第陸話 破れ、繭

 決勝戦は浄紫の皆さんの予想とは裏腹に、不人気二人組のカードとなった。


「野馬さんって何者なの?」

「さてねぇ。ぽっと出の骨繰技師でしょ。元々骨繰技師は汙徒の仕事だったけど、最近じゃその稀少性からハクシュウに成り上がる奴もいないわけじゃない。恰好から見ると、ハクシュウだぜ」

「恰好?」

「汙徒の装束は灰色って決まってんじゃん? まあ、守ってんの街に住んでる子飼いの汙徒くらいだけど」


 なんだそれ。初耳だ。

 つまり、篝はカラフルな服を着られないってこと?

 汙徒ってファッションすら制限される存在なのか。わたしはおしゃれ番長っていう人間じゃないけれど、やっぱり服って自分を表現するひとつの手段だと思うから、それを奪われるのは頭にくる。


「ハクシュウの骨繰技師なら骨繰つくってりゃ食ってけるはずなのに、わざわざこんなとこに出てきたってこたぁ、よほどの事情もちか、はたまた殺しが趣味だったりしてな。あいつもヤバそうなにおいぷんぷんさせてるし」


 ユキシロはあれこれと推測して話してくれる。

 わたしが異界人なことは内緒にしているのに、いちいち解説してくれるのでとても分かりやすい。


「それにしても野馬さんって狡くない? 一人だけ生身で戦ってないし、それにいくつもあの箱の中に骨繰しまってるし」

「あー、まあね。でも、無限ってわけじゃねぇし、あれで骨繰技師は消耗してんのよ。骨繰の燃料って、技師の血だかんね」

「え、そうなの?」


 わたしがびっくりして目を瞬けば、ユキシロは面白そうに垂れた目尻をさらに下げた。


「そらそーよ。だって、骨繰って元はウカイの死骸から作ってんだから。ウカイの食糧は人間。死骸の燃料も人の血。いくらミチちゃんだってそれくらい知ってんでしょ?」


 いかにも八嶌人ならだれでも知ってる常識なんですって口ぶりに、わたしは焦ってこくこくと頷いた。


「そ、そそそそうだった! そうだよね。ほら、わたしって筋金入りの箱入り娘だから!」


 誤魔化すためにやたらと声を張り上げてしまったけど、ユキシロは徳利を傾けながら「俺も筋金入りの箱入り息子になりてぇなぁ」と欲望を垂れ流しにするばかりで、特に怪しまれている様子はない。

 それでも念のため探るようにユキシロを覗き見れば、彼はにっと笑って、階下を指差してみせた。


「ああほら、決勝、始まるぜ」


 つられて身を乗り出せば、もう篝が闘技場の壁に凭れて立っていた。

 心なしか、こちらに視線が向けられている気がしなくもない。顔の血こそ拭われていたけれど、着物は血塗れで、わたしの身体はちょっぴり強張った。

 だけどすぐに気を取り直してわたしはぶんぶん腕を振る。頑張れって気持ちを込めて両の拳を握ってじたじたした。

 篝は遠目にもちょっと微笑んだように見えた。

 だけどすぐに表情は消えて、わたしの隣辺りをきつく睨みつける。

 ん? これはもしかしてユキシロを警戒してる? でも篝、ユキシロってばダメな大人を絵に描いたみたいな人だけど、なかなかこれで面倒見はいいんだよ。

 あとでちゃんと説明しないと大変なことになりそうだ。


 そんなことを思っていたら、戯主の声が場内に響きわたった。


「大トリを飾るは、東は骨繰技師の野馬、西は狂狼の篝にござい。片やその力の全貌はいまだ霧に包まれた謎の風来坊、片や血に狂いしあらぶる獣。さりとて遊戯もこれにて幕引き。いずれか見納めにかあらん。刮目して照覧あれ。八卦よい――」


 能面顔の野馬さんが、木箱を地面に置いた。だけど木箱をトン、と叩くよりも前にその気だるげな視線が篝に向けられる。

 わたしの見ていたかぎり、野馬さんは今まで遊戯中に一言も言葉を発していない。だけどここに来て野馬さんは篝に向かって何ごとかを口走っていた。

 野馬さんはわたしの美醜の感覚だと取り立てて美男子ってわけじゃないけれど、目元にアイラインというか隈取みたいな化粧をしていて、無表情ながらなかなか印象的な顔立ちをしている。

