誕生日

 チーターズとの首位攻防三連戦の初戦を落としたトゥンヌスは続く2試合にも敗れて3つしかなかったゲーム差を6ゲームまで広げられた。以降も低迷は止まらず勝負の9連戦は2勝7敗という結果に終わる。3位のフォックスに順位を逆転され4位のケルベロスにも抜かれそうだった。俺が逆転スリーランを打たれたことをきっかけにチーム全体が勢いを失っていた。

 俺自身はと言えば中原さんに打たれたあの試合以外に大崩れすることはなかった。罪悪感はあるがそんなものを引きずらず切り替えるしかないのだし、俺は上手く切り替えることができた。あの夜に思い切り泣いたのが良かったのかもしれない。あれからも鈴と交わることがある。他の女では駄目になった。射精までは至るけどその後でどうしてもやらなきゃ良かったという気持ちが沸いてくる。今までのように性欲を発散できたから良かったと思えない。結局はリリーフカーを運転してるユミちゃんも球団公式チアガールのマリちゃんもチームメイトの炭川すみかわさんの奥さんも可哀想ではない。彼女たちは俺が関係の解消を申し出れば悲しむだろうが、どうにか受け入れて時間の流れと共に俺のいない日常に慣れていくだろう。鈴だけはそうじゃないから俺を満たしてくれる。これは自己愛でしかないんだけど。鈴の部屋を出た俺はいつも車の中で泣く。自分の醜さに泣く。菜桜に申し訳なくて泣く。

 調子を落としたトゥンヌスは8月下旬に4位まで落ちてしまうが、9月に入ると持ち直して3位に返り咲く。既に優勝は厳しくなっていたが3位以内なら3年ぶりのクライマックスシリーズに出場できる。その目標に向けて選手もファンも一丸となり盛り上がっていた。9月9日は福岡フォックス、10日は北海道ソルジャーズ、11日は大阪カウボーイズを破り3連勝。そして13日からは所沢にある屋外球場に屋根だけ乗っけて外から風も雨も虫も入ってくる中途半端もいいところな球場で首位のチーターズと4連戦が組まれていた。

 勢いはトゥンヌスにあったのだが、ひとつだけ大きな問題があった。トゥンヌスはチーターズとの相性がとても悪かった。7月の途中から俺が打たれた試合も含めて5連敗している。そして8連敗に伸びた。13日からの3日間を負け続けケルベロスに並ばれた。もし16日の試合で敗れるとトゥンヌスは0.5ゲーム差の4位に落ちる。

 決戦の9月16日に立川の宿舎で目を覚ましてスマホを起動するとチャットアプリの通知が表示された。鈴から「きょうの試合すごくたのしみ」「がんばってね」とメッセージが送られている。「恋人じゃあるまいしこんなもの送ってくるな」と返信しようと思うが今日くらいはいいかと思ってメッセージを既読にするだけで留めておく。今日はトゥンヌスにとって大事な試合の日だが、鈴にとっては別の特別な意味がある。誕生日だ。彼女は俺が用意した往復のチケットで電車に乗って所沢まで行って、これまた俺が用意したチケットでバックネット裏から今日の試合を観戦する。今から5年前にまともな恋人のつもりで初めて誕生日を祝うと、鈴は家族にも祝われたことが無かったから嬉しいと言って号泣した。その際の喜びっぷりがあまりに凄まじかったので、誕生日を無視すると逆にものすごく落ち込んで死ぬとか言い出しかねないと思って去年も一昨年もこうして試合に招待することで対策している。

 この日の試合はデーゲームで吉田コーチ以上に髭が印象的な金沢かなざわさんが先発した。しかし彼も悪い流れに飲まれてしまったのか投球に締まりが無い。5回を投げ切る頃には投球数が100球を超え4失点を喫していた。打線も4得点を挙げてチーターズにリードを許しはしなかったが、6回からはピッチャーを交代させるしかなかった。そしてサウスポーの小桜がマウンドに上がる。彼は長いイニングも投げられる器用な投手だから吉田コーチも2イニングくらい投げさせるつもりでいたはずなのだが、その青写真は思わぬ形で崩壊することになる。小桜はふたりのバッターをあっさりアウトにしたものの、次に対戦した権田ごんださんへの2球目がすっぽ抜けてヘルメットに当たってしまった。コントロールが悪い投手ではないのに珍しい。球審が小桜に危険球で退場を告げる。それで7回に出番があるかもしれないからと準備していた俺が急遽今シーズン57回目のマウンドに上がることになった。ツーアウトでランナーは一塁にひとり。対峙するバッターはチーターズの3番打者を務める林。こいつは苦手なんだよな。あれっ、デジャブ?

