悪いのは一体誰?

南京渋多(プロテスティア)

第1話 昔むかし

昔々、モノガリングンという世界があり、大きなテルマストという大きな二つ三つの陸地があり、大きな海があり、所々に大小の島々がありました。

その一つに大きく繁栄したアマニルクという国がありました。周辺や離れた場所にも幾つもの大小の国がありました。

ソモワ150年、アマニルクはルーズデンという王様がキミハルの教えを心に国家を治めていました、32代目の治世です。アマニルクはその前王の時代に、治世に失敗し大きな禍を招いて国内は荒れに荒れて、国民が自殺や飢え死にしたりする有様でした、前王クレムデンスは退き、ルーズデンが戴冠し、国家の舵取りをすることになりました。

ルーズデン王は、新たな対外政策と国内政策を打ち上げて、息子達や大臣に命じました。前の国を反乱で打ち倒して新たに出来たバラクという国とよしみを通じ、貿易を行うことで、国内で造った製品を買って貰おうという事です。

ルーズデンの大臣で、宰相のカンタムラが、バラク国は信用できないと進言しましたが、カンタムラは前王の宰相であったこともあり、ルーズデンは大いに怒り、罷免され大臣の職を奪われてしましました。

バラク国は喜んで受け入れました。

実は、ルーズデンには腹心の部下である、スノウンという人物が居てインテリムスコという官職で、役職は王国の情報を国民に伝えるという役職に就いていました。しかし彼は王の寵愛を良いことに、様々な役所などの情報も彼の元に集まるような仕組みを創りあげていたのです。宰相ではなくこのスノウンに。情報はスノウンによって王に伝える伝えないを決定して伝えていましたし、宰相にはごく僅かの情報しか伝えませんでした。

その様な人物が、バラク国との交渉を裏側で行っていたのです。

ソモワ151年に、バラク国の使節団がやってきて、様々な、アマニルクの物品を購入して帰って行きました。

それと同時に、移民団として数百のバラク国の人々がアマニルクへやって来ました。

ここで、すこしバラク国のことを説明しておきましょう。

バラク国の前の国はロマーニャクロロン王国と言って、ニャクロン王が治める国家でした。しかし、ソモワ120年の頃、隣国のニンポー国という小さな小さな島国を国境沿いの更に小さな部落(ホウケホケ)の事で揉めて、戦争になったのですが、当時の諸国家の予想もしていなかったという、ニンポー国に負けるという悲しい事態になってしまったのです。

このニンポー国は以前は変わった装束と髪型をした極めて野蛮で好戦的な国と国民と見れていたのですが、50年程前にアマニルクや西の果ての大国エグイニ国とその連合との小競り合いを行って敗退した跡は、突然、アマニルクやエグイニ国に使節や若者を送り、国のあり方や法律、軍事を学びだして、突然変化したという変わった国だったのです。国力は未だ未だ小さく、国力の大きなロマーニャクロロン国と比較するほどもない小さな国だったのですが、エグイニ国と同盟を結んだり、アブラハヤイの流民商人団から【お金】を借りて、アマニルクやエグイニ国から軍事物資を購入し、マンブラブラの荒野でロマーニャクロロンの大軍団を少数で打ち破ったのです。一説によるとロマーニャクロロンの兵士は極めて士気が低く、戦わずに恐れて逃げたという話が伝えられています。

ニンポー国は、この小さな部落(ホウケホケ)に関して、そもそも属国としていた隣国のズルワンデフ国という大国とも揉めていて、10年前のソモワ110年にズルワンデフ国という大国を打ち破っているという軍事にたけた国です。

しかし、ロマーニャクロロン国は、ニンポー国を、背丈の小さな人々だったので、小人とか肌の色から黄色い猿などと呼んで馬鹿にしていました。

理由はもう一つ、先のズルワンデフ国が敗戦の後、ホウケホケとその北部にあるイハラウルタケ半島の100年の借地をニンポー国が取得した際、ロマーニャクロロン国は、大国のエフェルタル国、メルルンケル国と協同で、ニンポー国からのこの借地権を脅して取り上げた経緯があります。

ニンポー国は、当時戦後であり、国費を費やし、直ぐにこの大国3国と争うことなど出来ず、多くの戦士の【死】を泣く泣く無駄にせざるを得ませんでした。その時のニンポー国の【怒り】は相当であったと伝えられています。

