第15話 誰が、何に対して怒っているのか

 さゆり姉の部屋を出てからマンションの階段を降りぼくの部屋に戻ると、ハンナはぼくの持っているスマホよりも「もどき」の影の方に興味を示したらしい。

「これは何?」

 と訊かれたので、ぼくは自分が先ほど体験した出来事を適当に端折はしょりながら説明した。そういえばこれまで、ぼくのやっている「影はがし」の仕事のことをハンナに詳しく話したことはなかった。

 ひとしきり説明し終えると、ハンナは物思わしげな表情になった。

「さゆりさんは……大丈夫なの?」

 多分大丈夫だ、とぼくは答えた。


 ぼくが説明書を片手にスマホの設定をしているあいだ、狐少女は居間のソファに座りながら「もどき」の影だったものを手で撫でたり、匂いを嗅いだりしている。妙に真剣な顔つきだ。ぼくにはまったくわからないが、「もどき」の影に匂いのようなものがあるのだろうか。

 それからスマホにいくつかのアプリをインストールして、危険なサイトなどの閲覧はできないようにしたり、位置情報などをぼくのスマホから探知たんちできるようにしておいた。保護者が子ども用のスマホに制限をかけたりするのと同じ仕組みのものだ。過保護かも知れないと少し思ったが、ハンナがいろんな物事に慣れるまではある程度は必要だろう。状況によっては制限を少しずつゆるめることも想定しておこう。

 ソファに並んで座りながら、ぼくはハンナにスマホの使い方をひとしきりレクチャーした。物覚えの良いハンナのことなので、使い方に関しては特に心配はない。試しにぼくのスマホと電話やメールやLINEもさせてみたら相当面白がっていた。

「とりあえずこんなところ。何か質問ある?」

 と訊いてみたら、一日にメールを送るのは何通までOKかとハンナが言った。


 その後、ぼくが「もどき」の影を白紙の本に折りたたむように収納しゅうのうしてから、ハンナがふと気になることを言った。

「その影だったものから、ほんの少し、何かが怒ってるような匂いがした」

「怒ってるような匂い?」

 よくわからない表現だ。

「何に対して怒っているのか、そもそも誰が怒っているのか、それはよくわからない。でも気をつけたほうがいい。そんな気がする……」

 根拠の全くない発言に思えたが、何となく笑い飛ばす気にはならなかった。


 その夜のハンナとの添い寝は、いつも以上に彼女の甘え方が強かった気がした。



   〇



 翌朝、ぼくの隣からハンナの姿は消えていた。彼女のものと思わしき影だけが、ベッドの上に取り残されていた。

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