第六章:行く先の選択肢 02






 王都の離宮を出て半日、ヴィヴィアンは知らない空の下にいた。

 不思議なにおいのする風が白い帆を押し、ヴィヴィアンの背中に当たり、おくれ毛を舞わせていた。

 足をつけているというのに、足元はゆらゆらと不安定だ。

 海の上、というのは地上よりも柔らかいらしい。それを厭う人もいれば、やみつきになる人もいるのだという。そして後者が船乗りになるのだと、この船――交易船の船主が、エムとヴィヴィアンに教えてくれた。


「エレイン、あと2刻もすればマーソン帝国だよ」

 聞きなれた声に後ろから声をかけられて、ヴィヴィアンは振り返る。

 そこには、艶のある金色の髪を一つにくくり、ヴィヴィアンと同じ青目の男がにっこりと笑っていた。

 いつものローブはすでになく、目を隠していたものは取り払われている。


「もっとかかると思っていたわ」

「船は案外速いんだよ、エレイン。そうしたら、『伯母さん』の家まで直ぐさ」

「楽しみだわ……兄様」

 慣れない言葉に言葉がつっかえそうになりながらも、自分と同じ髪と目をしたエムに、ヴィヴィアンは微笑んで答えた。




 * *





 馬車を乗り継ぎ、陽が一番高い時間に、エムとヴィヴィアンはようやく港町についた。

 眼下に広がる町に、ヴィヴィアンはとても驚いた。

 人はいるものの、家は旧く色あせていたし、舗装されていない道も多い。馬車も少なく、行き交う人たちは灰色や土色の服ばかりで、どこか薄汚い気がした。


 ヴィヴィアンの目には、港町はとても貧しく見える。

 こんな治安の悪そうなところ、大丈夫なのか。エムの腕を握りしめながらこっそりと伝えれば、エムは少しびっくりした後、ああ、と言った。


「別にここは貧しくなんかないよ。ヴィーの知ってる王都や城下街なんかが栄えすぎてるからね、そう見えるのも仕方ないか」

 エムの言葉に、ヴィヴィアンは、はたと気づいた。自分は王都と自領の城下街しか外を知らない。

 家はどれも手入れが行き届いていて、窓際には花が咲き、馬車が何台も行きかう石畳の道だった。行きかう人は色とりどりで、帽子をかぶり、杖を持っていた。


 あれが普通の街だと思っていたけど、違うのね。


 ヴィヴィアンは自分の服を見る。リネンで出来た、ラピスラズリのローブ・モンタント。袖と裾には同じくリネンでできたレースがついている。レースというのは厚く、簡素な装飾だと思っていたが、庶民服なら仕方ないかと思っていた。


 今あらためて思う。これは庶民の服ではない。

 デボラは庶民の服と言いながらも、ヴィヴィアンが納得して着ることが出来るレベルのものを用意してくれたことを漸く知った。


 庶民の服は、ねずみ色か土色で、袖と裾にフリルだってない。さらに言えば帽子に薔薇やリボンなどの装飾はついていなかった。


「この服、脱いだ方がいい?」

 ヴィヴィアンは少し不安になりながら、エムに問いかけた。エムはそれについて首を横に振った。

「そのままでいいよ」

「でも……」

「むしろその顔で本当の庶民の服を着る方が違和感があるんだ」

「?」

「君の顔はどう見ても貴族なんだ。所作も含めてね。そんな人が、自分たちと同じ格好をしていたら違和感しかないんだよ――例えるなら、演劇の公爵夫人役、みたいなものかな」

 ヴィヴィアンはそれを言われて漸くピンときた。


 ちょっと前に観劇したオペラ。公爵夫人役のオーバーな所作にヴィヴィアンはちょっと辟易したのを覚えている。

 貴族はそんな所作しないとか、公爵夫人だからってなんでもかんでもシルクの服やゴテゴテの宝石を着ればいいというものではないと部屋で散々エムに愚痴ったのを覚えている。

 女優は演技のプロだし、演出家は演出のプロだ。彼女だって所作の練習はしただろうし、演出家だって服飾は忠実に表現しようとしたに違いない。でも、違和感があった。ヴィヴィアンは話よりもその違和感が目についてしまったのだ。


 ヴィヴィアンは少し得心が行き、同時にほっと胸を撫で下ろした。

 家から持って来られたのは、今身に着けているものだけだ。できれば、手放したくない。

 