 いやいや俺はあの時とは違うぞお前を抑えて過去を乗り越えるという思いを込めてうおりゃとストレートを投げるが、林はそんなことお構いなしって感じにフルスイングで痛烈なピッチャー返しを放つ。ワンバウンドしたボールが俺の左足を直撃した。いってえ!俺の足に跳ね返されたボールをキャッチャーの村田が拾い上げるがどこにも投げられない。記録はピッチャー強襲の内野安打。ランナーが一塁と二塁に溜まる。

 ベンチから吉田コーチとトレーナーの笹川ささがわさんがやってくる。俺は左足の痛みをこらえて彼らに来んな来んなとジェスチャーを示す。俺は打球をぶつけられた瞬間にあることを思った。いってえ!って。いやそれも思ったけどそうじゃなくて降りたくないと思ったのだ。今日だけは降りちゃダメだ。たった2球でふたりもピッチャーが交代してここからの継投はどうすんだ。でもガッツリ打球が当たっていたから俺は一旦ベンチ裏に下げられて診断を受けることになる。トゥンヌス梅比良選手、治療のためしばらくお待ちください。

 笹川さんが俺の左足を確認する。とりあえず骨に異常は無さそうでマウンドに戻る許可も出た。しかし吉田さんは痛かったら降りてもええんやぞと言った。

「俺が降りて誰に投げさせるんですか。小桜もいないのに」

「んなもんこっちでどうにかするわ」

「どうにもならないでしょう。俺が投げます」

「そうか。痛くないんやったらそれでええけど」

「めちゃくちゃ痛いっすよ」

「ダメやないかい。今日も入れて残り7試合、全部に勝つつもりでいかなあかんのや。お前に抜けられるリスクを背負うくらいなら今日は休ませる」

「やっぱり痛くないんで今日も残りの試合も俺が投げます」

「ホンマかいな。まあ信用するわ。頼むで」

 俺は痛みを我慢しベンチを出てマウンドへ駆け戻る。球場の観客はトゥンヌスファンもチーターズファンも関係無く拍手で迎えてくれた。そしてレフトスタンドのトゥンヌス応援団が声をひとつにして地響きのようなエールを発する。

 ウーメヒラ!ウーメヒラ!ウーメヒラ!ウーメヒラ!

 思わず視線が向いた。俺は心を打たれた。この大歓声がマウンドを間違いようの無い俺の居場所にする。俺の居場所は他にもあるのかもしれないけど、どんなに最高な場所があってもここもまた最高だと胸を張って言える。悩むことや嫌なことがあってもここにいれば俺は俺でいられる。足の痛みなんて忘れてへっちゃらになれる。

 レフトスタンドを見ながら感謝の気持ちを込めて帽子のつばに触れる。そしてホームベースに向き直り大きく息を吐く。視線を上げてバックネット裏を見れば多くの野球ファンが俺を見つめている。そのまま観てろ。俺のピッチングを焼きつけてやる。

 バッターと対戦する前に打球直撃の影響を確認するため投球練習をする。左足を上げ、右足のかかとも浮かせ、グラブを高く掲げ、反動を活かして高い角度からズドンと投げ下ろす。大丈夫。投げられる。俺はいつも通りのパーフェクトなリリーバーだ。

 チーターズの4番に座る中原さんが打席に入った。先月の試合で俺から逆転スリーランを放った因縁のスラッガー。今度は抑えてやる。大事な試合で二度も、しかも同じ相手に打たれるなんて恥ずかしいじゃないか。

 初球は外角にストレートを投じる。中原さんは手を出さずストライク。2球目もストレートだが少し甘くなる。もちろん中原さんはバットを振るが当たらない。俺の153キロは誰にも捉えられやしない!そしてストレートが目に焼き付いたところでフォークを投げる。簡単に予想できる配球だが、ツーストライクに追い込まれるとギリギリまでストレートと同じ軌道でバッターに向かう俺の魔球を見切ることは不可能だ。三球三振でピンチを脱した俺は踊るように全身で喜びを表現してマウンドを駆け降りる。ベンチへ戻るとチームメイトたちが手荒い祝福を浴びせてきた。それから平静を装っているけど内心でかなりホッとしている小桜の元に行ってハイタッチ。ハイタッチを通り越してどついちゃう。俺のテンションは最高潮だ。リリーフ最高!すげー楽しい!

