うまくできない私達の(中編)

「キレイだなぁ」

 テーブルに置いたお酒の瓶を眺める。私は昔からこのガラスの色が好きだ。

 子供の頃に夏休みの宿題でこの瓶を絵に描いたりもした。当時はママと二人で、ママは学校の先生だったけど笑って描きたいものを描けばいいって言ってくれた。

 お父さんと二人で住むことになったこの家にもこれはあった。たまにお父さんが一人で静かにこのお酒を飲んでる姿を見たことがある。その姿を見ていたら、なんだか不思議な気分になった。懐かしいような寂しいような、そんな気分。

「どんな味、なんだろ?」

 ずっと瓶ばかり見ていたけど、これはお酒だ。封は切られていて、揺らせばちゃぷちゃぷと鳴る。キャップを開けて鼻を近づけてみる。ビールやチューハイみたいな匂いはしないけど鼻がうっ、てなった。臭いのとは違う。

「え? えぇ……?」

 ママもお父さんもこんなの飲んでたの? 飲んでるの?

 そのことが信じられなくて、何度も鼻をすんすん鳴らして匂いを確かめる。刺激には慣れてきたけど、今度はくしゃみをしそうになった。いけない。私は慌てて一度キャップを締めた。

「…………」

 なにこれ? スーパーで見たこともあるお酒なんだけど、普通に皆こんなの飲んでいるの?

 途端に見慣れた緑のガラスがよくわからないものに変わっちゃった。そのことが無性に寂しくて悲しくて、気に入らない。

「……よしっ」

 時刻は現在二時七分。一杯くらいなら大丈夫、私は成人している。再びキャップを開けて、グラスに中身を注いだ。ラベルの色を想わせる明るい色が現れる。口元へ運び、匂いを確認する。

「うーん……」

 よくわかんない。鼻がつん、とするけどそれだけじゃない。けど、その中身がはっきりしない。

 思い切ってグラスを傾けてみる。

 舌と口がぴりぴりする。なんだか焼酎(一回だけ飲んだことがある)みたい。

 もう一度。今度は味が分かるようにさっきよりも多めに。

 痺れる感じに慣れたのか、今度は味がした。焼酎と違って……木? ナッツ? なんか、そんな感じの匂いと味がする気がする。あと飲んだ後に少し煙いような匂いがする、かも?

「飲めた」

 最初はびっくりしちゃったけど、飲めた。喉が少しかぁっ、としているけど普通に飲める。ビールみたいに苦くないし、マッコリ(これも一回だけ)飲んだ後みたいに口がべっとりもしない。凄く美味しいって感じじゃない。だけど、アリだ。

「ビールより、いい」

 そんなことを考えていたら、夕飯時の光景が頭をよぎった。最近お父さんはビールばかり飲んでいる気がする。

「…………」

 お酒の瓶をちゃぷちゃぷ鳴らしてから、私はまたグラスを傾けた。


「……わっかんないなぁ~」

 何に対して言っているのか、自分でもわからない。

 高校生になりたての頃はわからないって感情を持て余していた。気持ち悪かったし、ムカついたりしていた。大人は汚いとかズルいとか、そんなことを思っていた。

 だけど、今は違う。

 担任の先生のおかげだ。高一の時の先生。イケメンで縁があって話を聞いてもらって、先生の話(詳しい事情までは知らないけど)も聞かせてもらった。自分で言うのもあれだけど、あれから私は少しづつだけど以前よりも穏やかになれた、と思う。

 想い出に浸りながらテーブルを指で撫でていたけど、はっと我に返って頭を振る。

 このゴールデンウイークをどうやって過ごそう?

 年末と正月はバイトと初売りを言い訳に帰らなかった。けど今回も帰らないのは流石に当てつけっぽくなっちゃう。そう思ったから、とにかく帰省した。お父さんは喜んでいて、宮子さんもなんだか嬉しそうで張り切っている感じだ。予定は特に組んではいない。高校のプチ同窓会みたいなものに呼ばれているけど、それだけ。

 三人でどこかに出かける? どこへ? それとも、終日家族団らんして過ごす? うん、これは無理。 

「はぁ……」

 とりあえず寝よう。もうじき三時だ。今日は午後まで寝てよう。そうすれば半日は消化できる。

 トイレに行っておこうと思い、立ち上がる。

 すると――


「おるぅ……?」

 間抜けな声。揺れる視界。動きに合わせてずきずきする頭。おかしい。

 ふらついているのか、腕が左右に揺れている。なにこれ?

