第10話 見知らぬ都会

 エクスプレスに依頼を出し、彼らは無事に任務を完了した。

 当然だ。それなりに金を積み、評判の高い人物に依頼したのだから。

 しかしなぜ。


「……で? ほかに言う事は?」


「………………ありません」


 今はそれしか言いようがない。

 今はただ。ひたすらに。耐える。

 言う事などいくらでもあるのだ。

 ロボットなどこの仕事に就くまで見た事も無かったのだ。

 もちろんロボット工学三原則には目を通した。

 しかし、どの参考書にも三原則に規定される『人間』の定義など書いていなかったのだ。

 素直に読めば、霊長類ヒト科ヒト属のホモ・サピエンス・サピエンスと解釈するのが妥当だろう。

 しかし、実際にはそうは行かないようだ。

 ロボットはどうやら所有権という概念があり、他人のロボットに好き勝手に命令する事はできないのだという。

 そんな事は聞いていない。

 なぜそれを説明しないのか。

 なぜ知っている事を前提に話が進むのか。

 そもそもロボットじたい、十五年前を最後に造られていないのだ。

 彼の世代では常識とされる事でも、こちらとしてはそうも行かなかった。

 人類はもう、十五年もロボット無しの生活に慣れている。

 今さらそんな古い価値観を押しつけられても困るだけだ。

 そもそもなぜ、外の世界で勝手に暮らしているアンドロイドが必要だったのか。

 機密だというのもわからないではない。

 しかし、仕事に必要な事は教えるのが筋ではないか。

 わからない事は聞けという。

 しかし、これではそれ以前の問題だ。


「ったく。今日はもう帰っていいぞ。無能に居座られても邪魔なだけだ」


「…………失礼します」


 重い足を引きずるようにして廊下へ。


「…………はぁ」


 ため息はもう、癖のようになっていた。そして、ため息の原因はもう一つ。


「大丈夫か? ターニャ」


 肩に置かれる、がっしりとした手。


「スミスも少し言い過ぎるところがあるからな。僕のほうから言っておく」


「……ありがとうございます。マイヤー様」


 タチアナは十五年前の異変で両親を失い、養護施設で育った。

 異変以来、経済恐慌が常態化している。

 誰も職にありつけない。

 誰も希望を見いだせない。

 なんのコネも無く、途方に暮れていた。

 そんな中、手を差し伸べてくれたのがマイヤーだった。


「カイザーが戻った。第五層に出向いて回収してくれないか?」


「…………はい。マイヤーさま」


「ありがとう」


 爽やかな笑顔。マイヤーの一族は先祖代々の元老院議員だ。


「今は辛い事も多いかも知れない。だが、あの元老院の老害たちが退場すれば、いずれ夜明けは来る。夜明け前が最も暗いんだ。その時まで、僕を信じてくれないか」


「…………はい」


「もう少しの辛抱だ。今はまだ元老たちとコネのあるスミスの力が必要だが、僕が政権を奪取した暁には、スミスを解雇して君を第一秘書にする。そうすれば、もう悲しむ事はない。約束しよう。それに」