その後のロマーニャクロロン国との戦争では、死力を尽くして戦い、少数でもってロマーニャクロロンの軍勢を撃退したのです。

その後、ロマーニャクロロン国は、国費を費やしたにもかかわらず、勝利で得られるはずの地も得られず、所持していた地もニンポー国に奪われることになり、他の国からの評価が下がり、他国との境界線での揉め事が増えたのです。

そんななかで、このロマーニャクロロン国で起こったが、ユーブラー主義という【神を信じない人々】という運動で、【平和】と【平等】、【友愛】をかかげて、ロマーニャクロロン国王家の打倒を叫ぶ運動です。

当初は、この不思議な【集団】は、ロマーニャクロロン国の権力に抑えられていたのですが、ニンポー国との敗退後、大寒波と大飢饉が敗戦後の翌年に起こり、国民の不満が高まった時、大きなうねりを起こして、王家の打倒が軍隊の反乱を伴い、内戦となったのです。当時、ロマーニャクロロン国は、キミハルの教えを汲むキミミハレヤン教という宗教を崇めていましたが、彼らは王家を背景にたんまりの財産を保有し、大きな権勢を誇っていました。

【神を信じない人々】である【ユーブラー】達は、各地のキミミハレヤンの教会を襲い僧侶や信者を殺して、財産を奪ったのです。そしてそのお金を使って隣国などから【武器】を会、余ったお金で活動をする同朋・同志に分け与え、仲間を増やしていったのです。

キミミハレヤンの教会は、寒波と飢饉の際、人々の困窮を救おうとして活動したのですが、キミミハレヤンの教団の上層階級の僧侶達が、資金の枯渇と教団の活動資金(自分のへそくり)が減ることをおれて、救済活動を停止してしまったことが、困窮するロマーニャクロロン国の国民の怒りに火を注いでしまったのです。

各地で、キミミハレヤンの教会は、破壊され、それに先の戦闘での脱走兵なども加わり内戦状態になったのです。

その反乱の中心人物であり、盟主になったのが、ハゲン・チョ・ビヒゲンという人物で、その部下のサオジヲンキ将軍でした。

かれらは、遂にソモワ143年にロマーニャクロロン国を打倒しました。ロマーニャクロロン国・ニャクロン王は、ギロチンになり、刑場の露となり、首都の中心に【晒し首】になり、家族は東の【最果ての凍土ヤマッチャ】に生き埋めとされてしまいました。

そうやって他人の財産を奪うことで出来上がったのがバラク国です。

バラク国は、出来たばかりで、各地で王家の残党や支持者を殺害しながら、国の基盤はまだ整ってませんでした。

ですから、各地の諸国に対して、【協定】を持ちかけて、【攻め込まれない】様に【外交】で【空手形】を奮発しました。それと同時に諸外国にこの【平和と平等・友愛】をかかげる【神を信じない主義】の考えに同調する人々を布教や金で雇って、勢力を集めて内乱を起こさせる工作を始めたのです。

諸外国の内、バラク国に接するメルルンケル国は、隣国のポロロン国との紛争でそれどころではなかったので、バラク国の【申し出】は、丁度良かったのですが、国内に入りこみだした【ユーブラー主義】や【バルク国】に内通する【獅子身中の虫】には気が付きませんでした。

ただ、少し立地的に距離のあった大国エグイニ国は、その様なおかしな【噂】は、漏れ聞いて、女王のエルグエグイニ・マグレッドは、宰相マルマルンに【ユーブラー】とは何かを調べるように命じる程度で、対して【脅威】とは認識してなかったのです。

バルク国の盟主のビヒゲンは、狡猾で【平和・友愛】を唱えながら、親衛隊の【ナンコロン】という組織をつかって、反対する人々や財産を持つ裕福な人々を暗殺、又は投獄し、財産を没収し、国内の統制を推し進めました。これは主にその【財産目当て】であったという事は後のバルク国の歴史を調べている研究家が言っております。

ビヒゲンの立場に立てば、諸外国はバルク国をいつかすめ取ろうとするか判らず、国力を少しでも蓄える為の【処置】だったのですが、そのやり方が、血なまぐさい・異常なやり方で、【ナンコロン】のリーダーであるカバチョットは、冷酷な魔法を使う殺人鬼でした。そのカバチョットを愛用し、表では【平和・友愛・平等】をかかげながら、カバチョットを使って、政敵になりそうな人物をついでに殺害して行っていたのです。