「むしろ、変えるなら僕の方かな」

「なぜ?」

「ヴィーは街中で目元を隠したローブの男って見たことある?」

 それを言われて、ヴィヴィアンは、あ、と口元に手を持っていった。

 ヴィヴィアンは、エムとは物心がつく前からの付き合いである。その間、彼はずっと目隠しとローブを着用していた。

 しかも、街中に行く時はヴィヴィアンの随伴者はデボラかクロムウェル公爵本人だった。エムに会うのは決まっていつも夜中の部屋で、自分とエム以外誰もいない空間ばかりだ。


 そういえば、これまでの道中の御者もすごく警戒した目でエムを見ていなかったか。

 ヴィヴィアンは見るものすべてが初めてで、そういうものなのかと受け入れてしまったが、彼らはヴィヴィアンに須らく優しかった。


 ヴィヴィアンはレディファーストなのかと思っていたが、庶民にそんな常識はあるのだろうか。もしかして、彼らは同情していたからではないだろうか。この得体の知れない男に連れ去らわれる婦女という図に。


「御者までは多少違和感があったほうが、面倒事に首を突っ込まないようにしようって思ってくれるからいいんだけど、船は行き過ぎると乗せてくれないからね」

 しかも、エムはそれを敢てやっていたらしい。

 どう変えようかな、と思案するエムを尻目に、ヴィヴィアンは深く深くため息を吐いた。


「エム、私はあなたを信じているわ。それは確かなんだけど、もう少し言葉をくれないかしら」

 今までは指示をして待てばよかった。これからは共に行かねばならない。だから、自分にわかる所まで言葉を重ねてもらわなくてはならない。



 ヴィヴィアンはこれからの道中、どれだけ説明してくれとエムに詰め寄るのかを思って、気が遠くなった。



* *



「マーソン帝国にいる伯母夫婦に会いに行く兄妹。これでいこう」

「いいけど、その為のものはどうするの? また入店拒否されるのではなくて?」

 エムはサンドイッチを頬張りながら、ヴィヴィアンにそう言った。ヴィヴィアンはエムに小さくちぎってもらったそれを頬張りながらエムの言葉を聞いていた。


 ちなみに、このような軽食を人気のない路肩で頬張ることになったのはヴィヴィアンの本意ではない。食事とは得てして、席に座ってカトラリーを持ってするべきだと思っている。


 だがしかし、エムの見た目から入店拒否されたのだ。

 目を隠した不審な男と、妙に身なりの良い娘。厄介事なのはまさに見ればわかるというものだ。

 それでも食を求めてきた二人をすぐ追い返すことは店主の心が咎めたのか、簡単なものでサンドイッチをこさえると、それをヴィヴィアンに渡してくれたのだ。

 ヴィヴィアンはそれを有難く受け取って、半日振りの食事にようやくありつけたのである。

 港町だからか、サンドイッチの具材は魚だった。普段ハムやベーコンのものしか食べたことのないヴィヴィアンには新鮮な味だ。


「かけ直せばいいだけだから、すぐだよ」

「かけ直す? なにを」

「魔法」

 何事もないようにエムは言うので、ヴィヴィアンは一度、そう、と頷きそうになってしまった。


 魔法。まほう。

 マクラウドが殿下に擬態して踊った時に登場して以来すっかり出てこないそれ。

 エム曰く、宝石よりも希少だといってなかったか。

 

 固まるヴィヴィアンに、そもそもさ、とエムは口を開いた。

「こんな見た目のやつが、今まで碌に目につかない方がおかしいでしょ」

「……今まで人目にうつらない様な魔法でもしてたの?」

「似た様なものかな。大勢の中だと印象に残らない魔法。王都とか人の多いとこはこれで行けたんだけど、こう人がまばらな港町では効果がないみたいだ」

 サンドイッチがつつまれていた油紙をくしゃくしゃにして、さも当たり前の様に言ってくる。


「だから、髪と目の色を変える魔法に切り替える。ヴィーと同じにすれば、顔が似てなくても兄妹で通るさ」

「……この港町に来る前に、かけ直せばよかったのに」

 魚のサンドイッチは美味しいが、やはりテーブルの上で食事をしたかったヴィヴィアンはポツリと不満を零した。

 ヴィヴィアンの言葉に、エムはそれは難しいんだ、と首を振った。


「魔法にだって上級下級が存在するんだよ。印象に残らない魔法は下級の下級だから簡単だし、持続時間も長くできるけど、見た目を変えることはそのものに働きかけるからすごく手間だし、持続時間も短い」