「っと、っと……ッ!」

 痛い。ぶつかった、壁に。

 駄目だ。頭痛い。水、水を飲もう。

 廊下へと出る。やけに荒い呼吸音が聞こえる。気持ち悪い。

「……っ、は、は、はぁ……」

 なにこの感じ? お腹のぐるぐるで体が、捻じれてる? そんなわけない。

「……桜子ちゃん?」

 声をかけられた。

 宮子さんだ。

 心配そうに、私を見下ろしてる? うそ、なんでいんの?

 そこで正気に戻ったけど次の瞬間、胃がぐっとせり上がって、喉の奥から聞いたことのないごぽっ、て音がして。それが頭に響いて、やばいって思ったときにはもう遅くて。

 私は継母宮子さんの前で思い切り嘔吐してしまった。

「さっ、桜子ちゃん⁉」

 うそだ。こんなの、酷い。ありえない。やだやだやだやだ!

 宮子さんが駆け私の肩を揺すっている。だけど、止まらなくて。気持ち悪くて。

 いやだ。最悪。こんなの、酷い。みっともない。

「あっ! これ……桜子ちゃん、飲んだの⁉ こんなに⁉」

 宮子さんの足音が遠ざかり、戻ってきた。

「桜子ちゃん‼」

 宮子さんが肩を叩く。うるさい。痛い。

 私はただ首を嫌々と振って丸まる。いやだ。放っておいてよ。

「それどころじゃ、ないのっ……!」

 無理やり床から引き剥がされ、そのまま寝かされる。宮子さんは私の体に触れて体勢を変えた。汚れた顔に触れられたと思ったら、またこみ上げてきた。

「我慢しないっ……!」

 そう言いながら背中を軽く叩く宮子さんの前で、またやってしまった。今度は喉と口の中がやけに辛い。あーあ、せっかく作ってくれたのに。その人の前で吐くとか、ホント最悪。

「水、飲めなかったらココに吐き出していいから」

 宮子さんは洗面器を差し出しながら、水を飲ませてきた。苦しい。ぺっ、と飲まされたものを吐き出す。何度か繰り返しているうちに口の気持ち悪さはだいぶマシになってきて息苦しくもなくなってきた。

「おい、宮子! どうした、って! 桜子⁉」

 ああ、お父さんまで起きてきちゃった。最低だ。

「大丈夫ですよ、私が診ますから」

「いや、だって桜子が……!」

「単純に飲み過ぎです。もう、落ち着き始めています」

 おろおろするお父さんに取り合わずに宮子さんは私の肩を撫でてくれる。なんだかいい匂いがする。

「しかし……!」

「あなた!」

 引き下がらないお父さんに宮子さんが叱りつけるように声を上げた。

「十分ほど様子を見て、苦しそうなままだったら救急車を呼びます。その時はお願いしますから、今は……」

「……わかった。桜子を頼む」

「はい」

 普段とは違う宮子さんのきっぱりとした態度を前にお父さんはすごすごと引き下がっていった。

 それから何分くらい経っただろう。自力で体を起こせるようになった私の口から歯切れ悪くてぶっきらぼうな言葉が出た。

「私……私が片付けますから、その……」

 そうじゃないでしょう。そう、思うけど。言えない。一刻も早くこの人に目の前からいなくなって欲しい。

「駄目よ」

 私の弱々しい拒絶を受け付けない宮子さんは片付けの準備を始めた。私も自分でなんとかしようとするけど、どうしていいのかわからない。そうこうしているうちに私は宮子さんにトイレへ誘導され、便器に抱きつかされていた。

 渡された水を口にしているうちに体は楽になってきた。だけど、気分は最悪。

「桜子ちゃん。シャワー浴びておいで」

 ちょうどいいのか、悪いのか。宮子さんが声をかけてきた。黙り込む私に笑いかけて彼女は言う。

「終わったら私も行くから、先に入ってて」

 その言葉に私はすっくと立ち上がった。

 そんなの御免よ。絶対、嫌っ!

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