 俺のこの感情は自己愛だろうか。小桜やトゥンヌスファンを救ってやったことへの優越感だろうか。しかし自己愛だけで投げている奴があんなに痛い思いをして少しも降りたいと思わずにいられるだろうか?俺がこの仕事を好きなのはマジの感情だ。もし俺が降りてもディッキーや安田さんといった頼れる投手が控えてくれているけど、彼らにもこの場所を渡すことはできない。俺はリリーフを任されることに誇りがあるし、本質的にはマウンドで投げることが好きで好きで大好きだ。スターターでもクローザーでもセットアッパーでもモップアッパーでも何でもいいから任されたら絶対に譲ってやんねえという意地がある。

 吉田コーチが俺の元に歩いてきて7回もいけるかと訊いた。俺は当然ですよと言って不敵に笑う。でも一旦ピンチを切り抜けたことでアドレナリンの分泌が止まったのかまた左足の痛みがぶり返していた。痛い。痛い。すごく痛い。いてえよおい!

 心を落ち着けて痛みに感覚を馴染ませる時間が欲しい。野手のみんな、7回表で3点くらい取ってくれ。長い攻撃で時間を稼げるし俺に勝利投手の権利が降ってくるし一石二鳥じゃんよ。でもそんな俺の期待も空しくトゥンヌス打線は3点を奪うどころか三者凡退ですぐに攻撃を終えてしまう。俺はズキズキズキズキズキズキ痛いなあと思いながら7回裏のマウンドに上がる。世界一のトゥンヌス応援団は相変わらずウーメヒラウーメヒラと応援してくれるけど痛いもんは痛い。これはちょっとまずいかもしれない。投げられるには投げられるけど集中力が続かない。そうでなくてもピンチの後にイニングを跨いで投げるのは気持ちの切り替えが難しいのに。

 俺の心が挫けて負けそうになる。そして鈴のことを思い出す。なんでお前なんだよ。でも今日くらいはいいかと思う。誕生日だし。それに俺が金を出して観せてやってる試合で打たれる姿を晒すのも癪だ。痛いけどもう1イニングは耐えてやる。

 この回の最初の打者は実家がりんご農家の殿村とのむらさん。俊足で長打力もあるが三振が多い。こういうバッターはフォークでサクッと三振を奪える。はいワンナウト!次は元々4番だったが不調で打順を落とされた海川さん。調子を落としているバッターに打たれるほど俺は甘くない。高めのストレートを振らせて三振に仕留める。これでツーアウト!そして7番打者のフィリップス。三振かホームランかという典型的な扇風機。この場面でもフォークに空振り三振で送風してくれた。ストライクバッターアウト、スリーアウト、チェンジ!前の回から4者連続の三振を奪い悠然とマウンドを降りる俺。応援団の大歓声。俺はトゥンヌスの希望の守護神・梅比良四季!




 打線は一足遅く俺の願いを叶え3点を勝ち越した。8回裏はディッキー、9回裏は安田さんが投げる必勝リレーでトゥンヌスが4試合ぶりの勝利を挙げた。これでこの日の試合が無いケルベロスに0.5ゲーム差をつけて単独3位に浮上する。

 試合後のヒーローインタビューには今シーズン4回目の勝利投手となった俺が呼ばれた。俺みたいなリリーフは選ばれることが少ないから緊張する。

「今日のヒーローは素晴らしいリリーフを見せた梅比良投手です!ナイスピッチングでした!」

「ありがとうございます」

「梅比良さん、まずは6回に急遽出番がやってきました。その時の心境はどうでしたか?」

「小桜も勝ちたいという気持ちで力んでああいう形になったと思うんですけど、俺も今日はどうしても勝ちたかったので。いつ出番が来てもやってやるぞという気持ちでした」

「しかし登板してすぐアクシデントがありました。痛みもあったと思いますが、元気に戻ってきましたね」

「今も痛いですけど、見に来た人にあまり無様な姿を見せたくないと思って気合で投げました」

「気合で投げたとの言葉通りに4者連続三振と素晴らしいピッチングでした。振り返っていかがですか?」

「とにかく必死で投げるだけでしたけど、少しはかっこいいところを見せられて良かったです」

「クライマックスシリーズ進出へ厳しい試合が続いていますが、今日の勝利で連敗を止めて単独3位です」

「なかなか勝てなかったチーターズさんに勝てて安心しましたけど、ここからが大事だと思うので。みんなが目標を持って試合に臨んでいますし、僕も60試合登板という目標があるので残りの試合を全部投げるつもりで頑張ります」

「レギュラーシーズンは残り6試合です。改めて意気込み、ファンへのメッセージを聞かせてください」

「どの試合もベストを尽くして全力で挑みたいと思いますし、その中で少しでも長く野球をする姿を見せられたらと思います。明日……は試合が無いですけど、次の試合も勝つ!そういう気持ちで向かっていきたいです」

「ありがとうございます!今日のヒーロー、梅比良投手でした!」

 レフトスタンドからウーメヒラ!ウーメヒラ!の大合唱が聞こえる。俺は帽子を取ってそれに応え、内野スタンドやバックネット裏のファンにも感謝を示す。俺のピッチングで喜んでくれていたら嬉しいね。

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