第七章:異国にて 02



 ロベルタ・ヒューイの人生は、幸運の連続だった。

 

 まず、生まれだ。ロベルタはヒューイ男爵領の平民として生まれた。

 ヒューイ男爵はティンダル王国においてとても前衛的な、悪く言えば変わり者の考えを持っていた。


 生まれと能力は比例しない、性別での能力は変わらない、という考えだ。


 実際、彼は農夫の話をよく聞き、彼らの経験知を土地特有の癖として分析し、痩せた土地の生産性を飛躍的にアップさせ、荒れ山を開墾して領土を拡大した。


 その為の労力も惜しまなかった。時には自分が現地に足を運ぶことすらあった。ロベルタは、彼が数多く足を運んだ場の一つ、採石場で働く娘だった。


 ロベルタのような出自の子はたくさんいた。でもロベルタはその中でどうにか生き延びるために、採石場で取れた綺麗なクズ石を集めて売っていたのだ。


「面白い事をしているね」

 ヒューイ男爵は石を並べて地べたに座る薄汚れた娘に興味を持った。

 ロベルタは身なりの綺麗なその男が領主とは知らなかった。だが、今よりいい暮らしができるだろうと考え、その男に言ったのだ。


「この山はきっと魔法の石で出来ています。きっと、石切り場以上の価値がある。私はその場所を知っている。知りたければ、私を買ってください」

 結局それが宝石の鉱脈であった。

 また、ロベルタは自分を雇ってほしい、という意味で買ってほしいと言ったのだが、ヒューイ男爵は彼女を養女として迎えたのだった。


「君はきっとモノを売る才能がある。物を売るには立場がいる。だから君を娘にしたんだ。今はとりあえず、その為に勉強と礼儀作法に励むといいよ」

 子爵となった領主はロベルタにそう言った。ロベルタはその日から子爵令嬢になった。家庭教師をつけて、貴族の礼儀作法を教えられた。


 貴族はまどろっこしくて、ロベルタの性には合わなかったが、自分を拾ってくれた子爵への恩義はある。彼女は勉学も、礼儀作法も完璧になるまで努力をした。

 勉強を覚えれば覚える程、礼儀作法を学べば学ぶほど、子爵がしていたことがいかに特異であるかをロベルタは知った。

 その度に自分はなんて恵まれているのだろうと思った。


 齢が14になった時、ロベルタは領主に直談判をした。


「私に、ルース石を宝石商に売らせてください」

 宝石は誰がつけるか。主に貴族の婦女子である。宝石の価値は、彼女たちが握っている。自分は直に彼女たちの声を聞くことが出来る。そして男の商人たちより早く、正確に、彼女たちの欲しいものを届けることが出来る。

 これは強みだと思った。


「きっと周りは君を非難するよ。女が商売などと言ってくるだろう」

「言われない国に売ればいいのです。今、マーソンは皇帝の力が強い。皇帝は実力主義で、貴賤なく人を登用すると言います。手柄を欲しがる宝石商がわんさかいます。そしてマーソン帝国で売れたものなら、ティンダルでも売れます」


 ティンダル王国は階級が厳しい。それは礼儀作法で学んだ。マーソン帝国の国状況と、ティンダル王国との関係は家庭教師から学んだ。


「父上、私にやらせてください。必ずや、この地に宝石の繁栄をもたらしてみせます」


 ロベルタは意志の強い声ではっきりと言った。まるで騎士のようだと、領主は笑った。


 そうしてロベルタのマーソン帝国でのルース石売りが始まった。最初こそ馬鹿にされたが、ヒューイ子爵の鉱山からとれるルース石はとても質が良かった。まだ数は少ないが、確実にロベルタは顧客を増やしていた。

 ロベルタはつくづく思った。本当に自分は運がいい。



 ロベルタは成人したのを機に、新緑祭に行くことにした。数年後を見据えて、ティンダル王国の事情を見ておくべきだと考えたからだ。


 地方領主は基本的に1人で新緑祭に向かうが、娘が16以降になると、新緑祭へ随伴させる。相手を探させるためだ。

 上位の貴族の娘の場合、幼いころから婚約者がいる事が多いが、下位貴族の娘は案外独り身が多い。

 なぜなら、上位貴族の後妻か妾にさせたいからだ。下位貴族は上位貴族とのつながりが欲しい。新緑祭はそのきっかけづくりに丁度いいのだ。


 反吐が出る、とロベルタは思ったが、隣領のトレイシーは案外乗り気らしい。


「贅沢な暮らしが出来るなら、それが一番よ。本当は王妃になりたいわ。 一番贅沢じゃない」

 

