第6話  満開の桜


 桜が咲きだした週の翌週土曜日、いつものように直売所へ行ったら「都合によりお休みします」と書かれたボードが出ていた。その次の週、今週も開いてないとイヤだなあと思いながら遊歩道を歩いて行くと、赤い「営業中」の旗が遠目にも見えた。それだけでホッとする。

 いつの間にか桜が満開になっていた。

 直売所の桜は建物の後方に架かる高速道路がいい風よけになっているようで、毎年、他所よりも花が長持ちしているように見えるが、今年は本当に長い。こんなに長く桜が咲き続けている年は記憶にない。


「こんにちは」

 あまりに桜が見事だったので、直売所に入る時にかけるあいさつだけで済まさず、作業場に座るおかあさんにそのまま話しかけた。

「桜、凄いですね。ずっと咲いてますね」

「ほんとよ。今年はどうしちゃったのかしらねえ」

 おかあさんは手を止めて顔を上げると、笑顔を見せた。

「あまり強い風が吹かなかったからですかね」

「咲いてから大雪は降ったけど、ひどい雨は降らなかったしねえ」

 春はなんとなく穏やかなイメージがあるけれど、その実、かなり乱暴な季節だ。”三寒四温”の言葉通り、前日と気温差が10度あることだってそれほど珍しくない。今年は開花したすぐあと、うっすらとだが積もるほどの雪が降った。雪が降るくらいだから、もちろん雨も多い。”花散らしの雨”とも言うし、”春の嵐”なんて言葉もある。そうそう、”春雷”もあったっけ。

「それにしても散り始めてもいないですね」

 天気のいい日に桜が散り始めると、事務机の前からはとても幸せな気分で眺めることができる。青い空に透けるような花がこんもりと咲いた枝から、ちらちら、ちらちら、光に反射するように白い花弁がゆっくりと舞い落ちてくる。道路から一本奥に入ったこの場所には、車の音も人の声もほとんど届かない。暖かくなってくると、遊歩道に流れる小川でザリガニ釣りをする親子連れがいたりするけれど、その声もどこか遠くに響く。のどかで静かな、貸し切りみたいな桜。

「……今が満開、ってことかしらね」

「ですかね」

 話しながら外に出てきたおかあさんと並んで見る桜は、空を覆うように咲き誇っている。ごくたまに花びらが舞い落ちてくるのは、桜から私たちへの気まぐれなサービスのように思えるほど、これ以上はないほどの満開だった。


 

 今日の陳列棚は、春野菜も満開だった。

 色々な緑色の野菜が所狭しと並べられていて、目にも鮮やかだ。緑、とひとことで言っても、本当に様々な緑があることに棚の上だけで気付かされる。このたくさんの緑が全ておじさんの手で育てられたものだと思うと、植物を育てるのが不得手な私には、おじさんがすごく特別なひとに思えてくる。

 実際のおじさんは、でも、相変わらずのテキヤの親父風だった。桜が咲こうが、春になって野菜の種類が増えようが、おじさんはおじさん。いつもと変わりなかった。

「元気ですか?」

「元気だよー」

 相変わらずの歯っ欠け笑顔だ。いつもと違って少しばかり口数が少なめなのは、今日はノラガールが来ているからだろうか。


 ノラガール、というのは、私が心の中で勝手につけて呼んでいるあだ名だ。

 細くてすらりと背が高い彼女は、二駅離れたターミナル駅からわざわざ電動アシスト自転車でここまで野菜を買いに来ているという、ヘルシー美人さん。客として通っているうちに、どちらから言い出したのか知らないが、おかあさん曰く「野菜の収穫を手伝う代わりに現物支給をする条件で、忙しい時に来てもらう助っ人さん」になったらしい。だから、野良仕事を手伝う、ノラガール。

 彼女は私より十ほどは若くみえるが落ち着いた物腰で、おじさんの手伝い仲間に混じっても浮いてみえたりしない。ごく自然に溶け込んでいて、それでいて笑顔がチャーミングな女性だ。


 彼女に以前、「一緒にお手伝い、やりませんか?」と誘われたことがある。

「そう言ってもらえるのはとても嬉しいんだけれど、私、腰痛持ちで、屈んでいると立てなくなっちゃうんだ」

 と答えたら、皆に苦笑いされてしまった。その話は当然それっきりになったけれど、それでもたまに会う度にちょこちょこと話をする。一度は

「◯◯公園のところで見かけました。あの近くに住んでいるんですか?」

 と聞かれてドキッとしたことがあった。実際、その通りだからだ。万一見られたらと思うと、これからはすぐ近くと言えどもゴミ出しなどでうかつな格好で外に出るのは止めておこうと心に誓った。


 それにしても、おかあさんといい、ノラガールといい、どちらもステキな女性だ。おじさん、実はモテるのかな、とうっかり考えてしまった。

 多分それは考えすぎだろう、とすぐに頭を振る。

 目の前のおじさんは、相変わらずちょこちょことせわしなく動き回っている。ノラガールもおじさん仲間も、陳列棚の脇で座って手を動かしている。仲間に囲まれたおじさんは、桜や野菜と同様、満開の笑顔を浮かべていた。


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