第8話 ぼくらの旅路

 街は崩れかけているが、タローの住んでいるエリアは比較的に損傷が軽い。

 草に覆われてはいるが、建物の多くは原型を留めている。

 しかし、三十分も歩くとビルの崩落でできた瓦礫が進む道を塞いでくる。

 その度に迂回するので、思ったよりも進みは遅い。

 気持ちばかりが焦るが、街を出る頃にはもう太陽は沈みかけていた。

 少しずつ樹が増え、やがて周囲は鬱蒼とした原生林が広がっている。


「今日はこの辺りにしておくんだな。ピラミーダまでは約三百キロ。徒歩なら一週間以上は見ておく必要があるだろう。それに……」


「わかってるよ」


 日没後はクマやイノシシが出る上、道も間違えやすい。

 不用意に動くのは危険だ。

 タローは薪を組んで、枯れ草を隙間に押し込んだ。マッチを擦って火をおこす。


「ふう……ふう……あ、消えちゃった」


 家で火を起こす時は、何日も乾燥させた物を使っている。

 拾ったばかりの物は湿気っているのだ。


「ヤレヤレ、これだからお子様は」


「言い方、腹立つなぁ。そんな偉そうに言うんだったら、カイザーはよっぽど火起こしが上手いんだろうね」


「無論だ」


 タローは皮肉で言ったつもりだったが、カイザーは膝を付いた。

 両手を薪の山に突っ込む。


「カイザーのひみつ、その二! カイザー・スパーク!」


 薪の中で閃光が走り、すぐに小さな火が起こった。


「説明しよう! カイザー・スパークは、両手に高圧電流を流し、スパークさせる事であらゆる物を破壊する! 当然、可燃物があれば炎上するのだ! 続いて、カイザー・ハリケーン!」


 口からブオオオ、と風を出すと、あっという間にパチパチと音を立てて薪が燃えだした。

 カイザーが首を回して、タローを見る。


「こういうのをドヤ顔っていうんだな。ぼくだってそのくらい知ってる。変に褒めたりすると調子に乗るぞ」


「ありがとうは?」


「うん、ありがとう」


 水筒の水と、アビゲイルのコロッケが夕食だ。

 缶詰などの保存食もあるが、先はまだまだ長い。

 食事を終えると、毛布を取り出して地面に敷き、横になる。

 炎が木々の梢を照らして、枝の間から星が見えた。

 星だけは昨日までと何も変わらない。

 なのに、いつも一緒にいてくれたアビゲイルが居ないだけで、こんなにも寂しく見える。

 コロッケをかじる。

 五人分はあったが、それほど保存がきく訳ではない。

 いずれ狩りをする必要もあるかもしれない。


「……美味いなあ」


 毎日毎日、朝も、昼も、晩も。

 アビゲイルはタローのために食事を作ってくれた。

 自分はあまり食べないのに、いつも付き合ってくれた。


「ぼくさ、昔はけっこう好き嫌いが多かったんだ。タマネギとかね。アビゲイルはそれを、ぼくにわからないくらいに細かく刻んで、ハンバーグとかに混ぜ込んだんだ。こっちからすれば余計なお世話さ。でも、いつの間にか食べられるようになって。今では大好きになったんだ」