 肩に置かれた手に、微かな力がこもる。


「できれば、プライベートでも力になってくれると、助かるのだがね」


 背中に悪寒が走る。

 この脂ぎった中年男が何をするつもりなのか、火を見るより明らかだった。

 しかし、態度には表せない。


「もったいなきお言葉です」


 かつてあったという好景気な時代であれば、すぐに転職ができただろう。

 しかし、この永遠とも思える不況下では、そう簡単にはいかない。


「頼むよ。じゃあまた」


 彼はカイザーを与えてくれた。

 その事だけには感謝している。

 今は、それだけでじゅうぶんだった。今はまだ。

 エレベーターで第五層へ。

 人いきれ。雑多な町並み。第三層とはあまりにも違う。

 第五層は嫌いだった。

 第四層以上に暮らす人間は、第五層に落ちたら終わりだ、と口々に言う。

 そこから再び上層に上がる方法は、ほぼ閉ざされているに等しい。


「お姉ちゃん」


「……?」


 物乞いだろうか。

 あまりにも汚く、明らかに栄養不足の子供だった。

 他人から見れば、自分もこう見られていたのだろうか。

 ほんの、ほんの気まぐれだった。ポケットから小銭を取り出すと、子供に放ってやる。


「ありがと、お姉ちゃん。……だいじょうぶだよ。お姉ちゃんを助けてくれるひと。もうすぐ来るよ」


 *


 暗い通路は泥や埃が積もっていて、草まで生えている。

 壁の材質はコケがぎっしり生えていてわからない。

 この通路はあまり使われていないようだ。

 何度か角を曲がると、重苦しい扉が目に付いた。

 ドアの横にスイッチ板があり、緑のランプが点いている。

 ランプの下には円形のノブが一つ。『開』という矢印の方へ回すと、ドアは自動的に開いてランプの表示が赤に変わった。

 奥へ進むと、そこは小さな部屋のようだ。

 奥には同じようなスイッチがあるが、ランプは赤。

『開』方向へノブを回しても、何の反応も無い。


「鍵が掛かっているのかな? ……いや、違う」


 気圧計が三つ並んでいて、中とこの部屋、そして外の気圧が並んで表示されている。

 その気圧計というのが小さなモニターになっていて、気圧の変化がグラフでわかるようになっているのだ。

 外とこの部屋の気圧は下がり気味だが、中の気圧は一定。

 つまり与圧されているということだ。

 壁には扉の開け方が書いてある。

 絵文字と複数の言語で書かれていて、タローはそのうちの二つを読む事ができた。

 この扉は『エアロック』といって、二枚の扉は常にどちらかしか開けないようになっているようだ。

 さっきくぐった最初の扉を閉じると、ランプの表示が緑になった。

 二枚目のドアを操作すると、今度は開いた。


「でも、なんでこんな構造になってるんだろう。意味ないんじゃ?」


 カイザーがいれば答えてくれただろう。

 しかし、居ないものはしかたがない。

 不意にタローはトイレに行きたくなった。

 右手に細い廊下が延びている。

 いかにもトイレがありそうな雰囲気だ。


「ここかな?」


 手近なドアを開けてみると、そこは事務所か何かのようだった。

 いくつかの机と椅子、それに仮眠用だろうかベッドがある。

 ベッドには誰かが寝ているようだ。

 毛布を頭から被っている。


「あ、すいませ~ん。お邪魔してま~す」


 返事は無く、微動だにしない。来る途中の骨を思い出す。


「……見なかった事には……できないか」


 深呼吸をして気を落ち着かせ、意を決して毛布を剥ぐ。


「ありゃ」


 ベッドに寝ていたのは人間ではなく、分解されたアンドロイドだった。

 胴体と両脚は付いているが、両腕は横に置かれている。

 脚が長くスマートな男性型だが、頭が無い。

 周りを見ると、机の上に置かれていた。

 頭の隣には紫の光彩をした目玉が二個。

 どうやら組み立ての途中らしい。

 二十代くらいの青年タイプで、かなりのイケメンである。

 机には古ぼけたマグカップもあるがファンシーなもので、持ち主は女性かもしれない。

 髪の生え際に隙間が空いていた。

 開けてみると、そこにあるべき陽電子頭脳が無い。


「これじゃあただの人形だ。トイレの場所も……いや、あそこだな」


『お手洗い』と書かれた扉に入り用を足す。

 落ち着いたところで室内を見回すが、特に役立ちそうな物は無いようだ。

 最初は気づかなかったが、床には埃が白く積もり、何年も使われていないらしい。


「……行こ」


 元の太い廊下に戻り、さらに奥へ進むと、ひときわ大きな扉があった。

『第五層居住区』と書かれたプレートが張られている。

 ドアは重く、動かすたびに嫌な音がした。

 やはり何年も使われていないようだ。


「……なんだ、この臭いは」


 思わず鼻をつまみたくなる。

 何日も履いた靴下をロッカーに突っ込んで、そのまま三日ほど放置したような臭いだ。

 通路を進むと、何やらガヤガヤと騒がしい。

 三つめの角を曲がると、そこには――。


「すごい……!」


 そこは、一つの『街』だった。

 右から左から、男が女が、若者が、老人が、無数に入れ替わり立ち替わりタローの前を通り過ぎていく。

 服装もてんでバラバラで、ヒラヒラのついたドレスを着た女もいれば、ボロ布のような粗末な服を纏った人も居る。

 誰もタローに興味を示さない。


「すごいなぁ。でも、ぼくだって都会っ子なんだぜ? 家はビルディングなんだ」


 一瞬、通行人がタローに怪訝な視線を向けたが、何も言わずに去って行く。

 周りの家はいかにも粗末な合成材料で、広さもワンルームが多いようだ。

 雨が降ったらシワシワになりそうだ。


「待てよ? そっか、雨が降らないからこれでいいんだ」