「……つまり、魔法の力は上限があって、また魔法にはそれぞれ必要コストがある。持続時間は、その上限とコストの掛け合わせってこと?」

「妙に物わかりがいいね、ヴィー」

「こんなに直結で役に立った前世の知識、初めてよ」

 前世でやっていた『コンシューマーゲーム』というものの知識がこんなところで役に立つなどヴィヴィアンも思っていなかった。

 

「ちなみに、興味本位で聞くけど、いきなり火を出したりとかできるの?」

「君の前世の知識ではそうなの? そんな力は魔法にはないよ。こっちの使う魔法は大きく2種類だけだ」

 エム曰く、舞踏会の夜のマクラウド将軍にかかっていた魔法は髪や目の色がモノの状態を変化させる魔法で、顔の作りは相手に誤認させる魔法なのだという。

 そしてエムが普段使っているものは後者にあたり、人に認識させないという一番簡単で持続力のあるものらしい。


「僕のは術をかけるのも自分だから5日程はもつけど、マクラウド将軍はかける人が別にいるうえ、魔法も高度だから、2刻ともたなかったろうね。」

 どこかの灰かぶりの少女のような話だと、ヴィヴィアンは聞きながら思った。


 魔法というのは有限で、無限に何かをできるわけではないらしい。だから、いきなり火を出したり、氷を出したりは出来ないという事だ。

 

「でも、どうしてエムはずっと魔法をかけていたの? そんな恰好をしてわざわざ魔法をかけるぐらいなら、そのままがずっと低コストじゃない」

 わざわざ目立つ格好をして、人に意識させない魔法をかけるくらいなら、きっと何もしない方が一番いい。

「あー……。 いや、信頼には信頼で返さないといけないね」

「どういうこと?」

「ヴィーちょっとあそこに行こう。ここだと人目につく」

 人気のない路肩ですら警戒する事とは何なのか。エムはヴィヴィアンの手を引いて、路肩の更に奥、建物の裏手にまわった。人気がないどころか、滅多に人が来なさそうなところだ。

 

 そこまでくると、エムはローブと目隠しを取った。


 薄暗い路地裏でもわかるぐらいの鮮やかな赤い髪と緑の目がそこにあった。

 赤い髪と緑の目。それは亡民カラムの民の特徴だ。

 ヴィヴィアンに近しい人で一番その特徴を持っていたのは、マクラウドだった。でもヴィヴィアンは思う、エムに比べたらマクラウドなど赤毛でもなければ、緑目でもない。それほどまでに、エムのそれは鮮やかだった。


「ね、どう見ても目立っちゃうでしょ」


 困ったように笑うエムに、ヴィヴィアンは頷いた。

 これは確かに、隠したくなるだろう。ティンダル王国でこの髪と目は生きづらい程に目立つ。

 しかし、髪と目も鮮やかさはもちろんだが、それ以上に目立つものがヴィヴィアンの眼前にあった。



 鼻筋と顎の形は綺麗だと思ってたけど、他のパーツも全部綺麗だなんてどういうことよ。

 

 

 髪は真っ赤であるものの、艶があり、触るととても柔らかそうで、髪質自体は極上だ。

 瞳は確かに緑だが、とても澄んだ色をしており僅かな日の光を受けてキラキラと輝いて、本当に貴石のエメラルドがはまっているようだった。

 目は少しツリ気味のアーモンド形で、臙脂のまつ毛が宝石のような目を際立たせていた。目元には心なしか色気すらある。

 そして、その目の形とすっと通った鼻筋、薄い唇が完全に調和しているのだ、。一級の彫刻家による作品かと思う程のそれ。


 サミュエルともマクラウドとも違う種類の、でも確実に絶世の美形がそこにいた。


「確かに、これは目立ってしまうわね」

 髪の毛とか目の色以上に、その顔面が。その言葉をヴィヴィアンは敢て飲み込んだ。此処で余計に話をややこしくしたくないからだ。

 