「なるほどな。我輩もピラミーダで似た話を聞いた事がある。もっとも、その男は母親について話していたのだがな」


「母さん……か。ぼくが物心つく前に死んじゃったよ。顔も覚えてない」


 母は、死ぬ前に生まれて間もないタローをアビゲイルに託した。

 ちゃんと育ててくれ、自分の分まで甘えさせてくれ、と。


「アビゲイルは、ぼくの母さんの代わりを頑張ってくれていたんだ」


 しんみりとした気分になるが、話し相手はカイザー。

 クソ生意気ポンコツブリキロボットだ。

 過大な期待は禁物である。

 いい話をしていたかと思えば、次にはこうだ。


「女性型アンドロイドはな。十八歳未満がオーナーになる場合、機能のいくつかに制限が掛かる。それをレーティングと言うのだが……」


「制限ねえ。いつだったかアビゲイルも言ってたな。でも、今まで何も困らなかったよ」


 カイザーはペンチの手をカチカチと鳴らした。


「いろいろあるが、具体的にはエロい命令を聞かない。アビゲイルは、おぬしにセックスさせてはくれなかっただろう?」


「い、いきなり何を言うんだ! うるさいなあ! ぼく、もう寝るからね!」


 タローは毛布を頭までかぶって、目をきつく閉じた。


「ほんとにもう! ほんとにもう! このポンコツは何を言ってるんだ! アビゲイルとぼくが? あ、あり得ないよ! 常識が無いなあ、まったく!」


 とはいえ、書店の跡地で拾った雑誌のグラビアに載っていた女の子が、少しアビゲイルに似ていて気になった事はあった。


「やれやれだ。我輩にそんな態度を取っていられるのも、今のうちだけだぞ。今に見るがいい。パーツさえ揃えば、いずれ我輩も美少女アンドロイドに改造されてズッコンバッコンだ。その時になって泣きついたって遅いからな」