バラク国は、表の【平和・友愛・平等】と看板と裏の【冷酷な殺人鬼の集団】を持っている国で、殆どの諸外国はその【裏】の姿は【何となくおかしい】とわかっている程度で、同じ国同士という認識をすくなくとも表面は持つようになって居ました。

アマニルク国も、その昔エグイニ国からアマニルク大陸に渡った人々が、現地の居た未開人(エグイニ国の人がそう思っていただけ)を大量にほぼ全滅に近くまで【殺害】し尽くして、基本的な国が出来た歴史の浅い国家で、バルク国に対して【新興国】としては、親近感を抱いていたのです。

アマニルク国も【自由・平等・友愛】を国王が掲げていることも、親近感を抱く理由だったかも知れません。

特に、バルク国がロマーニャクロロン国を倒して成立すると、いったんは、警戒して他の大国に共謀してバルク国を責めたことがありますが、何故か途中で兵を引き、一緒に戦場に狩り出されたニンポー国だけが最後まで戦っていたことを【批判】するという訳の分からない行為を行っているのです。それを行ったのは、英明・聡明で名高い、【28代国王】モクノシタ・ルーズデン王なのです。

その後、モクノシタ王は、政策を転換し、バルク国を支援し出します。一説によると海を挟んでの隣国であるニンポー国に軍事に脅威を感じたとか、こましゃくれた正論を国同士の話し合いの際に言うこの国が大嫌いだったとかそう言う噂が絶えません。

ある諸国が集まっての話し合いの際、ニンポー国の代表が、【肌や姿形・装束】が違うからと言って、【家畜と同様に扱うのはおかしい】と【異種族・異民族】であろうと【平等・友愛】を示すべきだと【主張】すると、モクノシタ国王は、顔を真っ赤にして【激怒】して席を立ったのです。その際、【黄色いオークが!】と罵ったかどうかは判りません。

当時のニンポー国の人々がアマニルク国に渡り、真面目で、大人しく、地道な作業を根気強く、精緻に作業をこなすことは知られ始めており、その製造する品物は品質がよく、しかも安い為に、アマニルク国内で浸透しだしていたことも、アマニルクの競業者の商人達には、自分達の雑で粗悪で料金の高い商品が売れなくなると言う頭の痛い問題が起こり始めていたのです。

作物の収穫でも、借りた荒れ地をコツコツと何年も耕し、味の良い作物を作ったりしました。

バルク国は、製品は輸出できるものが無く、買うばかりです。アマニルク国の雑で粗悪な商品を喜んで買ってくれる国なのです。

アマニルク国の商人たちや農家の人たちにとって有りがたいことこの上ありません。肌の色も同じで見栄えも余り変わらないという点も好意的です。

それに比べて、チビでかたっくるしく、真面目一辺倒で、平面的な顔をして色は黄色いニンポーの人間は、アマニルクの商人たち・農家のひとたちには相容れない人々に思えるのです。

当時、ニンポーの人だけではなく、大量のキータ・ノアイノアイ国の人々が同時にアマニルクに流れ込んでいました。

当時の通貨の担保になるアマンダン金属の発掘で、人手が足りないので人口の多く野党の煮やすくて都合の良い国の人々だったのです。

このキータ・ノアイノアイ国とは、ズルワンデフ国がニンポー国に破れた後、さらに何を血迷ったのかエグイニ国・メルルンケル国・エフェルタル国・アマニルク国・ニンポー国に【戦争】を拭きかけて、挙げ句に亡んでしまった後に、出来た国ですが、いちおうキータ・ノアイノアイ国のウェン・ウェン・セイが盟主と言っていますが、実際には、16ヶ国に分裂してしまって各地で内乱が起こっている場所で、その場所に住んだ人々が避難がてらにアマニルクへ渡ったのです。