 貴族の娘なんていうのは、そういうものなのか。

 相容れない気しかしない。商売相手として割り切って見よう。そうしてさまざまなお茶会や舞踏会に出席して、ロベルタはヴィヴィアンに出会ったのである。


「……ヒューイ子爵令嬢、いえ、ロベルタさんでしたか」

 

 ヴィヴィアンからもらった言葉はたったのこれだけだった。


 でも平民ですぐ死ぬ存在だったロベルタは、商人のロベルタは知っている。

 貴族は階級でしか物を見ない。自分より下だと思う者の、名前を憶えないことが多いのだ。


 この茶会にいるどれだけの人が、ヒューイ子爵令嬢がロベルタだと知っているのか。

 その茶会の、まさか一番貴い人物が、一子爵令嬢の名前を覚えていたのだ。

 

 お名前は、でもなく。ロベルタさんでしたか。


 その言葉にロベルタと、ロベルタと同じ下位貴族令嬢全てが歓喜したことを、きっと彼女は知らないだろう。

 ロベルタはこの日以降、ヴィヴィアンが主催するお茶会には是が非でも出席しようと決めたのである。


 

 次にロベルタが衝撃を受けたのは、金色の薔薇のサシェを貰った時だった。


「いつも来てくださっているから。気持ちだけなのだけど」

 彼女はそう言って、手ずからサシェを渡してくれた。ハーヴェイ伯爵令嬢が泣きそうなことに、彼女は困惑していたが、その場にいる誰しもが泣きそうだった。

 

 貴族の娘たちは、少なからず家のための礎であると自覚している。この場には望まぬ相手と結婚する者もいるし、逆に相手が決まらず焦っているものだっている。

 ハンカチに刺すのは、相手の家の紋章で、自分の家の紋章だと教えられたものだって多い。


 その中で、どこの紋章でもない、薔薇のモチーフは、彼女個人が、自分たちを想って刺してくれたものだ。

 自分の心を一滴でもくれて、自分たちを想って刺してくれたのだと皆が理解していた。


「私、王妃様ってどういうものか、解ってなかったわ」


 帰り道、相乗り馬車の中で、トレイシーが、そのサシェを何度も撫でながら、そうポツリと呟いた。30も上の伯爵の後妻に入ることが決まった彼女は、もう新緑祭に出ることはないだろう。


「私もよ」

 ロベルタはその言葉に頷いた。彼女が、彼女が喜んでくれる首飾りを作りたい。心からそう思った。

 だから、あの下らない噂がどんどん過激になっても、ロベルタは取り合わなかったのだ。



 こんなにも下々の気持ちを慮れるあの人が、そんなことをするはずがない。

 


「わが公爵令嬢を助けるために、力を貸してほしい」

 その男は、クロムウェル公爵の名代として、王城にあるヒューイ子爵の部屋を訪れた。

 

 金髪に青い目をした、でも顔のよく覚えられない男だった。子爵を訪ねたといいながら、彼が来訪した目的は、子爵ではなく、娘のロベルタのほうだった。


 また、こんなに警戒しているのに、彼の顔が妙に覚えれられないというのもロベルタは気味が悪かった。


 引き取り願おうとしたら、その男は首から下げていたサシェを見せてきた。ロベルタが持っているものと同じものだ。

 つまり、ロベルタと同じ、ヴィヴィアンから一滴でも心を貰った人間だという事だ。


 話は聞いてやることにした。

 曰く、彼は彼女に王妃以外の選択肢を与えたいのだという。その為にある手紙を届けてほしいと依頼を受けた。


「ヴィヴィアン嬢のご意志ですか」

「それは明かせません」

「なら、お引き取り下さい。ヴィヴィアン嬢のためでしたら是が非でも動きます。ですがそうでないのなら、私は動きません。それに私は彼女にこそ、王妃になってほしいのです」

