エピローグ その2

 そのころ、竜薙家の墓のある寺を出た二人の男は、ゆっくりと石段を降りていた。青い空の端には入道雲が顔を出しており、周囲の木々からは蝉の鳴き声がやかましいほどに聞こえてくる。


「今年はあっちもずいぶんにぎやかになったろうな。お前以外、みんな死んじまったし」


 弓雅は華伝の少し前を歩きながら言う。彼はスーツを着ているが、暑さに耐えきれなくなったようで、今は上着を脱いで肩にかけている。


「僕は竜薙家の最後の一人って言えるのかな」


 華伝はふとつぶやく。弓雅と違い、ポロシャツにスリムジーンズという、夏らしい軽快な服装だ。さらに今は、長い黒髪をうなじのところで結って一つにまとめている。


「直接血がつながってなくても、お前はそうとしか言えないだろ。他に誰があんな刀使うんだよ」

「あれが、竜薙家の一族の証ってことか」


 華伝にはまるで実感の湧かない話だった。自分は十一年前、あの家の当主を殺し、出奔し、竜薙の姓を捨てたのだから。


 だが、あの事件の後に弓雅に聞いたところによると、華伝が刀に使い手として選ばれたこと、不完全ではあるが鬼人になったことは、宿命づけられていたことのようだった。そう、かつてあの家では、雷伝の指示のもと、ひそかに鬼人の研究がおこなわれていたという。彼はその伝説を現代によみがえらせようとしていたらしい。雷伝は当主でありながら竜薙の風花の使い手になれなかったことに劣等感を抱いており、それが彼を鬼人研究を駆り立てることになったのだそうだ。


 しかし、その研究において、鬼人として生まれるはずの赤子はただの瘴鬼に過ぎなかった。雷伝はすぐにその「失敗作」を始末しようとした。そして、そこを伝衛門に止められ、赤子は救われた。伝衛門は雷伝の非人道的な研究を激しく責め、贖罪として彼に命じた。その赤子を自分の子として育てよ、と。ちょうどそのとき、雷伝の妻は流産したばかりだった。赤子はその流れた子供につけられるはずだった名を授かり、瘴鬼ながらもその家の嫡子として育てられることになった。


「おじい様は知っていたんだろうか、僕があの刀を使えることを。だから、僕を当主に推して……」

「さあな。瘴鬼だろうが鬼人だろうがなんだろうが、たぶん、竜薙のじい様にとっては、お前はただのかわいい孫だったと思うぜ」

「かわいい孫、か」


 華伝はさらに、こんなことも聞いていた。伝衛門は、赤子の華伝を雷伝に押しつける際、その引き換え条件として、今後一切雷伝のやることには干渉しないと誓ったそうだ。また、さらにその赤子が瘴鬼として力を発揮し、脅威になるのなら、すぐに殺してもかまわない、と。当時、伝衛門はすでに当主の座を退いており、いかな実父であっても、当主の雷伝を完全にいいなりに出来る立場ではなかった。その約束で、雷伝をなんとか説得したのだそうだ。また、華伝を自分の子として育てさせることで、雷伝の改心をうながしたとも考えられた。結果として、それは果たされることはなかったが。


 華伝はその話を弓雅から聞いた時、強い後悔と自責の念を感じた。自分は伝衛門の温情で生かされていた。それなのに、何も知らず、この十一年間ずっと、雷伝の悪逆な行為を止められなかった無力な老人と軽蔑していた。病院で再会した時、なぜあんなに冷たい態度をとってしまったのだろう。もっと、ちゃんと話せばよかった、と……。


「竜薙のじい様のことは、あまり気にするな。あのお方は今頃雲の上で、お前が竜薙の風花を継承したことを知って喜んでるはずだからな」


 弓雅は華伝を元気づけるように朗らかに笑い、言う。そういえば、この人は十一年前の当時、自分のことをどこまで知っていたんだろう。ふと、華伝は気になった。


「叔父さんは初めから知ってたのかい。僕があの刀を使えるってことを。だから、僕があげた後も、売らずにずっと持ってて……」


 そう、竜薙の風花はこの十一年間、弓雅の家にあった。使い手ではなくても所持しているだけで鬼の邪術を弱める便利なものにもかかわらず、彼はそれを手放すことはなかったのだ。


「いや、当時はそこまでは。ただ、俺はなんとなく、あれはいつかお前のために必要になるんじゃないかって思ってただけさ」

「僕のために? じゃあ、叔父さんはタダで僕達を助けてくれたってこと?」

「そんなこまかいこと、今さら、どうでもいいだろ」

「いや、全然こまかくない――」

「うっせーな! 早く車に戻るぞ! 暑くてかなわねえ!」


 弓雅は早口で言うと、一人で石段を走って降りて行ってしまった。


「あの人でも、照れる時ってあるんだな」


 そんな弓雅の背中を見ながら、華伝は笑った。

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