ただ、彼らはグータラで酒好き、博打好きで、不衛生で、集団で集まると騒いだり争乱を起こすとんでもない【オーク族】の様な存在でした。

キータ・ノアイノアイ国が内乱が酷くなるほど、アマニルク国でその数が増えていきました。

アマニルク国内では、キータ・ノアイノアイ国の人々とのいさかいが年々数を増していったのは当然だったのです。

アマニルク国の情報拡散商社にはある博士が、【ファッチの禍論】というの掲げて、キータ・ノアイノアイ国を含めて、ニンポー国の人々もアマニルク国にとって禍の種であるという【主張】を言い振らし出しました。【ファッチ】とは、ニンポーを含むキータ・ノアイノアイ国周辺のエリアを指す言葉です。

ニンポーの国の人々にとってはとんだ言いがかりです。ニンポーの国の諺には、【郷にいれば郷に従え】というのがあり、ニンポー国の人々は自分達の【信仰】をすてて【キミハル教】へ【改宗】してまで、アマニルク国の週間や風土に馴染もうとしたのです。

当然、ニンポー国の人々は言いがかりだと【主張】しだしたのは、言う間でもありません。所がアマニルク国の人々の反応は反対で、【主張】すればするほど、【逆】に向かっていきました。

元の原因をつくったキータ・ノアイノアイ国の人々はと言うと、何を言われようと気にしない人々なのと【賭博】とか【麻薬】を通じて、アマニルク国の人々に浸透し、そして【賄賂】や【女】を使って国の役人に取り入るというやり方で、責任をニンポーの人々に押しつけました。

当時の国の情報を拡散する【商人機関】がいくつかがあり、さきのある博士の論を挙げたのもその一つで、ある博士は国の大学の偉い学者だったのですが、キータ・ノアイノアイ国出身者のある団体【賄賂】で、新たに【ファッチの禍論】の対象をニンポーだとする【論文】を【商人機関】に寄稿しました。【商人機関】も先の団体からの【投資】を受けていたことは言う間でもありません。

ソモワ132年に、移民禁止のお振れがという【国王命令】が出されてしまい、実質的には、移民に対する制限をしながら、裏道を使うキータ・ノアイノアイ国や同じ【肌色】や、奴隷として以前は連れてこられていた人々の国からは、実質的に【移民】は認められ中で、ニンポーの人だけが厳格に運用されたのです。

これに対してニンポー国は、アマニルク国に対して抗議と申し入れをしたのですが、アマニルク国の問題だとして請け合って貰えなかったのです。

当時の国力や貿易相手であったアマニルク国に対して【言葉】だけの抗議以上の方法が取れる訳でもなく、ニンポー国の人々はその無体なやり方に怒りを募らせるだけでした。その怒りの矛先は、当時のニンポー国の宰相らに向いていくのです。

その様な中、モノガリグン世界を揺るがす大事件が起こったのです、それはアマンダン金属の枯渇です。アマンダン金属は、美しさと稀少さで価値があったのです。当然堀出される量は限られていますし、場所を探し当てるの難しいのです。

そしてとうとう掘り出される量が減ってきました。お金はアマンダン金属の量を担保に決定されるの無いとお金が作れない仕組みでした。

アマニルク国を含む大国は慌ててアマンダン金属を集め出し、国中のお金が流通させないようにしてしまったのです。前国王の失政なのですが、これで国民の生活が潰れてしまい、生活できなくなってしまったのです。

多くの人が路頭に迷い、命を落としてしまいました。その為に前国王は責任を取って退位し、ルーズデン王が即位したのです。

王は、国民の生活を立て直す為、保有した【金】を使って、国が仕事を造って、人を雇い、造った製品をバラク国に輸出するという政策を行ったのです。

当時、バラク国は、このアマンダン金属の影響を受けなかったのです。国内のキミミハレヤン教団の大量の資金を略奪していたので、大きな影響を受けなかったのです。この【製品】の買取りの見返りとして何を行ったかというと【バラク国民移民】のアマニルク国の受け入れとアマニルク国への【ユーブラー主義】の【輸出】です。

【主義】の輸出はどうやったのかというと、毎年、アマニルク国の若者、国王に近い人達の子弟を含めて様々な人々を【バラク国】へ留学させて【ユーブラー主義】の【友愛・平和教育】を施すと言う事と、アマニルク国内で、平和団体・友好団体を設立し、バラク国との融和・友好をすすめる組織を作るというものです。しかも資金はすべてバラク国持ちと言う都合の好い条件です。