 男はそれに、一度逡巡した後、わかりましたと頷いた。そして男は、私も起こってほしくない事ですがと枕詞を付け加えて、さらに続けた。


「もし万が一、彼女が王妃になりたくない、またはなれなくなった際は、またこちらに寄らせて頂きます」

 どういうことなのだろうか。

 ロベルタは顔の見えない男の腕を咄嗟に掴もうとしたが、それは叶わなかった。

 男の姿が一切認識出来なくなったからだ。


 後日、ヴィヴィアン嬢に関する、口にするのもはばかられる醜聞が、貴族社会を駆け巡った。ロベルタの腸が煮えくり返ったことは想像に難くない。


 そうして、憤るロベルタの元に、あの顔の見えない男がやってきたのである。


「今度は、絶対に引き受けてもらう」


 殺意にも似た、強い意志をむき出しにして。






 * *




 男は正直信用ならなかったが、クロムウェル公爵本人のサインのある証書を見せられれば、彼がヴィヴィアン嬢の従者であることを疑う事は出来ない。

 ロベルタは彼の指示通りに動くことにした。



 異国で会ったヴィヴィアン嬢は、こんな混乱の中でも、自分の名前を覚えてくれていた。そのことにまた感動して心が震えた。

 服装こそ平民であったが、ヴィヴィアン嬢の所作はどこまでも貴族令嬢だった。それは邸宅までの短い道中でもすぐ分かったことだ。

 

 よく、海を渡ってくることができた。


 美しい娘を、妾に。そんな輩は腐るほどいる。事実はどうあれ、ヴィヴィアンは今や傷物である。既成事実を作ってしまおうという輩だっていただろう。

 それに庶民の中にも、貴族の娘を攫って一儲けしたいものだって大勢いる。

 チラリと辺りを見渡す。なぜか周りの人がこちらを見なかった。いくら帽子を目深にかぶったからと言って、誰も気にしないのはおかしい。


「彼女は今エレインという名前です。彼女を頼みます」


 彼女の護衛だという男は、大変な美男子だった。声は二度、ロベルタと話した男と同じ声のような気がした。ロベルタは惹かれないが、こんな美丈夫、記憶に残らないわけがない。