「でも、中身はカイザーなんでしょ」


「当然だ。陽電子頭脳を交換したら、もう別の存在だからな」


「じゃあいいや。おやすみ」


 タローにとってはどうでもよかったので、すぐに眠りにつくことができた。


 *


 旅は滞りなく続いた。

 いや、滞りなくというのは言いすぎだろう。

 崖から落ちた事もある。

 川に流された事もある。

 超古代文明の遺跡に迷い込んだ事もある。

 クマとも戦ったし、名状しがたい何者かに追いかけられたこともある。

 砂漠で干からびそうになった事もあり、人間のタローはこの時が一番辛かった。

 意外な事だが、いちいち文句を言いつつもピンチのたびにカイザーはタローを助けてくれた。

 タローは素直には言えなかったが、カイザーには感謝していたのだ。

 カイザー一人なら食事も睡眠も必要ないし、二十四時間休み無く歩き続けられる。

 しかし、人間はそうは行かない。

 人間は脆い存在だ、とタローは今さらながら自覚した。


「あれ?」


 タローはふと気になった。


「ロボットの性格って、オーナーの意向が反映されるんだよね?」


「ま、多少はな。正確にはオーナーの好みを分析し、望まれる性格に徐々に変わっていく。こうなれと言ってすぐに変わるものではない」


「カイザーのオーナーって……」


「我輩のオーナーは『法人』だ。だが、担当者はいる。我輩の性格や口調はその担当者に多少の影響を受けているな」


 つまり、カイザーが尊大に振る舞う事を望んでいるという事だろうか。

 どんな人なのだろう? と少し気になった。

 しかし、その話はそこで終わる。

 カイザーは丘の上で立ち止まり、蛇腹の腕をまっすぐに伸ばした。

 ペンチの手がカチカチと鳴る。

 彼の指さす先は、地平線まで森が続いていた。

 その中に、山にしては不自然な三角形が見える。


「見ろ。あれがアーコロジー『ピラミーダ』だ」


 旅に出て一週間。ようやく目的地が見えつつあった。

 頭上にぼんやりと浮かぶ真昼の月は、満月にあと一歩のところまで来ている。

 山を一つ越えるごとに、気温がどんどん下がっていった。

 時折降る雨も、どんどん冷たくなっていく。


「もうすぐ『村』に着く。今夜はそこで休むとしよう」


「えっ? 村?」


 カイザーの言うとおり、森を抜けると小さな集落があって、炊事の煙が上がっている。

 石やレンガで土台を作り、板で組まれた平屋の小屋が二十軒ほど並んでいた。

 村はずれには柵が築かれ、牛たちが暢気に草を食んでおり、反対側には広い田んぼが青々と広がっていた。


「グッド・イーティング(良い食事を)!」


 村に入ると、半裸の子供たちが笑いながら駆け回っていた。


「あっ! 神様だ! みんなーっ! 神様が来たよーっ!」


「神様? どこ? どこ?」


 タローは周りを見渡すが、どこにも何もいない。

 やがて村人たちが広場に集まり、カイザーの前で祈りはじめた。

 人数はおおよそ五十人ほどだろうか。

 ほとんどが老人と子供だった。

 皆、みすぼらしい服装をしている。


「まさか、カイザーが神様じゃないだろうね」


「そのまさか、だろうな」


「ひええ」


 こんなワガママロボットが神様なら、邪神と言わざるを得ない。

 あれよあれよという間に広場に薪が積まれ、火がくべられる。


「カイザーに~かけて~良い~食事を~♪」


 村人たちが歌いながら火の周りを踊り始めた。

 ありったけの酒が集められ、それどころか一頭の牛が生け贄に捧げられた。

 かがり火で丸焼きにされた牛から美味しそうな匂いが漂いだすと、肉を村人たちが切り分けはじめる。

 貴重であろう塩胡椒も、ふんだんに振りかけられた。

 瓶に一杯の酒が差し出されると、カイザーは遠慮無く飲み始めた。

 もともとエタノールが燃料だが、別に燃やしている訳ではない。

 炭素や水素を大気中の酸素と反応させる事で、直接電力を得ているのだ。

 一種の燃料電池だが、アビゲイルの転換炉に比べれば汎用性は低い。


「さあさ、お付きの方も。そうぞお召し上がりください」


 お付きの方とは心外である。村長らしい村一番の年寄りが、タローに巨大な牛肉の塊を差し出した。


「えっ、でも……」


「ご遠慮なさらず! 今日は年に一度のお祭りでしてな。牛は元々こうなる予定だったのですじゃ。神様がいらっしゃるとは思わなんだが」


「じゃ、じゃあ、いただきまーす」


 筋張って噛み応えのある牛肉にかぶりつく。

 牛の栄養状態は、あまり良くなさそうだった。

 それでも上等な部位をくれたらしい。

 山椒や香草で臭みが抑えられており、空腹も相まってむさぼるようにして食べた。


「この村は十五年前、ピラミーダから逃れてきた人々が集まって作ったのです。最初は何も無く、原始人さながらの暮らしでしたが……ようやっとここまで来ました」


「ジジババと子供しか居ないのは……」


「やはりここでの生活は楽ではありませんからな。出稼ぎに行くと言ってピラミーダに行った者は、そのほとんどが戻りませんでした。子供たちも成長すれば、行ってしまうのでしょう……」


 老人は寂しそうに俯ずく。

 顔に刻まれた深い皺が、長年の苦労を無言のうちに語っていた。


「おじいさんは、戻らないの?」


「はい。それが『ソフィア』の意志ですからな」


「誰?」


「ピラミーダの制御コンピューターですじゃ。人は外の世界を目指すべし、と」


「へえ、そうなの? どうして?」


 もう一口牛肉を囓る。炎に照らされた夜空に、一筋の星が流れた。


「理由はわかりません。ですが、わしはそのように啓示を受けたのですじゃ」


 あちこちに無人の廃墟があるのも、人々がアーコロジーへと引きこもっているからだという。

 だが、タローの街を含め、明らかに十五年前どころではない古い建物がたくさんある。

 しかし、老人は嘘を付いている顔ではなかった。


「たとえ月の悪魔が戻ってきて、わしらを皆殺しにしたとしても……それがソフィアの意思であるなら、わしらは受け入れるだけですじゃ」


「月の悪魔……?」


「お若い方は、ご存じありませぬか。大破壊の根本原因ですがのう。それが忘れ去られて行くのも、ソフィアの意思でしょう。もはや済んだ事ゆえ、お忘れくだされ」


 老人の顔には、長年の苦労が刻みつけた皺が深く刻まれている。

 それ以上いくら聞いても、老人は月の悪魔や大破壊について教えてはくれなかった。

 村人たちの歌は続く。


「月の~悪魔が~♪ 鉄塊~降らせ~寒い冬が~やってき~た♪」

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