商品を買って貰った上、バラク国のお金で友好・融和団体をつくるという素晴らしい提案をもってきました。中には【キミハル教団】に対する【活動支援資金】の【提供】という【ユーブラー主義】とは、真逆の行為もあるのです。

アマニルク国の人々は、諸手を挙げて賛成し、この協定を結んだアマニルク国王ルーズデン王を讃えました。

バラク国の当時の盟主はサオジヲンキ将軍でした。ハゲン・チョ・ビヒゲンは、激務が祟り、病死し(一説によるとサオジオンキが暗殺したのではないかという噂もある)、腹心であったサオジオンキが盟主となったのです。その片隅にはカバチョットが常にいました。カバチョットはKT団という秘密組織をつかって、バルク国内の動向は元より、主として他の大国の情報収集に当たっていました。海外の組織は、テルンクロンと呼ばれる事になるのですが、当時は余り知られていませんでした。

当時、脅威と憎しみを持っていたのは、小さなニンポー国で、世界の交易するのに必要な海への出口が限定されていたバラク国にとっては、ニンポー国は邪魔で邪魔で仕方がない国でしたので、何とかしたかったのです。

前の盟主のハゲン・チョ・ビヒゲンは、当時考えた挙げ句、現在の自国の状態を判断しても、軍事力だけでは全く歯が立たない状況にまでニンポー国が強くなっていたので、アマニルク国と争わすことによりニンポー国を亡ぼす作戦を思いついたのです。

ニヒャルキャーの暗闘とういう作戦で、さまざまな工作でアマニルク国とニンポー国を戦わせ、ニンポー国を亡ぼすという【謀略戦】を行うことに決定したのです。

アマニルク国には、丁度【ユーブラー主義】に染まった若者達が成長してもどり、王国内の役職入りこみ、友好・融和団体にもはいり、徐々に浸透し、とうとうルーズデン王の側近の殆どを【ユーブラー主義者】で固めてしまったのです。

当時、ルーズデン王の第8皇子のカールネン・ルーズデン皇子が、教育係であった元宰相のカンタムラの意見をとりいれ、ユーブラー主義の危険性と、スノウンがバラク国の内通者であると進言したのですが、かえってルーズデン王の逆鱗に触れて、廃嫡されてしまいました。【カールネンの悲劇】という事件です。

そうなると、だれもルーズデン王に正しい情報を渡すものは居ません。

ルーズデン王の宰相となったのは、王の従兄の幼友でもあるゲングランプで、彼は商人であり、バラク国との一切の商業取引を一手に任された人物で、世界との政治や国内の政治や行政に疎く、次第にスノウンが代理に行うようになったのです。

スノウンはバラク国の盟主サオジヲンキ将軍が、軍人だが非常に融和的で温和であり、ルーズデン王の英明さを褒め称え、信用・信頼しているという話を言い聞かせていましたので、ルーズデン王は、サオジヲンキ将軍を侮り、交渉をいつも優位に進められると思い込むようになってしまっていました。

スノウンは、アマニルク国は、穀物や野菜くだものを輸出する予定だったのですが、いつしか【武器】や【魔法】など【軍事力】となる【技術】自体までも、バルク国に【輸出】するようになり始めました。

ルーズデン王は、知っていたのですが、既にバルク国は同盟国、サオジヲンキ将軍は自分の盟友と思い込んでいたので、スノウンの言うままになっていました。

その頃のニンポー国は、様ざまな文化や宗教の人々が一緒に楽しく暮らす珍しい国であって、【様々】な考え方も受け入れられていたのですが、【ユーブラー主義】は、オムダニラ国王を【神】としていたため、国としては受け入れられなかったのです。

しかし、当時の学者や労働者や若者を中心に、その【平和・友愛・平等】という【建前】に賛同するものが少なからず増えていったのが実情で、国王はそれを認めて、【考えの一つ】にするように抑えさせていました。

そんなニンポー国の国王の態度を突いて、バルク国は密かに内通者を作り出し、ニンポー国とアマニルク国を争わせるように国王の重臣達や軍人達をそそのかすように工作を始めたのです。ニンポー国は、既に国力が増し、バルク国を少し侮り始めていました。

後に、ニンポー国の調査部門に摘発された、ゾムンゲルン事件というものですが、その時には時すでに遅しでした。

そして、時期が来て、【ある事件】が起こったのです。

つづく


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