な役所になっていた。だから親王は、外出をほとんどしていないはずだ。

「宮様もお聞き及びで?」

「風の噂ですよ。私は関心はない」

 業平とて、関心はない。

「それがしもです」

 業平は、思わず叫んでいた。

「もう、疲れました。宮中に浸りきるのはごめんです。ましてや、心まで宮中の染まってしまうのは。いっそ、形でも変えましょうか」

 そうは言ったが、これは業平の本心ではない。宮中から、俗世からは逃れたい。が、だからといって求めるべきものは何もない。

 だから、そもそも仏道の道心とてないのだ。それに長男の棟梁は元服して紀家の庇護下にあるからいいにしても、幼い次男が心配だ。庇護してくれるべき母親の里の舅の右大臣は老齢であるし、将来が望めない。今自分が出家してしまったら、次男の行く末が気にかかるし、その母もまた不憫である。

 それらがほだしとなって、とても出家などできる状況ではない。出家できたら、どんなに楽かとも思う。そう思うと、今目の前にいる不遇の若者の方が自由の身であり、羨ましくなったりもする。

 その若者は、杯を口にニタリと笑った。

「私もですよ。右馬頭殿。もう疲れた。怨むのにも疲れ果てましたよ。私がいくら怨んでも、世の中はびくともしはしないですからね」

 業平は親王を、若者だといって見下すことは決してできないと思っていた。自分の年齢の半分くらいしか親王が生きていないのは事実だが、自分の四十二年間の数倍も濃い人生をこの親王は二十三年間で生きてこられたのではないかと思う。だから業平の親王を見る目は、大人が若者に対するそれではなく、平等な、相手を友と呼ぶにふさわしい心情だった。

 だから、業平は泣いた。親王も泣いた。心根が通じたようだ。

 業平は親王の手をとり、親王も力強く握り返してきた。世代や身分を超えた共感と一体感が、その手の中に流れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る