 というか、こんな顔面がいつも手にキスをしたりしてきていたのかと思うと途端に恥ずかしくなるわ。


 エムだから、と思って何とも思ってなかったことも、なんだか途端に特別なことのようにヴィヴィアンには思えた。

 許せていた時点で特別なのだが、もっと違う特別がでてきてしまいそうだと、ヴィヴィアンは途端に早鐘を打つ胸を押さえながらそう思った。



「術をかけるというのは案外簡単なんだ」

 エムは言うと、その綺麗な目を閉じた。すると、真っ赤だった髪がヴィヴィアンそっくりのブロンドに染まり、開いた目はいつかの布と同じスカイブルーをしていた。


 一方のヴィヴィアンは目の前で魔法を初めて見たのもあり、エムの魔法をまじまじと見てしまった。

「本当に色が変わってるわ」

「顔は似てなくても、髪の毛と目が同じならまあ言い訳は立つ。あとはこのローブさえ脱いじゃえばさっきの不審者とは思われないはずだよ」

 古ぼけた闇色のローブの下には、上等なウールでできた灰色のジャケットとベストにスラックスがあった。

 靴もブーツからシームレスの革靴に履き替えれば、ヴィヴィアンと並ぶと、ちょっとした上流階級の兄妹の出来上がりというわけだ。


 愛用していた闇色のローブは、もう用はないらしい。ヴィヴィアンのソレも、エムのローブ同様に路地裏のゴミ捨て場に置くと、ヴィヴィアンに向けて手を差し出した。

「これで準備は整ったし、行こう、ヴィー」

「え、ええ……」

 やはり顔面と上品な身なりが全くの別人のように感じてしまう。ヴィヴィアンはどぎまぎとした返事をしてしまった。

 差し出された手に自分の手を乗せると、途端、言いようのない安堵がヴィヴィアンの中に広がっていく。


 いつもの、昨日わたしの手を取ってくれたあの手のひらの感触だ。


 思わずエムを見上げれば、エムはヴィヴィアンの心情などわかっていたかのように、うっすらと笑っていた。

「見た目は変わっても、僕は僕だよ」

 エムはそれだけ言うと、ぎゅっとヴィヴィアンの手を握った。




 * *




 船主は、交易船として働く傍ら、様々な人を乗せることがあるのだという。

 兄妹で叔母の家に行く、という身なりの綺麗な二人組に、船主はあからさまに眉をひそめたが、食事処のように追い返すことはなかった。


 搭乗員が多かったというのも理由の一つかもしれない。

 船は、3本のマストを備え、丸みを帯びた船体をしていた。交易船としては比較的小さい船だというが、それでも周りには数十名の船夫と、かの船に乗る人でにぎわっていた。

 

「国を出るやつなんてのは、商人か、旅人か、そうでなきゃ訳アリだ。……だからアンタらにも深くは聞かねえ。聞かねえが、帽子は深くかぶりな。お綺麗な顔ってのはそれだけで価値がある。おまけにその身なりじゃあ、下手したらマーソンじゃねえところに飛ばされっちまうぞ」

 船主はエムから渡し賃を受け取りながら、武骨にそう言うと、エムとヴィヴィアンの顔を順々に指差した。

「忠告どうも」

 エムはまるで貴族のような態度でそう言うと、ヴィヴィアンの帽子をぐっと引いた。貴族の女の帽子というのは頭にひっかけるもので、深くかぶるものではない。だから、ヴィヴィアンは港で買ったキャペリン・ハットを浅く、斜めにひっかけるようにつけていた。

 それを強制的に深くかぶり直しさせられたのだ。

「エッ……兄様!」

「船主の言葉に従っただけさ、エレイン」

 なんでもない事の様に言う。エレインは、エムが考えたヴィヴィアンの偽名である。どうせなら似ている名前にしよう、とエレインになった。

 正直、ヴィヴィアンには『ヴィヴィアン』と『エレイン』の類似性がわからない。だったら、ヴィオラやヴァイオレットの方がずっと似ているとすら思った。

 それをエムに言えば、すぐに首を横に振られたのだ。

 

「それじゃあ似すぎてるよ。それに呼ぶのは僕だけなんだし、僕が解れば大丈夫でしょ」


 どうしてわかるのか教えてほしい。そうは思うものの、エムはそれ以上の言葉はくれないだろう。理由は同じく、自分が解っていればいいからだ。

 

「兄様も深くかぶれって言われたでしょう!」

 だからせめてものの仕返しにと、ヴィヴィアンはエムのボーラー・ハットの鍔をぐっと引っ張ってやった。

 




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