 だから、あの従者とこの目の前の護衛が同一人物か、ロベルタは判断がつきかねていた。


「守る術なんて私は持っておりませんよ」

「大丈夫です。まじないをかけました――この邸宅自体、私とロベルタ嬢、貴女にしか認識できません。エレインも同様です」

「そんなこと、できるわけ……」

「現に、貴女は私の顔を今日まで知らなかったでしょう」

 それもまじないだったのです、と護衛の男――従者は言った。


「エレインを頼みます。僕は、彼女を自由に――せめて選択肢をあげたいんです」


 従者はそれだけ言うと、ドアの前から消えて行った。

 きっと認識が出来なくなったのだ、あの夜と同じように。


「――あの方のためなら、いいか」

 私にとって大事なのはヴィヴィアン嬢であり、あの男ではない。


 きっと部屋で緊張しているかの人を思って、ロベルタは早く事情を説明してあげようと思った。





* *




 ロベルタは自分を恥じていた。

 家事は全く出来ないエレインを見て、彼女も人だったのだとようやく思い至ったからだ。


 その美しさから彼女を天使か何かだと勘違いしていた自分を恥じると同時に、掃き掃除ばかりうまくなる彼女を人として愛し始めていた。


「掃き掃除は、お上手です」


 ロベルタがそう言うと、でしょう、とちょっと胸を張る彼女はとても可愛らしい。





「ロベルタ、一つ相談したいの」

 家事を一緒にするようになって3日。エレインは掃き掃除以外にも雑巾縫いが得意だということが判明した。

 元々貰ったサシェの刺繍は素晴らしかった。裁縫は得意なのだろう。積まれた新品の雑巾の数といったら、もう数年は雑巾に困らないほどだ。

「なんでしょう」

「エム――私の影の名前なんだけど、あれに話をしてもらいたいんだけど、どうすればいいかしら」

「……エレイン、前提を話してください。何の話をあの従者殿にしてもらいたいのですか」

 聞けば、彼女はこの異国の地にまで来ているのに碌に今後のことを聞いていないのだという。これからどうするのか、その全てを知らないという。


「私はエムを信頼しているけど、同時にすべて整うまで何も知らないままでいろって言われているみたいで腹立たしいわ」


 だから、あんなにも私がいたことに驚いていたのか。名前を思い出してくれたんだなと思っていたが、そうではなく私を覚えていてくれたのか。

 ロベルタはまた心が震えるのを感じた。


「私、見栄で誰も言わなかったことを敢えて言ったあなたの堂々とした態度がうらやましかったから――だから、話し方を教えてもらおうと思って」

「――私は商売人として殿方と話すことが多いです。なので、女性らしい話し方は教えられませんが、それでいいのなら」

「もちろんよ!むしろそれが知りたいの」

 ヴィヴィアン嬢は飛び上がりそうなほど喜んで、ロベルタの話に食いついた。


「まずエレインと従者殿ではどちらか会話の主導権を持ちますか?」

「そうね。ほとんど、エムがたくさん話して、私が相槌を打つことが多いかも」

「次に、貴女発信の疑問には答えてくれますか?」

「答えてくれる時と答えてくれないときがあるわ。答えてくれるときは明瞭に分かるけど」

「……エレイン、従者殿はあなたの気持ちが解ってないのかもしれません」

「わたしの?」

「エレインがさっき言っていたでしょう、信頼しているけど同時に腹立たしいと。たぶん前者は理解しているのでしょうが、後者を理解してないんじゃないかと。だから、貴女主導で話す必要があります」

 そうして、話し方を教えてやれば、エレインはなるほど、と得心のいった顔をした。



「すっきりした。エムが帰ってきたら、早速実践するわ、ありがとう」

「とんでもないです」

 ロベルタはエレインのすっきりした様子に、思わず笑みがこぼれた。


「エレイン、私も聞いても?」

「なにかしら、お礼になんでも答えるわ」

「従者殿とは大分旧知の仲のようですが、何時からそのような関係なんですか?」

 純粋な疑問だった。

 エレインと従者の間に何とも言えない空気がある。誰も入り込めない様な、そんな空気だ。

 私自身口数は元々多くないが、二人の会話はさらに閉口し、話が終るまで口が開けない事もあった。あの短い道中ですら、だ。


「ああ、いつだったかしら。多分ずっと前、5つの時にはすでにいたわ」

「そんなに小さい時から、彼は護衛を?」

 ロベルタは思わず目を見張った。エムという人物の年齢は知らないが、見た目から判断するに、そこまで離れていないはずだ。


「護衛というか影なの、エムは私の影」

「さっきも仰ってましたね、その影とは?」

「私のために生きて、私のために死ぬのよ」

 さも当たり前だ、といわれるその言葉にロベルタの背筋がぞっとした。


「……その誓いを、そんな小さい時からすでに彼はしていたのですか」


「影が当たり前にいるうちでも、かなりレアケースだったみたい。他の私の影候補は、10も20も上だったみたいだから」

 影が他にもいるのか、というところをロベルタは忘れることにした。

 クロムウェル家が、強固な貴族として建国から絶えずに栄えている理由の一端には絶対影の存在があるだろう。

 世の中知らなくていい事は知らないままでいいし、知ってしまったら忘れるしかないのだ。


「エレインは、彼についてはどう思うのですか」

「私?」

「そうです、彼は――貴女に随分な忠誠を捧げてますけど、貴女は?」

 ロベルタの問いに、エレインは今それに気付いたという様に、ハッとしていた。

「――わからないわ」

「え?」

「当たり前すぎて、エムがいないなんて思ったことなかった。現に、今もエムが自分の元に帰ってくると信じて疑ってないのよ」

 そのまま逃げられてしまう事だってあるのにね。

 そんな風に言う彼女は、あの美丈夫が、この屋敷とエレイン自身に何重もまじないをかけていることを知らないのだ、と思った。

 

 きっと道中もそうして、何も言わずにまじないをかけ続けて、ずっと守ってきたのかも知れない。

 道中だけじゃない、きっとこれまでも、ずっとそうしてきたに違いない。



 ――これ以上、立ち入るのはやめよう。



 ロベルタは、エレインとその従者についてそれ以上追及するのも、考えるのも止めた。

 触らぬ神に祟りなし、そんな言葉がふと頭を過った。





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