 対する篝はほんの一瞬、目を瞠った。でもすぐにそれは、獰猛な苛立ちに様変わりする。わたしと一緒にいるときには考えられないような不機嫌そうな顔で、篝はなにかを吐き捨てた。悪口の応酬でもしているんだろうか。二人ともそんなタイプに見えなかったけれど。


 なかなか決闘を始めないふたりに観客席が苛立ってきたころ、野馬さんはうっそりと微笑んだ。

 淫猥な、闇を凝らせた眸が夢見る少女のように蕩ける。

 篝は終始険しい顔をしていたから、気持ちのいい会話でなかったのは明らかだ。

 なのに、どうして。


 ビリ、と身体に電流が走る。金縛りにあったみたいに身体が縛められる。それが篝の殺気だったと遅れて気づいた。

 動じることなく、野馬さんがトンと木箱を叩く。カラカラと小気味いい音が響いて、風に鉄錆の――血のにおいが混じり合う。

 羽ばたきの音がして、巨大な怪鳥が現れた。

 白々とした骨が赤黒く濁っている。

 おそらくとんでもない数の人を喰らってきた大鷲さんだ。

 篝が両手で槍を構える。髪が逆立ち、夜風に煽られて銀鼠の衣がばさばさと土埃のなかではためく。

 先に動き出したのは、篝だった。

 肉体の重みを感じさせない俊敏さで、一直線に野馬さんの元へと向かう。横から迫りくる骨繰には目も向けない。

 下段に構えられた槍の穂先が、野馬さんの横っ腹を掠める。

 だけど篝の追撃には、ほんのわずかな間が開いた。苦悶の表情を浮かべて、篝が胸を抑える。ちょうど、青榕宮で怪我を負わされたあたり。この賭闘が始まってからも徐々に傷は増えていたけれど、そもそも篝は始まる前からハンデを負っている。