 天井はとても高く、霞んで見えるほど。

 いくつも小さな太陽が等間隔で並んでいる。

 かなり明るく、人々は外に出なくても平気のようだ。

 しかし、タローには窮屈に感じられた。

 お上りさん丸出しで、キョロキョロしながら通りを適当にふらつく。


「壁に絵? 壁画にしては下手くそだし、スプレー缶で描いてあるのか?」


 タローにとっては予想外だったが、道行く人はみんな人間だ。

 アビゲイルのように外見は人間そのもののアンドロイドも居て然るべきなのだが、一人も居ない。

 なぜ全員人間なのかがわかったか、タロー自身にも理解できていない。

 ただなんとなく、としか言いようがない。


「おや、あれは……」


『お店』がある一角に着いた。

 食堂、洋服屋、居酒屋に道具屋……。

 ここは商店街のようだ。

 並んでいる食べ物は、見た事が無いものばかり。

 たとえば、緑色の正方形をしたビスケットみたいなものだ。

 商品名は『ソイレント・グリーン』だという。どんな味がするのか、少し気になった。


「…………」


 さて、どうしたものだろうか。

 買い物をするには『お金』が必要だ。

 タローは例の三人組から押しつけられた一千万クレジットを持っているが、これは返すつもりなので使えない。

 タローが住んでいた街で、たまに拾えた小銭を少し持ってきているだけだ。


 昔、アビゲイルがタローを店だった建物に連れて行ってくれたことがあった。

 おそらく、ハンバーガーショップの跡地だったのだろう。

 もちろん店は廃墟で、ガラスは割れており、動くものといえばネズミとゴキブリだけ。

 カンターと壊れた椅子、テーブルがあって、奥には調理場があった。

 調理場はこぼれた油が、ベトベトの糊のようになっていた。

 そこでアビゲイルがカウンターに立って、タローたちはお店屋さんごっこをして遊んだのだ。

 食べるのは自家製のサンドイッチだった。

 次の日は交代して、タローが店員役をやった。

 今にして思えば、こういう時が来るかもしれないと思って、お金の使い方を教えてくれたのだろう。


 タローはお店というのを知識として知っているだけに過ぎない。 

 しかしそれでも、お金というのはモノと交換するだけではなく、仕事をして貰うという事を知っていた。


「大丈夫、ぼくは立派な社会人になれるぞ。……お、ベンチか。社会人は疲れた顔をしてベンチに座るんだよな。ぼくは知ってるんだ」


 疲れ切っているのは間違いない。

 すでに脚は棒のようになっていたし、せっかくなので少し休むことにした。

 強化プラスチック製のベンチは、ずいぶん使い込まれているようだった。

 タローは人混みが珍しくて、行き交う人々を眺めていた。


 あ、あのお姉さん、スカート短すぎて見えそう!

 すごいなぁ。すごいなぁ。

 あ、あの女の人! 下着みたいな格好で歩いてる! いや、水着かな?

 どっちにしろすごいや! しかも誰も気にしてない!

 これは疲れが取れるまで休まないと!

 ほら、脚だってパンパンだし!

 休まなきゃ! 休まなきゃ!

 あっ! あの女の子、ぼくより年下っぽいのに、な、な、なんてセクシーな服を!


 ……などという事を考えてはいたものの、もちろん立派な社会人であるタローは口には出さない。


「……ほらよ」


「……?」


 なぜか男が、タローの足下に小銭を放ってよこした。

 小銭は足下に転がっていた空き缶に見事に転がり込む。

 落とし物かな、と思った。

 それにしてはわざと放り投げたような雰囲気だ。

 タローは拾って追いかけたものの、男は人混みに紛れてどこかに行ってしまった。

 辺りを見回していた時、ショーウィンドウのガラスに映った自分の姿が目に入ってしまう。


「もしかして……浮いてる?」


 いや、浮いてるどころか沈んでいると言ったほうが良いだろう。

 タローの服装は、いかにもみすぼらしいボロ布だった。

 つまり、あの男はいかにも貧乏っちいタローに、お金を恵んでくれたのだ!

 だが、これも仕方がないと言える。 

 街に残されていた衣服は、どれも風化が進んでいた。

 その上、ここまで来る過酷な旅でボロボロになっていたからだ。

 タローは恥ずかしくなって、その場から逃げ出した。

 ダサい服装の田舎者扱いに耐えられなかったのだ。

 知ったかぶりな上に小心者で、どうしようもない世間知らずは自分自身だったらしい。


「きゃっ!」


 曲がり角で、すごくきれいな女の人とぶつかってしまった。

 二十歳くらいだろうか。

 タローよりお姉さんだ。

 癖のある赤毛で、ぱっちりした大きな青い目をしていた。

 胸は平坦だが、肌は雪のように白く、スカートから覗いた脚は吸い寄せられそうだった。

 視線に気づいたのか、顔を赤くして脚を閉じてしまう。

 それどころか、ものすごく嫌そうな顔をしている。


「失礼ね。人の脚をじろじろ見て」


「ご、ごめんなさい」


 いきなり怒られてしまう。綺麗ではあるが、怖い人のようだ。


「見せて」


「えっ?」


「膝」


 何のことかと思って自分の膝を見ると、少し血が滲んでいた。

 いま付いた傷か、あるいは前からで気がつかなかったのか。

 よくわからなかった。

 女はポーチから絆創膏を取り出すと、タローの膝に張ってくれる。

 その時、シャツの襟から下着と、ささやかな谷間が見えた。


「あ、ありがとう」


「これからは気をつけなさいよね」


 女はポーチを閉じると、足早に去って行った。


「……愛想とおっぱいは無いけど、優しい人だなぁ」

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