 その隙に、大鷲さんが篝に迫る。

 篝の肩口に、刃物じみた大鷲さんの嘴が埋まった。


「かがり!」


 わたしは思わず立ち上がる。篝がよろめいて、二、三歩後退した。

 大鷲さんが力任せに嘴を引き抜く。

 ぼたぼた、と地面に赫い雨が血だまりをつくった。

 でも篝は出血などお構いなしに、槍を構える。

 それでわたしは、どうして篝の身体があんなに傷だらけなのか分かってくる。

 自分の身など省みない、捨て身の戦い方をしているからだ。どれほどの怪我を負ってもおかまいなしに、ただしゃにむに敵に向かって行っている。


 ――自分の命が尽きることにすら、頓着しないみたいに。


「篝!」

「っと、ミチちゃん、落ちる! 落ちるってのっ」


 ほとんど上体が宙に投げ出されるくらいに身を乗り出していたら、ユキシロに引き戻された。

 強引に席に座らせられながら、でもわたしは戦場から目が離せない。

 上空から舞い降りてきた大鷲さんの鉤爪と槍の穂先がぶつかって火花を散らす。力が拮抗しているのか、篝の足が踏ん張りきれずに地面の上を滑っていく。

 野馬さんが右手を大きく一閃した。

 たちまち旋回した大鷲さんと対照的に、篝はたたらを踏む。地面に膝をつく。

 野馬さんの口の端が、弧を描いた。青白い顔が、赤提灯の焔に照らされて愉悦をなみなみと湛える。

 わたしはたまらず飛び出して手摺を力いっぱい掴んだ。


「篝! 立って!」


 こんなときにこんな無意味なことを叫ぶしかできないなんて、わたしほど無能な人間はこの世に存在しないんじゃないかと思う。

 こんなところでのうのうと息をしていることが、この上なく罪深いことのように思えて仕方がなかった。

 息をするたび、肺になにか黒い染みが点々と広がっていくみたい。


 篝の身体がぴくりと震える。口をぱっくりと開けた大鷲さんの一撃を寸でのところで躱す。

 だけど完全には避けきれなかったのか、首筋の辺りから血が噴き出した。

 篝の身体が今度こそ傾いで、地面に頽れる。

 場内が歓喜の狂騒で満ちる。

 殺せ、臓物を引きずり出せ、という狂った叫び声が大合唱になって響きわたる。


 野馬さんは悠々と木箱の上に腰掛けて、緩慢な動作で手を左右に振った。

 篝の腰と太腿が浅く裂けて、痙攣する。

 最後の大舞台だからか、野馬さんは時間をかけて篝をいたぶることに決めたらしかった。


 この世界が十分に狂いきっていることは分かった。

 そして、こんな狂気がこの世界の普通なんだとしても、わたしはそんなものには死んでも染まりたくないってことも。


 辺りを見渡す。視界の端に、下の階に続く階段を見つけた。


「おい、ちょ、どこ行くんだっての!」

「助けに行く!」

「ハァ!?」


 わたしのいらえに、ユキシロが素っ頓狂な叫び声を上げる。


「あんたが行っても、なんの足しにもなんねぇよ!」


 そんなことは、誰に言われずとも自分が一番よく分かっている。


『今から俺が言うことをよく聞いて。かならず俺が守るから、俺を信じてついてきてくれる?』

『ミチが嫌なことはなにもしないでいい』


 篝はそう言った。

 俺が守る。だからミチはなにもしなくていい。

 たとえこうして窮地に陥ろうと、篝がわたしに求めていることなんてなんにもないのかもしれない。

 実際問題、わたしは篝やユキシロが思っているとおり、無力だ。

 今ちょっと、雰囲気で義憤に駆られてみたところで一体全体、わたしになにができるっていうんだろう。

 だから、篝の言うとおりにしていればいい。仕方がない。どうせわたしにはなにもできやしない。


 わたしはこの世界でも、そうやって自分に言い聞かせて生きるんだろうか。


 お父さんとお母さんが離婚するのは仕方がない。だからそれで勉強も躓いちゃって、推薦入試のランクを下げまくって第三志望ですらない高校に入学したのも仕方がない。友だちと上手くいかないのも仕方がない。親友って言える存在がいないのも仕方がない。仕方がない。わたしはかわいそうなんだから、仕方がない。

 そしてわたしはまた、わたしのことなんて誰も知らないところに行きたいと夢想するんだろうか。

 本当は分かっている。

 わたしはわたしにがっかりするたび、ちがう世界でやり直せたらなってファンタジーなことを思ってきた。だけどこうして実際にちがう世界で自分の人生をリセットできたところで、結局わたしは変われない。

 わたしはひと息に、わたしではない生き物になんてなれない。

 だけど。だけど、だけど、だけど。――だけど!


「つーか、助太刀はご法度だっつの。カネがぱあになる。それに汙徒なんか助けてどーすんだ。どうせ今日死ぬか明日死ぬかわかんねぇような虫けらどもだぜ」


 まるで人のぬくみを感じさせない渇いた声で、ユキシロが吐き捨てる。

 目の前を火花が散った。

 気づいたときには、わたしは思いきり腕を振りかぶって、ユキシロの頬を引っ叩いていた。


「そんな言葉、もう二度と言わないで」


 わたしはほんの一瞬、ユキシロの綺麗な灰色に煙る眸を睨み上げると、バドミントンラケットだけ持って、今度こそ脇目も振らずに駆け出した。


「――はあ!? おいおい勘弁しろよ。俺まで出禁になったらどうしてくれんだ!?」


 追い縋ってきたユキシロの声を振り切るように、わたしは二段飛ばしで階段を駆け下りる。

 場内のほとんどは篝と野馬さんの死闘に夢中だったけど、ビップな人たちのための一階層は警備が厳重だった。わたしの異常行動に気づいた警備の人たちが階段の辺りに集まっている。

 もうこうなってはイチかバチかだ。

 わたしは二階席と一階席をつなぐ階段の手摺に攀じ登った。

 そこから大きく階下の試合会場に向かって、ジャンプする。

 浮遊感を感じたのは一瞬で、重力に逆らえずにすごい勢いで落ちていく。

 ぎりぎり一階席に激突することは避けられそうだったけど、思った以上に落差がある。これはもしかすると、打ちどころが悪ければ骨折なんじゃない? 助けるどころか篝の元に辿りつけずにジ・エンドだったりして――。

 なんて考えが頭を擡げたとき、がくんと首のあたりに衝撃がきた。

 え? わたし、なんでか知らないけど首吊り状態になってる? シャツの襟がぐいっと喉に食い込んでいる。

 あ、これは呼吸困難で死ぬやつでは?

 そう思ったとき、頭の上で風を切る音が聞こえた。

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